あたしはメイドさん、あなたはお姫様

花籠しずく

あたしはメイドさん、あなたはお姫様

 緊急放送緊急放送。数分後に隕石が地上に落下します。わが校舎は落下地点から大きくずれていますが、衝撃波や飛散による被害の恐れ。皆北側の窓から離れ、各々の身を守るように――。




 突如鳴り響いた、地域の防災無線。それから少しずれて、先生のうわずった放送。あたしたちの教室は、お昼過ぎの国語の授業でうたた寝してる生徒が何人かいたのだけど、皆跳ね起きて、でもざわざわする勇気もなく、呆然と先生の放送を聞いていた。


「やだっ死にたくないっ」


 最初に叫んだのは、クラスで一番かわいいって言われている女の子だった。こんな時でもぶりっ子アピールしなきゃいけないなんて、可愛いを作るって大変だなぁとあたしは冷めた目でその子を見ていたんだけど、その子のおかげでクラス中が自分たちの陥った危機に気が付いたみたいだった。


 男の子が立ち上がる。女の子が手を取り合って、廊下に出る。あれ、北側って廊下の方だよ、なんてあたしの呑気な声はかき消されて、悲鳴の飛び交う教室は、いっそうパニックになっていった。あーあ、先生も大パニックだ。凛ちゃんせんせ、まだ大学卒業したばっかだもんね。いきなり危機対応させられて、可哀そう。


 防災頭巾って、中学までしか持っていかなかったんだよね。あったら良かったのにね。あたしは美紀ちゃんに話しかけた。


 美紀ちゃんは、混乱している教室の中で、静かに座っている。美紀ちゃんは眼鏡さえ外して、髪型を変えればクラスで一番可愛い女の子だ。作らなくても可愛い。それなのに自分が可愛いことにあまり意味を見出していないみたいで、可愛い女の子が作る群れに入ることもなく、黙々と勉強をしている。あたしは美紀ちゃんのこと、性格も見た目も背筋が真っすぐで素敵だなと思っているのだけど、皆地味子ちゃんとしか思っていないらしかった。


「鞄の中身、ひっくり返して」

「被るの?」

「そう。ここは南側。廊下や外よりは安全。でもきっと硝子は飛んでくる」

「美紀ちゃんの可愛い顔に傷ついたら大変。あたしの鞄もあげる」

「バカなことしないで。あたし、バカは嫌い」

「ごめんて」


 緊急放送、緊急放送――。


 あたしが鞄の中身をざらざらひっくり返し――化粧道具くらいしか出てこなかったけど――、頭に被って、机の下に潜ると、どーんと遠くなんだか近くなんだかで音がして、ぐらぐら地面が揺れた。ぱりんぱりん、硝子が割れて、ぱらぱらと降ってくる感触がした。遅れて悲鳴が聞こえて、あたしが顔から鞄を取ろうとすると、美紀ちゃんに押さえつけられる。


「地獄だよ。顔あげたらいけないよ。足元だけ見なさい」


 痛い、痛いよー! わーんおかあさーん! せんせい! 幸助の目に硝子が! せんせい!


 ああ、ほんとだ。地獄だ。呑気なあたしは、血の匂いでやっと、自分たちがうっかりしたら死んでいたかもしれないと気が付いた。





 隕石の危険はないって言ったじゃん、ニュースのばか。あれ、これニュースじゃなくて何責めたらいいんだろ、って思ってたら、生き残ったテレビで記者会見やってた。


『○○市に落下した隕石は、接近した彗星から落下したもので、○○市に被害をもたらしました。隕石の落下した先にあった建物は跡形もなくなり、衝撃波により甚大な被害が出ました。観測チームが出した避難警告により、多少被害を減らせはしましたが、落石により最低でも二十人、死亡者が出てしまいました』


 あたしはぶよぶよした肉をつつく。お母さんったらもう、あたしこれ絶対宇宙人の肉って言ったじゃん。お母さんってば、こんなの気に入っちゃって。普通から逸れたらだめだって言ったの、お母さんじゃん。


『そして、隕石から現れた宇宙人と噂される、謎の生物が放った未知のウイルスのために、人類のDNAが書き換えられる現象が発生。○○市に住む人々を中心に、人類に変化が現れています――』


 あっ、テレビ消そう。これからあたしたちの住んでるところが封鎖されてる映像流れるんでしょ、見世物みたいに報道しちゃって、もう、やんなっちゃう。でも、テレビで報道されている通りのことが起きてるんだから、報道されるのはしょうがない。コロナが流行った時も、武漢市のことめっちゃ報道されたし、あたしもじっと見てたし、人間ってそんなもんだ。あたしはバカだけど、バカなおかげでいろんなこと諦めて、俯瞰してるところがある。バカだけど、バカではないから、今のあたしたちが、危機的状況にあることは、分かってしまうのだ。


「おかーさーん、だめだよ、宇宙人食べようとしたら」

「宇宙人じゃあないのよ。美味しそうなお肉じゃない、テレビで宇宙人一人しか映らなかったじゃない、豚のお肉に文句つけないで」

「空中でばらまかれて渡される食糧、みんな加工品じゃない、お母さんが屠殺なんかできるわけないでしょ」

「文句言うなら食べなくていいのよ」

「うへー、それは困る。んー意外に食べられなくもないんだなこれが」


 お母さんがおかしくなったのか、あたしがおかしくなったのか分からないのも困りものだ。お父さんは翼が生えて飛んだから、食べ物捕ってくるってはりきってるけど、悲しいかな、飛べるようになっても狩りの能力は生えなかったみたいだ。お腹すくだけだからもうやめなさいってお母さんに怒られて、今は自分の部屋に引きこもってる。お父さんも、自分の目がおかしいのかお母さんがおかしいのか分かんないみたいで、ぶよぶよした肉を諦めて食べることで、なんとか命をつないでる。


 このぶよぶよの宇宙人みたいな肉、タコとかイカみたいな味がするんだよねぇ。んー、美紀ちゃんにはあげられない。美紀ちゃん可愛いから。


「百歩譲ってお母さんがおかしいとしましょう」

「百歩譲らなくていいよ」

「うるさいわね。でも、もう目見えないんでしょ。分かんないんじゃないの、イカとかタコみたいなんでしょ。美紀ちゃん、うちで預かった方がいいんじゃないの」

「だめだよ、お姫様にはお姫様の食べ物が必要なの」


 ごちそーさま。紙皿をぽいっと捨てて、しゃかしゃか歯磨きして、あたしは洋服とか化粧品とかを詰め込んだバッグを持って、美紀ちゃんの元に向かう。美紀ちゃんはご両親が二人とも公務員で、お母さんは逃げ遅れた市民の避難誘導中に、隕石の衝撃波で吹き飛んで死んじゃって、お父さんは生徒を庇って大けがして、まだ病院にいるみたい。災害現場であんなに冷静に、あたしを校舎という地獄から、死んだ地上に連れ出してくれた美紀ちゃんは、翌日に目と指が宝石に変わった。DNAの変化とかいうやつのせいで。あたしのお父さんが空を飛んでいる間に、美紀ちゃんは地面に縫い付けられて、泣いていた。あたしは家族みんな無事だったし、家も窓が割れただけで済んだから、食べ物の心配と、身体がどう変わっていくかの心配さえしていれば良かった。でも美紀ちゃんは、お母さんの死も、お父さんの危篤も受け入れられないまま、目が見えなくなって、指もぎこちなくしか動かなくなったのだ。


 もっと泣いてって思った。泣いて悲しみが薄れるなら、好きなだけ泣いてって思った。でもあたしの犬が何年か前に死んだ時、泣いてもちっとも気が晴れなかった。だから美紀ちゃんも、泣いても泣いても、つらい気持ちが消えないって、分かってる。あたしに出来るのは、食べ物を運んで、ちょっと身の回りの面倒見てあげることだけだ。


「美紀ちゃん、来たよ」


 水の入ったポリタンクをえっちらおっちら運んで、合鍵を使って家に入ると、美紀ちゃんのピンク色の瞳が、きょろきょろとあたしを探す。やっぱり美紀ちゃんにはピンクが似合う。美紀ちゃんはラベンダーカラーよく選んでたけど、やっぱり青みピンクがよく似合うんだ。宝石はよくわかんないけど、何日か前、一瞬だけ生き返ったスマホで調べたら、クンツァイトとかがヒットした。かわいい青みピンクの宝石で、あたしはガッツポーズして、美紀ちゃんにバカって言われた。はい、能天気バカです。ごめんなさい。


「どんどん目が見えなくなる。手は、まだ動く」

「美紀ちゃん、お風呂入ろお風呂」

「水が勿体ない」

「こちら、節水シャワーとポリタンクです」

「節水シャワーなら、良いか」

「そそ。こういうのは気分あげるのが大事なのさー」


 風呂入っても、下水道終わってそうだよね。なにそれ、あたしよくわからん、っていうかインフラだいたい終わってるから気にしてらんないよ。わいわい言いながら、美紀ちゃんの服をぽいぽい脱がせて、浴室に連れていく。美紀ちゃんは元からスタイル綺麗だったけど、今は食欲落ちてるみたいで、なおさらモデルさんみたいだった。だめだめ、変に痩せてるのは不健康で可愛くない。


「はーい頭流しまーす」

「瑠奈ちゃん、美容師さんになれば?」

「おー、あたしのシャンプー気持ち良いか。何よりなんだぜ」


 あたしは将来東京でメイド喫茶で働くのが夢だぴよ。ふざけて言ったら、美紀ちゃんがぷっとふきだした。


「人気メイドさんだよ、きっと。でも気を付けてね、そういうとこ、危なそう」

「ふふん、あたしはお姫様にお仕えするメイドになるんだから。男の人なんて知らないの」

「行けると良いね、東京」

「人類めつぼーのピンチ乗り越えたらね」


 電気系が美紀ちゃんのお家は死んでるから、太陽光で美紀ちゃんの髪を乾かして、あたしは食料を広げた。この前見つけたガスコンロでちょっとだけ料理する。味見して、美味しくないことを確認した。


「メイドさん特製、ホットケーキでございます」

「よく材料手に入ったね」

「卵もないし牛乳もうっすいけど、気分だけ」

「ありがとう。本当に」


 一口大に切ったホットケーキもどきを美紀ちゃんの口の中に入れながら、少なくなる食料のことを考えた。このお姫様はクレバーだから、食料が足りないこと、分かってるはずだ。お店の人が死んじゃった個人経営の食料品店からくすねてきたのは、言えないしなぁ。でももうばれてそうだけど。


 あたしバカだから、って結構便利な言葉で。あたしバカだから分かんない、って言ったら、たいていの人は呆れてあたしから興味を喪う。あたしバカだからさ、あたしバカだもんって言ったら、自分も誤魔化せる気がして、よく使っていたら、ほんとにバカになっちゃったけど。でもあたしバカだから、街の地獄見ても心が痛まないふりができるし、あたしの身体の変化も見て見ぬふりができる。


「瑠奈ちゃん。あんた、食べるもの少なくなったら、あんたを優先しなさい」

「んーんー、自衛隊がこまめに食料撒いてくれてるんだよ。いろんなところに落としてくれるから、美紀ちゃんが思うほどの取り合いはしてないよ」


 ほんとはしてるけど。でもあたし、空から降ってくる食料、要らないし。お母さんはあんなだし、お父さんももう宇宙人のごはんに文句を言わないし、あたしが拾った分は美紀ちゃんにあげたい。


 あたしに起きたDNAの変化は、多分、味覚の変化だ。お父さんは最初は、あの宇宙人の身体を美味しくなさそうに食べていた。お母さんがそれしか持ってこないから、頑張って食べて、今では普通に食べるけど。あたしは最初からイカやタコだと思ったら食べられたから、味覚がおかしくなっているんだと思う。その証拠に、今は、普通の食べ物が美味しくない。自衛隊が配ってくれたパンはゴムを齧っているみたいだった。そのくせ、お母さんの持ってくる宇宙人は味が分かるし、腐ったネズミは美味しかった。地面で倒れて死んでる人を、美味しそうだなーと思うし。まあ、つまり、化け物になっちゃったわけ。生肉食べたらだめだって、家庭科で教わったのにな。生肉が一番美味しそうなんだな、これが。よだれ出るくらいに。


 いつか東京に出られたとして、あたしは死体が美味しそうに見える化け物だ。人と一緒に暮らせない。だからあたしは一生、あたしが見つけたお姫様のお世話をしようかな、なんて考えていた。そしたらあたしはメイドさんだし。夢が叶う。


「あんた、いい加減あたしのこと重くない? やってること介護だよ」

「そおかな」

「そうだよ」


 嫌になったらあたしなんか放っておきなさいって美紀ちゃんは言う。なんだか没落したお姫様ってきっとこんな感じなんだろうなって思った。だから余計についてあげたくなって、気にしないでって言った。




 お腹がすいて、街を歩く。お腹すいた、やっぱりパンはだめだ、あんなにパン好きだったのに。おにぎりも好きだったのにな、腐ったやつしか美味しくない。でも腐るまで家に置いておこうとすると、お父さんに取られちゃう。やっぱりお父さんの味覚は正常だ。あたしがおかしい。


 死んだ猫とか犬とか、落ちてないかな。ねずみでもいいけど。お腹すいた。


 戦後みたいな街は、食料が空から降ってくることを除いては、やっぱり死んでいる。凛ちゃんせんせにすれちがって、あなたなんともない、って聞かれたけど、ぴちぴちの凛ちゃんせんせのお肌にたくさん傷跡が残っているのに気が付いて、話が頭に入ってこなかった。クラスメイトが何人か入院したままで、隣のクラスの子が死んだらしいってことだけ、凛ちゃんせんせと別れてから思い出した。残念ながら、知らない子の死を悼むような心は持っていなかった。泣けなくてごめんね、凛ちゃんせんせ。


 路地裏でおじいさんが死んでいて、蠅のたかる死体を少し食べさせてもらった。ナイフで皮膚をこそぎ取って齧る。美味しい。美味しかった。燃やす前の死体、あたしにちょうだい。お腹すいたらメイドさんやれない。あたしのお姫様のメイドさん、したいのに。おじいさんの死体を食べてるところを、大人に見つかりそうになって逃げだして、口をゆすいで、今度は美紀ちゃんのための食料を探しにいった。


 あたしなんでこんなに美紀ちゃんをお姫様にするのに拘ってるんだろうな、って我に返る時がある。あたしが自分への誕生日プレゼントに買った、ひらひらふりふりの服もあげちゃってさ。毎日可愛い服着てもらってさ。なんでなんだろうね。お母さんに、小さいころ、お姫様になりたいって言ったら、お姫様になれる子なんていないんだよって言われたからかな。大きくなって、そんなにあたしが可愛くないって気が付いたからかな。そしたら隣にかわいい子がいて、あたしと仲良くしてくれたからかな。いろんなことが思い浮かぶけど、でもあたし、やっぱりクラスで本当の意味で一番可愛い子を、皆に一番可愛いって認めさせたかったんだと思う、多分。あたしが見つけたお姫様が一番可愛いって。お姫様が一番仲良くするのはきっとメイドでしょ、だからあたしはメイドさんで良いの。メイドさんが良いの。でも美紀ちゃんをふわふわのお姫様にしたら、きっと、独り占めしたくなる。あたしのお姫様。あたしのお姫様。メイドがこんなおかしくてごめんね。でもお腹がすくんだ。お腹がすくのはどうしようもないんだ。ごめんねごめんね、地獄で償うから。気が付かないで、美紀ちゃん。


「いつまでもこんな封鎖された生活やってられっか」

「コロナの時に逆戻りだ」

「街の向こうに行くと防護服来た自衛官が待ち構えてんだ、くそ」


 食料を探して、普段行かないような路地に転がり込んで、民家から缶詰を盗むと、大人たちが逃げ出す相談してるところに出会った。逃げてどこに行くんだろうって思ったけど、親戚のお家なのかな。


「とりあえず金目のもの集めてこい。盗んでもいい、集めてこい。逃げた後に潜伏するための資金だ」

「飛べるやつが少しずつ人運んでいけば良いんじゃないか」

「おい、ガキが俺らの話聞いてんぞ」


 あっ、まずい。


「言いふらされても困る、やっちまえ」


 そんな、道端で話してる方がバカなんじゃないのって思ったけど、反論してる余裕はなかった。あたしはビニール袋に入れてた生肉を「人肉攻撃!」って言ってぶちまけて、男の人たちがビビってる間に逃げ出した。金目のもの盗むって、貴金属店とかあの辺が狙われるのかな。それとも銀行かな、って考えながら、美紀ちゃんに食料を届けに走る。そうしたら、さっきの集まりの中にいた男が、あたしの前を走っているのだった。


 美紀ちゃん、美紀ちゃん、電話出て。だめだ、電波立ってない。あのおっさん足速い、そっちいかないで、美紀ちゃんのところ行かないで。


「美紀ちゃん!」


 おっさんが美紀ちゃんの家の窓ガラスを、近くに転がっていたレンガを投げつけて割った。がしゃーんって音がしたけど、こんな時にわざわざ様子を見に来る人なんてほとんどいない。


「美紀ちゃん、逃げて!」


 窓の鍵をこじ開けて、男が入っていく。あたしも必死に追いついて、窓から入った。レンガを拾い上げて、家の中を見回す。


「その宝石、よこせっ!」


 きらりと刃が光る。美紀ちゃんは逃げられない。美紀ちゃんの指が、ぽきりと一本折られる。あたしはとっさにレンガを投げる。男のナイフが美紀ちゃんの胸に刺さる。男の頭にレンガがぶつかる。


「あああああああああああああああああああ」


 美紀ちゃん、美紀ちゃん!


「きゅ、きゅうきゅうしゃ」


 救急車、呼べない、電話、つながらない。衛星通信、機能してよ、なんでよ。あたしが病院、つれていかなきゃ。もう必死だった。あたしが慎重に美紀ちゃんを抱き上げると、美紀ちゃんは、どうやってしゃべってるんだろう、「もういいよ」って掠れた声で言った。


「この身体じゃ、生きてけないし」

「だめだよ、あたしメイドさんだもん。お姫様の面倒見るのが仕事だもん、絶対これからもあたしがメイドやるから、絶対、病院、いく」

「病院は満員。お父さんのとこ行ったから、知ってる」

「それでも行くのっ」


 血が垂れてく。あたしは出来るだけ美紀ちゃんの身体を揺らさないように歩いたけど、やっぱり力の入らない身体は重かった。途中で転んで、美紀ちゃんの身体が宙に舞った。


「身体に宝石が生えたときから、覚悟してたから、いい」

「あたしがよくないの、あたしがよくないの」


 美紀ちゃんは血と砂で汚れて、脂汗をかきながらちょっと笑った。


 ああ、そうか。美紀ちゃん、自分の家から離れないって言って、聞かなかった。お父さんを待ってるんだろうって思ってたけど、高値で売れる宝石がついてる自分の身体が狙われるの、分かってたんだ。だから、あたしを何度か諭したんだ。生き残れないって、分かって。あたしを出来るだけ巻き込まないように。そんなの、おかしいって。


「お姫様って、悪いもんじゃないね」

「そうでしょう、だから生きて」

「もう、満足。あんたには、生きてもらって、東京行ってもらわなくちゃ」


 留める間もなく、美紀ちゃんが渾身の力で、胸元のナイフを引き抜く。お姫様のどこにそんな力があるのか、わかんなかった。美紀ちゃんの胸から飛んだ血が、あたしの口に入って、お父さんに隠れてこっそり飲んだワインみたいな味がした。


 美味しい。やめて。美味しい。やめて。


「瑠奈ちゃん、生きて」


 美紀ちゃんが息を引き取る前に言った最後の言葉が、それだった。


 美紀ちゃんの顔は、痛みに苦しみながらも、穏やかできれいで、可愛かった。あたしはこの顔を誰にも見せたくないって思った。これは美紀ちゃんがあたしに残してくれた笑顔だもの。美紀ちゃんからあたしへの最後の気持ち。あたしだけのものにしたかった。美紀ちゃんのお父さんにも、見せたくない。見せない。あたしはそう決め込んで、涙と鼻水でぐちゃぐちゃのあたしの顔を拭って、それから血だらけの美紀ちゃんを抱えて、美紀ちゃんの家に戻った。美紀ちゃんの家の中で死んでた男は、外に追い出して、猫の餌になってもらった。


 スマホが生きていれば、屠殺の後の鹿とかの処理の方法って載ってると思うんだけど、まだ電波はしんでる。確か、死後硬直の後に肉って柔らかくて美味しくなるんだよね。可愛い美紀ちゃんを生肉で、血だらけになりながら食べるなんてありえない。お姫様は最後までそーきゅーとに仕立てなくちゃ。


 死後硬直がはじまるまでの身体はまだ柔らかくて、ちょっとだけ温かくて、おいしそうだった。今のあたしは生肉の方が美味しいと思うんだろうけど、我慢だ。美紀ちゃんごめんね、せめてこうやってあたしと生きて。あたしの中で生きて。そう何度も呟いて、あたしは美紀ちゃんの死後硬直が解けて、やわらかくなって、全部の肉を丁寧にこそぎ落とすまで、一歩も外に出なかった。それからやっと材料を探しにいって、あちこちからいろんなものを盗んで、いわゆるインスタ映えしそうな、可愛いご飯を作り始めた。


 美紀ちゃんの腕のハンバーグ。隕石が落ちてきたあの日、あたしの手を引いてくれたあの手。


 美紀ちゃんの足のステーキ。プール行きたいねって言ったのに、行けないまんまだったね。


 美紀ちゃんの腸のソーセージ。アイドルもお姫様だから排泄なんてしないって駄々こねても笑ってくれたね。バカは嫌いって言うくせに、いつもバカなあたしを許してくれた。あたしのこと友達って言ってくれた。柔らかい頬であたしに笑いかけてくれた。綺麗な目だった。優しい表情だった。あたし、美紀ちゃんみたいに綺麗なお姫様、他に知らない。美紀ちゃんの傍だったら、あたし、一生メイドさんでよかったのに。


 作った料理を一つひとつ食べながら、あたしはずっと美紀ちゃんのこと考えてた。ほっぺたのお肉を最後に大事にとっておいて、ハンバーガーにして食べた。美紀ちゃんに勉強教えてってねだって、マックでたべたんだ、それが最初にいったご飯だった。サインコサインタンジェント、なんもわかんないけど、でも美紀ちゃんと一緒だから、ちょっとだけ頑張った。頑張ったご褒美って言って、ナゲットちょっと分けてくれてさ。いつか東京遊びに行こうねって、かわいいカフェでまた勉強しよって言って、そういうとこじゃ勉強できないよ、って言われたんだ。そしたら、美紀ちゃんのお家で、たまに勉強教えてもらってさ。あたしは代わりにお化粧してあげた。あたしの大切な時間だった。ぜんぶ。


 お肉の味はよく、わかんなかった。内臓はちょっと美味しかったけど、せっかくの美紀ちゃんのそーきゅーとなぼでぃーだったのに。ごめんね、でもあたし、美紀ちゃんとの思い出が美味しかったよ。思い出って味がするんだね、あたし、知らなかった。


 美紀ちゃん、美紀ちゃん。大好き。ずっと好き。食べたもので人って出来るから、これで、あたし、美紀ちゃんと一緒に生きられるよね。大好き、だいすき。涙が止まらない、ゆるして。





『えー、ここで緊急速報です。先日隕石の落ちた○○市から、自衛隊の包囲網を突破し、ドレスを着た人骨を抱えた少女が、東京方面へ逃げました。特徴は所持品のピンクのドレスを着た骨。ピンクのドレスを着た骨。未知のウイルスにより、少女のDNA情報が書き換えられている恐れがあり、また、感染源にならないという確認がまだされていないため、見つけた方は、至急、警察、保健所へご連絡をお願いします。繰り返します、繰り返します――』



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