第16話 TSとは天からの贈り物なのですよ^^

 特殊な霧で空を覆われた廻縁都市に朝日は昇らない。

 真昼であろうとも薄ぼんやりとした光が都市を照らすだけであった。


 故に、早朝4時ともなれば季節を問わず辺りはまだ真っ暗であり、構文の刻まれた特殊な街灯が点々と寂しく照らすだけである。


「はっ、はっ、はっ――」


 まだ薄暗い道をセナノは一人走っていた。

 いつものトレーニングウェアに身を包み、決まったペースで迷路のような都市を駆け抜ける。

 

 時折、道の先に人の姿が現れる。新聞を抱えて歩く老人、店を開けようとシャッターを押し上げる商人、眠そうに通勤路を急ぐ若者。

 少女は視線を逸らすことなく、すれ違う一瞬に軽く頭を下げたり、微笑を浮かべたりして走り過ぎた。


 どこの街にでもある風景。

 しかし、その全員が異縁存在というこの世界のイレギュラーと関わりのある者達であった。


 街は静けさの中に少しずつ人の営みを取り戻しつつある。

 傍目には夜中に活動を始めたように映るその光景はいささか奇妙であった。


「セナノ先輩!」


 背後から声が聞こえ、セナノは少しだけ速度を落とす。

 間もなく、彼女の隣に一人の小柄な少女が姿を現した。


 やや大きめのトレーニングウェアに身を包んだ青い髪の少女は、ポニーテールを揺らしてセナノを見上げている。

 大分走っているのか、その頬は上気して息もやや上がっていた。


「あらハカネじゃない。珍しいわね、こんな時間に」

「セナノ先輩、はれてS級になったじゃないですか。そうなったらこの朽葉くちはハカネも頑張らないとと思いまして! 今日から倍のトレーニングをしようと思ったんです!」

「……あー」


 セナノは気まずそうに声を上げた。

 そして少し迷った後に、申し訳なさそうにこう切り出す。


「実は、私ってまだS級じゃないの」

「えっ……」


 驚き思わず躓きそうになったハカネだったが、すぐに態勢を整え追いついてくる。

 そして不安げにセナノを見た。


「失敗したんですか? でも、それにしては無傷というか……そもそも失敗して生きて帰ってこれるなんてそれはそれで凄いですよ!」

「あはは、実は私が行ったらもうターゲットはいなくてね。そもそも試験が出来なかったのよ」

「そういう事だったんですね!」


 ハカネは明らかに表情を明るくして頷いた。

 その瞳には、羨望の色が濃く映し出されている。セナノはそれをよく理解して得意げに笑みを作った。


「ふふん、私が失敗なんてする訳ないでしょ。それに、今は特別な任務で忙しいの。内容は詳しくはまだ言えないけど……まあ、縁理庁から直々の依頼よ!」

「縁理庁から!? すっご……」

「ふふん、そうでしょうそうでしょう! 私はエリートだからね!」

「流石セナノ先輩は一流だなぁ……」


 ハカネは目標となる少女を見て志を新たにし、セナノはセナノで気持ちよくなる。

 利害が一致した二人は、ニッコリと微笑み合っていた。


「あ、そう言えば聞きましたかセナノ先輩。プロの縁者班を二つまるまる消滅させた異縁存在の噂」

「相変わらず噂が好きね。あり得ないじゃないそんな事」


 セナノは深く考えることもなくそう切り捨てた。

 噂を話した当の本人も心から信じているわけではないのか「ですよね」と言って笑う。


「プロが二度も負けるなんてありえませんからね。一度観測すれば手段を確立できますし」

「それで、その噂の詳しい話は?」

「あれ、あり得なくとも気になりますか」

「聞き流すラジオとしては丁度いいわ」


 セナノはそう言って軽くおどけて見せた。

 しかし彼女の走る速度は未だに落ちる所か更に上がっており、ハカネは付いて行くのがやっとである。

 ハカネは追いつかなくなってきた足を誤魔化す様に、何とか息を整えて話し始めた。


「なんでも、縁者のデータベースに二班分のおかしな空白があったみたいでして。まるで、今までそこに誰かが登録されていたみたいなんです」

「どうせ観測班のサボりでしょ」

「それがどうやら、同時期に二か所異縁存在観測における空白地点が見つかったみたいでして。それまで、その二つを消えた縁者達が管理していたとしたら辻褄が合わないですか?」

「ちなみにその空白地点というのは具体的にどこの県かしら」

「……岩手県」


 種がばれた手品師のような顔で、ハカネは白状した。

 それを聞いてセナノは予想通りだとでも言わんばかりの反応をする。


「あそこいつもじゃない。無駄に広いから、定期的に見つかるわよ。異縁存在も日本でトップクラスにわんさか出てくるから、観測地区も細かく分けられて毎月のように更新されているし」

「それはそうですけどぉ! じゃあじゃあ、こんな噂は知っていますか!」

「次から次に、よく飽きないわね」

「――災主級が今、この都市にいるっていう噂です」

「っ!?」


 思わず声を上げそうになったセナノだったが、ぐっとこらえ表情を悟られないように空を見上げる。

 薄暗く、分厚い雲が視界いっぱいに広がって心を落ち着けてくれた。


「そ、そんな訳ないでしょ」

「やっぱそうですかね。でも、オペレーター班ではそういう噂があるみたいで」

「ふーん」


 セナノは意図して走る速度をさらに上げる。

 後輩に決して表情で悟られてはいけない。そんな矜持が働いての無意識下での行動だった。


「ちょ、セナノ先輩速っ……」

「やれやれ、まだ貴女に実戦は早そうね。もっと体力を付けなさい。NARROWを扱うなら最低でもこれくらいは走れるようにならないと」

「けほっ、うぅっ……」


 付いて行こうとしたハカネだったが、すぐに足が追い付かずに距離が離れていく。

 セナノは振り返ることもなく、手を軽く上げてひらひらと振って別れを告げた。


「じゃ、また明日にでもこの時間に会いましょう。貴女が筋肉痛でなければだけど」

「ううっ、また明日ー!」


 ハカネは精一杯の強がりでそう叫ぶことしか出来なかった。







 日課のランニングを終えたセナノは昨日から自分の家となったマンションへと戻ってきた。


「……金持ちになった気分ね」


 廻縁都市の高台、街を一望できる静かな区画にひときわ目立つ白亜の建物がある。

 全面にあしらわれた黒曜の窓枠と深紅のバルコニー装飾は、洗練されていながらどこか視線を跳ね返すような異質さを持っていた。


 建物全体が白磁のように滑らかで、どこにも埃や煤がない。

 それもそのはず、建材の表層そのものが異縁存在の起こす異常を拒絶する素材であり、雨や風の痕跡すら残らないように加工されているのだ。


 エントランスには金縁の装飾が施され、住人用のオートゲートが機械音すら立てずに開閉する。

 出た時と全く同じ体勢で、ドアマンが迎え入れた。

 しかしその顔は上手く認識できない。


「お疲れ様」


 セナノは一礼をして中へと入る。

 そしてエレベーターへと向かった。


 彼女が操作パネルに手を伸ばすと、ボタンに記された記号がゆっくりと変化し、『≒』の文字が浮かび上がる。

 果たしてそれが階層を示す文字であると誰が理解できるだろうか。


 指が触れた瞬間、扉は無音で左右に割れた。


 セナノは迷いなく一歩を踏み出し、エレベーターの内部へと入った。

 背後の扉がゆっくりと閉まり、ふっと音が消える。


 静寂。

 だがその中に、心臓の音のようなものが混じっているのを感じた。

 けれど、それは自分のものではない。

 エレベーター自体が鼓動しているのだとそう思った瞬間、床がわずかに沈む。

 それが合図だ。


 数値のない階層へ。

 語れば届かず、記せば滲む。


 立っているだけとは思えない緊張と共に、セナノは存在してはならない者の元へと、送り届けられた。


 エレベーターの扉が開けば、窓のない廊下の先に一つの扉がある。

 一見して高級マンションのそれと大差ないが、多くの構文が施されていることをセナノは知っていた。

 並大抵の異縁存在であれば、触れただけで塵になってしまう程に強力な致死性の構文である。


「あの子起きてるかしら……。というか、朝ご飯どうしよう……。一人分の冷凍弁当しかないわ」


 ハカネから逃げる事に意識を向けていたせいで、うっかりコンビニに寄る事を忘れていた。

 しかし今更戻る気にもなれない。


「取り敢えず、シャワーを浴びてから考えましょ」


 セナノは自分に言い聞かせるようにそう言って、玄関の扉を開いた。

 と同時に聞こえてきたのはシャワーの音。


「――ひゃっ、つめたっ!?」


 どうやら、どこかで清涼な声の主が驚いているようだ。

 セナノはすぐに色々と察して顔を手で覆った。


「……確かに、昨日シャワー見て驚いてたわあの子……そりゃまた使ってみたくなるわよね……」


 既にシャワーを使っている先客がいたようで、セナノはため息をつく。

 そして、声の聞こえた方へと向かった。


 脱衣所前の扉は不用心に開かれている。

 中に入ってみれば、ワンピースが綺麗に折りたたまれており、無頓着さと丁寧さの妙なアンバランス感にセナノは何とも言えない気持ちになった。


「エイ、朝からどうしたのよ」

「あ、セナノさん! おはようございます」


 すりガラス越しにシルエットが動き、セナノへと向いたのが分かった。

 

(こうしてみると、女のシルエットね)


 しげしげとすりガラス越しのシルエットを観察しながら、セナノはそう評する。

 

「聞いてください、昨日と違ってこのシャワーからお湯が出ないんです。どうしましょう……」

「大丈夫、教えるわよ」

「ありがとうございます。朝から迷惑を掛けてすみません」


 そう言うと、エイはセナノが一度脱衣所から出る前に平然と浴室の扉を開けた。


「ちょっ」


 セナノは咄嗟に目を逸らそうとする。

 しかし、今日に限ってたまたまペースを乱してランニングをしたせいか、あるいは家が変わって疲労が蓄積していたのか、定かではないが本当に偶然視線をずらすのが遅れてしまった。

 

「ご、ごめんなさい!」


 縁者としての観察眼がこの時悪い方向に作用し、これもまた偶然だがセナノはエイの一糸まとわぬ体を上から下までじっくりと観察することになってしまった。


「すぐに出てい、く……」


 異変は当然気が付いた。

 昨日確認したある筈のものがないし、無いはずのものが若干ある。


 驚きからぽかんとしたセナノの顔からは朱が瞬く間に消え、その脳内には『!?』が大きくそして大量に浮かび上がっていた。


「!?!?!?!?!?」

「セナノさん?」

「えっ、え……? だって、昨日は……え……えぇ!?」

「どうしたのですか? 何か、私の体におかしなところでも?」


 エイは不安そうに体を捻って自身の体を観察する。

 それを見たセナノは思わず声を荒げてこう言った。


「男でしょ、貴方!」

「男……? 」

「性別よ性別! だって昨日はその、つ、付いてたじゃない!」

「付いてた……ああ!」


 エイは納得した様子でぱたんと胸の前で手を合わせると可憐な笑顔で答えた。


「今日は女の子ですよ。おそろいですね、セナノさん」

「…………?????????」


 セナノの新しい一日は、こうして疑問と衝撃と共に始まった。










【急報:EN-XF-SORA-0815-ACT2に関する性別観測異常について】


提出者:三鎌セナノ(階位:A)

所属:縁理庁 災主級監察課特別同居監視対象


■ 報告日時


令和██年8月■日 午前5時12分(※手書き)

※起床後直後の観察による急報性を有するため、様式簡略化申請済


■ 概要(簡易)


同居対象EN-XF-SORA-0815-ACT2(通称:エイ)において、性別形態の変化を視認確認しました。

※昨日:男性器あり → 本日:女性器状態

肉体構造そのものが可逆的に変化している可能性あり。


■ 経緯


午前4:58頃、自宅に帰宅後、浴室から声あり。


対象が「お湯が出ない」と訴えたため、指導目的で浴室へ接近。

扉が不用心に開いていたため、偶発的かつ結果的に対象の裸体を視認。

性的特徴に昨日と明確な差異あり。視覚的観察により構造変化を確認。


対象本人は当該変化に無自覚、もしくは特に重要視していない様子。

(発言:「今日は女の子ですよ。おそろいですね、セナノさん」)



■ 緊急要請


構文医療班による早急な検診・生体構造記録の取得を希望。

性別変化が観測された場合の対応マニュアルが存在しないため、新規カテゴリ「流動形態性媒介体」の設定検討。

性的接触や意図しないプライベート空間干渉に関する監視員側の心理衛生措置も検討されたし。



■ 追記(私見)


昨日までは確かに男だった。

先が思いやられます。助けてください。




記録者署名:三鎌セナノ

提出形式:庁内臨時報告メモ・認識災害班にも写し提出予定





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る