『冷酷無慈悲な殺戮兵器』と恐れられる狼獣人の公爵様に嫁ぎましたが、尻尾がちぎれんばかりに振られていることに、どうやら私以外気づいていないようです
神野あさぎ
第1話
「……ここが、私の墓場ね」
北の果てにある、雪深い辺境の城。
私、コレットは、白い石造りの冷たい寝室で一人震えていた。
生家である男爵家が抱えた借金の肩代わりとして、私はこの地の領主、ヴォルフガング公爵のもとへ嫁がされたのだ。
公爵は、狼の獣人だ。
戦場では『白い悪魔』、『冷酷無慈悲な殺戮兵器』と呼ばれ、敵国の兵士を素手で引き裂くと恐れられている。
きっと私も、今夜あたり食べられてしまうに違いない。
ガチャリ。
重厚な扉が開き、冷気と共に「彼」が入ってきた。
「グルルルル……」
低い、地を這うような唸り声。
見上げれば、そこには身長二メートルを超える巨体が。
全身を美しい銀色の毛皮に覆われた、二足歩行の狼。
鋭い牙と、血のように赤い瞳が、私をギロリと見下ろしている。
「ひっ……!」
「……貴様が、新しい妻か」
野太く、ドスの効いた声。
彼はゆっくりと私に歩み寄ってくる。
殺される。食べられる。
私は死を覚悟して、ギュッと目を閉じ――ようとして、ふと彼の足元に目が止まった。
――バタン! バタン! バタン!
ものすごい音がしている。
彼の背後にある、太くて立派な銀色の尻尾が、右へ左へと高速で振られ、壁や床を叩いている音だ。
「……え?」
私は思わず顔を上げた。
公爵様の顔は、相変わらず凶悪そのものだ。
眉間には深い皺が寄り、牙を剥き出しにして唸っている。
「なんだ、その間抜けな顔は。……俺が怖いか? 当然だろう、俺はこの爪で数多の敵を葬ってきたのだからな……グルルッ」
口では恐ろしいことを言っている。
しかし。
(バタンバタンバタンバタン!!)
尻尾の勢いが止まらない。
むしろ加速している。残像が見えるレベルだ。
あれは威嚇? イライラしているの?
いや、犬を飼っていた私にはわかる。
あれは――『歓喜』の舞だ。
「あの……公爵様?」
「なんだ。命乞いなら聞かんぞ」
公爵様は鼻にシワを寄せて私を睨む。
でも、頭の上の三角形の耳が、ピコピコと落ち着きなく動いている。
「失礼ですが……少し、触れても?」
「……は? 正気か? この俺に触れれば、その細い腕など容易くへし折れるぞ」
バタンバタンバタン!!(尻尾の音)
私は勇気を出して、ベッドから立ち上がり、そっと手を伸ばした。
目指すは、あのピコピコ動く耳の下あたり。
ふわふわの銀毛に指を埋める。
わぁ、最高の手触り。最高級のシルクみたい。
「……ッ!?」
公爵様の体がビクリと震えた。
「な、何を……貴様、俺をなんと心得る! 俺は恐怖の象徴、白いあく――」
「よしよし、いい子ですねぇ」
私は無心で、耳の裏をカリカリと掻いた。
すると。
「……クゥ~ン……」
先ほどまでのドスの効いた声はどこへやら。
公爵様は甘い鳴き声を漏らし、その場にへたり込んだ。
そして、あろうことか私に頭を擦り付けてくるではないか。
「そこ……そこだ……もっとやれ……」
「ふふ、気持ちいいですか?」
「べ、別に気持ちよくなどない! これは、その、妻としての務めを果たさせてやっているだけで……ふあぁ……」
公爵様は完全に脱力し、私の膝に巨大な頭を乗せて目を細めている。
凶悪な狼の顔が、今は大型犬にしか見えない。
「今まで、誰も撫でてくれなかったんですか?」
「……俺の顔を見た者は、皆悲鳴を上げて逃げ出す。撫でようなどとした命知らずは、貴様が初めてだ」
公爵様は、少し拗ねたように鼻を鳴らした。
なんてことだ。
この人は、ただ単に見た目が怖すぎるだけで、本当は人肌恋しい寂しがり屋のわんこだったのだ。
「私でよければ、これから毎日、いくらでも撫でて差し上げますよ。旦那様」
「……ほ、本当か?」
パァァァッ!
公爵様の赤い瞳が輝き、止まりかけていた尻尾が再び暴風のように回転し始めた。
「約束だぞ! 破ったら食い殺すからな! ……だから、その、もうちょっと顎の下を頼む……」
私は膝の上の巨大なモフモフを抱きしめ、心の中でガッツポーズをした。
墓場だと思っていた場所は、天国だったようです。
『冷酷無慈悲な殺戮兵器』と恐れられる狼獣人の公爵様に嫁ぎましたが、尻尾がちぎれんばかりに振られていることに、どうやら私以外気づいていないようです 神野あさぎ @kamino_asagi
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