File.89:名無し森集落「神隠し」事件に関する未解決捜査資料
@tamacco
第1話 資料番号01:第一発見者の供述(郵便配達員・男性)
捜査関係者のみ閲覧可
資料区分:供述調書(録音反訳)
事件番号:平成〇年(検)第〇〇号
事件名:名無し森集落住民集団失踪事件
録取日時:平成〇年〇月〇日 午後2時15分~午後6時30分
録取場所:〇〇県警本部別館 取調室(3)
供述者:佐田 実(さだ・みのる) 当時42歳
職業:郵便局員(配達担当)
担当官:捜査一課 警部補 〇〇
【調書冒頭】
本件は、管内山間部の集落、通称「名無し森」において発生した住民38名の失踪事案に関する、第一発見者への聴取記録である。
供述者は発見当時、郵便配達業務中に当該集落を訪れており、現場の初期状態を目撃した唯一の外部人間である。
なお、供述者は聴取時、極度の精神的動揺と、原因不明の発熱(38.2度)を訴えていたが、医師の立会いのもと、本人の同意を得て録取を行った。
【以下、供述内容】
はい、録音、回ってるんですね。
わかってます。最初から話せばいいんでしょう。もうこれで、警察の方にお話しするのは四回目です。同じことばかり何度も聞かれて、正直、まいってるんです。
でも、話しますよ。話さないと、あの光景が頭に焼き付いて離れないんだ。誰かに全部吐き出さないと、気が狂ってしまいそうだ。
(水を含む音)
私がその「名無し森」……地元の人間は「ナシモリ」って呼びますけど、あそこに配達に行ったのは、今週の月曜日です。
いつものルートですよ。本局を朝の8時に出て、国道沿いの民家を回ってから、山の方へ入っていくんです。
ナシモリは一番奥にある集落でね。あそこへ行くには、舗装もされていない林道をバイクで20分近く走らなきゃならない。
冬場なんかは雪で閉ざされることもあるような場所ですが、あの日はよく晴れていました。
ただ、妙に湿気がすごかったのを覚えています。前日に雨が降ったわけでもないのに、森全体がじっとりと濡れていて、腐葉土の匂いがヘルメットの中まで入ってくるような、そんな日でした。
集落の入り口に着いたのは、午前10時15分頃だったと思います。
いつもなら、バイクのエンジン音が響くと、誰かしらが顔を出すんですよ。
あそこの住人は高齢者が多いですし、娯楽なんて何もないところですから、郵便屋が来るっていうのは、彼らにとって一日の中の一大イベントみたいなもんなんです。
「ご苦労さん」って声をかけてくれたり、畑仕事の手を休めてお茶を勧めてくれたりね。
特に、入り口近くに住んでる吉村さんのお婆ちゃんなんかは、いつも縁側に座って日向ぼっこをしていて、私が手を振るとニコニコ笑って会釈してくれるのが常でした。
でも、あの日は違いました。
静かだったんです。
いや、静かという言葉じゃ足りない。音が「死んで」いました。
鳥の鳴き声も、虫の羽音もしない。風が木々を揺らす音さえ聞こえない。
聞こえるのは、私の乗ってるスーパーカブのエンジン音だけ。その音が、やけに大きく響いて、なんだか自分がひどく場違いな、悪いことをしているような気分になったのを覚えています。
吉村さんの家の縁側には、誰もいませんでした。
座布団が二枚、干したままになっていて、その横には急須と湯飲みが置かれていました。
まだ10時過ぎですから、お茶の時間だったんでしょう。
「吉村さーん、郵便ですよ」
私はバイクを停めて、声をかけました。
返事はありません。
まあ、耳が遠い方もいますから、それ自体は珍しいことじゃありません。
私はバイクを降りて、郵便受けにダイレクトメールと電気料金の明細を入れようとしました。
その時です。
違和感を感じたのは。
玄関の引き戸が、少し開いていたんです。10センチくらいでしょうか。
そこから、テレビの音が漏れていました。
さっき「音が死んでいた」と言いましたけど、訂正します。
テレビの音だけが、不気味に響いていたんです。ワイドショーの司会者の笑い声と、CMの軽薄な音楽。
それが、人の気配が全くない山奥の空気と混ざり合って、ひどくアンバランスでした。
私は少し心配になって、「吉村さん?」と声をかけながら、開いた隙間から中を覗きました。
田舎の家ですから、玄関を入るとすぐに土間があって、その奥に居間が見えるんです。
居間のちゃぶ台の上には、朝食が並んでいました。
ご飯と、焼き魚と、お味噌汁。漬物の皿もありました。
箸もちゃんと揃えられていて、まるで今まさに「いただきます」をする直前のような光景でした。
でも、誰もいないんです。
トイレにでも立っているのかと思いました。
でも、何かおかしい。
私は失礼を承知で、土間に上がって靴を脱ぎ、居間まで近づきました。
そして、ちゃぶ台の上の味噌汁を見て、背筋が凍りました。
湯気が立っていたんです。
わかりますか?
湯気が立っているということは、ついさっき、数分前によそわれたばかりだということです。
焼き魚もまだ温かそうでした。
なのに、人がいない。
この狭い家の中で、隠れられる場所なんて限られています。
「吉村さん! いらっしゃいませんか!」
大声で呼びかけました。
返ってくるのは、テレビの音だけ。
台所の水道の蛇口からは、ツーッという細い水が出ていました。
野菜を洗っている途中だったかのように、ザルには泥のついた大根が放置されていました。
私は怖くなって、吉村さんの家を飛び出しました。
何か事件があったんじゃないか。強盗か何かが入って、お婆ちゃんが連れ去られたんじゃないか。
そう思って、私は隣の家へ走りました。
区長の石井さんの家です。
石井さんの家も、同じでした。
玄関は鍵がかかっていなくて、中はもぬけの殻。
やはり、生活の痕跡だけが生々しく残っていました。
洗濯機が回る音がしていました。
仏壇には線香があげられていて、まだ煙が立ち上っていました。
線香の長さからして、火をつけてから10分も経っていないはずです。
私はパニックになりかけながら、バイクに乗って集落の中を走り回りました。
3軒、4軒、5軒。
どこも同じです。
どの家も、ついさっきまでそこに人がいた形跡があるのに、人間だけが蒸発したように消えている。
神隠し、なんて言葉が頭をよぎりましたが、そんな非科学的なことを信じる余裕もありませんでした。
とにかく、誰かいないか。誰でもいいから出てきてくれ。
そう祈りながら、集落の一番高い場所にある集会所へ向かいました。
集会所の前には、広場があります。
普段はゲートボール場として使われている場所です。
そこに、私は異様なものを見ました。
(深呼吸をする音。供述者の声が震え始める)
靴です。
靴が、並んでいたんです。
広場の真ん中に、円を描くように。
男物の長靴、婦人用のサンダル、運動靴、子供用のスニーカーまでありました。
全部で30足……いや、40足くらいあったかもしれません。
きれいに揃えられて、つま先を中心に向けて並べられていました。
まるで、見えない人間たちが輪になって会議でもしているかのように。
私はバイクを放り出して、その輪に近づきました。
靴だけじゃない。
よく見ると、靴の横には、携帯電話や、財布や、眼鏡なんかが置かれていました。
持ち主が、身に着けていたものをすべて外して、そこに置いていったかのように。
「おーい! 誰かいないのか!」
私は叫びました。
その時、集会所の中から、物音が聞こえました。
ガタッ、という、椅子を引きずるような音です。
誰かいる。
私は安堵と恐怖が入り混じった気持ちで、集会所のドアに手をかけました。
鍵はかかっていませんでした。
ドアを開けると、そこには……。
(長い沈黙。約30秒間)
すみません、水をもう一杯いただけますか。
喉が、張り付いてしまって。
(水を含む音)
……集会所の中には、誰もいませんでした。
広い畳敷きの部屋です。
机も椅子も、片付けられていました。
ただ、部屋の中央に、何かが置かれていました。
ビデオカメラです。
家庭用の、三脚に据えられたビデオカメラ。
それが一台だけ、ポツンと置かれていました。
レンズは、部屋の奥にある舞台の方を向いていました。
そして、カメラの赤いランプが点滅していました。録画中だったんです。
私は吸い寄せられるように、そのカメラに近づきました。
一体、何を撮っているんだ?
無人の部屋で、何を記録しようとしているんだ?
そう思いながら、カメラの液晶モニターを覗き込みました。
モニターには、何も映っていませんでした。
ただ、誰もいない舞台と、色あせた緞帳が映っているだけ。
そう思った瞬間です。
カメラのスピーカーから、音が聞こえてきたんです。
最初は、ノイズかと思いました。
ザザッ、ザザッという、電波の悪いラジオみたいな音。
でも、耳を澄ますと、それが人の声だとわかりました。
低い、低い、お経のような唸り声。
一人じゃない。何十人もの人間が、声を合わせて何かを呟いている。
その声は、カメラが拾っている「現在の音」でした。
つまり、この部屋の中に、目には見えないけれど、大勢の人間がいるということなんです。
私は恐怖で悲鳴を上げそうになりました。
その時、モニターの画面に、ノイズが走りました。
そして、一瞬だけ、何かが映ったんです。
舞台の上です。
緞帳の隙間から、顔が覗いていました。
白い、のっぺりとした顔。
目も鼻も口もない、真っ白な顔のようなものが、無数に。
それが、びっしりと隙間を埋め尽くして、カメラの方を、いや、モニターを見ている「私」の方を見ていました。
「見つけた」
カメラからではなく、私のすぐ後ろから、声がしました。
耳元です。
温かい息がかかりました。
若い女の声でした。
私は腰を抜かしそうになりながら、転がるようにして集会所を飛び出しました。
振り返る余裕なんてありません。
自分のバイクにまたがって、必死でキックペダルを踏みました。
一度目はかからない。二度目もダメ。
後ろの集会所から、ドンドン、ドンドンと、床を踏み鳴らすような音が聞こえてきました。
そして、あの広場に並べられた靴たちが、カタカタと揺れ始めたのが視界の隅に見えました。
「頼む、動いてくれ!」
三度目のキックで、ようやくエンジンがかかりました。
私は全速力で逃げました。
山道を下っている最中も、ずっと背中に視線を感じていました。
森の木々の隙間から、白い何かがずっと並走してきているような気がして、バックミラーを見ることもできませんでした。
麓の駐在所に駆け込んだのが、10時45分頃です。
駐在の山本さんに事情を話しましたが、最初は信じてもらえませんでした。
「佐田さん、寝ぼけてるんじゃないのか? 今日はナシモリで祭りの予定なんてないぞ」って。
でも、私の顔色が真っ青で、ガタガタ震えているのを見て、ただ事じゃないと察してくれたんでしょう。
すぐに本署へ連絡を入れてくれました。
……これが、私が見た全てです。
その後、警察の方々が現場に入った時には、あの靴も、ビデオカメラもなくなっていたそうですね。
それに、食事も冷め切っていたと聞きました。
でも、私は嘘をついていません。幻覚を見たわけでもありません。
本当に、湯気は立っていたんです。
本当に、あの声を聞いたんです。
ああ、それと。
最後に一つだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
私が逃げる時、集会所の入り口のところで、あるものを見ました。
パニックになっていたので、その時は認識できなかったんですが、後になって鮮明に思い出したんです。
集会所の入り口に、配達予定の郵便物が落ちていました。
私がバイクのカバンに入れていたはずの郵便物です。
まだ配達していない、カバンの奥底にあったはずの封筒。
それがなぜか、あそこに落ちていた。
その宛名が見えたんです。
宛名は、「佐田 実」様。
私宛の手紙でした。
差出人の名前はありませんでしたが、封筒の裏に、赤い文字で一言だけ書いてありました。
『逃がさない』
……今でも、夜になると聞こえるんです。
あの時の、耳元で囁かれた声が。
そして、今朝、鏡を見て気づきました。
私の首筋に、赤い手形のようなあざが浮き出ているのを。
これ、ただのかぶれでしょうか?
お医者さんはストレス性の湿疹だと言いますけど、私にはそうは思えない。
だって、この手形の指の数……六本あるんです。
(供述者は自身の首筋を指さし、激しく動揺し始める。以降、意味不明な発言が増えたため、一旦録取を中断)
【担当官所見】
供述者の証言には、客観的事実と矛盾する点が多々見られる。
現場検証の結果、各家庭に残された食事は、腐敗の進行具合から見て、少なくとも発見の二日前には用意されたものと推定されている。
また、供述者が主張する「湯気」や「温かい家電」といった痕跡は一切確認されていない。
しかし、彼が現場に到着した時刻や、その後の行動については、GPS記録および駐在所への通報記録と一致している。
特筆すべきは、供述者が最後に述べた「自分宛の手紙」についてである。
現場周辺の捜索において、集会所付近の草むらから、泥にまみれた封筒が一通発見されている。
宛名は確かに「佐田 実」となっていた。
封筒の中身は白紙であったが、現在、科捜研にて筆跡および付着物の鑑定を進めている。
供述者・佐田実については、重度の心因性ストレス反応が見られるため、現在は警察病院にて保護入院中である。
なお、彼の首筋に見られる発疹については、皮膚科医の診断によると「人の手で強く掴まれたような圧迫痕」に近い形状をしているとのことだが、指の本数に関しては判別不能である。
次回、隣接する集落の住民への聴取を行う予定。
(資料番号01 終了)
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