第3話

わたしの名前をフルネームで覚えてくれている葉月くん。


でも、これは覚えていないだろうね。

わたしたちは青葉高校の受験の日に会っている。





受験の日、時間に余裕を持って家を出たのに、乗る電車を間違えて反対方向に行ってしまった。

何度も間違えないように、下見までしていたのに。


電車を乗り換えて、引き返したらギリギリになってしまった。

急いでホームからの階段を駆け下り、隣のホームへの階段に向かっていると、通路をキョロキョロしているおばあさんが目に入った。


でも、次の電車に乗らないと受験に遅刻してしまう。

きっと誰か、駅員さんとか、気がついて助けてあげるはず。


そう思って通り過ぎたのだけれど、振り返ると、おばあさんはずっと困った顔をして誰かに聞くこともできずにいる。


放っておけなくて、引き返した。



「どこに行かれるんですか?」



わたしが声をかけると、おばあさんはほっとしたような表情を見せた。



「娘のところにね、孫が生まれたから。でも、前と駅の感じが違うから、迷ってしまって」



この駅は新しく建て替えられている途中で、その過程で外のバス停や、駅の改札の位置が数週間おきに移動していて、誰もが分かりにくいことになっていた。

それでわたしも、昨日、自分が使う乗り場への通路を下見をしたのだった。(それでも間違えたけど)



「どこの駅に行かれるんですか?」


「赤羽駅なんですけど」



赤羽駅?

聞いたことがない。

周りを見渡して、路線図を探したけれど見当たらない。

調べるためにカバンからスマホを出そうとして、手を滑らせて落としてしまった。

慌てて拾おうとしたところを別の手が拾った。



「はい」



拾ってくれたのは、知らない中学の制服を着た男子。



「ありがとう」



お礼を言った声が小さくなってしまって、ちゃんと聞こえたか不安になった。



「赤羽駅なら2番線ですよ。ここが4番だから、真っ直ぐ行って、2つ目のエスカレーターを上がったところです」



そう言って、彼は2番線の方向を指差す。



「2人とも、ありがとうね」



おばあさんが深々と頭を下げて2番線に向かって行く後ろ姿を見ていると、4番線に電車が到着するアナウンスが聞こえて来た。



「乗り遅れる……」



咄嗟に声が出た。



「もしかして青葉受ける?」


「え? うん」


「一緒だ」



わたしの手を、その男子が掴んだ。



「急ごう!」



引っ張られて、自分ひとりでは到底出せないようなスピードで、階段を駆け上った。

途中、わたしがつまずきそうになったのに、手をぎゅっと掴んで引っ張り上げてくれたおかげで、こけずにすんだ。


ドアが閉まる寸前で、2人とも電車に飛び乗った。


ゼイゼイと肩で息をしているわたしの横で、彼はちっとも呼吸を乱した様子がない。

息が落ち着いてから、ようやくお礼が言えた。



「ありがとう。引っ張ってくれなかったら、きっと電車に乗れなかった」


「役に立てて良かった。階段を上りきったところでおばあさんに気がついて、下りてたんだけど先を越されてた」



わたしに笑いかけてくれたその顔を見て、ようやく平常に戻っていた心臓がまたバクバクし始めて……



「あの――」



名前を聞こうとして声を出したつもりだったのに、電車の中の雑音でかき消されてしまった。



「カズト! お前、どこ行ってんだよ? いきなり走ってくから電車、間に合わないかと思ってビビったじゃん」



彼と同じ制服を着た友達らしき人が近寄ってきた。



「悪い、ちょっと」


「みんなあっちいるから来いよ」



彼は友達と隣の車両に行きかけて、立ち止まるとこっちを振り返って言った。



「またね」



また……




わかっているのは「カズト」という響きの名前と、青葉高校を受験するということだけ。


彼の第一希望が青葉高校でありますように。


どうか、青葉高校へ受かりますように。



神サマに2つもお願いしてしまった。

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