ヤンデレかと思ったらただのパープル・オクトパス・ハリケーンだった件

佐松奈琴

第1話 紫の推定王女とタコの生態について

「……里根さとねくんなら、いつか気づいてくれると信じてました」


 夕暮れの体育館裏。一見パッとしない地味っ子眼鏡だが隠れ巨乳という噂もある奥戸おくとぱすは、眼鏡を外し、長い前髪を掻き上げた。

 

 その次の瞬間、彼女の制服が水のように溶け、紫の光が爆ぜた。


 ドプドプドプドプ……!


 地面が濡れた。いや、違う。彼女の腰のあたりから粘液が溢れ、八本の太く艶めかしい紫色の触手が這い出てきたのだ。

 

 それぞれの触手の吸盤には複雑な紋様が浮かんでいる。まるで古代文字だ。


「これが、私の姿。私の本当の名は……オクトパス・ハリケーン属、第八推定王女、パシュラ・パープル・オクトパス・ハリケーン・ヴァレリアです!」


「……おい!」


 俺は思わず叫んだ。


「タコの触手は右手系と左手系で吸盤の並びが違うはずだろ! お前、明らかに全部左手系じゃねえか! 種として成立してねえ!」


 ぱす絵(もうそう呼ぶのは違和感しかないが)は、八本の触手をぴくぴくさせて首を傾げた。


「え? でも、私たちヴァレリア王家は古くから左巻きの血統で……」


「血統なんか関係ねえ! お前それじゃ交接腕が特定できねえじゃねえか! どうやってオスと絡むつもりだよ!」


「オスと絡むだなんて私にはまだ……でも、里根くんって、鋭いし、物知りだし、本当に私のタイプです」


 触手が一斉に俺の周りを囲んだ。


 ヌルヌル、ツルツル。


 吸盤が俺の頬に吸いついて、ちゅぱちゅぱ音を立てる。


「ちょっと待て、触腕と腕の区別もついてねえだろ! 第二腕対が異常に発達してるのも変だ! 頭足類としてありえねえ!」


「じゃあ、里根くんが直してくれるんですよね? 私のこの体を……全部、里根くん好みに!」


「……お前、今完全にヤンデレ発言してるぞ。わかってるのか?」


「はい。里根くんはヤンデレ女子が好きなんですよね」


「違う。誤解するな。現実にヤンデレなんて現れたらグロテスクなだけだ。あれは二次元だから許される──」

 

「でも、里根くんはどんな私でも受け入れてくれるんですよね?」


「はっ?」


「だって里根くん、秘密を正直に明かせばそれがなんであれすべてを受け止めてやるって言ったじゃないですか! だったら、私も里根くんのすべてを……この八本の触手で、ぎゅううううっと、永遠に受け止めて離さないって決めたんです! そのためならいくらでも里根くんの好みの私に生まれ変わってもいい! これをヤンデレと里根くんが呼ぶなら私はヤンデレ女子になってもいい!」


 ぱす絵がそう言うと、突然、紫色のハリケーンが巻き起こる。校舎の窓ガラスがビリビリ震える。


「私と行きましょう、里根くん。私たちの世界〈深海王国ヴァレリア〉へ。そこでは今、王位継承争いが始まろうとしていて……私の姉たちは全員、私を殺そうとしてるんです。まずは一番下の、一番弱い私から片付けようと。でも大丈夫! 私には里根くんがいるから、もう怖くない!」


「……待て待て、姉たちって一体何人いるんだ?」


「八体です。長女は第一推定王女、カルネラ・ブラッドレッド・オクトパス・ハリケーン・ヴァレリア。次女は、第二推定王女、セイレナ・サファイア・オクトパス・ハリケーン・ヴァレリア、三女は──」


「ストップ! そんな早口で言われても憶えられねぇよ!」


 触手が俺の腰に巻きついた。逃げられない。完全にロックされている。


「それって、私の姉たちの名前を全員憶える気はあるってことですか? なんか嫉妬しちゃいます! もう残りの姉の名前は教えてあげません……でも、そのかわりに、里根くんに、私たちの世界の愛について教えてあげますね。私たちの世界での究極の愛は、相手を八本の触手で完全に包み込んで、逃げられないようにしてから、ゆっくりゆっくり溶かしていくことなんですよ?」


 世界が紫色に染まった。そして、その次の瞬間には、俺はもう体育館裏にはいなかった。

 

 深海の底の宮殿。

 

 そこでは、八体のオクトパス・ハリケーン属の推定王女たちによる壮絶な王位継承争いがまさに始まろうとしていたのだった。

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