エリン様の子羊
ヤサカ
ランプの魔神☆
毎週火曜日は少し早起きしてゴミ捨てに行く。火曜日は自分が当番の日だ。家を出て数分、ゴミ捨て場に着き右手に持った燃えるゴミの袋をやや乱暴に置いて一息つく。すると目の端に見なれない白いものがうつった。近づいてみると、どうやらそれはランプのようだ。かなり年代物のようで少々の傷や汚れはあるが、細かい彫刻が至るところに施されている。
「結構綺麗だけどな」
手に取って触れてみた。持ち主はどうして捨てたのだろう。側に別のランプや似たような類のものはなく、ただ白いランプだけがそこに置かれていた。なんとなく興味が湧いてきて両手で握り直してみる。付いていた埃を払い落とすと、改めてランプがとても白いことに気がつく。白いというよりも真っ白、新雪よりも白く感じた。その時ーー
「ん、なんだ?」
突然ランプの口から煙が溢れだした。一瞬火事かとも思ったが違う、煙はどんどん辺りに充満しゴミステーションを埋め尽くす程まで広がったのだ。
「こんにちは☆」
一分だろうか、二分だろうか、それとも五分くらい経っているのか、ランプの煙が収まり出した頃にそれは目の前に現れた。真っ白いワンピースの女の子、お人形さんみたいな金髪碧眼で腰まで伸びた長い髪、しかし彼女には足がなかった。正確には下半身がランプの口に吸い込まれている。咄嗟に喉から奇声を発さなかった自分は、素直にすごいだろうと思う。
「はじめまして愚民、妾を長い眠りから解放してくれて感謝するぞ☆」
「......お前は」
「妾はランプの魔神。愚民はラッキーだ、妾は愚民の願いをなんでも、三つと言わずいくらでも叶えてやるぞ。ただし代償つきでな☆」
自らを魔神と名乗るそいつはそう言って笑った。口元から僅かに出た八重歯が光に触れて鋭さを増す。願いはなんだ、と言って差し出された左手には子供っぽい顔とは不似合いな、黒くて分厚い枷がつけられていた。だが、本当にランプの魔神なのだろうか。期待と不安と驚愕が折り重なったような変な気持ちになる。というか、そもそもここまで冷静に頭が回る自分に一番びっくりだ。人は驚きを通り越すと、かえってここまで平静を保てるようになるのか。なるほど、覚えておこう。
「......」
「な、なんだなんだ☆」
半信半疑のまま、試しに手の中のランプをもう一度擦ってみた。心臓の鼓動が、相手に伝わってしまうのではないかと思うほどにうるさい。すると案の定というか、驚いたことにというか、呆気なく魔神は吸い込まれるようにしてランプの中に戻っていった。そしてゴミステーションには自分一人だけが残されたのだった。......よし、頭を整理しよう。深く深呼吸をして一度冷静になってから、もう一度改めて視線を向けてみる。相変わらずランプは、他に不純色が何も混ざっていないかのように白い。もう一度これを擦ればまた魔神は現れるのだろうか。なんとなく出てくるような気がする。しかし、生憎だが自分は元来の臆病者であるので、そんな勇気は持ち合わせていない。やはり好奇心が恐怖心を凌駕することはなさそうである。もう二度とこんな不思議な体験をすることはないだろう、そう思いながらランプを元の位置に戻し、何事もなかったように背を向けた。まさかその数日後にまた彼女に会うことになるなんて、この時は思ってもみなかった。
......格好よく舞台を降りていったのに、忘れ物をしたかの如く平然と舞い戻ってくるのも、我ながら中々に恥ずかしいサマである。しかも、まさかそれが数日後の話であるとすると、ますます格好がつかない。一体何があったのかと聞かれて正直に答えると、そんなチンケな理由でと思われるかもしれないが、しかし自分にとっては大問題なのであった。というのも、事の発端は新発売のゲーム機なのだ。ずっと前から予約していたはずなのに、何か知らないが手違いなるものが生じて上手く自分の元に届かなかった。何人かの友達とオンラインで対戦しようと約束していたのに、このままでは自分だけが置いていかれてしまう。それが、それだけは嫌だったのだ。ゆえにランプの魔神に屈してしまった。いや、本当に心から信用していたわけじゃないから、屈すると言ったら語弊があるかもしれない。あくまでそれは希望的観測で、藁にもすがる思いで、いわゆるダメ元というそれであったはずなのだ。
しかしである、結論から言おう。願いは叶った、叶ってしまった。あの少女は本物のランプの魔神だったのだ、多分。むしろことが上手く進みすぎた。家に帰ると既にゲーム機は届いていて、母も何事もなかったかのようにさっき届いたわよ、と言った。友達に送ったはずの悲報も、履歴は綺麗さっぱりと消えていた。下手すると、元の現実が夢かなんかだったんじゃないかと思ってしまうくらいである。まあ、結果的に友達と無事に対戦できたことだし、終わり良ければ全てよしってことで。この件はそれで終わりにしよう。
正直言って恐ろしかったのだ、この件についてこれ以上考えることが。あの時は半信半疑だった分、わりかし軽い気持ちで願いをランプの魔神にぶつけた。いや、目先のことしか考えていなかった。叶う、叶わないに囚われて、その他のことをすっかり忘れていた。今になって代償という言葉が、自分の胸に深く突き刺さる。あいつは慈善事業をしているわけじゃないんだ。願いを叶えてもらった分、今度は自分が何かあいつにせねばならない。しかし、その事を聞きに行っても全くとりあってもらえない。「何もしなくてよい☆」「言ったらつまんないじゃろ☆」の一点張りである。今のところは生活や環境に何の変化も見られないし、そこまで深刻な心配事ではないのかもしれないが。時間が経つにつれ、もしかしたら一回目だしサービスしてくれたんじゃないか、とか楽観的思考に行きがちなのもまた、我ながら恐ろしい。
そんな心配も杞憂だったのかと思えるくらいの頃、事件は起きた。比喩でもなんでもなく、運命が変わるくらいの。きっかけはテストだった。それはそれは悲惨でボロボロで発狂するくらいの成績が返却された。もちろん、これは勉強しないとなあと当初は反省していた。しかし、家に帰る途中に、ふとコンビニに寄ろうと思って例のゴミステーションの前を横切った時、意思の弱さが引き金になったのだった。もう一回だけ、これで最後にする、次からはちゃんと頑張るから、都合のいい言葉があれよあれよと浮き出てくる。もう駄目だった。コンビニをウロウロしながら、様々な感情が交錯する。そう言えば何買おうとしてたんだっけ、頭もなんだかまわらない。......でも、この前も何もなかったし、案外今回も大丈夫なんじゃ?
「164円になります」
あ、待てよ、細かいお金なかったかも。......あちゃー、さっき小銭使っちゃったからなあ。まあいいか、昨日お小遣いで5000円もらったとこだし。一葉さんが英世に化けるのは少々もったいない気持ちになるが仕方ない。
ところが、であった。すみません大きいので、きっと誰もがそう言うと思っただろう。しかし言えなかった、昨日確かに入れたはずの5000円が何故か消えていらっしゃる。盗られた? いやいや、そんなバカな。もしかしてあの金髪悪魔の言っていた代償ってコレなのか…...?
だとしたら世の中って、なんてーー
なんだ、もっと早く気づけば良かった。あいつの言う通り、何も気にしなくて良かったんじゃないか。自分の中に黒いものが入り込んでくるのを感じる。でも、それでもいいや、構わない。ちなみに164円は、たまたまポケットに残っていた小銭で何とかした。
その日から、一度溺れるともう止まらなかった。世界がひどく小さなもののように思えた。つまらないものだと感じた。自分が全知全能の神様になったような気分だった。ネットの世界を掌握するような、あるいは縄文時代の人間が銃を手にするようなそんな感覚。学年一位を保てるような学力も、学校のマドンナと呼ばれる先輩も、周囲からの熱い信頼も、その気になれば株だって、いわば富も地位も智力も彼女も、全部全部掌握できた。僕の人生が一気にヌルゲーと化した。
そんなある日のことだった。母から小遣いを貰ったので、しまおうと思って財布の口を開けた。お札を入れるポケットは二段になっているのだが、片付けが苦手な僕は実質片方がレシート入れと化している。何となく手持ち無沙汰だったので整理することにした。一つ一つ確認していくと懐かしい買い物履歴がどんどん出てくる。ブランド服に高級レストランにカフェに本にジャンクフードにお菓子、か。こうしてみるとあのランプの魔人に出会ってから色んなことがあったなあ。生活も随分と豪華なものに変わったことが、レシートによく表れている。とまあ少々感慨深い思いに浸っていたが、一枚つるつるではないものに指があたり、そこで気持ちが一変した。一抹の不安が頭をよぎる。
「......ごせん、えん?」
出てきたのは紛れもなく五千円札だった。普通なら嬉しいところだが、なんだか嫌な予感がする。背中に冷えピタが十枚くらい貼り付けられたような感覚。......確かこれってあの時失った五千円、あの時渡したと思っていた五千円ではないか。いやしかし、なぜ今こんなところにあるんだ?
お金じゃない......
じゃあ、なんだ......
「やっと気がついたみたいね」
突然、背後から凛とした声が僕を射抜いた。
「っ......」
反射的に振り返るといたのは小さな女の子だった、死装束に身長の倍はありそうな鎌を持った。
まさか
「あなたの寿命、あと三日よ」
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