十九話 崩落する日常


 ルティアがマリオンとヘレナとともに、病院での作業を終えて外にでたときだった。


「……レナさーん! ヘレナさーん!」


 ガベルの声だ。

 全員で顔を動かすと、神殿の方角からガベルが必死に走ってきていた。


「叔父さん……?」


 ルティアが叔父の様子に不安を抱いていると、マリオンがそっとすぐそばに寄り添ってくれた。

 彼女の体温に少し安堵するも、しかしそれを吹き飛ばす言葉がガベルの口から飛び出してきた。


「警備の者が戻ってきました。持ち帰った素材には例の、ヘルヴェグルの鐘から生み出された魔物の素材が多く混ざっていました」


 ルティア、マリオン、ヘレナは同時に息をむ。帝国が動いているということだ。

 ガベルはつづけて、「ハリオット様から伝言です」と口を動かしながら紙片しへんをヘレナに差し出した。


「新市街へ向かって、この紙に記載された編成指示をするように。あちらから神殿区画にも隊員を配置するようにとのことです。ぼくたちフィルダーレンも同意しました」


「すぐに向かいます」


 紙片を受け取ったヘレナが新市街へ駆け出す。その全身を魔力で強化した彼女の速度は、全力で走る馬とそう変わりはしない。

 あっという間にその背中が見えなくなったところで、「ルティア、マリオン」ガベルがこちらに顔を向ける。


「ふたりとも、神殿の中に避難してくれ。この区画のなかでも山脈に近くなってしまうが、建物がもっとも丈夫だし、そこを中心にして防衛線を整えている。新市街を含めた非戦闘員や子どももみんな避難させるよ」


 ルティアは脳内で想像する。

 うん、余裕をもって収容できそうだ。神殿としては小規模であっても、新市街の小さな役場と同程度の規模である神殿内は、天井の高い大広間があるだけだ。

 魔術で強化された重厚な石材によって、周囲を炎や魔術で包まれても、内部まで熱や毒なんかは届かない。唯一不安なのは入口なのだが、ルティアは金属の落とし戸でふさぐことができると知っている。


「さあ、はやく」


 ガベルに先導され、神殿へと向かうことにした。

 その途中、山へと向かう道のわきに広場がある。そこでは帰ってきた警備の職人たちとカーシュが声高に話しあっていた。職人のひとり、ヒューゴーがこちらに気が付き、「ガベルさん!」と手を挙げる。

 こちらに振り向いた叔父は、「ふたりは神殿へ」とひと言だけ指示してから彼らのもとへと向かう。

 ルティアは、ヒューゴーをはじめとした彼らが欠けることなく、無事に戻ってきてくれたことに胸をなでおろす。


「ルティア」と、マリオンに手を引かれた。「邪魔しちゃ悪いわ。神殿に向かうわよ」


 頷き返し、足を動かそうとしたとき、「お願いします」とガベルの声が耳に届く。ルティアはふたたび広場へ目を向けた。


「取り返しがつかなくなるまえに、イシドルス辺境伯へんきょうはくへの救援を要請してください」


「承知した」カーシュがそういって片手を挙げると、広場の奥で待機していたらしい職人が動く。

 彼の足元には、空に向けて地面に固定された筒が設置されていた。ルティアはそれが、大規模な信号弾を打ち上げるものだと思い出す。

 そして、大きな音を出すことも。


「マリオン、アレ大きい音が鳴るから、念のために耳をふさいで」と、ルティアが両手で耳を覆った。

 彼女が真似をしたと同時に、破裂音とともに空高く、青空であろうとも眩い真っ赤な閃光が打ちあがる。

 その直後、地面が揺れた。



 = = = = =  



 ルティアが物心ついたときからずっと、ずっと目にしてきた景色が、崩壊した。

 フィルダーレンとふもとを結ぶ街道が、崩れて流れる岩と土に呑み込まれていく。土砂崩れだ。この町から少しふもとへ下がったあたり、両側にある山の急斜面のうち、片方が轟音ごうおんとともに崩れ落ちたのだ。

 人為的なものであることは間違いない。魔道具によるものらしい爆発を目撃している。

 全員が無言となった。カーシュすらも口を開いて呆然とする、が。


「これがもしもそうなら、片側だけだと? ならば……コスロー、イオさん!」カーシュは崩落していない山の方面へ顔を向ける。彼からは察し、困惑、そして焦燥感しょうそうかんが伝わった。

 その反応にルティアだけでなく、ガベルや職人たちも眉をひそめるだけだが、マリオンは理解したようだ。


「ルティア! あの崩落はきっと、ふもとからこの町への救援を断ち、私たちの逃げ道をふさぐものよ。でも、完全にはふさがっていない」


 マリオンが指さした先では、その通り、崩落した急斜面は片側だけだ。街道そのものは呑み込まれてしまったが、しかし反対側の端からであれば、乗り越えることは難しくない。

 本当にふさぐつもりであれば、両側を崩落させる必要があった。そして、神殿でのコスローの言葉を思い出す。


 ──ちょっと急斜面の上に偵察しにいきたいです。


 マリオンの言うとおり竜の地による破壊工作であるならば、片側が無事であった理由はひとつしか考えられない。

 そして、何が起きたのかも。

 ルティアの顔から血の気が引いたとき、「……れか! だれかぁ!!」心の底から聞きたかった声が耳に届く。


「イオ!?」


 その場の全員が、崩落しなかった側の山から現れた人物に目を向ける。

 イオだ。大切な友人が帰ってきた。しかし、人を担いで必死に運んでいる。担がれた人は灰色の狼耳をしている。コスローだ。銀の鎧が半壊し、下の衣類は血まみれとなっている。なんとかイオの肩を借りつつ足を動かしてはいるものの、まもなく消える火種のように頼りない。


「病院へ連絡を! はやく!!」


 ガベルの指示のもと、ヒューゴーが弾かれたように走りだす。

 カーシュはすでに二人へと駆け寄り、イオからコスローの身体を預かりつつも、「イオさん、怪我は!?」と尋ねていた。

 たまらずルティアもイオのもとへと走りだす。隣にはマリオンもいっしょだ。


「あたしは平気! でも、でもコスローくんが、あたしを、やつらの攻撃からかばって……!」


 汗と涙でくしゃくしゃになった顔のイオが、必死に説明する。

 コスローはこの状況を予測していたらしい。もしも竜の地が、フィルダーレンという町の機能を放棄してでも狙うものがあるとすれば、ふもととの連絡を断ち切ることがもっとも有効打となる。

 その場合、この地形を迅速に閉ざすなら手は一つしかない。急斜面の崩落だ。


「見慣れない黒い鎧を着たやつらが、魔眼狩りと同じ紅いローブのやつらとあやしい魔道具を設置していたの! やつらが離れたスキにあたしが解体したけれど、気付かれて、あたしに放たれた魔術をコスローくんが……」


 イオが破壊工作を阻止し、コスローが彼女を守った。

 二人の状況を確認したカーシュは、「わかった。お手柄だぞ、イオさん。……よくやった、コスロー」引き受けたコスローの身体を肩に担いだ。

 近づいたことでルティアたちに気が付いたのか、コスローは浅い呼吸を必死に繰り返しながら、なんとかというように顔をあげて笑った。


「へっ……へへっ。先輩や、姐さんに、かっこわるいとこ、見られちゃったな……」


 言葉がでないルティアは、必死に首を左右に振る。大切な友達を守ってくれた隊員に、感謝と謝罪の念を抱く以外に、なにもない。

 マリオンも、「コスロー。今はとにかく治療を受けて!」と力強く訴えた。


「もちろん、お医者さんとこ行くよ。そのまえに……」コスローは血だらけの顔を、自身を担ぐカーシュに向ける。「隊長っ! 山じゃない! やつら、新市街のほうに本隊を集中させている! 山を崩落させたあと、町ではなく街道のほうへ降りるつもりだ! はやく、新市街のほうへ!」


 その言葉に反応したのはカーシュだけでなく、すぐそばにいた職人たちもであった。

 一人の職人が、「この勇者殿はわしが責任をもって病院へと運ぶ。隊長さん、あんたは早く向こうへ!」といって、コスローの身体を預かろうとする。さらにもう一人の職人が、いっしょに運ぶことを申し出た。

 カーシュは彼らに目配せして、「どうか、よろしく頼む」と頷いた。


「コスロー。この戦いが終わったら楽しみにしておけよ。たっぷりの休暇だ」


 もう一度だけ笑ったコスローが、そのまま全身から力を抜いた。

 ルティア、イオ、マリオンが声にならない悲鳴をあげると、「気絶しただけだ、安心しなさい」と、担ぎなおした職人がいった。


「こちらにヘレナが隊員を引き連れてくる。みなさん、このまま避難してくれ!」


 新市街のほうへ数歩だけ進んだあと、カーシュはルティアのほうへ振り返った。


「……必ず、護ってみせる」


 そう言っては新市街へと向かう銀の鎧を眺めながら、ルティアは思い出した。

 魔眼狩りに襲われ、気絶する直前に目にしたカーシュの口元。あのときも彼は、同じ言葉を発していたことを。



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