8. 嗜虐的なロープ
だが、さすがは逃走の達人。一瞬の動揺の後、すぐに冷静さを取り戻す。
「は、はぁ? 何を言ってるんだ? 俺は商人のフレデリック! 人違いだ! 暴行傷害事件だぞお前!!」
レオンを煽りながら、男の手がさりげなく腰に伸びる。
短剣を抜こうとしていたのだ。
「動くなって言ってるだろ!」
レオンは素早く古傷があるはずの左膝に蹴りを入れ、バランスを崩す。
「ぐっ……!」
たまらず崩れた男に、レオンは後ろから組み付いた。
「観念しろ!」
腕を捻り上げ、短剣を抜く前に動きを封じる。
「離せ! 何の権利があって……!」
男がもがく。
だが、次の瞬間。
ヒュン、と風を切る音。
そして。
シャリン――――。
男の喉元に、錆びた剣の切っ先が突きつけられていた。
エリナだった。
風のように現れた黒髪の剣士は、朝日を受けて煌めいていた。
埃まみれだった黒髪が、光を浴びて艶やかに輝く。まるで黒い炎のようになびいている。
その動きには、一切の無駄がなかった。
剣先を喉元に突きつける動作は、まるで舞のように流麗で、しかし確実に相手の命を握っている。
これが、S級剣聖の片鱗。
レオンは確信した。彼女の才能は、やはり本物だ。
「賞金首なんだって? お前」
エリナの声が、低く響く。
その漆黒の瞳には、冷たい炎が宿っていた。
「おとなしくしろ。じゃないと――」
剣先が、わずかに男の喉を押す。薄皮一枚切っただけで、赤い線が浮かんだ。
「首が飛ぶ」
本気だ。
この少女は、本気でやる。
エリナに威圧され、男は本能的にそれを悟り、顔から血の気が引いた。
「ち、違う! 俺は商人の……」
「左頬の傷」
レオンが、冷静に指摘した。
「隠し持った短剣。そして――」
横転した馬車から散乱した荷物を指差す。
色とりどりのかつら。付け髭。顔料。変装道具の山が、石畳の上に無様に散らばっていた。
「変装道具だらけの商人がどこにいる?」
男の顔が、絶望に歪む。
「観念しろ、ゴードン・ブラック」
「く……くそっ!」
男が必死にもがく。
だが、もう遅い。
「ふふっ、逃がさないわよ」
涼やかな声が響く。
ミーシャだった。
いつの間にか、男の背後に回り込んでいる。聖女の微笑みを浮かべながら、その手には――どこから出したのか――ロープが握られていた。
左右からは、ルナとシエルが退路を塞いでいる。
ルナの手には、不安定だが確かな炎。
シエルの弓には、新たな矢がつがえられている。
いつの間にか、四人の美少女たちが完璧な包囲陣を形成していた。
復讐の剣士、炎の魔女、月の射手、氷の聖女。
四方を塞がれた男に、もはや逃げ場はない――――。
ミーシャは微笑みを浮かべながら、優雅な手つきでロープをさばいていく。
「うふふ……抵抗すればするほど、縛り方がきつくなりますわよ?」
聖女の仮面の下から覗く、どこか嗜虐的な笑み。
男は、本能的な恐怖を感じた。
この女は、やばい。
見た目は聖女だが、中身は絶対に違う。
男は必死に何とか活路を見出そうとするものの、ここまで囲まれてしまってはもはや打つ手がなかった。
四人の美少女たちが、それぞれの武器を構えて男を囲んでいる。それは、まるで神話の一場面のようだった。
地獄に堕ちた四人の女神が、罪人を裁こうとしている。
ミーシャが手際よくロープで男を縛り上げていく。
その手つきは、まるでリボンを結ぶかのように優雅で、しかし確実に男の自由を奪っていった。関節を極め、逃走を不可能にする、プロの技だ。
聖女が、なぜこんな技術を持っているのか。
それを問う者は、誰もいなかった。
「離せ! 俺は何もしてない!」
縛り上げられた男が、最後の抵抗とばかりに喚き散らす。
「俺は善良な商人だ! これは暴行傷害だ! 訴えてやる!」
だが、もはや誰も耳を貸さなかった。
「それは衛兵に言うんだな」
レオンが、静かな微笑みを浮かべた。
全てが、【運命鑑定】の示した通りに進んでいる。
彼女たちの才能は本物だった。
バラバラだった四人が、ほんの数分で完璧な連携を見せた。
これが、SSS級の潜在能力を持つ者たちの片鱗。
レオンは確信した。
この少女たちと一緒なら、本当に世界を変えられる。
「どこだ!?」「あそこです! 急いで!!」
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが、重い足音を響かせながら駆けつけてきた。
鎧が朝日を受けて眩しく輝く。五人、六人、七人――次々と集まってくる衛兵たちに、野次馬も増え始めていた。
「何事だ! 何があった!」
隊長格の衛兵が、厳めしい顔で状況を見渡す。
横転した馬車。散乱した荷物。そして、ロープで縛られて地面に転がっている男。
衛兵の視線が、縛られた男の顔に留まった。
その瞬間。
歴戦の衛兵の顔が、驚愕に染まった。
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