第5話 恋愛面倒くさい派の僕としては(相原颯太/パティシエ)

 クリスマスにはクリスマスケーキをつくるのが当然っていう発想はあんまり好きじゃないけど、一種類だけは王道クリスマスのものを、ていうのが森川シェフのオーダーだった。クリスマス気分に浸りたいお客さんのために。だから、あえて僕の好みからいちばん遠いやつ、ブッシュ・ド・ノエルを選んだ。

 天邪鬼だってよく言われる。

 僕が最近のケーキをぜんぶ四角にしてナパージュやグラサージュで覆うようになったのは、別にサプライズのためじゃない。僕はもともとシンプルなデザインのほうが好きで、映える目的でスイーツをごちゃごちゃ飾る風潮が嫌になったのだ。

 なのにそれが裏目に出て、というか僕の意見では僕が天邪鬼なんじゃなく、世間のほうが僕に対して天邪鬼なのだ。シャリオドールのデセールはかなりの高確率でSNSに投稿されるようになった。それもあのソムリエが調子に乗って、客席で切って見せるほうがインパクトが大きい、とか余計なことを言い出して、ハッシュタグ断面萌え、みたいなことになって、もう勘弁してくださいって感じになっている。

 世のパティシエたちの中には、人前に出るのが好きなタイプとまったくそうじゃないタイプがいる。僕ははっきり後のほうで、一人で黙々と作業するのが好きだ。シャリオドールに誘われた時だって、オープンキッチンなのが嫌で最初は断った。それをシェフが、キッチンのレイアウトを変えて作業場が外から見えないようにする、と言ってくれたのだ。

 そこは居心地が良かった。

 たまにシェフがそっと様子を確認しに来る以外、誰の視線にさらされることもなく、誰にも邪魔されることなく、僕は一人でデセールと向き合っていられた。客席でのサービスもやらなくて良かった。

 あの人が出しゃばってくれたおかげで。


 今日のデセールは五種類、ブッシュ・ド・ノエル、タルト・オ・フリュイ(フルーツのタルト)、フロマージュ・フレーズ(苺とチーズ)、モンブラン・ミルフィーユ、カフェ・ショコラ。それと、秘密のアニバーサリー・ケーキがひとつ。

 ブッシュ・ド・ノエルだけはさすがに立方体じゃなく丸太型にした。サイズ感は俵型のおにぎりくらい。まずは直径一センチのステンレス棒を芯にしてバウムクーヘンを焼いた。焙じ茶とアールグレイの茶葉を使って風味づけし、冷ましてから芯を抜いて、真ん中の空洞にアーモンドダイス入りのクリームを詰める。このクリームも焙じ茶ベースで、派手すぎず落ち着いた風味にまとめてある。それを一人ぶんずつに切り分け、外側をほろ苦いキャラメルグラサージュで覆う(木っぽい模様をつけたりはせず、シンプルに他のプレートとの整合性を取る)。

 チョコレートでつくったレース状のパーツを手で割って添え、紅茶のリキュールをひと吹きして提供する。完成まででいちばん手間取ったのは、「バウムクーヘンの芯にするステンレスの丸棒をホームセンターで買ってくる許可をシェフに貰う」という工程だった。

 タルト・オ・フリュイは、薄いタルト生地(パートブリゼ)で箱をつくって中に大きめにカットしたフルーツを詰め、隙間にアーモンドクリームを流して焼き、上面をキャラメリゼして飾り切りのリンゴを乗せる。フロマージュ・フレーズはレアチーズベースで、真っ白の立方体にミントの葉を飾る。中には苺とクッキークランチを入れ、切ったとき断面に苺が縦にふたつ並ぶようにする(ヘタをペティナイフで切り込んで取ると、断面の苺がハート形になる)。

 そう。映える目的で飾るのが嫌いだと言いながら、最近の僕はこの「ハッシュタグ断面萌え」に加速度的にのめり込んでいってる。あと北澤さんいじりにものめり込んでる。

 何かにつけて僕があの人に文句をつけるのは、まあ相手にされない不満を小出しにしてるんだと思われてるけど僕はもうあの人に未練はなくて、というか初めから僕とあの人は恋愛じゃなかった。

 恋愛面倒くさい派の僕としては、セックスフレンドっていうのに興味があっただけだ。あの人存在そのものがエロいし、誰とでも寝るって聞いてたし。相原くん気ぃつけなよー、あいつはやめといた方がいいよー、とかへらへら言ってた森川シェフがガチで付き合ってるとか笑う。

 でも今日は衝撃だった。ああソムリエのひと出勤してきたな、と思ったらなんかすごい茫然としてて、ゾンビみたいにフラフラ歩いてグラス割ったりして、クリスマス・イヴだよ、一年でいちばん忙しい日じゃん、今日のデセール気合入ってんのに皿ごと落っことすとかマジやめてよ、とけっこう切実に焦った。直接喋るのは面倒だからシェフに言ったけど、シェフの感じではもう何が原因なのか解ってるみたいだった。

 けど本当に衝撃だったのはそこのところじゃなくて、その後の、森川シェフと広瀬さんの会話だ。

 僕は普段から無口で、仕事以外の雑談はあまりしない。だから基本的に僕は作業に没頭していて周りの話は聞いてない、と思われている。でも、いくらキッチンの奥って言っても完全にドアが閉まるわけじゃなく、オーブンや冷凍冷蔵庫で視界が遮られているだけで空間そのものはつながってるから、会話はわりと聞こえている。

 最初なんか北澤さんのことでひそひそ言い合ってるなと思ってたら、シェフが年明けに時間つくってくれって言って、広瀬さんが正月はずっと寝てるって、そしたらシェフが俺も一緒にそうするって、広瀬さんがゾンビになるって、シェフがそれはやめてくれ、って。

 それは初めての告白とかじゃなくて明らかもう既に恋人同士みたいな、そんな感じの会話だった。声の調子とかもそうだった。シェフの声には親しみがこもり過ぎていた。広瀬さんも冗談めかしてはいたけど本気で推し量るみたいな間があった。それからすぐにシェフがこっちに来る気配がしたから、僕は慌ててチョコパーツの上にかがみ込んで、何も聞いてないふりをしたのだけど。だけども。

「そういうこと言われたら、俺までゾンビになりそう」とか。

「ゾンビは二体で充分」とか。

 OK、じゃあ次に行こう。この店には既にゾンビが二体いるということになる。シェフもスー・シェフもちゃんとした大人だから、もう一体増えそうになったのは未然に防がれた。既存のゾンビの一体はどう見てもあのソムリエで、もう一体が誰なのかは、僕は知らないけどシェフと広瀬さんは知ってるっぽい。

 その二人が知ってるということはほとんどの確率で、もう一体のゾンビが直でソムリエとややこしくなってる、ということだ。倉田さんはあり得ないから除外すると、可能性があるのは二人しかいない。バルマンの波多野さんか、ギャルソンの鏑木くん。でも波多野さんはまともな人だから、北澤さんみたいなタイプに夢中になったりしないだろう。鏑木くんのチャラめのノリは北澤さんと合うかもしれないけど、彼は学生バイトで、アルバイトだったらここは一時的に働くだけの場所だ。一度や二度くらいは寝るにしても(という仮定が成り立つのが北澤さんの怖いところだ)、真剣に恋愛をする、みたいな展開は、立場的にも年齢的にも不自然な気がする。

 そこまで来て僕はふと思った。もしかしてその二人のどっちでもなく、キッチンに入ったばっかの新人くん?

 僕はその新人くんとは挨拶くらいしかしてない。名前はたしか、斉藤くん、だったと思う。僕はキッチンの奥でずっとデセールをつくっていて、向こうもあんまし社交的なタイプじゃないらしく(その辺は僕と似てる)、直接会話する機会がまったく無い。まあ、それだったらソムリエとだって接点はほとんどないはずだけど。今日だってシェフと広瀬さんにべったりで、覚えることが多すぎるのか呆然としてる感じだし。

 呆然としてる感じ?

 それって、もしかして恋愛ゾンビ?

 可能性をつつくと、いきなり正解にぶつかった気がした。

 あり得る。なんかぽやっとしてて、蜘蛛の巣に引っ掛かりやすそうっていうか、危険な方へ勝手に吸い寄せられていきそうっていうか、周りが見えてないっていうか。最初の数日、大丈夫かな、キッチン向いてない気がするけどな、と思ったのを今思い出した。日が経つにつれ、意外と大丈夫そうだな、という感じになってきて安心したのも思い出した。

 あーあ、と思った。意外と大丈夫そうだったのに、そこに捕まっちゃいましたか。

 いや、北澤さんが蜘蛛の巣だとか危険だとか言いたいわけじゃない。けどもし今後、店に新しい人が入ってきてもし北澤さんがいつもの癖で手を出したりしたら、ああいうタイプの子って落ち込んで立ち直れなくなりそうな気がする。いや、いっそ包丁持ち出して心中を迫ったりしかねないっていうか。

 いや、いやいや。

 それより今はアニバーサリー・ケーキの仕上げに集中しないと、北澤さんじゃなく僕がなんかやらかしそうだ、と作業台のふちに両手をかけて深呼吸しようとした瞬間、左の手のひらが冷たい何かに触れ、そのままその「冷たい何か」をぐしゃりと押し潰した。

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