嘘つき姫と僧の罪

みかみ

第1話 助けを求める手紙

 唐の都長安。皇帝の娘婿たる駙馬都尉ふばとい房遺愛ぼういあいの豪奢な邸宅の一室で、今まさに一通の文がしたためられた。

 差し出し人は、房遺愛の妻、高陽公主こうようこうしゅ。送り先は、唐の高僧、玄奘三蔵げんじょうさんぞうである。



 玉華宮ぎょくかきゅうの三蔵法師・玄奘大徳へ


 私は目下もっか、筆を執る手すら震えている有様です。

 このような書きつけをお送りする無礼をお許しください。

 しかしながら、頼るべき者はもはや貴殿のほかにございません。

 貴殿の弟子、辯機べんきが「私と密通した」との讒言を受け、いわれなき罪に落とされようとしています。

 辯機は潔白です。そのような不義などは断じて働いておりません。けれども、私がどれほど真実を訴えても、誰ひとり耳を貸そうとはせず、かえって「罪を隠すための虚言」とあしらわれるばかりです。

 このままでは、あの者は腰斬の刑を受け、命を奪われてしまうでしょう。

 大徳よ。

 貴殿は臣民から「清浄の行を修し、虚妄を見抜く」と称される希有の御方です。

 一刻も早く長安へ戻ってください。

 なにとぞ辯機をお救いください。

 この文をお読みになったら、「世間知らずな皇女の取り乱した狂言」と笑い捨てず、どうか心に留めてくださいますよう。


 貞観二十二年七月

 高陽公主



 最後の一文字が掠れてしまった。しかし高陽公主は筆を筆掛けに置くと、文を手早く三つに畳んだ。後ろに控えている少年に握らせるやいなや、肩を押して出入口へと促す。


「さあ、はよう持って行け!」


 痩せた後ろ姿が転がるように部屋を出る。間もなくして、一頭の早馬が駆け出してゆくのが窓から見えた。

 それを見送る彼女の胸元は、まるで自身が廊下を走り、馬で駆けているがごとく大きく上下している。紅を引いた唇から交互に入れ替わるのは、大きな吸気と呼気。生来の稚気が見え隠れする両目は今や大きく見開かれ、涙の膜を張ったまま瞬き一つしない。


「公主様」


 侍女の一人が、公主の後ろに静かに立った。


「どうぞご安心を。子供であれば警備の目をかいくぐれましょう。玄奘様もきっと、早急に動いてくれましょうから」


 その言葉には、主人への慈愛が少なからず込められていた。

 だが慰めを受けた本人は、ますます表情を険しくする。


「まこと、そうであろうか」


 唇を噛み、瞼を伏せる。ひと際大きく息を吸い込むや、小動物の悲鳴にも似た泣き声を上げて、両手に顔をうずめた。


「『嘘つき公主の戯言』など、辯機以外の一体誰が聞いてくれる?」


 幼き頃から嘘とわがままで我を通してきた皇帝の娘は、悲哀を最後に泣き崩れた。

 高陽公主が辯機と出会ったのは、五年前。寵臣の息子へ降嫁させられへそを曲げていた、十五の歳の頃のことであった――


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