第30話 和解


 あやめが問いかけると、少し鼻をヒクつかせてから、猫は「にゃお」と鳴いた。

 おそらく、意味するところは肯定だ。


「えっと、私。あなたの息子さん……ルシャくんに依頼されて来ました」

「うな?」

「それで、ええっと、あなたは」

『ええい、まどろっこしいのう』


 ユキさんがするするとあやめの足元を抜けて、死にかけの猫のところにやってくる。

 光り輝くように真っ白い狐と、ボロ雑巾のような死にかけの猫。

 二匹の対比は、あまりにも残酷だ。


『……長く生きるのもよいことばかりではないが、おぬしにも資格はあろう』


 ユキさんの鼻先が、ルシャの母猫に触れる。

 弱々しく荒かった息が、深くなる。


「え、ユキさん。今何をしたの?」

『少し霊力を分けた。わらわも衰えておるから、ほんのわずがだが……猫又になりかけのモノには、これで十分じゃろうて』


 そんなことができたのか。

 さすがは、元神様だ。


「よし、ここから先は僕に任せてくれるかな……ご婦人、失礼いたしますよっと」


 龍彦が被っていた帽子をとって、母猫を抱き上げてその帽子の中に入れた。即興のゆりかごだ。


「このままカクリヨに連れていこう」

「でも、まだ猫又になってないんじゃ……」

「ええっと。ルシャくんが給食を食べさせていたって話していただろう……たぶん、このご婦人は、すでに半分は妖だ。カクリヨのモノになっている」

「そ、そうなんですか!?」

『なんじゃ。気がついていなかったのかえ』

「……恥ずかしながら」


 東條家に伝わる術は、とにかくアヤカシを祓うことだけに特化した技術だ。

 カクリヨの存在も、そこに暮らしている妖と、凶悪化した『妖魔』の違いも少し前までわかっていなかった。


「それにしも、ここがあやめ君の部屋か……」


 龍彦が興味津々なのを隠そうとして、むしろやや挙動不審になっている。

 干していた洗濯物……主に下着類は一応、洗濯機の中に押し込んで隠している。それ以外に、やましいものがあるわけではないが、ちょっと居心地が悪い。


「あまりジロジロ見ないでください」

「ごめん。その、こざっぱりしていて、いいなぁと……」

「龍彦さんの事務所に比べたら、どこだって小綺麗です」

「うっ」

『……こざっぱりというか、殺風景じゃろうて』


 はぁ、とユキさんがため息をつく。

 元々は屋敷神だったユキさんとしては、あやめの部屋は『家』と認めるのも嫌なレベルらしい。


「それは、ユキさんの前のお家と比べたら、狭いですから……」

『心根の問題であろ。花のひとつ、置物のひとつもないのは、おのれへの折檻じゃ』


 自分おのれへの、折檻。

 ユキさんから飛び出した言葉に、あやめはちょっと驚いてしまった。


(でも、そうね……自分のために、部屋を飾ろうだなんて。思ったこともなかった)


 この世界の脇役である自分には、花も人形も必要ないと思っていた。

 少々ご機嫌斜めのユキさんに連れられて表に出る。


『さて。丑三つ時でも逢魔時でもないが、うまく開くかどうか……』

 

 人気の少ない裏通りに、ユキさんが青鳥居を建てる。

 しかし、普段よりも青い光が弱々しい気がする。


『これは……少々、荒っぽい移動になるやもしれぬの』


 ユキさんの言葉を聞いた龍彦が、ルシャの母猫を抱えているのとは逆の手をあやめに差し伸べる。


「さあ、帰ろ……あ」

「なんです?」

「いや、ごめん。きみは、こっちに残ってていいのか。本来は勤務時間外だ」


 そういえば、そうだ。

 別にカクリヨに一緒に戻ってもいいのだけれど、たしかに、かなり眠たい。ずいぶん長いこと起きっぱなしだ。


「ええっと……」

『不安定な鳥居は潜らん方がよかろ。今から寝るのがよい。あやめや、徹夜は肌に悪いぞえ』

「そうね、うん」


 龍彦についていこうか迷っていると、ユキさん至極真っ当なことを言った。

 少し残念な顔をした龍彦が、ぽつりと呟いた。

 

「……感慨深いよ、親子を再会させてあげられるなんて」

「感慨深い、ですか」


 鳥居を潜りかけた龍彦が、あやめを振り返る。

 

「うん。僕もね、昔、母とはぐれてしまったから」 

「え」


 それって、どういう意味ですか。

 ――龍彦にそれを問おうとした瞬間に、龍彦は青鳥居とともにカクリヨに渡ってしまった。



「……これで、よし」


 しょぼしょぼする目を擦って、あやめは認めた手紙に血判を押す。これだけは、すぐにやっておきたかった。

 久々に感じる、親指の皮膚を破るときの、鈍痛。

 書簡の内容は、「東條家の次期当主である『あやめ』の名を、妹であるイズレに譲る」という念書だ。

 念入りに封をして、玄関の外に呼びかける。


「イズレ、お待たせ」


 ややあって、呼び鈴が鳴らされた。

 イズレだった。


「……念書、確かに預かった」

「本当は、里を出る前に書き置きするべきだった」


 ごめん、と頭を下げる。

 この世に存在する、人の世の理には囚われない『隣人』を祓う家業――あやめは、その家業をよいものであるとは思えない。

 けれど、東條の家はイズレにとって、たったひとつの居場所だ。頭から否定することはできないし、するべきではない。


「それにしても、変だね。次に会うときには、イズレがあやめで……私は、どうなるんだろうね」

「……」


 自分の名前が失われるというのは、妙な気分だ。

 もう里に戻ることもないから、普段は「あやめ」の名を使い続けるだろうが。


「……あやめの名は、役職みたいなものです。姉さんは、これからも姉さんですよ」

「もしかして、慰めてくれてる?」

「いえ。事実を言っただけです。もう、姉さんは部外者なので」


 イズレの言い草に、思わず笑ってしまった。

 なんとなく別れがたくて、玄関先で二言、三言、ゆっくりと言葉を交わす。


「ああ、姉さん。ところで……狼のアヤカシに覚えはありませんか」

「狼? 私はわからないけど」

「そう。例の猫又の件、見鬼会の連中を誤魔化そうとしたときに……急に、狼のアヤカシが現れたの」

「……祓った、の」

「いえ」


 イズレが困惑した表情でかぶりをふる。


「東條の分家筋と、この私を相手に大立ち回りをして……私が一人で追跡をしているときに、急に消えたんです」

「消えた?」

「ええ。『鏡』を使って、霊気を追っていたのに……忽然と、気配が消えたの。姉さんが言っていた、カクリヨとやらへの渡りをしたみたいにね」

「んん……?」


 イズレが、きまりがわるそうに続ける。


「見鬼会は、狼のアヤカシの霊気が消えたのをもって、私が祓魔を成功させたとみなしたわ。正直、猫又のことなんて、すっかり忘れてる……でも、釈然としないのよ」


 色々と考えを巡らせているイズレを見て、思い出す。

 昔から、生真面目な妹だった。

 何かにつけて自信がない自分とは違って、負けん気の強い子で……それでいて、優しい子だった。

 カクリヨのことを信じてくれているのならば、いつか、東條の家業のあり方を変えてくれるかもしれない。

 

「ええっと。もし見かけたら、連絡したほうがいい?」

「どうやって?」

「え。んーっと……」


 そうだ。どうやって連絡をつければいいのか。

 今はたまたま、里からイズレが出て来ているから、こうやってコンタクトがとれるけれど……あの山奥まで、さすがにあやめの声は届かない。まさか、やりとりのために東條家の祓魔具を使うわけにもいかない。

 

「……スマホくらい持ってないの。姉さん」

「え、持ってる、けど」

「そう。じゃあ……はい、これ。QRコード。さっさと読んで」

「っ! え、イズレ、スマホ持ってるの!?」

「当然でしょ。姉さんが里から逃げ出したときに、里のみんなを説得したの。GPSの位置情報とかあるし」

「つ、追跡用……?」

「あ、私のこれは、GPS切ってあるわ」


 強かな妹である。

 もたつくあやめのスマホを操作して、あっというまにメッセージアプリのアカウントを登録してくれる。

 

「祓魔師の里の生まれだからって、世間知らずじゃ苦労するからね。これからの時代、コレがないと依頼もとれやしないので」

「そ、そうね」

「あ、でもこれは情報提供用ですから。気安く連絡してきたりしないでくださいよ、姉さん」


 誇らしげにしていたかと思えば、急につんけんした態度になる。

 まだ若い妹が見せる年相応のあどけなさに、少しホッとした。


(……それにしても、狼の妖って……? 話を聞く限り、正気を失った妖魔ってわけでもなさそうだし……)

 

 魚の小骨が喉にひっかかったような心持ちのまま、イズレを見送る。

 シャワーを浴びて、寝巻きを着ると、どっと疲れが出てきた。

 洗濯物を詰め込んである洗濯機は、洗剤と漂白剤を入れてタイマー設定をしてある。

 少しお腹が空いたけれど、今はとにかく眠たかった。

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