第2話「ぎっくり腰の珍獣」

妻がぎっくり腰になったのは、金曜日の夕方、保育園からの帰りだった。


2歳の娘・ゆずはベビーカーを拒否するタイプで、

「ゆず、歩くの!」と威勢よく出発するくせに、

10分後には必ずこうなる。


「だっこー!」


妻はいつもどおり、

「まあ筋トレだと思えばいっか〜!」と

片手でベビーカー、もう片手でゆずを持ち上げていた。


しかし、その日は違った。


「よっと……あれ……?」


ゆずを抱えた瞬間、

妻の背中にビリッと電流が走ったらしい。


「いっっったぁぁぁ!!」


そのまま道端で崩れ落ちた。


***


僕が会社にいると、妻からLINEが飛んできた。


『ぎっくり腰で動けない…ゆずは元気…助けて…』


この世の終わりみたいな文面だった。


大急ぎで帰宅すると、

妻はリビングの床に横たわり、

ゆずは「おかあさんといっしょ」を見ながら全力で部屋を走り回っていた。


「だ、大丈夫!?」

「う、動けない……とりあえず、ゆずにご飯あげて……」


僕は夕食とお風呂をこなし、戻ってくると、

妻は湿布を貼られながらも妙に真剣な顔をしていた。


「ねえ……あと1週間でさ……“交流デー”じゃん?」


出た。夫婦交流デー。

僕の意思とは関係なく制定された、月1〜2回の“夫婦の健康イベント”である。


いや、今その話題!?

腰、死んでるよね?


「普通に考えて無理でしょ! 動けないじゃん!」

「うーん……でも気持ちは元気!」


気持ちだけで腰は治らない。


僕が湿布を貼ろうとすると、妻は急に口角を上げた。


「ぎっくり腰ってさ……気合いとスキンシップで治るらしいよ?」


……どこ情報だよ。


さらに妻は、僕を見上げて小声で続けた。


「スキンシップ療法ってやつ。

ねえ、よーくん……

ちょっとだけ……触って癒されたいの……。

アレを……さわ……(自主規制)」


そのとき――ヤツが来た。


バタバタバタッ!!


「ママーーー!! おきてーー!!」


止める間もなく、ゆずが全力ダイブ。


「ぎゃあああああ!! 腰があああ!!」


妻は悶絶し、

僕はゆずを抱えながら叫んだ。


「ゆず! 今ママは無理!!」


しかしゆずは悪気なくニコニコし、

また妻の上に乗ろうとする。


破壊神、容赦なし。


その夜、

妻は湿布まみれ、ゆずは元気まみれ、僕はツッコミまみれとなった。


こうして僕は悟る。


天然の珍獣妻は、ぎっくり腰でも前向きに“夫婦の健康活動”を推し進めるし、

破壊神ゆずは腰の状態など一切考慮しない。絶滅危惧夫の僕には、今日も休息という概念がないらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る