『魔法学園の劣等生な俺の彼女は、生徒会長(イケメン)の「魔力供給」専属になりました』

ラズベリーパイ大好きおじさん

第1話 魔力過多症候群、あるいは合法的な略奪の始まり

その日、空は憎らしいほどに青く、澄み渡っていた。

 王立魔法学園の中庭。

 昼休みの柔らかな陽射しが、芝生に寝転がる俺たちを包み込んでいる。


「ねえ、レイン。卒業したら、どこの騎士団を受けるの?」


 隣で膝を抱えている少女――シルヴィアが、鈴を転がしたような声で尋ねてくる。

 プラチナブロンドの髪が風に揺れ、透き通るような白い肌が光を反射して眩しい。

 学園でも指折りの美少女であり、俺の自慢の恋人だ。


「俺は魔力量が少ないからなぁ。王都の騎士団は無理だよ。辺境の警備隊か、あるいは冒険者ギルドで地道に稼ぐさ」


 俺、レイン・ウォーカーは自嘲気味に答えた。

 この世界では、魔力の多寡がすべてを決める。

 平民出身で、魔力測定値『Eランク』の俺が、名門魔法学園にいられること自体が奇跡に近い。座学と剣術だけで必死にしがみついているのが現状だ。


「ふふ、レインらしいね。でも、私はどこへでもついていくよ?」


 シルヴィアが俺の手に、自分の手を重ねてくる。

 柔らかく、温かい感触。

 彼女は伯爵家の令嬢で、魔力測定値『Aランク』の天才だ。本来なら俺のような落ちこぼれと釣り合うはずがない。

 けれど彼女は、俺を選んでくれた。


「シルヴィア……いいのか? 俺なんかに一生を捧げて」

「レインがいいの。貴方は誰よりも優しいもの。……大好きよ」


 彼女が顔を寄せてくる。

 甘い花の香り。

 俺たちは誰も見ていないことを確認して、短いキスを交わした。

 

 幸せだった。

 自分の才能の無さに劣等感を抱くことはあっても、彼女がいれば乗り越えられると思っていた。

 この温もりが、永遠に続くものだと信じていた。


 ――異変が起きたのは、その直後だった。


「ん……っ?」


 唇を離した瞬間、シルヴィアの身体がピクリと震えた。


「どうした、シルヴィア?」

「あ、れ……? なんか、急に……身体が……熱い……」


 彼女の頬が、見る見るうちに林檎のように赤く染まっていく。

 呼吸が荒くなる。

 重ねていた手が、火傷しそうなほどの発熱を帯び始めた。


「シルヴィア!? おい、しっかりしろ!」


 俺は慌てて彼女の肩を抱いた。

 汗が吹き出している。

 焦点が定まらず、碧眼が潤み、苦しげに胸元を掻きむしっている。


「はぁ、はぁ……っ! 熱い……奥が、熱いの……! レイン、たすけ……!」

「わかった、すぐに保健室へ運ぶ! 頑張れ!」


 俺は彼女を背負い、校舎へと走った。

 背中に感じる彼女の体温は異常だった。

 それに、身体の奥底から、制御できない魔力が荒れ狂う嵐のように放出されているのがわかる。


 この時の俺はまだ知らなかった。

 この発作が、俺たちの関係を永遠に引き裂く、悪夢のファンファーレだったことを。


          ***


「――『突発性魔力過多症候群(マナ・プレソラ)』ですね」


 学園の保健室。

 白衣を着た校医の女性、マダム・ロゼが、冷ややかな声で診断を下した。


 ベッドの上では、シルヴィアが苦悶の表情で横たわっている。

 拘束具で手足を固定されているのは、暴走した魔力で自分自身を傷つけないためだ。


「魔力過多……ですか?」

「ええ。最近、貴族の女子生徒に多い奇病よ。体内で生成される魔力量が器の許容量を超え、行き場を失った魔力が内側から肉体を焼き尽くす……いわば『魔力の熱中症』ね」


 マダム・ロゼはカルテを見ながら淡々と説明する。


「放置すれば、内臓が溶解して死に至るわ。最悪の場合、魔力爆発を起こしてこの保健室ごと吹き飛ぶでしょうね」

「そ、そんな……! 治療法はないんですか!?」


 俺はマダム・ロゼに食い下がった。

 死ぬ? シルヴィアが?

 冗談じゃない。さっきまであんなに元気に笑っていたのに。


「方法は一つだけ。外部へ魔力を排出させることよ。……レイン君、貴方、彼女と付き合っているのよね?」

「は、はい!」

「なら、貴方が『パス』を繋いで、彼女の魔力を吸い出してあげなさい。簡単なことよ、手を握って魔力を循環させるの」


 なんだ、そんなことか。

 俺は安堵して、ベッドの脇に駆け寄った。


「シルヴィア、大丈夫だ。俺がすぐに楽にしてやるからな」


 俺は彼女の熱い手を両手で包み込んだ。

 意識を集中する。

 俺の体内に、彼女の溢れる魔力を誘導するイメージで。


「……ぐっ!?」


 バチィッ!!


 強烈な衝撃が走り、俺の手が弾かれた。


「あ、がぁっ……!?」

「きゃあぁぁぁっ!!」


 俺の手のひらが焼け焦げ、シルヴィアが悲鳴を上げて背中を反らせる。

 失敗だ。

 吸い出すどころか、俺の微弱な魔力が彼女の奔流に弾き返され、逆流してしまったのだ。


「あーあ。やっぱりダメか」


 マダム・ロゼが呆れたようにため息をついた。


「わかっていたことだけど、貴方の『器』じゃ小さすぎるのよ。Eランクの貴方がAランクの魔力を受け止められるわけがないでしょう? コップで滝を受け止めるようなものよ」


「そ、そんな……じゃあどうすれば……!」


「簡単なことよ。『器』の大きい男性を用意すればいいの。……入ってらっしゃい、グレン会長」


 保健室のドアが開いた。

 現れたのは、長身の男子生徒。

 太陽のような金髪に、知的な碧眼。生徒会長にして、学園最強の魔術師、グレン・アークライト。


「失礼するよ。シルヴィア嬢の容態が悪いと聞いてね」


 落ち着いたバリトンボイス。

 彼は俺を一瞥もしないまま、まっすぐにシルヴィアの元へと歩み寄った。


「グレン会長……どうしてここに……」

「僕の魔力測定値は『Sランク』だ。彼女の過剰な魔力を受け止められるのは、この学園では僕しかいない」


 グレンは当然のように、俺が弾かれたばかりのシルヴィアの手を取った。


「ま、待ってください! 彼女は俺の恋人です! 他の男が触れるなんて……」

「レイン君」


 グレンは冷ややかな目で俺を見下ろした。


「君のちっぽけな嫉妬で、彼女を殺す気かい?」


「ッ……!」


 何も言い返せなかった。

 事実、俺は失敗した。俺には彼女を救えない。

 その無力感が、喉に詰まった言葉を押し殺す。


「治療だ。下がっていなさい」


 グレンは俺を背中で遮り、シルヴィアの顔を覗き込んだ。


「苦しいね、シルヴィア。すぐに楽にしてあげるよ」

「あ……うぅ……会長……熱い、助け……て……」


 シルヴィアは意識が朦朧としているのか、すがるようにグレンの手を握り返した。

 その光景だけで、俺の胸がズキリと痛む。


「『魔力循環(マナ・サーキュレーション)』開始」


 グレンの手が黄金色の光に包まれる。

 彼の膨大な魔力が、荒れ狂うシルヴィアの魔力を優しく包み込み、整流していく。


「ん……ぁ……っ」


 シルヴィアの苦悶の表情が、和らいでいく。

 いや、それだけではない。

 苦痛が引いていく安堵感からか、彼女の口から艶めかしい吐息が漏れ始めた。


「ふぁ……あ……気持ち、いい……」

「そうだろうね。滞っていた血流が一気に流れるんだ。マッサージのようなものだよ」


 グレンは微笑みながら、彼女の手の指に、自分の指を絡ませた。

 恋人つなぎ。

 医療行為に必要あるのか?

 そう疑いたくなるほど、その手つきは濃厚で、いやらしい。


「よし、手からの排出は順調だ。……だが、まだ芯の熱が取れないな」


 グレンがマダム・ロゼを見る。

 女医は頷いた。


「やはり、粘膜接触が必要ね。手足の末端からでは効率が悪すぎるわ」

「仕方ないな。緊急措置だ」


 グレンが、ゆっくりと顔を近づける。

 狙いは、シルヴィアの唇。


「なっ!? ふざけるな! キスする気か!?」


 俺はたまらず叫んだ。

 手ならまだしも、唇はダメだ。それは恋人だけの聖域だ。


「黙りなさい、劣等生!」


 マダム・ロゼが一喝する。


「これは『経口魔力吸引』という立派な術式よ! 粘膜同士を接触させることで、魔力のパスを太くして急速冷却するの。君に代案があるの?」

「それは……でも……!」


「嫌なら見殺しにしなさい。君のくだらない貞操観念のせいで、彼女の内臓が煮えてもいいならね」


 論理の暴力。

 命という人質を取られ、俺は拳を握りしめて立ち尽くすしかなかった。


「……ごめんね、シルヴィア。治療だからね」


 グレンの唇が、シルヴィアの桃色の唇に重なった。


「んっ!? んぐぅ……っ!」


 シルヴィアが目を見開く。

 最初は驚きがあったようだが、すぐにその瞳がトロンと蕩け始めた。


 俺の目の前で、俺の恋人が、他の男とキスをしている。

 それも、ただのキスじゃない。

 グレンの口から送り込まれる高純度の魔力が、彼女の体内を駆け巡り、脳髄を痺れさせているのだ。


 チュパ、クチュ……。


 静かな保健室に、水音が響く。

 長い。

 一瞬の接触ではない。

 グレンは角度を変え、何度も吸い付き、あまつさえ舌をねじ込んでいるように見えた。


「んむッ……ふぁ、ぁ……会長ぉ……んっ♡」


 シルヴィアの手が、グレンの背中に回される。

 苦し紛れにしがみついているのか、それとも快感に溺れて求めてしまっているのか。


 俺は、ただ見ていることしかできなかった。

 ベッドの脇で。

 まるで空気のように。

 一番大切な人が、一番嫌いな男に蹂躙され、その命を救われているという皮肉な光景を。


「ぷはっ……」


 ようやく唇が離れた時、二人の口元には銀色の糸が引いていた。


「はぁ、はぁ……あ、れ……? 私……」


 シルヴィアの顔色が戻っている。

 熱は引き、呼吸も整っている。

 だが、その瞳は潤み、頬は上気し、まるで事後のような色気を放っていた。


「気がついたかい、シルヴィア」


 グレンが優しく髪を撫でる。


「会長……? それに、レイン……?」


 彼女は状況が飲み込めていないようだ。

 自分の唇が腫れていることにも、まだ気づいていない。


「良かった。君が発作で倒れたから、僕が魔力供給をさせてもらったんだ。危機一髪だったよ」

「魔力、供給……? 会長が、私に……?」


 彼女は自分の手を見る。

 そして、まだグレンの手と指が絡み合ったままであることに気づき、慌てて離そうとした。


「あ、ありがとうございます……でも、あの、レインが見て……」

「動かないで。まだ魔力が安定していない」


 グレンは彼女の手を離さなかった。

 それどころか、より強く握りしめ、親指で彼女の手の甲を愛撫するように擦った。


「っ……!?」


「レイン君も納得済みだよ。ねえ、レイン君?」


 グレンが、勝ち誇ったような笑顔を俺に向ける。

 俺に、肯定しろと言うのか。

 自分の彼女が他の男に唇を奪われたことを、「ありがとう」と言えと?


「……あ、ああ。……ありがとう、ございます……会長」


 俺は血を吐くような思いで、その言葉を絞り出した。

 そう言うしかなかった。

 彼は命の恩人なのだから。俺にはできなかったことをやってのけた、正義のヒーローなのだから。


「レイン……ごめんね、心配かけて……」


 シルヴィアが申し訳無さそうに眉を下げる。

 だが、その視線は時折、熱を持ったようにグレンの方へとチラついていた。

 強烈な魔力の奔流と、圧倒的な「オス」としての強さに触れ、本能の部分が刻み込まれてしまったかのように。


「さて、診断結果だけど」


 マダム・ロゼが事務的に告げた。

 その言葉が、俺をさらなる絶望へと突き落とす。


「シルヴィアさんの魔力過多は、慢性的なものになりつつあるわ。一度排出しても、またすぐに溜まってしまうでしょう」


「えっ……そ、それじゃあ……」


「定期的な治療が必要です。……そうね、最低でも『毎日』。放課後にこの保健室へ通いなさい」


 毎日。

 毎日、これをやるというのか。

 あの濃厚な接触を。キスを。あるいは、それ以上の行為を?


「僕はもちろん構わないよ。可愛い後輩の命には代えられないからね」


 グレンは爽やかに笑った。

 その目は、新しい玩具を手に入れた子供のように輝いていた。


「レイン君。君も彼氏なら協力しなさい。……彼女の治療中、外で見張りを頼むよ。誰かに見られると、彼女の名誉に関わるからね」


「見張り……俺が、ですか」


「ああ。彼女の手を握る役でもいいが……君の魔力だと邪魔になるかもしれないからね」


 つまり、俺は「蚊帳の外」だと言われたのだ。

 いや、もっと残酷だ。

 扉一枚隔てた向こうで、恋人が他の男に開発されていく音を聞き続けろという命令だ。


「さあ、もう少し残った魔力を散らしておこうか。シルヴィア、口を開けて」

「えっ、ま、またですか……? でも、レインが……」

「命と恥、どっちが大事なんだい? レイン君も許可してくれているよ」


 グレンが俺を見る。

 俺は、無様に頷くことしかできない。


「あ……はい……お願いします、会長……」


 シルヴィアが、恥じらいながら、けれど期待に震えるように、小さく唇を開いた。

 ピンク色の舌が、微かに覗く。


 俺は逃げるように視線を逸らした。

 だが、水音と、甘い吐息は耳から離れない。


 こうして、俺たちの「治療」という名の地獄の日々が幕を開けた。

 空は変わらず青いのに、俺の世界だけが、どす黒く濁り始めていた。

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