和を以て貴しとなす
和を以て貴しとなすー起
和を以て貴しとなす。
恐らく、誰もが聞いたことのある言葉だと思う。 調和をもて。仲良くしろ。 平たく言えばそんな言葉だ。
そう。
調和を持って。
異なること、はみ出すことは。
許されないのだ。
「先日引っ越したんですけど、私のいたアパートが、異常でした」
ビデオ通話の画面越し、少し緊張した面持ちでそう切り出したのは、清水さんと名乗る女性でした。年齢は三十代前半でしょうか。背景に見えるのは、真新しく、片付いたリビングルーム。どうやら本当に引っ越したばかりのようです。画面越しでも、その肩がこわばっているのが分かりました。
私の名前は紀淡。フリーのブロガーとして、主にインターネット上で見つけた奇妙な話や、都市伝説、あるいはこうした「いわく付き」の物件に関する情報などを集め、ブログで発表しています。とはいえ、私のブログはオカルト専門というわけではなく、どちらかといえば「人間の不可解な行動」や「奇妙なルールの裏側」といった、人間の心理が生み出す「歪み」の側面に焦点を当てています。
清水さんは、私のブログの愛読者だそうで、「紀淡さんなら、あのアパートの異常さの理由が分かるかもしれない」と、藁にもすがる思いで連絡をくださった、とのことでした。
「警察に相談するような、明確な事件があったわけじゃないんです」
彼女は、自分の指先を見つめながら、ぽつりぽつりと言葉を続けました。
「でも、日に日に息が詰まって…。『私が神経質なだけなんだ』って自分に言い聞かせようとしたんですけど、もう限界で…。紀淡さんのブログで、以前、奇妙な校則の記事を読んで、もしかしたら、と思ったんです」
「異常、ですか。差し支えなければ、詳しくお伺いしても?」 私はできるだけ柔らかい口調を心がけ、促します。彼女の不安を刺激しないよう、慎重に。
「はい…。アパートの名前は『コーポ和(なごみ)』と言います。場所は…」
清水さんから送られてきた住所をGoogleマップで検索すると、都心から電車で三十分ほどの、ごくありふれた住宅街が表示されました。航空写真で見ても、整然と並んだ建売住宅の間に、そのアパートは埋もれるように建っています。外観の写真も見せてくれましたが、築二十年ほどでしょうか、薄いベージュ色の壁をした、どこにでもある二階建ての賃貸アパートです。全八室。変な装飾があるわけでも、おどろおどろしい雰囲気が漂っているわけでもありません。あまりにも、普通。その「普通さ」が、彼女の語る「異常」とのギャップを際立たせているように感じました。
「見た目は、ごく普通のアパートに見えますが…」
「そうなんですよ! 私も、内見した時は何も感じなかったんです。むしろ、共用部がすごく綺麗に管理されてるなって。大家さんが几帳面な方なのかな、くらいにしか…」
清水さんは、一年ほど前、その「コーポ和」の102号室に入居したそうです。そして先日、ようやく更新のタイミングで、文字通り「逃げるように」引っ越してきたのだと。
「異常だと感じたのは、入居してすぐのことでした。これを見ていただけますか?」
画面に、一枚の紙が映し出されました。入居時に渡されたという「コーポ和 入居のしおり」と題されたその紙は、単なるコピー用紙ではなく、わざわざパウチ加工、ラミネートされた立派なものだと分かりました。何度も読み返されたのか、端が少し擦り切れています。
「規則、ですか」 「はい。まず、その数が異常なんです」
清水さんが指差す先には、小さな明朝体の文字でびっしりと箇条書きにされた規則が並んでいました。ざっと数えただけでも、三十項目は超えているようです。賃貸契約書に付随する「特約事項」のレベルを遥かに超えています。
「これは…確かに多いですね。最近は騒音問題などで規則が厳しくなっているアパートも多いとは聞きますが…、これはまるで、学校の生徒手帳か何かのようですね」
「ええ。でも、その内容が…」
清水さんは、特に気になったという項目をいくつか、震える声で読み上げてくれました。
一、ゴミ出しは、必ずアパート指定の『半透明ゴミ袋』(一階管理人室にて有償頒布、10枚500円)を使用すること。町指定の袋は不可とする。
一、ゴミ出しの際、袋の口は固く結び、必ず指定位置(集積所内の青い線で囲まれた枠内)に置くこと。枠外に置かれたゴミは回収しない。
一、ゴミ袋には、必ず部屋番号を明記したシール(管理人室にて配布)を貼付すること。
一、午前六時から午前八時までのゴミ出し時間厳守。それ以外の時間のゴミ出しを固く禁ずる。
一、日曜日の午前九時は、全室一斉の『換気時間』とする。全室、台所および風呂場の換気扇を最低三十分間作動させること。管理人が巡回し、稼働音を確認する場合がある。
一、共用廊下、階段には、いかなる私物(傘立て、スリッパ、子供用自転車等)も置くことを禁ずる。発見した場合、管理人が即時撤去、処分する。
一、午後十時から午前七時までの間、入浴、洗濯機、掃除機の使用を禁止する。
一、来客(宿泊を伴わない短時間の訪問も含む)がある場合は、必ず前日までに管理人室に設置された『来客届』に、来客者の氏名、訪問日時、関係性を記入し提出すること。
一、アパート敷地内(特に建物の裏庭)での長時間の立ち話、許可なき立ち入りを固く禁ずる。
一、共用部の清掃(当番制)は、必ず指定された『特殊アルカリ性洗剤(品番XXX)』を使用すること。洗剤は管理人室より貸与する。
「……」
私は言葉を失いました。
「すごい、ですね…」
「でしょう?」
清水さんはうんざりした顔で頷きます。
「まるで刑務所みたいだ、って思ったんです」
ゴミ出しのルールが異常に細かいのは、百歩譲って分からなくもありません。住人トラブルの温床になりやすいですから。しかし、アパート独自の有償ゴミ袋。しかも10枚500円という、町指定の袋より明らかに高額な値段設定。これは単なる営利目的なのか、それとも、指定の袋を使うことで「何か」を管理しやすくしているのでしょうか。例えば、中身の透け具合が均一で、外からでも内容物を判別しやすい、とか…。
共用部の私物厳禁も、まあ、消防法などの観点から厳しく言う大家さんもいるでしょう。夜間の騒音禁止も、常識の範囲内と言えます。
しかし。
「『日曜午前九時の一斉換気』…ですか。しかも、管理人が稼働音を確認する、と」
「そうなんです。これ、本当にやるんですよ」
清水さんの声がこわばります。
「日曜の朝、九時きっかりになると、アパート全体が『ブォン…』っていう低い機械音に包まれるんです。全八室の換気扇が一斉に回りだす音。そして、その音に混じって、廊下をゆっくりと歩く、管理人のじいさんのスリッパの音が聞こえてくるんです。ペタ…ペタ…って。各部屋のドアの前で、その音が止まる。中の稼働音に耳をすませてるんですよ…」
想像しただけで、背筋が寒くなります。
「一度、私が夜更かしして寝坊して、換気扇を回し忘れたことがあったんです。九時五分くらいでした。すぐにピンポーンってチャイムが鳴って。慌ててドアを開けたら、管理人が無表情で立ってて。『清水さん、お忘れですよ』って…。あの時は、本当に心臓が止まるかと思いました」
それはプライバシーの侵害、というレベルを超えて、何か監視されているような、異様な圧力を感じます。
「それと、この『来客届』。私も一度、大学時代の友人が遊びに来た時に出し忘れたんです。ほんの二時間くらいのお茶だったんですけど。そうしたら、その日の夕方、また管理人が来て。『今日はどなたかお見えになったようですが、届けが出ていませんでしたね』って…」
「見られていた、ということですか」
「だと思います。管理人室は101号室の隣で、ちょうどアパートの入り口が見える位置にはあるんですけど…それにしても、ずっと見張ってないと無理じゃないですか? それに、一度、母が来た時にちゃんと届けを出したら、後で管理人に会った時、『お母様、清水さんとはあまり似てらっしゃいませんな』なんて、ぽつりと言われて…。届けに『関係性:母』って書いたのを、しっかり覚えてるんですよ。気持ち悪くて…」
そして、もう一つ。私が個人的に最も引っかかった項目。
「『特殊アルカリ性洗剤(品番XXX)』…共用部の清掃に、わざわざ洗剤まで指定する、と」
「はい。当番制で月一回、廊下と階段を掃除するんですけど、その時だけ管理室から大きな業務用のポリタンクみたいなのから、小さなボトルに小分けにされた洗剤を渡されるんです。『必ずこれを使って、原液のまま薄めないでくださいね』って念を押されて」
「それは…どんな洗剤なんです?」
「すごく…変な匂いなんです。なんていうか、塩素系でもないし、柑橘系とかの芳香剤の匂いでもない。もっとこう…ツンとする、無機質な、病院みたいな匂い…。それに、すごく泡立ちが悪い、というか、泡が立たないんです。床に撒いても、ただ濡れるだけ、みたいな。でも、汚れは落ちるみたいで…。拭き取った雑巾が、妙にヌルヌルしました」
几帳面、という言葉だけでは説明がつかない執拗さです。
「清水さん。こういった規則は、いつからあるものなんでしょうか」
「さあ…。ただ、私が契約した時の不動産屋の担当者は、『大家さん(管理人さん)が非常にしっかりした方で、アパートを綺麗に保つことに情熱を注いでいるんです。だから、少し規則は多いですけど、その分、住環境は保証しますよ』としか…」
「なるほど」
考えられる可能性はいくつかあります。
一つは、清水さんの言う通り、単に管理人が異常なまでの潔癖症、あるいは支配欲の持ち主である、という可能性。
もう一つは、過去にこのアパートで、よほどマナーの悪い住人がいた、という可能性。例えば、ゴミ出しのルールを一切守らず、共用部をゴミで溢れさせたとか。あるいは、深夜に騒音を出し続け、他の住人と深刻なトラブルになったとか。その結果、一種の「恐怖政治」のように、規則がどんどん厳しくなっていった、というケースです。
「清水さん。他の住人の方とは、お付き合いはありましたか?」
「いえ、それがほとんど…。皆さん、挨拶はされますけど、すごくよそよそしい、というか…壁がある感じで」
「壁、ですか」
「はい。ゴミ出しの時も、時間が決まってるから他の住人の方と顔を合わせることも多いんですけど、会釈だけして、皆さん足早に部屋に戻っちゃう感じで。一度、お隣の奥さん(103号室)とタイミングが一緒になったので、『いつも綺麗ですね』って話しかけてみたんです。そしたら、その奥さん、一瞬ビクッとした顔をして、『ええ、まあ。管理人さんのおかげで…』って目を伏せちゃって。すぐに部屋に入っちゃいました。廊下が、本当に静かなんです。物音ひとつしない。生活感がなさすぎる、というか…」
清水さんは、この異常な規則と、住人たちのどこかぎこちない、まるで何かを恐れているかのような雰囲気に耐えられなくなり、一年での引っ越しを決意した、とのことでした。
「私、だんだん怖くなってきたんです。このアパートにいると、私もあの『よそよそしい』住人の一人になっちゃうんじゃないかって。規則を守ることが、息をすることと同じくらい、当たり前になっちゃうんじゃないかって…」
「紀淡さん。これって、やっぱりただ『厳しいだけ』なんでしょうか。それとも…何か、別の理由があるんでしょうか」
「……」
正直、現時点では何も言えません。しかし、私の「ブロガーとしての勘」とでも言うべきものが、この「コーポ和」には、単なる潔癖症では済まない、何か根の深い事情が隠されているのではないか、と囁いていました。
「分かりました。非常に興味深いお話です。もしよろしければ、私の方でも少し、この『コーポ和』について調べさせていただけませんか?」
「! はい! ぜひお願いします!」
画面越しの清水さんは、心底ほっとしたような表情を見せました。
通話を切った後、私はしばらく、送られてきた「入居のしおり」の画像データを眺めていました。 「和(なごみ)」という名前とは裏腹な、息苦しいほどの規則。 その規則は、何を守るためにあるのか。あるいは、何を「隠す」ためにあるのか。
私は早速、ある人物に連絡を取りました。
「もしもし、柿本さん? 今、お時間ありますか」
柿本さん。彼は私の大学時代の先輩で、今は特に定職には就かず、いわゆる「無職」として日々を過ごしている人物です。しかし、その頭脳は非常に明晰で、特にネットを使った調査能力に関しては、私の知る限り右に出る者はいません。
彼は自称「高等遊民」で、暇を持て余していることが多いくせに、面倒くさがりなのが玉に瑕です。
『…んあ? もしもし、紀淡くん? なあに、こんな昼日中から。こっちは今、忙しいんだけど。新しいゲームのレベリングで』
電話の向こうから、眠たそうな、不機嫌そうな声が聞こえます。どうせ寝ていたか、本当にゲームをしていたか、そのどちらかでしょう。
「すみません、どうせ暇してるだろうと思って。ちょっと調べてもらいたい案件があるんですよ」
『人聞きの悪いことを言うねえ。…で、今度は何? 変な間取りの家でも見つけた? 例の、風呂場が家のど真ん中にあるやつとか』
「いえ、今回は『変な規則』のアパートです。ある意味、変な間取りよりよっぽど不気味かもしれません」
私は柿本さんに、清水さんから聞いた「コーポ和」の規則について、かいつまんで説明しました。特に「日曜午前九時の一斉換気」と「品番指定の特殊洗剤」の部分を強調して。
『…ふうん』
柿本さんの声のトーンが、少しだけ真面目なものに変わりました。
『潔癖症の大家が、過去のトラウマから作り上げたディストピア、ってところかな。でも、それにしては「換気扇の音の確認」とか「来客届」は執拗すぎる気もするね。住人の行動を、完全に把握しようとしてる』
「ですよね? 何か、住人たちを強迫的に『監視』し、同時に『結束』させようとしているような…そんな意図を感じませんか?」
『結束ねえ…。規則で縛り上げることで生まれる結束か。まるでカルトだ。…で、何? そのアパート、何かヤバい儀式でもやってるの?』
「それは分かりません。でも、その『特殊アルカリ性洗剤(品番XXX)』っていうのが、どうにも引っかかって」
『品番XXXねえ…。いかにも業務用って感じだね。一般家庭で使うもんじゃない。…分かったよ。面白そうだ。その「コーポ和」とやら、ちょっと洗ってみるよ。その品番もね』
私は柿本さんに、清水さんから送られてきた「入居のしおり」の写真を転送しました。
『…はいはい、了解。まあ、大したことは出てこないと思うけどね。せいぜい、過去の孤独死とか、ボヤ騒ぎとか、そんなところじゃないの。潔癖症の大家が、それに懲りてルールを鬼のように増やした、とか』
「だといいんですけどね」
柿本さんは、「じゃ、なんか分かったら連絡するよ。期待しないで待ってて」と言って、一方的に電話を切りました。
さて。柿本さんがネットでの調査を進めてくれている間、私も自分でできることをしようと考えました。 まずは、現地調査です。百聞は一見に如かず、です。
清水さんに教えてもらった住所へ向かうと、そこは本当に、何の変哲もない住宅街でした。最寄りの駅から徒歩十分ほど。道は綺麗に舗装され、小さな公園もあります。周辺にはスーパーやコンビニもあり、住環境としては悪くなさそうです。
やがて、目的の「コーポ和」が見えてきました。写真で見た通り、薄いベージュ色の、ありふれたアパートです。 ただ、写真で見た時よりも、そして、周囲の他のアパートや住宅と比べても、全体的に「清潔すぎる」という印象を受けました。
外壁には汚れ一つ、雨垂れの跡すら見当たりません。まるで、昨日高圧洗浄したかのような清潔さです。共用廊下や階段の手すりは、金属部分が鈍い光を放っており、ピカピカに磨き上げられています。植え込みの草木も、まるで定規で測ったかのようにきっちりと、均一の高さに刈り揃えられていました。地面には雑草一本、落ち葉一枚ありません。
アパートの入り口、集合ポストが並ぶエントランスには、例の「入居のしおり」と同じものが、さらに大きくA3サイズほどに引き伸ばされ、立派な木製の額縁に入れられて掲示されています。三十項目以上の規則が、訪問者の目にも否応なく飛び込んでくるわけです。これは、一種の威嚇のようにも感じられます。「我々は、これだけの規律に守られているのだ」と。
私は、101号室の隣にある「管理人室」と書かれたドアをノックしてみました。清水さんが言っていた、監視好きな管理人がいるはずです。
数回のノックの後、ゆっくりとドアが開き、中から小柄な老人が顔を出しました。七十代くらいでしょうか。清潔ですが、少し着古した作務衣を着ています。髪は白髪で、綺麗に整えられています。
「…どなたかな」
その声は、思いのほか低く、落ち着いていました。しかし、その目は、私を値踏みするように、じっと見つめています。
「あ、こんにちは。私、こういう者ですが」
私は、あらかじめ用意しておいた「フリーライター」と書かれた名刺(ブロガーでは怪しまれるかと思ったのです)を差し出しました。
「近隣の住環境について、少しお話を伺っておりまして。こちらのアパートは、周辺でも特に綺麗に管理されていると伺ったものですから」
管理人は、私の名刺を怪訝そうに受け取りましたが、私が「綺麗に管理されている」と言ったことに、少し表情を緩めたように見えました。
「ほう。お分かりになりますかな。まあ、わしが毎日、手入れしとりますからな。アパートいうのは、共同生活の場です。皆さんが気持ちよく暮らせるように、規則を守ってもらうのは、当たり前のことですよ」
「はあ…素晴らしい心がけですね。こちらの規則、拝見しましたが、非常に細かい点まで決められていて驚きました」
私はエントランスの額を指差しました。
「これだけ厳しいと、入居者の方から不満が出たりはしませんか?」
その瞬間、管理人の穏やかだった表情が、すっと真顔に戻りました。能面のように、一切の感情が消えたのです。
「不満? なぜですかな。規則いうのは、皆の平穏を守るためにあるんです。それが守れんような人は、最初からここには住んでもらわん。…それが、何か?」
老人の目は、笑っていませんでした。その pale(原文ママ)…いえ、薄い茶色の瞳は、私のことを「規則を乱す可能性のある異物」として、冷たく、冷徹に値踏みしているように見えました。
「い、いえ…失礼しました。そういう意味ではなく。ただ、例えば『日曜の一斉換気』ですとか、かなりユニークな規則だと思いまして」
「ユニーク? そうは思いませんな。淀んだ空気を入れ替えるのは、健康のためにも大事なことですよ。それに、日曜の朝なら、皆さん大抵ご在宅ですからな。ついでに、ご様子も伺える」
「様子、ですか」
「ええ。最近は、部屋の中で一人で亡くなられる方も多いですからな。わしら管理する側としても、週に一度は、皆さんが元気でおられるか、音で確認させてもらう。これは『親切心』ですよ、お分かりかな」
理屈は、通っています。通ってはいますが…やはり、どこか歪んでいるように感じます。それは「親切心」というよりは、「管理」であり、「確認作業」です。
私は、もう一つの伏線について尋ねてみることにしました。
「それと、アパートの裏手は『裏庭』になっているんですか? 規則に、長時間の立ち話や、許可なき立ち入りを禁ずるとありましたが」
「ああ、裏庭いうても、何もない空き地ですよ。昔は花壇でもあったんかもしれんが、今はただの土です。雑草が生えると面倒ですし、防犯上の観点からもね。部外者が入り込んでも困りますから、住人の方にも入らんようにお願いしとるだけです。隙間いうのは、ろくなことを生まんからな」
管理人は淡々と答えました。特に動揺している様子はありません。「隙間は、ろくなことを生まない」。その言葉が、妙に耳に残りました。
「そうですか。分かりました。お忙しいところ、ありがとうございました」
私は早々に話を切り上げ、管理人室を後にしました。 背中に、まだ管理人の視線が突き刺さっているような気がします。
アパートの敷地をぐるりと回り、清水さんが言っていた「裏庭」を確認してみました。公道からアパートの脇を通って、裏手に回ることができます。 管理人が言った通り、そこは高いフェンスで囲まれた、何もない土の空間でした。フェンスは古びてはいるものの頑丈そうで、ところどころに「立入禁止」の小さなプレートが括り付けられています。
ただ…アパートの建物の基礎に面した一角だけ。 他の場所は乾いた薄茶色の土なのに、そこだけが不自然に、まるで最近掘り返されたかのように土が盛り上がっているようにも、あるいは、他の場所よりも土の色が濃く、じっとりと湿っているようにも見えました。 気のせいかもしれませんが。
私は、その異様な光景から、しばらく目を離すことができませんでした。
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