第10話
火曜日の朝。
まだ半分も埋まってない教室に、ゆるい声が飛び交っていた。
「おーっす、悠」
「おう」
海斗がだるそうにカバンを机に落として、その上に顎を乗せる。
「昨日のランクマどうだったよ」
「ボコられた。三連敗」
「は? お前が?やっぱ上のランクだと手も足も出ませんかぁー」
「黙れ。回線の調子が悪かったんだよ」
「出たよ回線のせい」
後ろから南雲も混ざってくる。
「てかさ、あのゲームさ、俺も始めようかと思ってんだけど」
「やめとけ。お前、三日でコントローラーぶん投げるタイプだろ」
「なんでバレんだよ」
くだらないやり取りをしていると、教壇に担任が入ってきた。
「はいはーい、朝から元気でよろしい。……でだ」
教卓にドサッと何かを置く。
「今日、約束どおり席替えな」
教室の空気が一瞬止まる。
「うわマジか」
「やっと後ろから脱出できるかもしれん」
「前の真ん中だけはやめてくれ……」
去年からほぼ変わってなかった座席が、ついにシャッフルされるらしい。
——少しだけ時間を遡る。
同じ頃、別の教室の隅。
まだ誰もいない早朝、自分の席で、澪はノートを開いていた。
表紙に「観察ノート」とだけ小さく書かれた、紺色のノート。
一番新しいページの下のほう。
びっしり書いたメモの、そのさらに余白をじっと見つめる。
(今日……席替え)
ペン先が、ごく小さな音を立てて動く。
『席替え
→ 黒川くんの近くになれますように
→ できれば隣か前後』
書いたあと、しばらくその行を見つめる。
(ここまで書いて、叶わなかったらちょっと恥ずかしいな……)
そう思いながらも、ペンは止まらない。
『同じ列になれなかったら、ちゃんと我慢する
→ でも、一日一回は話しかけに行くこと』
ノートをぱたんと閉じる。
(神様とか、信じてるわけじゃないけど——)
胸のあたりを、ぎゅっと押さえる。
(それでも、今日はちょっとだけお願いしたい)
深呼吸を一つしてから、澪は教室を出ていった。
そして、現在。
「はい、一列目から順番にくじ引きなー。引いた番号が新しい席だ」
担任が箱を振る。
ざわつくクラスメイト。
俺も順番に呼ばれて、適当に一枚引いた。
(3−4……ってことは)
黒板の座席表に目をやる。
3列目・4番。教室の真ん中あたりだ。
その直後、澪の番が呼ばれる。
「白雪ー」
「はい」
小さく返事をして、前に出る。
箱の中に細い指がすべり込み、一枚の紙を引き抜いた。
開いた紙を見た瞬間、ほんの一瞬だけ、肩が揺れた気がした。
「何番だー?」
「……4−4です」
「はい、4列目4番ー」
黒板に数字が書かれ、座席表が更新される。
(4−4ってことは……)
俺は自分の番号と照らし合わせる。
俺が「3−4」。
その一つ隣、が「4−4」。
つまり——
「……隣かよ」
白雪澪は、俺の真ん前の席になった。
澪は紙を持ったまま、黒板と座席表を確認して、ゆっくりこっちを見る。
表情はいつも通り落ち着いているのに、手に持ったくじだけ、かすかに震えていた。
「はいはい、番号の席に移動しろー。机ごと動かすぞー」
担任の声で、教室中がガタガタと騒がしくなる。
俺も机を持ち上げて、新しい位置へ移動する。
すぐあとに、澪が隣の席に机を置いた。
距離は、今までで一番近い。
机と机の間は、腕一本分くらい。
(……こういうの、ほんとにあるんだな)
神様だの運命だのに興味はないけど、こういう状況になるとさすがに少し考えたくもなる。
「ちょっと、見せて」
席が落ち着いた瞬間、横からひよりが顔を出してきた。
「うわ、本当に隣じゃん……」
「たまたまだよ」
「たまたまでこれは、やばくない?」
ひよりは俺と澪の位置関係を見て、あからさまに眉を寄せる。
「白雪さん、どう思う?」
「……嬉しいよ」
澪は淡々と、だけど迷いなく言った。
「黒川くんの近くになれて」
ひよりが、ほんの少しだけ目を細める。
けど、それ以上何も言わなかった。
「まー……授業中に堂々と話せるようになったのは、ある意味良かったのかもね」
そう言って、ひよりは自分の席に戻っていった。
ホームルームが始まり、担任が連絡事項を読み上げる。
そのあいだ隣の席の澪はずっと真っ直ぐ黒板を見ていた。
……けれど、
(やっぱり、見てるよな)
ふと目を落として、自分の机を見る。
さっきまで何もなかった机の端に、小さなメモ用紙が一枚だけ置かれていた。
『字、見えなかったら言って。ノート、写していいから』
隣を見ると、澪がほとんど表情を変えずに、ごくわずかに首を傾けた。
「どう?」という無言の問いかけ。
「大丈夫」
小さくそう返すと、澪はほんの少しだけ目を細めて、前を向き直った。
一時間目。数学。
「じゃあ、この問題、誰か——」
担任の声が教室を飛び回る。
澪はきれいなノートを開き、ほとんど迷いなく式を書いていく。
ときどき、さりげなくノートの角を俺のほうに寄せてくる。
(見せたいんだか、見せたくないんだか……)
「あの問題、分かる?」
前を向いたまま、澪が小さな声で聞いてくる。
「たぶん」
「どうせ、簡単にとくでしょ」
「ハードル上げんな」
そんなささやき声のやり取りをしながらも、授業は普通に進んでいった。
問題を解いていると、不意に、右肩を軽くつつかれる。
「……なに」
「ちゃんと考えてるか、確認」
「家庭教師かよ」
「黒川くん限定」
さらっと言うな。
三時間目。英語。
「じゃあ隣の人とペア作って、教科書の会話読んでみようか」
先生の言葉で、教室中に小さなざわめきが広がる。
「……よろしくね」
澪が椅子を半分だけ回して、こっちを向いた。
「はいはい」
教科書の台詞を交互に読む。
澪の発音は、相変わらずきれいだった。
「黒川くん、『would』のところ、ちょっと伸ばしたほうが自然」
「細けぇな」
「そうかな…?」
前後ペアの会話のはずなのに、だんだん普通の会話になっていく。
「ねえ」
「ん」
「隣の席、嫌じゃない?」
「別に」
「よかった」
その一言に、とんでもない量の安心が詰め込まれている気がした。
昼休み。
「悠、今日どこで食う?」
海斗が弁当を片手に近づいてくる。
「別にここでいいけど」
「じゃ、俺も——」
「ここ、もらっていい?」
海斗の言葉を遮るように、澪がすっと席を立った。
自分の弁当を持って、俺のすぐ隣に椅子を滑り込ませる。
「え、そこで食べるの?」
「うん。こっちのほうが話しやすいから」
当たり前みたいな顔で言う。
「じゃ、俺端っこでいいや」
海斗は空気を読んだのか、少し離れた席に移動していった。
「白雪さん、マジですげーな……」
小声でそう呟いて。
午後の授業も、自然と隣のペアで会話することが増えた。
「ここの問題、一緒にやる?」
「別に一人で——」
「一緒がいい」
澪が少しだけ椅子を近づけて、俺の机にノートを半分乗せてくる。
えんぴつの音が、同じリズムで続いていく。
(……完全に、恋人の距離だな)
机の距離はほぼゼロ。
同じ紙を一緒に見ていると、授業中なんだか分からなくなってくる。
「ねえ」
「ん」
「今日一日で、ちょっとだけ当たり前が増えた気がする」
「何の話だよ」
「隣で話すのが普通になってきたかなって」
放課後。
いつものようにチャイムが鳴り、クラスメイトたちがそれぞれ帰り支度を始める。
「悠、今日ゲーセン寄ってく?」
「いや、今日はまっすぐ帰る」
「また白雪さんと?」
「うるせ」
海斗がニヤニヤしながら手を振る。
「じゃ、俺らは別ルートで勝手に青春しとくわー」
「何その雑な青春」
そう言い合っていると、ひよりが近づいてきた。
「今日は引き止めないから安心して」
「お前もうるさい」
ひよりは澪のほうをちらっと見てから、俺の肩を軽く叩く。
「ちゃんと、目だけは開けときなよー」
「目つぶって歩くやついねえよ」
そう言って、自分の鞄を肩にかけ、教室を出ていった。
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