極悪人への罰として攻略不可難度の異世界にハンデ付きで転生させられたが、実は超善人だと分かって慌てて迎えに来た女神への嫌がらせが楽しいのでこのまま攻略続けてみる

五代健治

第1話 勝負狂いと女神

 なにもかも、白い。


 目の前の風景を大きく占め、どこまでも続く山々。


 それらを白く染め上げ、今もなお降り積もる雪。


 雲か、雲間から覗く空かも判別がつかないほど、白く染められた空。


 雪のカーテン越しに、全てが白く霞みぼやける中で、唯一鮮明に見える身近な距離でも、口から洩れる吐息が、白く煙って見える。


 全てが、白い世界だった。目に見える世界だけでなく、心の中も。


「いい終着駅だ」


 観光用の登山道からは外れ、森林を気の向くまま進み続けた。開けた斜面に出た時に見つけた、手ごろな岩に腰を下ろす。


 雪のカーテンで白く煙る向こうに、うっすらと輪郭が浮かぶ。雄大な自然を携えた山とわかるそれらが連なる風景は、一言で言えば絶景だった。


 この白さは、一体世界でどれだけの人間が見て、感じたことがあるのだろうか。


 ましてや、自分が今腰を下ろしているこの岩の上で、この雄大な風景を雪の降り積もる中眺めた者は、存在したことがあるのだろうか。


 それを想うと、心の中は晴れやかになった。次第に、今眺めている風景の様に、白く穏やかな、不安といった感情からは最果てに位置する心地になった。


「充分だ」


 雪に音を吸われ、想像以上に小さく響いた自分の声。

 もしかしたらこれが自分の、十七年の人生最後の言葉になるかもしれない。


 生まれつき、寿命が短い病だった。寿命は、常人の三~四分の一程度と医者からは言われていた。


 そしてその言葉の通り、齢十六歳にしてこの体を『老い』が生じ始めた。


 髪はところどころ白く染まり、目と耳は利かなくなり、ここに来るまでの十分か十五分程度の道のりだけで、体の節々が痛んだ。


 普通なら、こんなところでのんびりしている場合ではないのだろう。入院でもして、延命治療でも受けるのが常識だ。


 医者が言うには、治療を受ければ二十代半ばまでは生きられるそうだ。


 だがそれを聞いた時、冗談ではないと思った。


 体中にチューブをつなぎ、一日中ベッドに横たわり、呼吸で胸を上下させるだけの生活。


 そんなもの、それこそ死んでも願い下げだ。


 生きることは、進むことだ。自分の頭で考えた空想を、自分の行動で現実にすることだ。


 息をするだけの肉塊に成り下がることは、生きる事の対極に位置する。


 だから、自分の力で生きることが叶わなくなった時は、自分で命を断とうと決めていた。


 都会を離れ、どの方角を見ても山が見えるような田舎にやってきたのは、その為だ。


 どうせ死ぬなら、汚れた路地裏ではなく、雄大な自然のど真ん中にでも横たわって死にたかった。そしてその選択は、大当たりだった。


 穏やかな、だがどこか心躍る気分だ。


 息を深く吸えば、肺に痛みすら与えるこの冷たい空気も、今は好ましい。眠りに落ちる寸前にも似た、心地よい微睡みをもたらし、いつの間にか自分を終わらせてくれる。この上なく優しい味方だ。


「これでいい」


 決して、褒められた人生ではなかった。身よりもない、味方が誰一人いない中で生きる為に、法に触れることなど数えきれないほどしてきた。


 最もしてきたのが賭博、ギャンブルだ。ギャンブルに次ぐギャンブル、勝負に次ぐ勝負。そのほぼすべてに勝ってきた。


 生きる為に追い詰められる中で生じたのか、はたまた生来眠っていた才能が目覚めたのか。今となってはどちらだったのか知る由もないが、この勝負強さだけで、自分は生きてきた。


 負かした人間が全てを失い破滅することなどザラだし、命を落とすことも数えるのが億劫なくらいあった。それらを承知の上で、勝つことしか考えられなかった、狂人の人生だ。


 だが、誇れる人生ではあった。


 この世に生を受けた、全ての人間が等しく持っている、人生の至上命題とは何か。


 死を目の前にすると、ついついその手のことを考えてしまう。


 しかしそんなもの、考えるまでもない。


 自分の心を、満足させることだ。


 自分が生きているのは、自分の人生だ。世界は、自分が生きる舞台であり、そこに登場する自分以外の命は、ただの舞台装置だ。


 この世で最も優先するべきは自分で、世界は自分を満たす為の、『それ以外』の一言で済まされる踏み台に過ぎない。


 その考えに立ったなら、自分の人生は、充分に満たされたものだった。


 最初は必要に迫られ、是非もなく始めるしかなかった賭博も、数を重ねるうちに「自分の技量・才能を十全に発揮した果てに在る、この世で自分しか得られないもの」という、自らを最も満たすもの気付かせてくれた。


 すなわち、自分の力を発揮しきった上での『勝利』だ。


 勝利が欲しくて、勝ちに勝ちを重ね、勝ち続けてきた。


 代わりに世間一般で言うところの、自分の死に涙を流してくれるような、人とのつながりとやらは皆無であったが、微塵も構わない。


 自分は、自分を満たし続けてきたのだ。そして最期に、こうも心地よく美しい場所で、苦痛とは無縁の終わりを迎えられる。


 岩から降りて横にずれ、新雪の積もった上に仰向けで横たわる。


 灰色の空から、大粒の雪が降り続ける。この最期の光景を、ろくに見えなくなった目に焼き付ける。


「充分過ぎる」


 瞼を閉じた。


 そして、自分でも知らないうちに、自分という存在は終わりを迎えた。





 ずっと真っ暗で、音も光も何もない。思考も時も、自分の存在すら感じられない。すべてが無という感覚に満たされていた。


 だが不意に


「っ…………!?」


 不意に、真っ暗だった無音の劇場に、鮮烈な映像が爆音と共に映し出されたように、無が消し飛ばされた。


 静寂を破り、この体に再び自分という意識が与えられる。


「ようこそ、死後の世界へ。天崎望夢(あまさき

 のぞむ)さん。貴方は天寿を全うし…………あれ?」


 同時に聞こえてきたのは、途中までは凛としていた女性の声だった。


 目を開くと、椅子に腰かけ、小机の上に置かれた書類とにらめっこをして妙な表情を浮かべている女がいた。


 奇妙な女だった。初見の印象は、美人ではあるものの、美「人」という表現をしたくない、という矛盾したものだった。


 見る者の目に優しい、柔らかな薄紫色の髪の毛。汚れ一つない、金糸による見事な刺繍の入った白いローブから覗く、これまた汚れ一つない長い手足。


 薄紫の色の髪の人種など一度も会ったことがないが、まるでそれが本来の髪の色であるかのように、その見た目は自然体であった。


 初めて異なる肌色の人種に会うと外見で年齢を判断できないように、目の前の女の年齢も、望夢には判断が付かなかった。


 自分と同程度の十代後半にも見える。だが同時に、そもそも年齢という概念が存在しないと言われても納得できそうだった。


 人に似ているだけで、人ではない存在。そう言われても、望夢は納得しただろう。


「あっ……こほん、失礼しました」


 女は無言のまま向けられる望夢の視線に気づいたのか、慌てて佇まいを直す。


「改めまして、ようこそ。天崎さん。ここは死後の世界です。私は女神の一柱、カルトナ。死者の、死後の案内を務めています。あなたはこの度、天寿を全うしここに来ました……はずなのですけど」


 カルトナと名乗った女は、また書類に目を落とし、その文面と望夢の姿を見比べた。


「天崎さん、ずいぶんお若い魂をお持ちだったんですね?

 普通、魂の形というのは、肉体の変化に引っ張られて一緒に老化するので、老人が亡くなれば魂も老人の姿なはずなのですが…………」


 その言葉を聞いて、望夢は自分の肉体を見下ろす。


 中肉中背の、十七歳の男子の体形。顔の左半分を隠すように伸ばされた前髪を除けば、特筆するようなこともない外見。


 服装は、望夢が死んだ時に着ていた、部屋着代わりの軽装のままだ。


 だが驚くべきことに、死の数日前には辛いほどに感じていた『老い』による影響が、一切なくなっていた。


 視界に映る前髪は真っ黒だし、視界は鮮明だ。肘膝の痛みは皆無だし、何ならここまでまっすぐ背筋を伸ばして座ったのは一年以上前だ。


「死亡年齢は書いていないのか?」


 試しに声を出してみる。すると自然に口から音が紡がれ、耳でその響きを鮮明に拾うことが出来た。


「え? え~と……え!? 17歳!? 71歳じゃなくて!?」

「…………ウェルナー症候群」

「え? 何ですか、それ?」


 その無知丸出しな返答によって、目の前の女が女神だと名乗ったことに奇妙な納得感を覚えながら、望夢は小さく答えた。


「……寿命が短い病気だ」

「あ、そうそう、それそれ。あはは。もちろん知っていますよぉ? あは、あはは…………」


 まるで意味を成さない取り繕い笑いをするカルトナに、望夢は一切表情を変えない。目つきだけ、蔑む相手を見る時のそれになっていたが。


(死後の世界……ね)


 望夢は、目の前の自称女神が宣った言葉について考え始めた。


 正直なところ、望夢はその言葉を信じていた。まだ頭の中は幾分かぼやけているが、記憶をたどれば簡単に自分が死んだ時の記憶を思い出せた。


 誰もいない大自然の中。視界一杯に広がる一面の山々を眺めながら、それらを白く染め上げる雪に包まれるという静かなものだった。


 その後は、寒さや暑さはおろか、自他という概念すら存在しない、無としか表現しようのない世界をずっと揺蕩っていた。


 そして今、この女神の声に呼び覚まされた感覚があった。


 望夢は試しに、自分の手首や左胸に手を当ててみた。脈動は感じられない。大きく呼吸をしてみる。口の前にかざした手には、呼気も吸気も感じられなかった。


 なるほど、魂の姿というのも本当らしい。物理的な現象は起こせないのだろう。


 一方、カルトナの方は痛々しい沈黙に耐えられなくなったのか、強引に話を進める。


「で、では天崎さん。残念ですが、あなたは我々神から悪人、という認定を受けています。この後あなたが行く先は、基本的には地獄です」

「だろうな」


 望夢は反射的にそう返した。生前の自分の所業を考えれば、実に妥当な判断だろう。


「驚かないんですね?」

「自分が天国に行く死後を、想像できたことがないんでな」

「そ、そうですか」


 奇妙なものを見るような目で、カルトナは望夢を見た。ここまで動じない死者は珍しい。


「では概略ではありますが、なぜ我々があなたを悪人であると判断したのか。あなたの所業と共に、説明します」


 望夢は返事をよこさず、辺りを見回していた。


 不思議な空間だった。その暗さと静かな雰囲気は、子供の頃一度だけ行ったことのある、プラネタリウムに似ている。


 この空間の果ては見えず、直方体か、ドーム状の空間に自分がいるのかもわからなかった。


 しかし、光源がこの空間のどこにあるのかが分からないのに、不思議と自分の姿やカルトナの姿は鮮明に視認できる。


 今度は体に意識を向けてみると、意外にも生きているという感覚は薄い。暑くも寒くもないこの感覚は、死んだ後、先程ここに呼び出されるまでの感覚に似ている。これもまた、魂だけの状態である故なのだろう。


「あ、あの、聞いてます?」

「聞いているから、勝手にやってくれ」

「…………天崎さん。これは死後の運命を決める、重要な裁定の場でもあり、私にも裁量権が与えられています。あまり失礼な態度をとることは、お勧めしません」

「ふむ。失礼というなら…………」


 望夢は全く狼狽える気配もなく、一度言葉を区切ると、


「死後の進路というそれなりに重要そうな場面を迎える前に、裁定を下す相手の情報も把握しておらず、人の死因を知らなかったことを笑ってごまかしたりと、他者の用意した資料だけ頼りに行き当たりばったりな仕事をする相手に払う礼ってあるのか?」


 一息にカルトナの無礼・不誠実な点を列挙した。


 一切抑揚のない、平坦な声で淡々と語られるせいで、カルトナの胸にそれらの指摘が余計深く突き刺さる。


「っ…………そ、そうですね、それに関しては、私の方が失礼でした」


 一瞬カルトナの口端がヒク付くが、すぐに冷静さを取り戻し、咳ばらいを一つ挟んで手元の書類を読み始める。


「まずは最初の大きな悪行からです。8歳の時に、日本の反社会的勢力、いわゆるヤクザ同士の賭博行為の代打ちを務め勝利……は、8歳ぃ!?」

「うるさい」


 カルトナの上げた素っ頓狂な声に、望夢が耳を塞ぐ。音を発するものが他にない空間なので、互いの声が大きく響く。


「は、8歳でヤクザの代打ちって、あなた何してんですか!?」

「何歳だったらいいんだよ」

「い、いや、そりゃ何歳でもやったらだめですけど、は、8歳って…………」


 代打ちというのは、博打の勝負で雇い主の代わりに戦う、雇われ勝負師のことだ。


 望夢を代打ちとして雇った側は、望夢が勝負に勝てば対戦相手から賭け金を得ることが出来る。逆に負ければ、対戦相手に賭け金を支払わなければならない。


 もちろん、ヤクザ同士の非合法な博打ともなれば、数百から数千万円の金額が賭けられることも珍しくない。


 望夢は勝利すれば賭け金の何割かを報酬としてもらえるが、負けた場合は「ごめんなさい」と謝って済むはずもなく、指や、金額によっては命で責任を取ることになる。


「で、続きは?」

「え?

 えっと、次が同じく8歳。売りに出された都内一等地、約30億円の土地の権利を賭けた勝負で代打ちを務め勝利。その報酬として権利の一割、現金3億円を得る。もちろん納税などしていない…………アンタ本当に何してんの!!??」

「今自分で読んだだろ」


 カルトナは資料を読み進めるうちに表情が驚愕に染まっていくが、望夢の方は迷惑そうに目を細め、耳を塞ぐばかりである。


「はえぁ~~~…………」


 カルトナは唖然とした声をあげて、もう何も言えないようだった。


「で、そういうのが後10年近く続くわけだが、1件1件聞かなきゃならんのか?」

「い、一応あなたがこちらの裁定や判断に対して、異議の申し立てや、そうするに至ったわけを釈明する場でもあるので…………」

「事実と違っていたら言う。続けてくれ」

「は、はぁ…………」


 その後もカルトナが、望夢の生前の悪行を述べていく。


 9歳:間借りしていたヤクザの組の勢力圏で詐欺行為を働いていた連中を、ヤクザ達が捕らえて賭博の席に無理やり着かせる。その代打ちを務め、詐欺師達がこれまでに稼いだ金額+自分達全員の臓器を売ってやっと賄える金額をせしめる。報酬として六千万円獲得。


 10歳:海外の違法賭博の大会に出場。主催が悲鳴を上げても勝ちの手を休めず、他参加者ほぼすべての有り金を巻き上げる。帰国後日本円に両替し、八○○億円相当の賞金獲得。

 


 11歳:日本に流入してきた香港マフィアとヤクザの全面武力抗争になる直前、博打による決着の場が設けられ、日本側の代打ちとして参加。勝利を収め、日本圏の年八兆円相当の闇市場を守る。報酬としてその年の市場の全収入の2%、一六○○億円を獲得。


 12歳:裏社会の頂点に立つ富豪が開催した、裏ギャンブル大会に参加。主催である富豪との一騎打ちとなり勝利。六○○○億円獲得。


 13歳:米国政府の秘密依頼を受け、ラスベガスの非合法裏カジノで勝負。複数の犯罪組織を財政破綻に追い込んで壊滅させ、一週間で合計八○○○億円相当の金額を獲得。


 14歳:勝ちすぎたせいで、大半の裏カジノや裏賭場で億単位の金額の勝負は出禁になってしまう。仕方ないので、手持ちの資金にマネーロンダリングを施した後、株式・投資で利殖。これまで得た資金をさらに増やす。(自身の資金により世界情勢を自分から動かすことで、マッチポンプ的に資金を異様な倍率で増殖)

 

 15歳:これまで代打ちの勝利で恩を売ってきたヤクザ、および金で雇った集団に、日本国内で絶大な力を持っていた新興宗教団体の拠点を、全国で一斉に襲撃させ壊滅させる。教団幹部の男性は皆殺しにし、女性は違法風俗業に売り払う。


 16歳以降はそれまでと比較すると見劣りするものの、引き続き数百万~数千万円の金額を賭けた賭博行為を繰り返す。


 17歳:16歳と同様賭博に明け暮れる毎日。先天性の病により死期が近づいたことを悟ると、山間の風光明媚な観光地へ向かう。雪景色を眺めながら凍死する。


 読み進めていた内容に、カルトナは終始口元を引きつらせていた。


 部下の天使か、上位の神々が冗談で用意したのかとも思ったが、公務でそんなことをすればただでは済まない。いま読み上げたのは正真正銘、天界における公文書だ。


「アンタ、本当にどんな人生送って来てんのよ…………」

「今自分で読んだだろ」

「い、いや、何がどうしていきなり8歳でヤクザの代打ちなんてことになったんです?」

「世話になっていた孤児院が、ヤクザのフロント企業である地上げ屋の標的にされてな。孤児院に道具が一式揃っていたお陰で麻雀は得意だったから、そいつらとは敵対する別のヤクザに飛び込み営業した」


 こいつ恐怖って感情ないのか? とカルトナは口に出すのをこらえた。


「ヤクザもヤクザで何で8歳の子供を相手にするのよ…………」

「組の事務所の窓ガラスを石投げて割って、ブチギレた連中にわざと掴まって事務所の中に入って、交渉できる機会を作り出した。負けたら俺の死体を臓器売買に使っていいって約束で、組が囲っている代打ち全員と勝負させてもらった。日本だと、子供の臓器フルセットは手に入りにくいからいい値段尽くしな」

「何してんの!?」

「今聞いただろ」


 カルトナの大声に、望夢は耳を塞ぎ、迷惑そうに目を瞑る。


「ま、向こうも最初は余興のつもりだったんだろうが、俺が本当に全員倒したからな。その勢いで地上げ屋を経営している組にも勝って、孤児院から手を引かせたはいいが、非合法なことが大嫌いな院長先生だったからな。非合法極まる手段で解決した以上、孤児院に戻るわけにもいかんし、ヤクザのおっさん達を頼ることにした。そんなところだが、これで終わりか?」

「えぇー…………」


 あまりに無表情かつ無反応なまま語る望夢に、カルトナはそんな声を漏らしてしまう。


 これまでの人間達は皆、生前の悪行を読み上げると、そうじゃない、それはこういう事情があったからだと、みっともなく弁解に臨んできたものだ。


「むしろ私の方が終わりでいいのか聞きたいですよ……。いいのですか? ここで何も言わないのであれば、地獄行きで決定ですよ?」

「全て自分の意思で積み重ねてきた悪行だ。今更本意ではなかったなぞ言うつもりはない」

「は、はぁ…………」


 なるほど。近年ではめっきり減ってしまったが、この少年は自分の行動には絶対の責任を持つタイプの人間らしい。


 一五○年ほど前までは、潔く切腹をして死んだ武士達の中にしばしば近い気質を持つ者達がいたが、現代日本でこのような人間は珍しい。


「で、では何か質問はありますか? 地獄で何年間勤めることになるのか、とか……」


 カルトナが聞き返すと、その言葉に望夢は少し目を細め、考える様子を見せる。


 やっと表情筋を動かしたわね と、目の前の少年が、表情筋にも病を抱えているのではないのかと疑っていたカルトナは思った。


「神という存在に会ったら、聞きたかったことがある」

「ええ。何でしょう?」


 望夢があまりにも裁定に対して食い下がらず、時間も予定より余っているので、カルトナは軽い気持ちで聞き返した。


「神というのは実のところ、無知全能、全知無能、無知無能のどれなんだ?」


 ビキィ! と、不躾な態度で訊いてきた望夢に対し、カルトナの額に青筋が浮かぶ。


「失礼、今なんと?」

「その返答で、無能であることはわかった」

「んだとコラ」


 つい地の部分が出てしまったカルトナは、慌てて口を抑えつつい佇まいを直す。


「天崎さん、なぜそのようなことをおっしゃるのかしら?」

「質問という行為自体が、全知でもないことを証明していると」

「アンタね」

「同じ言葉遣いを即繰り返すあたり本当に無能と」


 ビキビキィ! と、カルトナの額の他に、握り締めた手からもそんな音が出る。


「ま、想像していたことだが、案の上か」


 望夢は大あくびをする。その態度に、カルトナの怒りはますます募る。


「それじゃあ、人(神)のことを無知だとバカにするおバカさんに教えてあげましょう。今のあなたの態度で、あなたの向かう地獄を当初予定したものより過酷なものに替えることにしました」


 最初は必死に怒りを収めているような声の震え方だったが、後半からは望夢のより残酷な地獄行きが決まって嬉しいのか、声はむしろ弾んでいた。


「これは最終決定です。ええもう覆りませんとも。他者へ失礼な態度をとれば、それだけ報いが返ってくるということも、その短い生涯じゃ学べなかったようですねぇ?」


 もはや神の威厳もあったものではない暴言と口調である。

 一方、望夢の方はというと


「神なんて愚かさの煮込みみたいな存在が、まともに人を裁けるなぞ元々期待しとらん」


 神が下した自分の刑量など、微塵も興味がないと言わんばかりに切り捨てる。


 その動じない、かつ自分を取るに足らない存在扱いし続ける態度に、カルトナは屈辱に身を焦がされる。


「で? 地獄ってのはどっちで、何年勤めだ?」

「…………変更」


 カルトナが先程までと打って変わって、ぼそりと小さく呟く。


「ん?」

「変更。地獄行きじゃ生ぬるいわ」


 うつむいていた顔を上げ、


「天使! 来て頂戴!」


 望夢には何も見えない、暗闇しか続いていないような空間へ向けてカルトナが吠える。


 数秒して、白いローブを見に纏い、背中から背丈の半分くらいの翼を生やした人型の存在が現れる。


 カルトナとはまた違う方向性で、人間とは認識しにくい外見だ。


 男性か女性なのか、ゆったりした白のローブに覆われた身体からは判断が付かず、顔つきも非常に中性的だ。辛うじて年齢は自分と同程度だろうと見当がつくが、天使という存在なことから、きっと年齢も見た目どおりではないのだろう。


「お呼びでしょうか、カルトナ様」

「こいつ、アバンダンドに送って頂戴。転生させるわ」

「あ、アバンダンドに?」


 天使が狼狽える。しかしカルトナは一瞥もくれず、望夢に向き直る。


「ねぇアンタ。日本出身てことは、異世界転生ものの小説とか好きよね?」

「存在は知っているが、読んだことがないからわからんな」

「るっさいわね私が訊いてんだからハイとだけ答えてりゃいいのよ!」

「なら初めから訊くな。無駄のかたまりめ」

「フン! アンタのような、ご都合展開丸出しの物語に現実逃避するしか取り柄のない民族の大好きな、異世界転生ってのを体験させてあげるわ。しかも! 魔王を倒す使命を負った勇者様としてね! どう? 嬉しい? 嬉しいわよねぇ!?」


 肩で息をし、ふひっ、ひひひっ……

 と笑いを漏らすカルトナに、望夢は頭の残念な人を見る視線を送り続ける。


「ただぁし! アンタが送られるのは、攻略難度SSSS!! どの神も匙を投げた、もはや攻略絶対不可難度の世界よ! せいぜい世界を救う勇者様としての夢物語を一瞬満喫した後、地獄の刑罰より無惨な殺され方をされなさい! あっはっはっは! 怖い? 悔しい? 後悔してる? 神様に罰当たりな口を利くんじゃなかったって、今頃泣きたくなってきたぁ? どぉよ!?」


 腹を抱えて笑い、先程まで腰かけていた椅子の背もたれをバンバン叩きながら捲し立てるカルトナに望夢は、この愚かさを表せる言葉はきっと、今から行く世界にも無いんだろうなぁと諦念を含む視線を送り続ける。


「なるほど、確かに謝罪した方がよさそうだ」

「あっはっは、残念! 遅すぎましたー! もう決定ですぅー!」

「散々無能だの言って悪かったな。神というのは、掌をクルクル回すのはお上手みたいだ」

「は?」

「最終決定と言った10秒以内に裁定変更か。いや、その自分の言葉への責任の持たなさ、頭が下がる」


 裁定を告げても一切表情を変えず、自分を小馬鹿にし続ける望夢に、カルトナは歯噛みする。


 この生意気な小僧が、やっぱり止めておけばよかったと自らの言動を悔やむ様子が見たかったのに、この期に及んで口が減らない。表情すら微動だにしない。


「お前じゃ俺を精神的に降参させることは出来んよ。まぁ1つ強制する手段はあるがな」


 望夢は右手の人差し指を立てる。


「なぁ、俺と勝負をしないか?」

「はぁ?」


 カルトナは眉を顰める。が、望夢はここに来て初めて小さな笑顔を浮かべ、活き活きと言葉を続ける。


「これから俺が向かう世界、俺の目的は何だ? 魔王でも倒して、世界を救えばいいのか?」

「まぁ……そんなところね。魔王を倒して、その世界に住む人達を救えばOKよ。魔王軍が強すぎるからまず無理だけど。神が人間に与えていい範囲ギリギリの加護を与えたところで、幹部を1人か2人倒せれば御の字だわ」

「そりゃいい。俺が魔王討伐に失敗して死んだら…………そういえば、俺が転生した先で死んだらどうなるんだ?」

「また魂だけになって、ここに逆戻りよ。有害な魔物の退治とか、転生先で死ぬまでにした善行も考慮に入れて、また再審になるわ。アンタの場合、魔王討伐以外は一切善行にカウントしないけど」

「増々いいな。俺が魔王を倒せず死んでここに逆戻りしたら、気の済むまで拷問でも何でもかければいい。が、もし俺が魔王討伐に成功した場合…………」


 望夢はそこで少し言葉を切り、ニヤリと笑みを浮かべた。


「お前に、破滅してもらう」

「破滅?」


 カルトナの胡乱げな返答に、望夢は楽しそうに頷く。


「ああ。神にもあるだろう? 死ぬ方がましだと思えるような、死ぬ以上に忌避すべき事態が。生き恥晒し、存在が続く限り恥が上乗せされ、未来永劫バカの見本として語り継がれるような事態が。お前にはそれを味わってもらう」


 カルトナは、喜々として自分の破滅を語る望夢に、うすら寒いものを感じた。が、そんな態度をおくびにも出したくなかったので、強気で言い返す。


「はっっ! 言ったわね、いーでしょうよ! あんたが勝ったら、堕天でも何でもしてやるわよ! どぉーせ転生して数日以内に野垂れ死んで終わりね! ダッサイ死にざまですこと!」

「無能が失敗を保証してくれることほど心強いことはないな。ありがとうよ」

「くぉんのクソガキ…………!」


(なぁ。あいつ俺のことガキ扱いしてるけど、何歳なわけ?)


 神に年齢という概念があるのかも気になっていた望夢は、天使に歩み寄って小声で訊く。


 天使は意外にも、素直に答えてくれた。


(神としてはかなりお若いですよ。それでも確か600歳は越えていらしたと思います)


「聞こえてるわよ」「耳年増ではあると」「アァン!?」

「も、もうやめてくださいお二人とも!」


 牙をむいて望夢に食いかかりそうなカルトナを、天使が羽交い絞めにして押さえつける。


 あんまりにも暴れ方が激しかったので、抑えていた天使が別の天使を呼び、すぐに二名ほど追加の天使が応援にやってきた。


「はぁ、はぁ…………、こ、こちらです。もうあなた達は一緒の空間に居ないでください」

「もちろん。馬鹿が移る前に退散しないとな」

「あんですってこの極悪人の極潰しぃ!」

「だから止めてくださいってば!」


 泣きそうな天使に手を引かれ、望夢は一瞬で別の空間に転移していた。


 何もない空間なのは先ほどと変わらないが、今度は夕暮れ時の雲の上のような、雄大な景色がどこまでも広がる場所だった。球形シアターの中に入った感覚に近い。


「ふぅ…………暴れる死者を抑えたことは何度もありますが、暴れる女神さまを抑えるなんて初めてですよ」

「よほど善人しか来てないんだな、ここ。あの幼稚な神がキレずに済んでいるとは」

「全くで…………おっと」


 疲弊した天使が、うっかり本音を漏らしかける。慌てて咳ばらいを挟み、話を変える。


「そ、それにしても、アバンダンドに転生させられるなんて、一体何をしたんです?」

「さぁ? ヤの付く職業のオジサン方に頼んで、嫌いな連中を襲って男は皆殺しに、女は風俗に沈めたくらい?」

「なにしてるんですかホントに」


 無表情で答える望夢から、天使が引く。


「で? 俺はこれから異世界転生とやらをするわけ?」

「ええ。一応裁定が出てしまっているので。それにしても、アバンダンドとはまた…………」

「さっきも聞いたが、匙を投げられているとか?」

「ええ。地球の様に、魔法がない世界は魔獣や魔族と呼ばれる怪物は生まれません。しかし魔法がある世界は、それらが生まれてしまうんです」


 天使の言葉と共に、空間の背景が切り替わり、見たこともない猛獣が映し出される。


 虎と熊を合体させ、立てば四メートルに届きそうなサイズの、燃え盛る毛皮に体を包んだ獣。


 毒々しい紫の涎を垂らし、垂らした石から煙を立たせる、全長十メートルはありそうな大蛇。


 標本の様に、骨だけの状態になっても尚動き、野生動物を上空から襲い喰らう怪鳥。


 なるほど。こんなのが大繁殖すれば、人間などひとたまりもないだろう。案の定映像には、まだまだ恐ろしげな魔族や魔獣が大群を成している。


「魔獣や魔族の対策に、魔力に満ち溢れた者が生まれ、勇者として魔族の王を討つのが世界の自浄作用です。ですがアバンダンドは、その自浄作用が上手くいっていないようでして。魔王の軍勢が、あまりにも強すぎるのです」

「白血球がバイ菌にやられちまったようなもんか」

「まぁ、似ていますね。言ってみれば、外部からの投薬治療に当たるのが、神々による加護を得た転生勇者の投入です。しかし、加護を得た勇者が何度もアバンダンドに向かったのですが、全員魔王軍に殺害されています」

「どんな奴が行ったわけ?」

「大抵はあなたのように、生前に罪を犯した者が向かわされます。地獄に行く前に、罪を償うチャンスとして。まぁそれも、根は善人なのに周囲がそれを許さず、結果として悪人として判断されてしまったような方々なのですが……」


 天使は望夢に向かって、胡乱げな表情を向ける。事情があって悪事に手を染めてしまった善人には、到底見えないのだろう。


「で、その世界はもう滅亡寸前と」

「はい。大勢はもう決しています。現地時間で5年前に大きな戦いがあり、人類側は乾坤一擲の覚悟で大軍を用意しました。結果、魔王軍に甚大な被害を与えたものの、人類側の軍勢もほぼ壊滅しました」

「それはまた。よくそのまま滅ぼされなかったな」

「魔王軍も被害が相当大きかった為、すぐにまた攻められるということはありませんでしたが、次に軍隊が送り込まれればそれが最後でしょう。人類側にはもうろくに戦力がありません。何より、魔王軍の幹部はまだ健在なのに対し、人類は名だたる名将を多く失ったのが一番の問題です。碌な指揮官がもういないのです」

「そこから盤面ひっくり返せってか。楽しそうだ」


 望夢は到底楽しさの感じられない、抑揚のない声で答える。先ほどカルトナを挑発した時もそうだったが、この人間には感情がないのではないのかと、天使は疑問に思った。


「……説明に戻りますが、あなたが向かうのは、戦争の最前線からは少し離れた国、レクシア国です」


 天使が手をかざすと、魔族の軍勢を映していた空間が、ある大都市を上空から見下ろすように変化した。


 望夢は足の下に広がる風景を見下ろす。


「レクシア国は、肥沃な土地と穏やかな海に恵まれ、アバンダンドでは最も繁栄している国です。物資が十分に行き渡っており、魔物の被害も周辺諸国と比較してかなり穏やかです。まずはこの国に降り立ってもらい、加護の力に慣れた後に、徐々に前線の国へと渡って……」

「それは不要よ」


 背後から、女性の声が届く。


 不機嫌な顔のままのカルトナが、この空間に入って来たところだった。


「この極悪人に、そんな気遣いは無用。レクシアなんていい所に送らず、いきなり最前線のデライン国へ。加護も一切なし。着の身着のままで向かってもらうわ」


 その言葉を聞いた天使が瞠目する。


「そ、それは無茶です! 加護をいくつも授かった転生者でさえ、道半ばで全員命を落としているというのに…………!」

「だからよ。加護を与えたって死ぬなら、最初から与える意味なんてないじゃない。加護を与えるのだってタダじゃないのよ。そもそも、私は罰としてコイツをアバンダンドに転生させることにしたの。一切の助力は不要よ」

「し、しかし…………こんなこと、完全に天界法の違反では…………」

「平気よ。あなたが黙ってりゃいいだけだし。そもそも前例がないほどの極悪人なら、前例がないほどの罰を与えたって当然よ」

「そりゃまぁそうだな」


 珍しく、望夢がカルトナの言葉に同意を示す。まるで動じないその様子に、天使はまた頭を抱える。


「な、何でそんなに平然としていられるんです?」

「元々加護なんてものをもらえるとは思っていなかったしな。そこの馬鹿女神のことだ。気が付いたら、火山の火口の真上からスタートで即死ってことも覚悟してた」


 望夢はどこ吹く風である。そのどこまでも変わらない無表情が、カルトナにとってはまた憎たらしい。


「はっ! 内心ビクビク怯えているくせに、強がってまぁ滑稽ね! そんな態度だからこんな目に遭うのよ! ふんぬぁっ!」


 カルトナは望夢に向かって手を突き出すと、望夢の全身を黄緑色の光が数秒包み込んだ。


 望夢は呪いでもかけられたかと思ったが、特に体調が悪くなったりということはない。


「はいこれでどんな人間どころか、どんなも神もあんたに加護を与えることはできませんー! 都合よく誰かが助けてくれる展開は無くなりましたぁー!」


 カルトナが指で指しながら望夢を嘲笑うと、その背後に、高さ四メートルはある厳めしい両開きの扉が現れた。


「転生の門よ。これを潜れば、アバンダンド。魔王軍との戦争の最前線に位置する国、デライン国の王都、エスティアよ」

「い、いやカルトナ様、まだ転生前の知識付与も済んでいませ―――」

「それもいらないわ」

「そんな!?」


 カルトナの冷たい一言に、天使が仰天する。


 今から転生する世界の言葉や歴史、知識・常識を付与する為の術も、カルトナは使用を許さなかったのだ。


「む、無理です! 着の身着のままで、言葉も文字もわからない国へ、いきなり放り出されるなんて!」

「いいよ。頑張って覚える」

「ええ!?」


 望夢が平然と答える。


「一つ確認だ。俺は生まれつき寿命の短い病気だが、転生したら病気はどうなる?」

「ああ、それはなくなるわよ。病気で早死にした人間が転生した場合、病気がなかった場合の寿命を生きられることになってるわ。まぁ大体80歳ってところじゃないの?」

「十分だ」


 望夢は伸びを一つだけすると、転生の門を両手で押して開く。


 そして一瞬カルトナの方を振り返り、小さく笑うと


「勝負開始だ」


 真っ黒なその先に、何の戸惑いもなく歩いて行った。




「おっと」


 軽いふらつきと共に知覚したのは、久々の生だった。


 体を覆う空気。風による大気の揺れ。世界中へ渡る自然の香り。皮膚で感じるその温度、湿り気。口腔と鼻孔、肺の底から指の先々まで広がる吸気。


 魂だけの存在であった先程までとは異なり、体の内外を問わず生命の息吹を感じる。


「ふぅ」


 一度深呼吸して、自分が再び体という器を得たのだと実感する。


 前世はとにかく寿命が尽きるまでに命題を達成するのに文字通り必死で、生きていることのありがたさなど実感する暇がなかった。


 死ぬ寸前に少しばかりセンチメンタルになった気もするが、まぁあれは仕方ないことだろう。


「さて」


 望夢は改めて周囲を見回した。


 左右を白い石造りの家屋の壁に挟まれた、細長い路地のような場所に出たらしい。


 いきなり風体も知れぬ輩が、大通りの真ん中に出現するなんて事態にならず安堵する。


 空は実に青い。日も高く、時刻は昼過ぎだろう。この世界の一日が何時間かは知らないので、昼という表現が適切かも分からないが。


 一度大きく呼吸をし、少し貯めてから吐く。特にふらつきやら、望ましくない症状は現れない。どうやら、地球人にとっても平気な空気の成分らしい。


 もしかすると、身体がこの世界に適するように、文字通り転生した可能性もある。となると、この世界の食事などを摂取しても有毒になるということは心配しなくてもよさそうだ。


「おや」


 振り向いて反対側を見ると、並んでいる家屋の屋根の向こうに、大きな尖塔が数本見えた。


 遠目に見てもかなり立派な造りの城から、計八本の尖塔が天を衝いている。かなり高い。目測だが、高さ六○メートル近くあるのではなかろうか。


 あれだけ大きいと、地方の城主程度が済んでいるということはないだろう。


(確か『デライン国』の王都『エスティア』だったか。となるとあれが王城か)


 望夢は城が見える方の路地の出口へと向かった。そのまま通りへ素直に出るようなことはせず、通りからは自分の姿を見られにくい位置で立ち止まる。


 そして顔だけ覗かせ、通りの様子を窺う。


「へぇ」


 大通りには、予想より多くの人が行き交っていた。


 外見は望夢の知る人間と変わらない。殆どが有色人種で、日本人よりはやや色が褐色に近い肌色が大半だ。ただ、望夢のような黒髪は珍しい。色の濃淡はあるが、茶髪か金髪が大半を占めている。


 背丈の平均は、約一七○センチ弱とやや高めだ。背丈のわりに体が細めな人間がちらほら目立つが、それは戦時中ということを考えれば当然だろう。むしろ、戦時中にしてはまだ健康を保てているような血色だ。


 戦争の最前線の国ということで、もっと疲弊した貧しい国かと思っていたが、流石に王都だとそれなりに賑わっているらしい。


 道に敷かれた石畳も、等間隔で綺麗に隙間が埋められ、見た目も美しい。建築物も基本は石造りで、家の周りを外壁で区切っている家屋も見受けられる。


 建物は一旦置いておき、改めて道行く人々を観察すると、すぐに妙なことに気付く。


 行き交う人々は、ほとんど荷物を持っていない。が、その傍らに、ふわふわと籠やら布袋やらが浮いて一緒に移動しているのだ。


(なるほど、あれが魔法か)


 浮いているものは様々だ。子供を連れて歩く女性の隣の野菜や果物、土埃に汚れた職人の横には重そうな工具、お揃いの制服を着た子供達の横では本が並走して、ページが自動でめくられていく。


「まるで映画の世界だな」


 自然に漏れた一言と交代するように、望夢は一旦路地の奥へと下がる。


 そして今見たもののすべてを、記憶の中から掘り出し反芻する。


(体格、指の本数、服装の素材、露出度、人種の偏り、人とすれ違った時の反応、動作……)


 道を行き交う人々を観察して得た情報を整理する。とにかく今は、彼らが話している言葉一つとってもわからない状態だ。


 なら、すべて推測するしかない。


 その為に今望夢がとるべき行動は、観察することだ。


 その上で怪しまれてはいけない。市井に溶け込む自然な動作、仕草が求められる。


 他国に赴いたら、自国では普通の仕草が、そこでは禁忌だったりすることもあり得る。


 可能な限り多くの情報を、疑われず収集しなければならない。


 改めて体の調子を確認する。具合は悪くない。むしろ気力に満ち溢れている。この分なら、二日は飲まず食わずでも大丈夫だろう。


 その二日間でこの世界の言葉を、文字を、金銭を、知識を得て、生きる足掛かりにする。


 常人なら、お先真っ暗過ぎて悲嘆することだろう。


「ま、出来なきゃ死ぬだけか」


 しかし望夢は軽い口調でそう言うと、大通りに踏み出していった。


 望夢は怪しまれないよう、至って自然に、堂々と大通りで人と人の間を歩いていく。


 道行く人々が隣に浮かせているものを見れば、どんなものを所持している人間が、どちらからやってきたかはすぐにわかる。


 手ぶらの人間が向かい、荷物の多い人間がやってくる方向に進み、程無く市場に出る。


 木でできた骨組みに、布製の屋根を付け足した簡易的な店が、何百メートルにもわたって大通りの両端に詰められ、左右へ曲がった先にも、同じように店が伸びていっている。


「タブラ、ビーアレ!」「ラクサヒ、エケマ」


 市場に行けば、客を呼び込む声、近所の人間同士が談話する声など、様々な会話を聞ける。望夢は、意味は分からなくともその全ての会話を聞き取り、記憶した。


 文法や言葉の意味を推測するのは、後からでも出来る。望夢は、今はただひたすら大量の会話を聞き取り、サンプルとすることに腐心した。


 そして同時に、視覚でも情報を必死にかき集める。聴覚以上に、視覚はさらに多くの情報を収集する為に奔走する。


 市場に来れば当然、商品の値段を書いた看板がある。


 位や桁という概念があるのかが心配だったが、商品と思しき文字列の横には、数字に該当しそうな文字が書かれていた。


 その文字が何種類あるかを確認すれば、この世界が何進数を基準としているのかが分かる。


 すれ違う人々の指の数は、地球と変わらない左右五本ずつだ。よって本能的に五か十進法を基本にしていると推測出来る。


 後はその推測が正しいか、数字の種類を確かめるだけだ。


「ヒゲバ、クアレ?」


(おっと)


 看板ばかり眺めているわけにはいかない。視覚は、聴覚のサポートもしなくてはならない。


 聞き取っている会話が、どのようなシチュエーションや表情で生じたものか、出来るだけセットで情報を取得しなければならない。


 声色だけでも、話している内容がポジティブかネガティブか判断は出来る。


 独り言なら主語が省略されていることが多いだろうし、誰かと話しているのであれば、独り言に比べて文法的に形式に則ったものになりやすい。一人称・三人称による文法の変化もサンプリングできる。


 そして会話・文字のサンプリングを始めて十分もたたないうちに、望夢はこの世界が、確かに魔族との戦いによって被害を受けているのだと実感していた。


(なるほどな。戦争の後っていうのは、こういうことか)

 


 街ゆく人々の内、成人男性の割合が非常に少なかった。殆どが女性か、老人と老婆、後は就学年齢くらいの子供だった。


 店に立っている店員も、買い物に来た客も、働き盛りであるはずの二○から四○代の男性の姿はほぼない。女性か、十歳かそこらの子供、または隠居していてもおかしくない老人達が行っている。


『現地時間で5年前に大きな戦いがあり、人類側は乾坤一擲の覚悟で大軍を用意しました。結果、魔王軍に甚大な被害を与えたものの、人類側の軍勢もほぼ壊滅しました。』


 先程の天使の言葉を思い出す。恐らくその大きな戦いの際に、成人男性はあらかた徴兵され、兵士として戦ったのだろう。そして、そのほとんどは帰ってこなかった。


 一見賑わっているこの市場ですら、戦争の爪痕が如実に表れている。


 そしてもう一つ、望夢にとっては看過できないものがあった。


「ウィ、スーリィア、カルトナ」


 まただ。道行く人の、それも恐らくは法具と思しき十字架を携えた人達の口にする言葉の大半に、『カルトナ』という単語が含まれていた。


 そしてその人達の行く先の建物には、共通のマークが記されていた。


 紫の塗料で描かれた、女性が祈りを捧げる姿。紫と、女性と、カルトナ。このキーワードから、この世界でまつられているのは、よりにもよってあのカルトナらしい。

(泥船ってレベルじゃねーぞ)

 

 表情には出さないが、望夢は呆れ果てていた。まだ悪魔でも崇めた方がご利益がありそうだ。


 それ以前に、戦争で疲弊しきった世界の心の支えが宗教というこの状況が、凄まじくまずいと望夢は懸念していた。


 教義にもよるだろうが、あの頭の悪さを具現化したような女神に、まともな教義が作れるはずがないと望夢は確信していた。


(中々に難易度の高い勝負だ)


 お先真っ暗、という表現がふさわしい。だが、望夢は口元に笑みを浮かべていた。


 勝率が0でないのなら構わない。難易度が高い程、勝ちにくい勝負ほど燃える。


 苦境という炎に身を焼かれ、しかし心がそれ以上に燃え盛る感覚。何よりも大きな生きがいに、望夢は胸を震わせる。


 そのまま陽が高い内は、人々が行き交う陽でひたすらに情報を収集した。




「はぁ~~~~見ててマジつまんない奴ね」


 そんな望夢の、地味に見えて脳をフル回転させている行為をそう評したのはカルトナだった。


 望夢が転生の門をくぐった、アバンダンドの全域を上空から見下ろせる空間に、座り心地のよさそうな椅子を用意して見物を決め込んでいる。


 傍に置いた小机の上にはコーラまであり、映画でも観賞しているような具合だ。


「もっと魔法を見た途端に顎外すとか腰抜かすとか、観客のこと考えなさいよあの大根」


(別にあなたの為に用意された役者でも何でもないんですが)


 そう思っても口にしないのは、後ろに控えている天使だ。


 望夢の言葉を借りるわけではないが、幼稚という表現が具現化したようなこの女神の下に就くことになって、くじ運の無さを嘆かなかった日はない。


 薄皮一枚で出来た女神の仮面を剥げば、達どころに現れるのがこの杜撰さの塊のような神物(じんぶつ)だ。もう少し、神らしい振る舞いをして欲しいものである。


「カルトナ様。本日のお仕事はまだ残っているのですが…………」

「はぁ? あんな心無い極悪人に心乱された後で、まともな仕事が出来るわけないじゃん。これも自己管理の一種よ。今日はもうおしまい」

「今月のノルマが既に結構遅れ気味なのですが…………」

「はぁ? アナタさぁ、極悪人の言葉に深ぁーく傷つけられた、こぉーんなか弱い乙女に仕事やらせる気? 血も涙もない気も利かないで無い無い尽くしな奴ね」

(貴方はさらに仕事も出来ないでしょ)


 そもそも地球なんていう数少ない、魔法が存在しないおかげで管理も簡単な世界を任されている時点で、神としてはまだまだ未熟とという証左だ。


 天界では、魔法が存在しない世界が研修代わりの場として用いられているのは暗黙の了解だ。


 カルトナが初めて魔力のある世界として任されたアバンダンドは、世界の自浄作用がうまく機能せず、魔族の大量跋扈する無惨な攻略難度SSSSの世界になり果ててしまった。

 

これに関しては他の神々も完全に想定外な不幸な出来事であったので、カルトナだけの責任ではないが、決して褒められたことではない。


 その後も不祥事ギリギリの出来事をいくつも経て、いつ次の不祥事が起きるのか、仕える身としては気が気でない。


「ま、仕方ないわね。心優しくて気が利く私は、自らの心労も顧みず甲斐甲斐しくお仕事に戻ってあげるわ」


 そう言って大きな伸びをしてから席を立つカルトナにばれないよう、天使はげっそりとやつれた様子で溜め息を吐く。


「ほら何ぼさっとしてんの。仕事の出来る人は、動作一つとってもキビキビしてるものなの。私のようにね!」


 今までサボっていたノロマはどこの誰ですか とか、仕事が出来る人がキビキビしていることは、キビキビしている人が仕事が出来ることと等価じゃない とか、いろいろ言いたいことはあった。


 しかし望夢のことがあった後で、不機嫌なカルトナにそんなことを言えば堕天させられかねないと思った天使は、一礼だけしてカルトナの後を追う。


 元いた死者を迎える為の空間に転移する直前、一瞬だけアバンダントの方を振り返る。


(まぁ、次はせめて天寿が全うできるといいですね…………)


 一体どこの誰に祈っているのか自分でもわからないまま、望夢が早々に、無惨な死を迎えないことだけ軽く願って、その場を後にした。




「あ〝ぁ〝~~~……やっと終わったわ」


 天界時間で二日後、威厳も何もない、だらしのない姿勢で椅子にもたれかかり、仕事を終えたカルトナは唸り声を上げていた。


 自らの健康状態をいくらでも好きに調整できる神にとって、二日間無休で活動し続けるなど造作もないことではあるが、それでも気疲れはするし、飽きもする。


 しかもこの二日間は、普段いいようにこき使っていた天使が、別件で席を外していたから、尚更時間がかかり疲れた。


 二日前から、ややイレギュラーな事態が起きていた。地球全域の幸福度が、日本を中心に急激な上昇を見せたのだ。


 貧困・紛争地域での物資の不足、学術研究プロジェクトの予算不足、世界文化遺産の保護修繕などマクロなものから、一個人の借金といったミクロなものまで、世界中の予算不足に起因する問題が、次々に快方へ向かい始めたのである。


 それらの問題に対処する団体・組織が突如現れ、潤沢な資金に物を言わせて次々解決に導いていったのだ。その活動は更に範囲を広げ、今もなお続いている。


 いつも天使が出入りしてくる空間に視線を投げると、丁度天使が転移で現れたところだった。


「お、天使お帰りぃ~~~。どうだった?」


「ええ、原因が分かりました。天使長と一緒に、カリタス様に報告に行って来たところです」


 この急激な変化に対し、天界は即座に調査を決定した。この慈善団体達と、考えられない規模の資金源が、神の介入によるものではないか疑惑が生じたからだ。


 神々はよほどの事態でない限り、人間世界に干渉をしてはいけない規則がある。


 遥か昔、神々が自分の信者のいる世界に好き勝手に施しを与えた結果、それらの世界に破滅を導いたからである。


 恵みを与えすぎれば増長により人々を堕落させ、力を与えすぎれば互いに滅ぼしあい、無限に湧いて出る金を与えれば経済が意味を失い奪い合いが横行する世界に衰退した。


 それ以来、上位の神々の厳しい審査を経ないと、神は人間世界に干渉できないようになった。


 一番最近の地球へ対する神の干渉は、十八世紀の終わりごろ、ある一人の医師に対し、天啓という比較的影響の小さい形で、天然痘ワクチンのアイデアを与えた時だった。


 しかしそれは、人々があまりにも多く死んでいくのを見かねた当時の地球担当の神が、許可を取らずに独断で行ったことだった。


 億単位にも届こうという人々を救ったその行為でも、その天啓を勝手に与えた神は罰として、今もなお地獄で幽閉されているらしい。


 その後任として着任したカルトナは、前任者の末路を何度も聞かされ、それは大いに慄いた。


 しかしそれだけに、カルトナは今回の事態に対して楽観的に構えていた。自分は間違っても独断で地球に何か干渉した覚えはない。


 地球は非常に宗教の種類が多い世界だし、きっとどこかで敬われている神が、勝手に資金問題を解決して回ったのだろう。


 自分のせいではないことが分かっていると、カルトナとしては気楽なものだった。


「それで天使ぃ~~、結局そっちの問題どうなったぁ? どっかの勇み足踏んだ馬鹿神でもいたの?」


 大抵の神は自分より階級が上だろうに、カルトナが色々と危ない質問をする。


「いいえ。資金の出所を追う調査の結果、神によるものではないと分かりました。その件について、後程カリタス様がこちらにいらっしゃいます」

「それを最初に言いなさいよ!!」


 ガバッ! と、カルトナが大慌てで立ち上がる。


 カリタスは最高神の一柱であり、カルトナが大いに恐れる相手でもある。


 『慈愛』を意味するその名前の通り、普段はこちらが気圧されるほどに慈愛に溢れる彼女だが、一○○年ほど前、カルトナは彼女を本気で怒らせたことがある。


 その時は全八種類ある仏教界の地獄で、一カ月ずつ死者達と同じ仕打ちを受けることで許してもらえた。


 その時のことを思い出すと、カルトナの全身には震えが奔り、眩暈で倒れそうになる。正直、地獄での八カ月もだが、至近距離で最高神の怒気を浴びたことの方がカルトナには堪えた。


 ともかくそんな最高に恐れている相手が来るとあっては、こうしてはいられない。


 さっそくもてなしの用意をしようとした時だった。


「あぁ! カルトナ、喜んで頂戴!」

「ヒィ!?」


 発光と共に突如現れたのは、件のカリタスだった。


 喜色満面でカルトナの方へ歩み寄り、そのまま抱き付かれる。


「ああ! こんなにうれしいの何百年ぶりかしら? やっぱり人間世界というのは、素敵な方達がいつの時代もいてくれるものですね!」

「もごご! ぐるじいえす!」


 自分より背丈が高く、カルトナの頭くらい大きな胸に抱かれ、カルトナが窒息しかける。


「あらあら、ごめんなさい私ったら。長生きしてきたけど、ここまで嬉しいのも久しぶりでつい」

「ぜぇ、ぜぇ…………」


 頬に手を当てて恥じらうのは、ウェーブがかかった栗毛をたなびかせる、見目麗しい女神だった。


 美の女神ではないのに、美を司る女神達より美しいと男神達から評される、天界最高神の一柱たるカリタスである。


 顔だけでも恐ろしく美しいのに、背丈が高い分手足もすらりと長く見え、女性として出ている部分は豊満に出ている黄金比と言いたくなるスタイル。それでいてカルトナと同じタイプの、やや露出があるローブを着ているので、同じ女性であるカルトナから見ても欲情しかけてしまうほどだ。


 穏やかで物静かな気性で知られる彼女だが、今は目に見えて興奮しているようだった。


「な、何があったんですか? 地球の調査関連で、先程部下が伺ったようですが……」

「ええそうなの! 地球で今、とっっても素敵なことが起きているのよ! ああ、何でもっと早く気付かなかったのかしら!? サプライズって、こういうことを言うのね!」


 その場でステップを踏み、クルクル回り始めたカリタスを、カルトナは信じられない思いで見つめる。こんなはしゃぎ方のカリタスは見たことがない。


「見て頂戴、これ!」

「は、はい」


 カリタスから渡されたのは、天使達が調べた、地球での異常な幸福値上昇の原因を調べた報告書だった。

『今回の幸福値急上昇の原因は、主に以下の事象によるものである。


・世界各地の貧困区域に対し、補給される医療・食料物資が平均五○倍に。同時に学校などの教育機関の設立も決定。教師などの人員は、定年後のセカンドキャリアを探していた先進諸国の教師達を採用。これにより高齢者の就業問題も少々解決する。


・世界各国の災害被災地へ対する支援団体が設立され、大量の支援物資が現地に送付される。同団体の職員が現地で物資や寄金の分配を行い、支援が一切の中抜きなどなく活用されている。


・日本を中心に、各国の大学・研究機関へ研究費用の寄付金が送られる。これにより、予算不足で研究を実行に移せない問題が多数解消される。中でも最も救済されたのは、野党の反対により予算削減で頓挫した、日本製スーパーコンピュータの研究開発プロジェクト。


・世界各国の文化遺産保護団体に、寄付金が送られる。これにより、観光業衰退の波に襲われていた多くの地域が復興。十分な補修工事の実施・人材を揃えることに成功。


・悪徳金融に騙されるなど、止むにやまれぬ事情で借金を抱えた人々の借金を肩代わりする法人団体が突如出現。弁護士会とも協力し、違法な借金を次々に摘発・過払い金の返金を進める。


・世界各国で、返済義務なしの奨学金プランが発足。奨学金が不要な者には絶対に提供されず、代わりに一定以上の成績をとるなどの条件もなく、完全に返済義務も無いその仕組みにより、多くの子供が就学可能となった。


・日本を中心に、伝統芸能・職人芸と分類される技術の保護団体が設立。専門学校などを無償で設立し、技術と伝統の継承の一助となる。


 尚、これらの寄付の資金源は、資産運用により利殖を行っている複数の営利団体である。


 それらの営利団体の資金源は天崎望夢なる人物(故人。地球時間で先月死亡)の遺産と判明。自身の死後、自分の所有財産を基にこれらの運用が開始されるよう、生前から準備していた模様。(彼に関する資料は、同封した別資料に記載)』


「う〝ぉえあ〝!?」

「ど、どうかしたの、カルトナ?」


 望夢の名前を見た途端、思い切り奇声を上げてせき込むカルトナに、カリタスが慌てて背中をさする。


「す、すみません。寄付された金額を見て、驚いてしまって…………」

「ああ、やっぱり? 私もさっきはびっくりしちゃったわ。神でもないのにこれほどの金額を用意して、しかも運用を完璧に行うなんて! お金の用意の仕方は褒められたことではないけれど、それを差し引いてもすごい功績だわ!」


 カルトナは話を合わせ、もう一度資料に目を落とす。


 それぞれの事象に対し、どれくらいの金額が運用されたか、概算ではあるが書き記されている。国籍の異なる貨幣だが、日本円換算で合計すると約八○兆円になる。


 これだけの金額、確かに誰でも驚くだろう。しかもその資金源となった営利団体は、今もなお投資による利殖をし続けているらしいので、この援助運動は最低でも数十年は続くだろう。


 そしてカルトナにとって何より重要なのが、この一連の事象の資金源として挙げられていた、望夢の名前。

(ウッソでしょ!? 何でここでアイツの名前が出てくるのよ!?)


 カルトナは悪夢を見ているようだった。


(こ、こんな幸福値の上昇、見たことないんですけど!? しかもこれが継続するってことは、まだこれからどんどん上がっていくってことでしょ!? 何したのよアイツ!?)


『今自分で読んだだろ』


 望夢の声が頭の中で蘇り、カルトナは頭をぶんぶんと振った。


(いーやありえない! あの良心なんて一欠片も無い、敬意のけの字も無い、極悪人の見本みたいな博打狂いが、こんな善行するわけないでしょ!?)


「か、カリタスさま? これは恐らく、資金源の少年は何かの間違――――」

「そう、その子に会いたくて、あなたの所に来たの!」

「へ?」


 カルトナの言葉は、顔を輝かせたカリタスに呑まれる。


「彼についての資料を見たら、つい先日亡くなったそうじゃない。だから、カルトナが裁定を下したでしょう? 会いに行く前に、どんな子だったか聞いておきたくて。好きなものとか、趣味とか!」


(いや知らんがな)


 カルトナは心の中で反射的にそう答えた。


 個人的な話をする余裕など、あの極悪人との会話の中で一切無かった。


 それよりもまずい。カリタスがこんなに感謝している相手に対し、自分は何をした?


 当初想定されていた刑罰を変更し、さらに過酷な地獄へ行き先を変更。これだけならカルトナの裁量権の範囲内だから、お小言は頂くかもしれないが、普通に許される。


 だが、攻略難度SSSSの世界に個神の裁量で転生させたと知られれば、カリタスの怒りを買うことは間違いない。


 一○○年前のあの怒気を思い出して、カルトナの全身から冷や汗が噴き出す。


 そして何より。何よりまずいのが、望夢に何の補助もせずにそのまま送り出したこと。


 通常、転生の前には知識付与の術を使って、転生先の世界の情報を与える。


 その世界の言語・常識・歴史・地理・魔物の情報など、魔王を討伐するのには欠かせない情報と知識だ。


 それらを一切与えず、その理由がすべて個神的な私怨と来た。


(ヤバい)


 カルトナの全身から、熱が去る。これはもう地獄めぐりや、神の資格抹消などでは生温い。間違いなく、堕天。天界の者にとって、最も重い裁きは免れ得ない。


(ヤバい。ヤバいヤバい。やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいマジでヤバい!!!!!!!)


 カルトナの両足が、ガタガタと震え始める。


(ヤバい! あいつが極悪人だって伝えないと、マジでヤバい!!)


「か、カリタスさまぁ?」

「ええ、なに?」

「そ、その…………この、天崎、さん? なのですが…………ちょっと、いえ、けっこう、いや、かなぁ~~~~~~~~~~~~~り問題のある方でして」

「あら、そうなの? どんな?」

「どんなって…………」


 カルトナは必死に考え始める。死者からどんな罵倒を投げられても平然としているカリタスにとって、カルトナが望夢に言われた言葉をそのまま伝えても効果は薄い。どうしたら自分が味わった屈辱を伝え、裁定を正当化できるか、カルトナは全力で考える。


「ま、まず、自分の悪行に対して、一切の反省がありませんでしたねぇ。自分の悪行を否定もしなかったけど、ごめんなさいの一言も無かったですし…………」

「それはあなたに言ってもしょうがないからではないの? ごめんなさいは、迷惑をかけた本人に言うべきことだもの」

「ぐふぅっ!」


 カリタスが眉を潜めながら言った一言が、カルトナの胸に突き刺さる。まずい、心証を悪くしてしまった。


「ほ、他にもですね、『神は全知無能か、無知全能か、無知無能かどれなんだ?』なんていう失礼極まりない質問を投げかけてきまして…………」

「それは私達は人間世界に干渉できないし、向こうから見ればそう見えても仕方ないわ」

「げふっぅ!」


 カリタスの悲しそうな表情と共に言われた一言が、カルトナの胸を抉る。


(い、いや、確かにそうかもしれないですけど!? でもあいつに言われるとクッソムカつくんですよーーーーーーー!)


 そう叫びたいのを我慢して、カルトナは必死で望夢の性悪さを立証しようとする。


「そ、それにあいつ、私に陰口を聞きとられたからって、耳年増ってバカにしてきたんですよ! 女性を歳のことをネタにしてバカにして平然としているなんて、最低です!」

「あら、そうなの?」


 カリタスもそれを聞いて、少し望夢の印象を悪くするしたようだった。


 カリタスもすでに六○万歳を越えており、年齢に関しては結構気にしているところがあるのも幸いした。


(おっしゃこれは大成功!?)


「でも……耳年増ということは、あなたもその前に何か年齢に関して馬鹿にするようなことを言ったのではないの? あなた、頭にくると途端に口が悪くなるから。例えばその、く、クソガキ、とか……」

「おげっふぅ!!」


 瞬時に経緯と事情を見抜かれ、カルトナが胸を貫通される。


「い、いやでも……」

「ねぇカルトナ」


 なおも食い下がるカルトナに、カリタスも疑いの眼を向ける。


「ひょっとしてあなた、彼を結構きつい地獄に送ってしまったのではなくて?」

「うぐっ!」


 実際にはそんな生易しいものではないが、大筋を当てられてしまい、カルトナが硬直する。


 その様子を見て、カリタスが溜め息を付く。


「はぁ……やっぱり。書類のままを信じて、しかも個神的に馬が合わない相手だからって、予定よりきつい地獄に送ってしまったんでしょう? 確かにあなたにはその権利があるけれども、もう少し相手がどんな人間かちゃんと見ないとだめよ?」

「は、はい…………」

「それで? どこの地獄に送ったの? 私が直に行って、すぐに助けてくるから」

「そ、それが、その…………じ、地獄には送っていないんです」

「あら? そうなの?」

「はい。そのに、日本って、異世界転生ものの物語が流行ってるじゃないですか? 天崎……さんもその例に漏れず、こういう死後の世界って、異世界転生とかできないのかって……」


 カルトナは、とにかく何とか機会をうかがう為に、虚実を織り交ぜて話をつなぐ。


「まぁ、そうだったの。それで、どこの世界に転生させたの? 大抵の世界なら私は顔パスだから、すぐ連れて来られるわ」

「え、ええと……その……」


 カリタスが完全な管轄外で、望夢を連れて帰るには時間がかかり、しかも転生させたとしても怒られない程度の難度の世界。


「えっとぉ…………」


 その条件に合う世界が咄嗟に思い浮かばず、もう嘘を吐き通せないと絶望しかけたその時。


「カリタス様、こちらでしたか!」


 カルトナ達がいた空間に、また別の天使が入ってくる。


「あら、どうかしたの?」

「それが、バッカス様がまた酔っぱらって、カリタス様の職場に参られまして……」

「まぁ、またなの?」

「カリタス様の名前を連呼しながら暴れておられて、もう仕事にならなくて……」

「ええ、すぐ行くわ。ごめんなさいカルトナ、ちょっとまた後でね」

「は、はい…………」


 出来ればそのまま一○年くらい戻ってこないで下さいと思いながら、カルトナは頭を下げた。


 そしてカリタスが転移していなくなると同時に、

「はあ〝あ〝あ〝~~~~~~~~~!!!! 死〝ぬがどおも〝っだよぉ〝~~~~~!」


 その場にべたんと突っ伏して、安堵の泣き声を漏らす。


「間一髪でしたね」


 その様子をずっと見ていた天使は、そうコメントする。


 あのまま行けば、望夢をアバンダントに転生させたことがすぐにばれただろう。そこではまだ、大目玉を喰らう程度で済まされるかもしれない。


 が、カリタスが望夢と対話すれば、一切の援助なしどころか、ハンデ付きで転生させたことが明るみに出ていただろう。


 そうなれば堕天は必至かつ、補佐官の天使も似たような罰を喰らっていただろうから、実は天使も安堵を覚えていた。


「今度バッカス様に会ったら、土下座して拝んでおくわ」

「それがよろしいかと」


 カルトナが冷や汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、カリタスが席を外す原因になってくれた酔っ払い男神に感謝を捧げる。


「てっ、いうか、ありえないでしょ!? あの無礼を煮詰めたようなクソガキが慈善事業? ガンディーが裏でマフィアのボスだった展開並みに無茶があるわよ!?」

「むしろ、彼クラスの資産がないと不可能なんですよこんなの。これだけの資金を用意できる人間ということで、割とすぐに彼の資産に行きつきました」

「あいつが死んだ後、遺産を手に入れた人があいつとは無関係にやったとかは?」

「いえ、生前から各団体の登録自体はされており、代表の人物は皆彼が直々にスカウトした人物で構成されています。優秀なのに資金不足で開業できない医者や、才能はあるのに不幸で職を失ってしまった人材を一人一人面談して、信ずるに値するメンバーで構成したそうです」

「ますますあり得ない。あいつのキャラじゃないでしょ」


 自分の中の望夢の極悪人像と、報告にある精力的な善人のイメージが正反対過ぎて、カルトナが絶句する。


 手にしていた報告書を天使に渡し、フラフラ揺れている頭を両手で抱える。


「まぁ…………人は見かけによらない、でしょうか」

「にしたって限度があるでしょ! ヒトラーがナチスの総力を挙げて、ヨーロッパ中に保育施設を開いた方がまだ現実味があるわ!」


 それはちょっと見てみたいと思ったが、天使はとりあえず重要なことを忘れているカルトナに忠告をする。


「それで、カルトナ様。カリタス様がお戻りになる前にどうにかしないと、堕天ですよ」

「早く言いなさいよ!」


 カルトナが助言をしてくれた天使に悪態をつきながら立ち上がる。


「どうせあいつもう死んでるでしょ! すぐに魂呼ぶわ!」

「死んでいないみたいですよ」

「はぁ!? 何生き残ってんのよあのバカは!」


 生き延びただけで馬鹿呼ばわりされるとは、なんとも不憫な少年だと天使は同情した。


「彼がアバンダンドで死んだという通知は来ていません。まだ生存しています」

「だって、あいつを転生させてから、ええと天界時間で2日だから…………アバンダンドじゃもう2週間は経ってんのよ? 着の身着のままで、言葉もわかんない場所にほっぽり出されて、生き延びられるはずないじゃない!」

「私に言われましても…………」


 確かに信じがたいことではあった。アバンダンドの治安は、お世辞にもいいとは言えない。


 異国から流れてきた風体の少年が一人、言葉も常識も通じない中で二週間も生き延びるのは、はっきり言って無理だ。


「とにかく! 今すぐあいつを天界に回収するわよ!」

「それ、神の人間世界への干渉とみなされて処罰の対象になりますよ。最悪堕天です」

「神の加護を受けた転生者がその力を悪用した場合、神は即座にその転生者を回収権利を持つ! ルールには反してないからセーフよ!」

「彼が何か悪行を犯しても、死んだ時と同様に通知は届きます。でも彼に関する通知は1件も来ていません」

「はぁ!? 所持金0でスタートして、2週間何一つ犯罪に手を染めていないっての!? あの極悪人が!? ありえないでしょ!」

「先程資料を作る際に、彼に関する通知が来ていないか確認しましたが、何も来ていませんでしたよ。ですから干渉は出来ません。そもそも加護を何一つ与えていないので、神から貰った力を悪用しようがありません。回収していい対象に含まれませんね、彼」

「どこの馬鹿よそんなことも想定しないであの極悪人を放り出した奴は!」


 カルトナは髪を掻きむしって天に吠える。


 天使は最早、『お前だよ』と思うことも馬鹿馬鹿しいのでしなかった。


「か…………」

「か?」

「か、加護に不備があったことにしましょう。それを与えなおす為なら、転生者を回収したって…………」


「もう誰も彼に加護を与えられない呪いをかけたの、カルトナ様ですよね? もちろんカルトナ様本人も含めて。だからこの場に転移させる術使っても、多分効きませんよ? 天界へ召喚する術って、確か天界行きは名誉なことだとかで加護に分類されていますから」

「ファアアアアアアッッ○ク!!!!!!」


 カルトナは膝から上の身体を水平に倒して天を仰ぎ、咆哮した。


 頭をぼりぼりと掻きむしり、どうにか策は無いかと唸る。


「げ、現地に行って、天界への門を潜らせれば、回収できるわよね?」

「ええ。それはまぁ」

「今すぐ行くしかないわ!」


 カルトナは素早く踵を返し、アバンダンドへ降下する為の空間へ向かう。


「ほら! ぼさっとしない!」

「え? 私もです?」

「当ったり前でしょ! アンタだって、私の配下ということでとばっちり喰らうかもしれないんですからね! 一蓮托生よ! なにより私を一人で攻略難度SSSSの世界に行かせる気? 運悪く魔族が王都襲撃するタイミングに鉢合わせたらどうすんのよ!」


 その世界に一般人をハンデ付きで送り出したのはどこの誰だよと突っ込みたいのを我慢して、天使は渋々カルトナの後に続く。


「人間世界に降下するなら、相当能力を抑えないといけませんね。神の能力をそのままに降下したら、下界への干渉を見張る監視網に引っかかります」

「人間の範疇ギリギリに能力を落とさないといけないってことね…………」


 カルトナは歯噛みしながら歩を進める。


 神の力があれば、アバンダンドに降下してものの数秒で望夢を拉致し、天界に戻ってこられるのにそれが使えない。


 カルトナは先日望夢をアバンダンドに送り出した空間に着くと、望夢の居場所を調べる為の術を発動する。


 すると地図アプリのズーム機能の様に、アバンダンド全域を映していた足元の風景が、街から少し離れた森林にズームされる。


「あいつのいる場所……コレ、どこかわかる?」

「王都外れの森、でしょうか? 新人冒険者が、訓練の為によく使う場所です」

「言葉もわからないのに、冒険者登録とかできるわけないでしょ? 何でこんな場所にいんのよ?」

「はぁ……私に言われましても」

「まぁいいわ、とっとと連れ戻すわよ!」


 天使の気の入らない返事をよそに、カルトナ達はアバンダンドへの扉を潜った。

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