第27話【方舟の救世主】


予期せぬ爆発と停電にノイとアベルが気を取られた隙に、カインはいきなり全身に力を込めて二人を振りほどいた。

腕を刺されていながらまだそんな余力が残っていたとは思いもせず、ノイ達はしまったと唇を噛む。

窓から射し込む朝日が、彼の顔を妖しく照らし出す。

まだ戦うつもりなのだろうかと身構える二人だったが、彼は意外にもフーッと大きく息を吐くと、何もかも諦めたようにボソリと呟いた。


「…敗者がこれ以上足掻いても見苦しいだけだな。まさか俺が生涯をかけて築き上げてきた計画が、こんなガキどもに潰されるとは」


「…?」


カインは戸惑う二人に背を向け、窓の方へと歩んで外に目をやる。


「…さっさとここから逃げろ。方舟が沈むのは時間の問題だ」


さっきまでの闘争心はどこへやら。

不気味なほど落ち着き払った彼に、ノイは目をパチクリとする。

だがダランと垂れたカインの右腕からボタボタと流れ落ちる血を見て、もう彼も戦うことなどできないのだろうと理解した。


「じゃあすぐに行こうよ。あなたも一緒に!」


「………」


カインは振り返り、ノイのことを見つめる。

あれだけのことをされたにも関わらず、いまだ憎しみに支配されることなく、敵に対しても手を差し伸べる少女。

ただの馬鹿なのか、それとも本当に人類の未来を託すに値する救世主なのか。


「俺の方舟が壊れた今、お前の肉体こそが人類の遺伝子を運ぶ唯一の方舟となった。お前に人類を救う覚悟はあるか?」


いつになく真剣なカインの眼差しに、ノイは迷いのないまっすぐな瞳で返した。


「私だけじゃ誰かを救うことなんてできないよ。だから助け合うの。手を取り合って、分かち合って、そうすればきっと、みんなが笑顔でいられる未来がやってくるって信じてる」


一片の濁りもない素直な言葉がノイの口から飛び出し、カインはフッと思わず鼻で笑ってしまう。


「いかにも人間らしい、綺麗事だな」


皮肉を吐きつつもどこか嬉しそうにカインはノイの手を取って共に扉まで歩んだ。

しかしノイとアベルが部屋から出ると同時に、自分だけ内側に残って扉をバタンと閉めたではないか。


「!?」


二人は扉をドンドンと叩いて開けようとするも、内側から鍵がかけられたらしく、ビクともしない。


「…東と西の倉庫に、避難用のボートが備えてある。奪い合いになる前に取りに行け」


「父さん、どうして!?」


顔の見えぬ父に向かって、壁越しに問いかけるアベル。


「俺はお前に父と呼ばれる資格などない。…それに、俺には王としてやるべき最後の仕事が残っているんでな。やるべきことをやった後で脱出するさ」


なおも諦めきれず、二人が扉の前で待っていると、ふとどこからともなく焦げ臭い匂いが鼻をついた。

発電所から広がった火災がこの塔のすぐそばまで迫っていたのだ。

下の階から立ち昇ってきた煙が、視界をうっすらと灰色にぼやけさせる。


「早く行け!仲間達のもとへ」


その強い口調から彼の決意の固さを感じ取ったノイは、グイッとアベルの手を引いた。


「行こうアベル。きっとあとでまた会えるよ」


後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、ノイとアベルはやむを得ず手を繋いでその場から走り去った。

エレベーターは止まっているため、途方もなく長い階段を駆け下りる。

タッタッタッと遠ざかる二つの足音に耳を傾けながら、カインは疲れ切った様子で扉に背中をつけてズルズルと座り込んだ。


「…何が人類の王だ。結局俺がやってきたことは、無駄に多くの人間を苦しめただけだった」


視線を落とすと、すぐ横に落ちていた金貨が目に入ったため、それを拾い上げる。


「信頼か…。そうだな、お前達が示した未来に俺も賭けてみるとしよう」


そう呟いたカインは金貨を握りしめ、重い体を起こしたのだった。


一方、息切れを起こしたアベルのペースに合わせながら階段を下るノイ達に、火の手がすぐそこまで迫る。

すでに下の階は炎で赤く照らされており、舞い上がる灰と熱気が内部に充満していた。


「あともう少しだから頑張ってアベル!」


酸欠で意識を失いそうになりながらも何とか塔を脱出した二人は、ハァハァと息を切らしながら最上階を見上げる。

塔全体がいつ崩れてもおかしくないと感じるほど至るところから火の手が上がっており、きっと中のものは今頃全て焼き尽くされていることだろう。


「父さん…」


父の死を悟り、唇を噛み締めるアベル。

そして塔から目を逸らすようにして二人は走り続けた。

仲間達がいるであろう、発電所の方角を目指して。

しかしその途中で二人の足が止まる。

なぜなら発電所があったはずの場所を境目にして町が東西で真っ二つに分断され、海中へと沈み込んでいたのである。

向かい側との距離は大きく離れ、泳いで渡ろうにも建物の残骸や激しい渦に阻まれてとてもではないが近寄れない。


「そんな…」


愕然と立ち尽くす二人。

そんな中、向かい側の陸地からこちらへ大きく手を振って呼びかけてくる者達がいた。


「ノイちゃ〜ん!」


「うおー!ノイとアベルが生きてた!!」


「…感無量」


レジスタンスの三人組である。

他にもレメクや双子達の姿まであって、ノイとアベルはパッと目を輝かせた。

彼らは彼らで、囚われたノイ達を救うべく塔を目指してここまでやってきていたのだ。


「みんな、無事だったんだね!」


互いに飛び跳ねんばかりの勢いで喜び合ったが、濁流が両者を隔てているため抱き合うことは叶わない。

そうこうしている内にも町は着実に海に沈み込んでいた。


「みんな聞いて!」


ノイの発言に皆は耳を傾ける。


「東と西の倉庫に避難用のボートがあるらしいから、それに乗って町から出よう。私達も反対側のボートに乗るから!」


その提案に渋い顔をするレジスタンス一行。


「せっかく再会できたってのに、また離れ離れかよ…」


「…生きてればまた会える」


「絶対にまた生きて会おうね〜!!」


不安が無いと言えば嘘になる。

もしかするとこれが永久の別れになるかもしれない。

しかし互いを信じる大切さを学んだ皆は、手を振り合って笑顔で別れることにした。

ノイと目が合い、レメクはコクリと頷く。


(…強くなったな、ノイ)


娘の成長を感じ取って安心したレメクは、名残惜しげに立ち去るノイの後ろ姿を見送り、自らも背を向けて走り出した。


「倉庫はこっちだ。俺について来い!」


オグに先導され、倉庫へと向かう一行。

しばらく走っていると、急にセナがキョロキョロと落ち着かない様子で視線を散らしていることにフェトが疑問を覚える。


「どうしたのセナ?」


「…人が全然いない」


「え?言われてみれば確かに…」


さっきからずっと町の大通りを堂々と進んでいるにも関わらず、人の姿がまったくと言っていいほど見当たらないのだ。

発電所が爆発する前までこの辺りはパニックに陥る住人でごった返していたのに、今では打ち捨てられた死体がいくつか散見するだけで、生存者の姿はどこにもない。


「みんな死んじまったのか?」


「…それにしては死体の数が少なすぎる」


「お嬢ちゃんの言う通りだ。胸騒ぎがする」


ハキムとセナの会話を耳に挟んだオグが、走るペースを速める。

彼の抱いた疑念は、倉庫に辿り着くと同時に確証へと変わった。


「遅かったか…!」


中に入った一同は絶句する。

倉庫の中はすっかりもぬけの殻で、ボートなど一隻たりとも置かれていなかったのである。

大急ぎで東門の方に行くと、下ろされた跳ね橋から脱出したであろういくつもの小型ボートが遠くの海上に浮かんでいるのが見えた。


「お~い誰か!」


精一杯手を振りながらボートに向かって呼びかけるレジスタンス一行。

届いた声に気付いた高地の民達がこちらに視線を送ってくる。

これで助かったと皆が安堵したのも束の間、どうしたことか、ボートは近付いてくるどころかむしろどんどん離れていった。


「ちょっと、どこ行くのよ!?」


もしかして見えていないのだろうかと思い、ブンブンと必死に両手を振るフェトに、レメクは無情な現実を突きつける。


「…無理もない。高地の住人からすれば俺達は町を破壊し、何もかも奪い去った敵なんだ。助ける道理なんて無いさ」


レメクの言う通り、遠目からでも分かるほどに住人の誰も彼もがその瞳に憎悪と恐怖を宿して拒絶の意思を示していた。

こちらから泳いでいこうかと、そんな気さえ起きないほどに強い視線。

それに海は津波の影響でこの上なく荒れ果て、散乱した瓦礫や茶色く渦巻く水の中に生身のまま飛び込もうものなら、瞬く間に濁流に飲まれて命を落としかねない。

沈みゆく町の上で徐々に遠ざかる船団を眺めることしかできない状況に、もうおしまいだと皆が諦めかけたその時である。

不意に三隻のボートがくるりと進路を反転し、こちらに引き返してきたではないか。


「見て見て!」

「こっちにくるよ!」


イラとナエルが海を指さして興奮気味にピョンピョンと飛び跳ねる。

ゆっくりと近付いてくるボートの先頭に立つ男の顔を見て、皆はハッとした。

その男はコロシアムで闘った時に武器を捨てて降参し、ハキムが最後まで殺すことを拒んだ敵兵だったのだ。

その傍らには彼の子供の姿もあり、父親にガッチリとしがみついていた。


「ハハ…」


思いもよらぬ形での再会に、ハキムは目を潤ませながら小さく笑みをこぼす。

男は跳ね橋にボートを着けると申し訳なさげに謝ってきた。


「不安にさせてすまなかった。皆を説得するのに手こずってしまって…」


他の船員はどこか気まずそうに目を逸らしていたが、それでも助けに来てくれたことに変わりはない。

地平線の彼方で輝く朝日が、ボートの上で抱き合い、喜びを分かち合う一同のことを明るく照らしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る