鉄子の覚醒
数週間後。アズマ連合島国の辺境にある、創一郎が密かに用意した極秘の医療施設。
部屋は、医療機器の規則的な電子音と、消毒液の冷たい匂いに満ちていた。 イデアは、そこで人類の技術の到達点ともいうべき**「移植」手術を受けていた。 彼女の脳は、ナノマシン技術によって完全にデジタル化され、データとしてコンピュータに移動された。そして、そのデータを、創一郎が開発した戦闘特化型**の義体――ナノカーボン合金製のボディに移植する。手術は数日に及び、彼女の精神は、肉体と電子の狭間で永遠にも感じられる苦痛を彷徨った。
『脳データ転送、98%……99%……完了』 ヴァルの声が、部屋全体に響き渡る。その声には、安堵と達成感が混じっていた。
ベッドから、一人の女性が起き上がった。 その容姿は、イデア・サカキの全盛期――30代半ばの、理知的で美しい姿を保っている。しかし、その瞳には、血の通った人間にはない、硬質な光が宿っていた。皮膚の質感は、極めてリアルなナノスキンで擬態されているが、その下には、鉄よりも硬い、チタン合金が組み込まれている。手のひらや関節の動きには、微かな駆動音が伴う。
彼女は、立ち上がると、無意識に右拳を握りしめた。 ゴリッ、ギュン、という、骨と金属が擦れ合うような、冷たい音がした。その拳は、鋼鉄のように硬く、重い。 「これが……私の新しい、身体」
創一郎が、彼女の前に歩み出た。 「あなたは、もうイデア・サカキではありません。イデア大統領は、この施設での事故死として処理されます。……あなたは、過去の罪を背負う**「鉄」**となり、未来の希望を守るのです」
「私の名前は……」
「鉄子(テツコ)。私がつけました。頑丈で、情に流されない、あなたの新しい役割の名前です」
鉄子は、自分の名前を繰り返した。その音は、以前の柔らかな声よりも数段低く、静的だった。 「鉄子……そうか。私は、死を許されない、鋼の罪人」
創一郎は、端末から座標リストを転送した。 「ここに、5人の子供たちの座標データがあります。彼らは今、地球の各地で孤児として暮らしています。彼らの体内のナノマシンはロックされ、眠ったままです」 「あなたの使命は、彼らを一つに集め、ドローンを素手で倒せるレベルまで鍛え上げることです。彼らは、いつか来るべき戦いに備えなければならない」
「しかし、私の教えることは、暴力と戦闘のみになる」
「それでいい」 創一郎は、決然と言い放った。 「彼らの心(ソウル)は、明日香(ヴァル)が守った。体(フィジカル)は、あなたが守り、鍛え上げるのです。彼らにとって、あなたの訓練は厳しすぎるでしょう。しかし、それが彼らを生き延びさせる唯一の論理です」
鉄子は、深く頷いた。その動作には、かつてのイデアの微細な感情の揺らぎは消え、絶対的な命令遂行能力が宿っていた。
『計画を承認します』ヴァルの声が響く。『私は、世界のネットワークの海で、賢治とガイストの動きを監視します。創一郎は、NMCの力を引き出すための**「鍵」**の研究を継続します。鉄子、あなたには、最も困難で、感謝されない使命が委ねられました。鉄子ネットは広大だわ』
鉄子は、窓の外の灰色の空を見つめた。彼女の新しい瞳は、その灰色の空を、データ上の**「克服すべき環境」**として分析している。 「構わない。私は、この罪の重さを知っている。償いの道が、どれほど苦痛で、どれほど嫌われる道であっても、私はこの身体でそれをやり遂げます」 彼女の拳は、固く握られた。鉄骨のように硬い。
創一郎は、鉄子に別れを告げた。 「時が来たら、必ず迎えに行く。それまで、どうか生きていてくれ」
イデア・サカキは、元の体を事故死に見せかけ、この世から姿を消した。 そして、鉄子という名の鋼の罪人は、容姿は30代半ばの美しい女性のまま、辺境の地で孤児院を建て、子供たちの成長を鋼の拳骨と冷たい論理で厳しく見守る日々を始めるのだった。彼女の訓練は容赦がなく、子供たちは彼女の拳骨を「鉄より硬い」と恐れ、その厳しい指導の裏で、その罪の重さを一身に受け止め、贖罪を続ける。
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