つがいって、何。
にのまえ
つがいって、何。
「君は僕の番ではない」
「君を愛することはない」
「いい加減、待つのはやめろ」
「番じゃないと、何度言えばわかる!」
「その言葉を言うな!」
そのたび、心は深く抉られ悲鳴をあげた。
◆
ここは、緑豊かな獣人の国エスラエル。
森を渡る風が王都を抜け、王宮の白壁をそっと撫でていく、穏やかな午後。
私はエスラエル国の王妃、白銀の髪と薄水色の瞳を持つスノー・エスラエル。そして、オオカミ族の王。黒髪に赤い瞳、精悍な獣の耳と尾を持つ、ローレンス・エスラエル。彼の“番”として選ばれ、獣人ではないが王妃となって三年が経つ。
いつものお茶の時間に、私は彼の好物のクッキーを焼いたのだけど。受け取ってもらえず、今日も書類を受け取って終わりかもしれない。
それでも彼に会える、ほんのわずかな時間だから。
たとえ、少しだけのやり取りだけでも、私はそれで十分だった。
弾む心を抑え、笑顔を浮かべ、ノックしようと彼の執務室の前に立った。
「お待ちください、スノー王妃。陛下は今、大切なお話を……」
耳のいい猫獣人メイドが制したけど、すでに扉の前にいた私に中の会話が聞こえてしまった。
「……レイアー嬢が妊娠した。だから彼女を側妃に迎えようと思う」
え? レイアー様が妊娠? 彼のお気に入り、同じオオカミ族の公職令嬢レイアー・ヤーバル様が懐妊した?
「なんと、レイアー嬢が懐妊とはおめでとうございます。それで王妃スノー様には? 彼女は陛下の“番”ではありませんか」
「番? 違う。彼女は僕の番ではない」
何度も聞いた言葉だけど。今日の私の、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。それ以上聞きたくなくて、私はそっと執務室の扉から離れ、自室へ戻った。
三年間、舞踏会、お茶会でエスコートされずとも。
この国の民を癒し、執務をこなし、王妃として扱われなくても……この三年間、私なりに努力してきた。その努力は認められていなかった。
(そうよね。三年間もの間、“白い結婚”だったもの)
結婚式の夜。一晩中、彼は夫婦の寝室に来なかった。悲しくて涙を流したけど、それでも私は彼が好きだった。
彼のために出来ることを頑張るしかない。
それが私のすべてだった。
◆
彼、ローレンス・エスラエル陛下との出会いは。エスラエル国とスーズラン国の協定祝宴。その舞踏会で、私は初めて見る獣人の王、彼に一目で恋に落ちた。
なんて、凛々しくて素敵な人なの。
嬉しいことに、私の胸に“番印”が浮かひ、番だけが持つ癒やしの力も宿った。
まさか、人間の私が獣人族の王と番になるなんてと、言われたが。宿った力を使い、エスラエル国の民を癒やし続ければ、いつか彼が、国民が振り向いてくれると信じていた。
(それでも三年、何も変わらなかった)
王妃の私に執務室の話を聞かれたと、執務から去る足音を、オオカミ族で耳のいい彼が聞いたはず。
なのに。
“弁明にも来ない”
“会いにも来ない”
それが、彼の答えなのだと悟った。
私は“番”となったが、彼にとっては重荷でしかなかった。ならば、生まれてくる子のためにも離縁しよう。
(一定の距離なら番の力は維持されると、教育係に習った。なら、離縁も喜んでくれる)
だって、彼とレイアー様との間に子供ができた。嫌われ者で邪魔な私は彼と離縁し、慰謝料を受け取り、国の端でひっそり薬屋を開こう。
来ない彼を待つのも、彼だけを想うのも、疲れてしまった。
◆
彼に会う勇気がです、離縁の話ができず、一か月後たち、彼に夕食を誘われた。前なら喜んでドレスなどの準備をしたが。いまは飾る気もなく、ただ礼をして食事の席についた。
いつもは私ばかりが嬉しくて、私だけが話す夕食。
だけど今日は黙って席についた私に、彼が珍しく声をかけた。
「……王妃、痩せたな。どこか、具合が悪いのか?」
痩せた? 私……痩せたのね、気付かなかった。
その彼の言葉も心には響かず、私は「いいえ」と首を振る。あの日から会いたくなくて、書類を受け取ることを人に任せた。
その、私の顔を見た彼の目が一瞬だけ揺れた。
けれど、彼は何も言わない。
そうよ。どうせ私などに興味がないのだから。
彼は食事が終わると、そのまま執務へ戻ろうとした。いま止めなくては決意が揺らぐ。
「お待ちください、ローレンス陛下。私から、お話があります」
「話し? 王妃、話とはなんだ?」
私は口だけで微笑み。
「陛下、レイアー様のご懐妊、おめでとうございます。それと、私たち離縁いたしましょう」
と告げると、彼の眉間に皺が寄る。
私から離縁を切り出されたことが、よほど癪に障ったらしい。
「なに? 王妃、離縁だと?」
彼の低い声。私は気付かないふりをして続けた。
「えぇ。三年経っても“白い結婚”のまま。そんな中で他の令嬢との間に子ができたのなら……その方を王妃としてお迎えになった方が、国のためにも良いでしょう。いつまでも嫌われ者の王妃を置くより、懸命な判断です」
私はもう一度、淑女の仮面で微笑んだ。三年、あなたが好きだったから耐えられた。本当に、あなたのことを愛していた。
それなのに……“番ではない”と否定され、あなたは違う人と子供を作った。この胸に浮かんだ番印は、あなたには煩わしいだけの印。
「王妃、離縁は無理だ。国のため、離縁はできない」
番が国から去ると、あなたは能力を使えなくなる。それは威厳がなくなること、国王としての資格を失う。番と認めていないのだから、どうでもいいのに。
「王妃は、これからも王妃だ。ここを離れることは許さない」
私のことは番と認めないけど、力だけは失いたくない。安心して、そんな顔せずとも考えはある。
「陛下、それなら大丈夫ですわ。私はこの国から出ません。レイアー様の子供に番ができるまで、国の端でひっそり暮らします。私が、国を離れなければこの番印も有効に働くのでしょう? 生まれた子に番が出来たなら、すぐにこの国を離れます」
「そうだが。……王妃は、それでいいのか」
「何がいいのかは、わかりませんが。陛下は嬉しいでしょう? あなたと結婚して三年経っても、名前すら呼ばれない“王妃”、嫌われ者の王妃ですもの。陛下、食後にすぐ離縁の書類を整えてください。その書類を書き、準備ができ次第、私はここを去ります」
そう言い残して、私は礼をして食堂を後にした。
◆
パタンと食堂の扉が閉まるまで、僕は彼女の背中を見ていた。
「離縁……か」
あの日の足音。きっと、彼女に会話を聞かれたのだな。だが僕は彼女に会いにもいかず、弁明もしていない。
それが原因か。
あれ以来、彼女の笑顔は消え、あんなに鬱陶しく話しかけてきたのに……僕に話しかけることも、会いにもこず、見えるのは作り笑いだけ。
三年間。彼女を“番”と認めず、初夜にも行かず、王妃の扱いもせず、最低限の言葉だけを交わしてきた。
そして、他の令嬢との間に子を作った。
離縁を切り出されて当然だ。まあ、彼女と離縁しても、ある距離なら番いの効力は保たれる。なら、一人になる彼女のために、国の端の別荘を譲り、多額の慰謝料も払おう。
僕は執務室に戻り、離縁の書類を整え王妃に送った。彼女が嫌だと言ったら離縁はやめようと思っていたが、王妃の判が押された書類がすぐ返ってきた。
「やはり、離縁は本気だったのだな」
彼女がそう決めたのなら、それに従うしかない。番と認めず、放置していたんだから。
この日、僕たちは離縁する事となった。
◆
離縁の書類を書いた翌日、私は出て行く準備を始めた。しばらくして自分のものを入れたカバンが三つでき、部屋を見渡して頷く。
「もう、持っていくものはないわ」
彼から贈られた宝石もドレスも、すべて置いていく。
三つのカバンをメイドに運んでもらい、エスラエル陛下が手配した馬車に乗り、数名の騎士が護衛についた。
「では、行きましょう」
見送る人もなく、私も振り返らず城を後にする。
国の端に向かうには丸一日かかる。早朝から出発し、お昼を過ぎたあたり、馬車の揺れが眠気を誘った。
――その瞬間だった。
脇道から何者かが飛び出し、馬車の進路を塞いだ。護衛騎士たちが剣を抜き、馬がいななき、馬車が激しく揺れた。
「どうしたのですか?」
「賊です! 伏せてください王妃殿下! 決して馬車から、降りてはなりません!」
叫ぶ騎士の声に応じて身を低くしたとき、目に入った。少し離れた場所に止まっている、見覚えのある紋章。
あれはヤーバル公爵家の紋章。
ヤーバル公爵家はレイアー嬢の実家だ。
そうか。陛下は皆に、本日“王妃は療養のため静養に向かった”と伝えると言っていた。その陛下から伝えられた言葉を、彼女は別の意味に取った。王妃が“陛下の子を宿した”と。
慎重に考えれば、あり得ない話なのに。子を宿した彼女は焦ったのだろう。
馬車の外で、剣がぶつかり合う音が響く。
騎士たちの叫び。賊の怒号。
私は震える手を胸に押さえ、静かに息を吸った。馬車の外で護衛騎士と、賊たちの負傷者の呻きが響く。
治さなくては。だも、現状を見なくては治療ができない。私は馬車の扉を押し開けた。冷たい風と血の匂いが流れ込み、視界がぐらりと揺れる。
「争いをやめなさい――!」
と叫ぶより早く。どこからか放たれた矢が、音もなく胸に突き刺さった。
「グッ……ッ、グウッ……ァァァ!」
息が詰まり、膝が崩れ、胸の奥から焼けるような痛みが走る。だが、いま、倒れている場合じゃない。激痛の中、私は立ち上がり、声を張り上げた。
「レイアー様……大丈夫よ。あなたの子はこの国の王になる。私は……陛下と離縁したわ。あなたの敵にはならない……! だから、これ以上犠牲を出す前に止めなさい!」
私の声が届いたのか、戦う騎士、賊たちの動きがぴたりと止まった。
しかし、止まっただけだ。
目の前には倒れ伏す者、血に染まる者。浅い呼吸を繰り返す重傷者。その者たちの、助けを求める瞳が私に向けられる。
はやく、この人達を助けなくては。しかし、痛みがずきりと走る。いま胸に受けた矢で指先はもう冷たく、立っていられるのが不思議なくらい。
私の命が尽きたら誰も助からない。まず私のキズを治して、彼らを治せばいい。その考えに、ほんの一瞬、迷い。私はあることを思い出す。
「『――エリアヒール!』」
私以外の傷付いた騎士達、全員を癒やした。キズを負った私にはこれが最後の力。吐血して倒れ、周りの棋士たちの「どうしてだ?」「なぜ? ご自身を先に治さない?」そう叫び、駆け寄る音が聞こえる。
だけど体は重く、目は開かない。
あんなに激痛だった、矢の痛みが何も感じない。
もうすぐ、私は死ぬ。
三年間、それ以上、番として認められず妨げら続けた、あなたのやっかいな番の片割れが消える。その私の命が消えるとき、あなたに最高な復讐ができる。
あなたが言っていた通り番じゃなかったら、私が死んでも、あなたはなにも気にも留めないだろうが。もし、番だったらそうはいかない、陛下に引き裂かれるような激痛が走るだろう。
だって、番が消えるのですもの。
(いまごろ、激痛に苦しんでいるかしら……? ふふ、ざまぁみろ)
ここで、この場で、私の生は終わったはずだった。
◆
……なに? まばゆい光?
まぶたを上げると、純白のタキシードを着た彼と、純白のウェディングドレスの私。エスラエル国の教会……多くの参加者。
もしかして、これは三年前の結婚式。
(どうして? 私はいま死んだはず……これは夢? よりにもよって……こんな、嫌な夢は見たくない)
神父の「病める時も 健やかなる時も富める時も 貧しき時も夫として、つがいとして愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?」誓いの言葉が聞こえる。
「……」
「どうした?」
「え、あ……。お気になさらず……」
私の返答が誓いの言葉と違い、神父はまた聞いてくる。
「スノー嬢、ローレンス陛下を夫として、つがいとして愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?」
これは現実なの?
い、嫌だ。私は傷つきたくない。寂しい思いもしたくないし、胸が痛くなるほど涙を流したくもない。
どんなに努力しても、多くの仕事をこなしても、番のあなたに番として認められなかった。そのせいで周囲の冷たい視線、陰口をたたかれた。
「いや、私にはあんな日々、三年も耐えられない!」
頭を振り、現実を受け止められず叫ぶ。
涙で視界が揺れ、知識が崩れ落ちそうなとき。
「スノー!」
彼が私の名をはじめて呼び、崩れ落ちそうになった私の身体を強い腕が支えた。その声に胸の奥が熱を帯び、理由もなく大粒の涙が込み上げる。
「……いや、触らないで」
どうして、今になって、そんなふうに名前を呼ぶの。どうして私に近づくの。もう遅い。遅すぎる。
私はあなたが嫌い、大嫌い。
力を込めて、抱きしめていた彼を突き飛ばして、出口へとスカートを持ち走った。
視界は揺れ、息は荒く、胸は痛い。
呼ぶ声にも反応せず、足を止めず、壁際の騎士から剣を奪い取った。そして、迷いもなく自分の胸へと突き立てる。
周りの悲鳴、怒涛、陛下の開かれた目。
二度と、あなたとは一緒にならない。
あなたの番になりたくない。
――けれど。
目を開けた瞬間、私はまた白い花の香る礼拝堂に立っていた。誓いを交わす直前の、あの日の結婚式へ。
死ぬたびに戻る。
刺しても、飛び降りても、喉を切っても。
何度繰り返しても、私は死ねなかった。
戻るのは、結婚式の場面。
神父の、誓いの言葉が聞こえる。
「新婦スノー嬢、あなたはここにいる番、ローレンス陛下を病める時も、健やかなる時も富める時も、貧しき時も夫として愛し敬い、慈しむ事を誓いますか?」
私は手に待っていた真っ白なブーケを、地面に叩きつける。
「いやよ、誓わない! ……お願い、もう嫌なの。どうか死なせて……」
あなたたちが言う、つがいって何?
なんなの……?
同じ紋様が浮かび、あなたの番として選ばれたのにあなたは番じゃないと言い、私をないがしろにした。
それのなのに、何度も、何度も、その言葉で私を縛らないで。聞きたくないの、お願い終わらせて。
「新婦スノー……」
ああ、祈りのような呟きは誰にも、神にさえも届かない。
つがいって、何。 にのまえ @pochi777
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます