雷源核の鼓動

重厚な防爆扉が、油圧シリンダーの低い唸り声を上げて左右にスライドした。  プシュゥゥゥ……。  圧縮空気が解放される音と共に、創一郎の頬を撫でたのは、地下の淀んだ空気とは対照的な、無臭で、かつ電気的な刺激を帯びた清浄な風だった。

 「……これは」

 雷神 創一郎は、眩しさに目を細めた。  目の前に広がっていたのは、テニスコートが二面ほど入りそうな広大な円形ドームだった。壁面は純白のセラミック素材で覆われ、天井からは無影灯の柔らかな光が降り注いでいる。  そこは、灰色の瓦礫と錆に覆われた地上のプラントとは完全に隔絶された、神聖な神殿のような空間だった。

 そして、その中央。  部屋の空気を支配するように鎮座する巨大な装置に、創一郎の視線は釘付けになった。

 直径5メートルほどの円筒形のガラス槽。その内部は特殊な培養液で満たされ、中心に**「それ」**が浮遊していた。  雷源核(ライゲンカク)。  それは機械のようであり、生物の臓器のようでもあった。  黄金色に輝く無数のナノマシンが、銀河の渦のように回転し、収縮と膨張を繰り返している。  ドクン、ドクン……。  物理的な音ではない。空間そのものを振動させるような重低音が、創一郎の心臓のリズムと共鳴するように響いてくる。

 「美しい……」  創一郎は、無意識に呟いていた。  父・雷神創一が作ったものは、常に冷徹で機能的で、無駄のないデザインだった。だが、目の前の光の塊には、父の作品にはない**「熱」**があった。見る者の魂を揺さぶるような、根源的なエネルギーの奔流。

 「この核は、精神抑制回路**『Gemini(ジェミニ)』**によって制御されています」  星野 明日香が、創一郎の横に並び、ガラス槽を見上げながら静かに語り始めた。彼女の瞳には、雷源核の光が反射し、揺らめいている。  「お父様は、人類の悪意を恐れていました。だから、感情を抑制し、論理だけで動く完璧なシステムを作ろうとした。……Geminiは、そのための檻です」

 明日香は、そっとガラスに掌を押し当てた。  すると、黄金色の渦の一部が、彼女の手に引き寄せられるように色を変えた。淡いピンク、深い青、燃えるような赤。  「でも、檻の中が空っぽでは意味がない。だから、私はそこに忍び込ませました。お父様が『ノイズ』として切り捨てたデータを」

 「ノイズ……?」

 「『痛み』です。誰かを傷つけた時の胸の痛み。大切な人を失った時の悲しみ。そして……誰かを守りたいと願う、非合理な『愛』」  明日香の声が震えた。  「論理的には不要なものばかりです。でも、それこそが、人が人であるための核(コア)。お父様は世界を凍らせましたが、同時に、いつか氷を溶かすための種火も、無意識のうちに残していたのです」

 創一郎は、胸のポケットから父のIDカードを取り出した。  プラスチックのカードが、今は鉛のように重く感じる。  父は、この場所を「廃棄物処理施設」と呼んで隠した。自分の研究の集大成を、ゴミの山の下に埋めた。それは、イデア大統領やガイストから守るためだったのか、それとも、自分自身がこの「感情の塊」と向き合うことを恐れたからなのか。

 「創一郎さん」  明日香が振り返った。逆光の中で、彼女の表情は聖女のように見えたが、その言葉は冷徹な現実を突きつけていた。  「この核は、今は眠りについています(スリープモード)。再起動させるには、**『トリガー』**が必要です。高度な生体認証と、特定の遺伝子コードによる承認が」

 「……僕の、遺伝子か」

 「はい。雷神創一の論理(コード)を受け継ぎ、かつ、人間としての情動(パッション)を持った血族。……あなただけが、この鍵を開けることができます」

 創一郎は、メインコンソールの前に歩み出た。  黒曜石のように磨き上げられたパネルに、自分の顔が映っている。  疲れた顔だ。目の下には隈があり、頬はこけている。父に似てきたと言われるその顔を、創一郎はずっと嫌悪していた。冷たい仮面のような顔だと。  だが今、鏡像の中の自分は、微かに笑っているように見えた。あるいは、泣いているようにも。

 『Authentication Required.(認証が必要です)』  『Please input Genetic Key.(遺伝子キーを入力してください)』

 無機質な電子音声が、静寂を破る。  創一郎は、右手を震わせながらパネルの上に掲げた。  これを起動すれば、もう戻れない。  アズマのタワーでの安全な生活、社長という地位、そして「加害者側」としての安寧な日々。それらすべてを捨て、世界中を敵に回すことになる。

 「……怖くないと言えば、嘘になる」  創一郎は独白した。指先が冷たい。  「僕は父さんじゃない。天才でもないし、英雄でもない。ただの、逃げ続けてきた臆病な息子だ」

 脳裏に、今日の出来事がフラッシュバックする。  灰色の樹海。意志を奪われた老人の虚ろな目。ドローンに殺された少年兵の最期の叫び。  『返せよ……! 父さんと母さんの心を、返せよぉッ!』

 創一郎は、奥歯を噛み締めた。  「でも、だからこそ……僕がやらなきゃいけないんだ。父さんが奪ったものを、世界に返す。それが、僕の贖罪であり、雷神の名を継ぐ者の責任だ」

 彼は、迷いを断ち切るように、右手をパネルに叩きつけた。

 バチッ!  掌から、針で刺されたような痛みが走る。DNA採取用のマイクロニードルだ。  血液が吸い上げられ、解析されるまでの数秒間が、永遠のように感じられた。

 ピ、ピ、ピ……  『Analyzing... 98%... 99%...』  『Match Confirmed. Identity: SOICHIRO RAIJIN.(一致を確認。識別名:雷神創一郎)』  『Welcome back, Administrator.(おかえりなさい、管理者)』

 父が生前吹き込んだと思われる、隠し音声メッセージが再生された。  『……創一郎。お前がこれを聞いているということは、私はもういないのだろう。そして、世界は私が望んだ通り、灰色に沈んでいるはずだ』  スピーカーから流れる父の声は、記憶にあるよりもずっと老いて、そして疲れているように聞こえた。  『私は論理を選んだ。だが、論理だけでは救えないものがあることも知っていた。……頼む。私の過ちを、私の夢を、お前の手で』

 メッセージはそこで途切れた。  直後、ズゥゥゥン……という地響きと共に、雷源核が激しく明滅を始めた。  黄金色の光が、赤、青、黄、桃、緑の五色に分光し、虹のような奔流となってドーム内を駆け巡る。  大気が帯電し、創一郎の髪が逆立つ。肌にピリピリとしたエネルギーの余波を感じる。

 「起動した……!」  明日香が叫んだ。モニターの数値が跳ね上がる。  「エネルギー充填率、120%突破! ナノマシン・コロニーが活性化しています。……これが、**『希望』**の産声!」

 それは、凍りついた世界に落とされた、最初の熱い雷だった。  地下施設全体が共鳴し、その振動は大地を伝わって、灰色の樹海をも震わせた。


 同時刻。地球の裏側。  アズマ連合島国・中央府オウカの大統領府。  壁一面を埋め尽くす監視モニターの一つが、警告色である深紅に染まった。

 イデア・サカキは、執務机で書類にサインをしていた手を止めた。  彼女の執務室は、完璧に温度管理され、雑音一つない。だが今、その静寂を破るように、一本のホットラインが鳴り響いた。

 『――緊急報告。セクター4にて、規定外の高エネルギー反応(ハイ・エネルギー・シグナル)を検知』  スピーカーから流れるオペレーターの声は、焦燥に満ちていた。  『波形パターン、照合……コード・ジェネシス! 雷神創一のロスト・テクノロジーと一致します!』

 イデアは、ゆっくりと顔を上げた。  その美貌は、年を重ねても衰えていないが、表情筋が凍りついたように動かない。彼女の背後の空間に、ホログラムの影――ガイストの幹部たちが揺らめいて現れた。

 『動いたか。創一の息子が』  『愚かな。封印されたパンドラの箱を、自ら開けるとは』  影たちが囁き合う。

 イデアは、冷めた紅茶を一口含み、そして静かにカップを置いた。  カチャリ、という硬質な音が、死刑判決のハンマーのように響く。

 「見つけたわ。創一が隠していた玩具を。……そして、それを起動させた愚か者を」  彼女の瞳に、サディスティックな光が宿る。それは、秩序を乱す者を排除する際にのみ現れる、支配者の悦楽だった。

 「雷神創一郎。あなたは、父と同じ過ちを犯そうとしている。感情という毒に侵され、世界を再び混沌へ戻そうとしているのね」

 彼女は、赤い受話器を取り上げた。その先は、軌道上の軍事衛星と、南米方面軍の司令部へ直結している。

 「全軍に通達。セクター4を包囲しなさい。……いいえ、捕縛は不要よ」  イデアは、唇の端を吊り上げて微笑んだ。  「**焦土作戦(スコーチド・アース)**を許可する。施設ごと、反逆者・雷神創一郎を蒸発させなさい。灰の一つも残してはダメよ」

 指令が飛ぶ。  静止衛星軌道上から、複数の攻撃衛星がその砲口を南米大陸へと向けた。  そして、地上の基地からは、漆黒の塗装を施された無人殺戮兵器群**『ハデス』**が、雪崩のように出撃を開始した。

 創一郎が灯した希望の光を、圧倒的な闇で押しつぶすために。  世界への反逆は、今、始まったばかりだった。

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