21.正体

 セドリックと二人、生徒会室を出た。

 廊下の冷たい空気が頬に心地よい。

 重たい扉を閉じ――僕はその場にぐったりとしゃがみ込んだ。


「はああぁぁ……」


 深い深い溜息が出た。

 張り詰めていた緊張の糸が千切れそうだ。いや。まだ、本番はここからだ。気を抜いてはいけない。それは分かっているが、この心労は負荷がすごい。


「お見事です。完璧でしたよ、アレク氷の王子様」


 セドリックは何の感慨もなさそうな声で褒めてくる。

 ここ数日あれだけダメ出しをしておいて、一言で済ませる気だ。


「夢の中の僕は本当にあんなだったのか……?」

「さあ。それは俺に聞かれても分からないですね。でも、リリアーヌ様の怯え方は割と本気に見えましたよ」

「うっ」


 仕方ないとは言え、リリアを怯えさせたという事実も痛い。

 これが終わったら彼女の好きな物をたくさん用意して労おうと心に決める。


「しかし、リリアは大丈夫なのだろうか……」

「ノア様のお墨付きだから大丈夫でしょう。そうでなくても対応できるようにはしてあります」

「それはそうだが……この作戦は、リリアにとって綱渡り過ぎる」


 全員で今後の方針を話し合った際、彼女は自身を仮死状態にすることを提案した。

 それは危険だと止めようとしたが、「私の未来のためです」と言い切られてしまった。

 ノアのサポートもあるし、これ以上危険だと判断したら即刻解除するという約束で彼女の計画を飲んだものの。

 擬似的な魔力暴走を起こし、そのまま仮死状態にする。という計画は、一手でも間違えればエリアスに手を貸すだけになる。

 もう一度胸に溜まった不安要素を吐き出し、胸のポケットから宝石を取り出す。

 耳に近づけると、アリアの嗚咽が微かに聞こえる。

 室内の音が拾えているのを確認している間に、セドリックが隣室の戸をノックし、ノアを呼びだした。


「順調なようだな」

「まあ、今のところはな」


 立ち上がって、ドアを見遣るノアに並ぶ。

 三人で宝石に耳を澄ますと――変化は不意に訪れた。


 嗚咽がピタリと止まった。


 気分の落ち着きによるものじゃなく、意図的にやめたような途切れ方。僕達の間にも緊張感が走る。

 宝石は数秒の沈黙の後、再度声を拾い始めた。

 何を言ってるかは聞き取れないが、その独特な抑揚は間違いなく何かの呪文だ。

 

「ノア」

「この構文は転移系だな」


 これは何だと問うより先に答えが返ってきた。

 呪文に耳を傾けて小さく頷く。


「アレク。術が発動したら飛び込め」

「飛び込む? 転移を止めないのか?」

「転移先は本拠地だろうから、場所を抑えておきたい。それに、広範囲の魔術を使われる可能性もある。中途半端な解呪で被害を出すより、防御が優先だ」

 

 説明しながらノアは僕とセドリックの額に軽く触れる。

 手袋越しの指が触れた瞬間、魔力がそよ風のように触れた。じわりと身体に染み込み、静かに抜けていく。


「これで転移の負荷を多少軽減できる。しかし、距離や行き先よっては目眩や頭痛が残るだろう。そこは」

「分かっている。意地でも起き上がってエリアスを止めてやる」


 行くぞ、とセドリックに視線で合図し、部屋に踏み込む。

 ノアが展開した結界をすり抜けた先は、先程とは異なる雰囲気に染まっていた。

 日が昇る直前に似た、暗くも静謐な空気。僅かな冷気が森林のような清涼さを感じさせるが、折り重なった魔力の重厚さもある。僕でも感じ取れるほどの存在感。これが彼女の扱う力なのだろう。


 部屋の奥に立つアリアは、何かを奏でるように指を動かしていた。

 足元で横たわるリリアの真上で綴られるそれは魔方陣だ。彼女の唱える呪文に呼応するように、軌跡がうっすらと明滅しながら降り注ぎ、床とリリアの上で陣を成す。

 ふと、その詠唱が途切れた。


「あれ。みなさん早かったですね」


 アリアは振り返りもせずに声をかけてきた。

 指先は魔法陣を綴り続ける。


「アリア。一体何をしている」

「これは――、少しでもリリア様をそのままに保とうと思って」

「いや、それは転移の呪文だろう? どこで何をするつもりだ?」

「それは」


 一瞬言い淀んだ彼女との距離を詰めようとしたつま先が、透明な何かにこつりと当たった。


 隣にやってきたノアが虚空をノックする。彼の魔力が反応したのか、幾何学的な模様が一瞬走り、散る。

 そこから何かを読み取ったらしく、彼はなるほどと頷いた。


「内側の魔力濃度を高める結界か」


 少し待ってくれと言って、ノアは再び見えない壁に触れる。指先でなぞった場所が僅かに煌めいては色を失っていく。

 すぐに、ぱりんと小さな音を立てて障壁が崩れ落ちた。しかし、ノアの指先はまだ何かに触れている。その先にもう一枚障壁があるらしい。

 ノアはその透明な壁に眉を寄せ、溜息と同時に指を離した。


「なるほど。薄い膜で層を作っているのか。細々やっても無意味だな」

「そうですね。――ええとそれで。なんでしたっけ」


 綴る指を止めもせず、彼女の視線がこちらを向いた。


「君がどこで何をするつもりなのかと聞いた」

「ああ、そうでした」


 折り重なっていく魔法陣を一瞥し、しょうがないですね、と言いたげに口の端をつり上げた。


「正直に言いますと。アレク様がリリア様を捨てたので、私がもらい受けてもいいかなって」


 だから連れて帰るんです。と、彼女は床に寝かされているリリアに視線を向ける。

 慈しむような眼差しに見えるが、その横顔は人形のような無機質さがある。


「そんな許可をした覚えはない」

「でも、貴方を毒殺しようとした犯人でしょう? 構わないんじゃないですか?」

「いや、僕に毒を盛ったのは君だよ」


 アリアの目が、何を言われたか分からないと言いたげに瞬いた。

 わずかに頭が傾き、高く結った髪が揺れる。


「どういうことですか? さっき、犯人はリリア様だって話になったじゃないですか」

「そうだな。しかし、君はひとつ失言をした。自分が毒を仕込んだ犯人だと自供したんだ」

「……?」

「毒は、ティースプーンに仕込まれていた。薄く加工して裏に貼り付けられたのではないかと考えられている」


 小瓶の中身は液体だから、何かに塗ったり混ぜたりしたと考えるのが自然だが、スプーンを濡らしては怪しまれるし、お茶は目の前で注がれる。だから、薄い膜状にして貼り付けた。

 砂糖やお茶菓子に仕込んで参加者をランダムに狙うより、僕を確実に狙った方が容疑者も絞り込みやすいという利点もある。


「そう、だから私はスプーンには触れてなくて」

「そこだよ。セドリックもリリアも、『茶器に細工をされた』とは言ったが、それがスプーンだとは明言してないんだ」


 犯人しか知り得ない情報だ、と指摘する。

 彼女はしばし話を飲み込むように黙っていたが。


「――なるほど。私は嵌められたって訳ですね」


 ふふ、と笑う彼女の目から光が消えた。 

 いや、その目に光は反射している。なのに、それは「少女」の記号として存在する光であって、彼女自身の物ではない。そんな風に思えた。

 そうなると、さっきまでの嗚咽も、涙も、戸惑いも。全てが薄く張り付いた何かに見えてくる。彼女の中身は澱み積もった何かへと変わり果てていて、つつけば弾け破れてしまいそうな薄皮1枚で装われている。そんな異質な気配がにじみ出ている。


「どうしてそんな酷いことをしたんです?」

「真犯人を突き止めるためだ。それで、お前は何者だ?」

「何者って。アリアですよ。感応魔術学科2年のアリア=シャーリー」

「見た目の話はしてない」

「あら。その言い方はこの身体に失礼じゃないですか?」


 馴染めば随分と使いやすいんですよ。と仕草だけは愛おしそうに胸元を押さえる。

 声も言葉遣いも変わらないのに、彼女から溢れていた好奇心や明るさが一片たりとも感じられない。

 もう装うことすらどうでも良いという、――悪い例え方をするのなら、ノアに似た興味のなさを感じる。

 ああ、こいつはエリアスだ。アリア=シャーリーなどではない。

 そう確信する。


「今は中身の話をしてるんだ。はぐらかすな」

「ふふ。はぐらかすだなんてそんな」

「じゃあ、何故素直に名乗らない。暴かれるのを待っているのか?」

「そんなことないですよ。私は世界の平和を裏でひっそり守るだけ。名乗るほどの者ではありません――って。なんか良くないですか?」

「ふざけるな! そのためにリリアを罠に嵌め、僕に毒を盛ったのだろう? エリアス=オルドフィール」


 へえ、と彼女は目を細めた。


「先生はちゃんと教えてくれてるようですね。ま、どうでも良いですけど。でも、中身ってそんなに気になります? 今目の前に立ってるのはアリアですよ。リリア様だって、アリアこの私にすごく優しくしてくれました。健気で可愛らしい方ですよね」

「――っ」


 褒めるようでいて、リリアの優しさを踏みにじる一言。

 思わず荒げそうになった声は飲み込んだが、内に燻るそれは非常に気分が悪い。


「リリアは君を信じていたのに」

「ええ、とても助かりました」

「……何故、彼女を騙した」

「何故。さっき言ったじゃないですか。世界平和の為ですよ」

「『祝福の器』に利用するため、か」

「ああ、ご存知じゃないですか。じゃあ話は早いですね。リリア様は他の星なら致命傷を負うような状況でも無事だし、瘴気の浄化能力も高い――かなり優秀です。他にも色々使えるでしょうから、できるだけ高純度のままが望ましいんですよね」


 私が触ると穢れちゃうし、と口の端をつり上げて、おぞましいことを軽々と口にする。


「なるほど。お前が『聖別の星』に直接手を下さない理由がそれか」

「それに、リリア様って、立場がめんどくさいじゃないですか。突然消えて騒ぎになるのも嫌ですし、この状況を作れるように結構準備したんですよ?」


 細められた焦げ茶の瞳は、昏い穴のように見えた。見つめすぎると引きずり込まれそうな気がする。

 その視線は僕から外れ、ノアへと向けられる。


「ああそうだ、先生。これ、手伝ってくれませんか?」

「嫌だ。ボクの良識に反する」


 その声は普段通りだったが、その言葉と表情には僅かな嫌悪感が滲んでいる。

 アリアはその返答に、残念と言うより不思議そうな顔した。

 

「良識……そんなの世界の真理や安定に必要なんですか?」

「答えるに値しないな。それに、その茶番に意味も興味も見いだせない」


 彼女は答える代わりにふふと笑って背を向けた。その行動こそが、ノアへの肯定だ。

 とんとん、と靴の調子を整えるようにつま先で床を叩くと、呼応するように魔方陣が明滅する。  


「じゃあ、私いきますね」


 魔方陣から光の粒が湧き上がり、彼女の足元がぐにゃりと歪む。

 アリアとリリア。二人を包む光が濃くなった瞬間――ノアが障壁を少し強めにノックした。

 耳の奥に響くような甲高い音と共に障壁が砕け散る。新しい障壁が生み出されるその場所に、すかさずノアが踏み込む。

 たったそれだけの動きで、部屋中の空気が砕け散ったような錯覚を覚えた。

 障壁が消え去り、室内の空気が一瞬揺れる。古びた魔導書が詰まった書庫を開いた時のような、重く異質な魔力が部屋中の空気を塗り替える。


「アレク!」

「任せろ!」


 迷いは無い。床に展開された輝く魔方陣に飛び込む。アリアの腕を掴むと、彼女が一瞬顔を歪めた。

 それもすぐさま光の奔流に飲み込まれる。


 視界が白く塗りつぶされ、意識がぐらぐらと掻き回される。上下も前後も分からない。

 ただ、掴んだ腕だけは決して離すものかと必死で指に力を篭める。


 長い時間掻き回されていたような、ほんの数秒だったような。

 酷い目眩にも似たその感覚は、唐突に終わりを告げた。


 □ ■ □


 目を開けるとそこは、見たことのない大広間だった。

 天井は高く、大聖堂を思わせるが、荘厳さよりも静けさの方が際立つ。

 白い壁には魔方陣が刻まれているのだろう、光の加減で何かがちらついて見える。


 あんなにしっかり掴んでいたはずの手には何もなく。

 リリアを抱きかかえたアリアは少し離れた所に立っていた。

 追いかけようとしたが、身体を起こしただけで目眩がした。床に膝と手をついたまま動けない。


「――っ」

「転移の影響が残ってるな。――この距離なら無理もない」


 ノアの声だ。もう少し待てば回復するだろう、ともう一言添えられる。

「だから、その間はボクが引き受けよう」


 そう言ったノアは僕達の前に立ち、アリアの背に指を差し出した。

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