第3話

そうして十三年という歳月があっという間に過ぎ去った。

長く続いた労働の日々の末に、ナザレは石工たちから一目置かれる存在になっていた。

それもそのはずだった。彼は誰よりも腕の立つ彫刻家であり、木こりであり、建築家でもあった。疲れるという概念は存在せず、核融合バッテリーのおかげでエネルギー不足とも無縁だった。

病気にもならず、サボることもない。

食事も不要で、物欲も皆無。

生まれはどこか怪しげであっても、そんな存在を嫌う者は誰ひとりいなかった。

……監督官や市場の商人たちを除いては。

彼らはいつもナザレの態度が気に入らなかった。

なにしろナザレは、ときどき驚くほど正確な計算で彼ら全員に恥をかかせるのだった。

一度など、石工たちが干しナツメヤシをまとめ買いしたときのことだ。

商人は干しナツメヤシの樽を十個持ってきて、ローマ銀貨百枚を要求した。

しかし不幸なことに、そのうち五つの樽はアリに食い荒らされていた。乾燥の過程で問題があったのだろう。

だがナザレは、二十世紀に確立される食料品質管理の基本――ランダムサンプリング検査――を執拗に行った。その結果、アリにやられた五樽は無料で提供されることになった。

さらに彼は、残業と徹夜労働を当たり前のように強いてくる監督官たちにも抗議した。

石工たち全員が仕事を放棄したらどうなるか、よく考えてみろと釘を刺したのだ。

結局、監督官たちは残業のたびに銀貨を上乗せするという契約書にサインすることになった。

そうしてナザレの“脅しと勤勉さ”のおかげで、石工たちの待遇は日増しに改善されていった。

家計が少しずつ楽になり始めると、マリアとヨセフの生活も一気に華やいだ。

二人は毎晩、干し肉と白いパンを食卓に並べるようになった。最近ではワインも少し手に入るようになっていた。

夕方になれば、上機嫌に酔っ払った二人の姿を見つけるのは簡単だった。

だが、それでも二人には一つだけ心配事が残っていた。

子供がいないことだ。

子がいないということは、老いて動けなくなるその日まで骨が折れるまで働き続けなければならないという意味だった。

そして本当に働けなくなったときは、そのまま飢えて死ぬしかない。

まだ“老後福祉”という概念がまともに存在しない時代である以上、どうしようもない話だった。

それに、悩みを抱えていたのは二人だけではない。

ナザレにも大きな問題があった。

それは、このナザレという田舎町のどこを探しても、イエス様が見つからないという事実だった。

石工の中にイエスがいないのはまだいい。

せめて生まれたばかりの赤ん坊の中にでも、それらしい名前があればよかったのだが、それすらない。

そもそも例の“東方の博士たち”とやらが本当にここを通ったのだろうか?

そんなふうに三人がそれぞれ別の悩みを抱えていたある夕暮れ、マリアが口を開いた。

「ねえ、ちょっと考えてみたの。ほら、私たちももういい年なのに、いまだに子供がいないじゃない?」

「そうだな。本来なら、生まれたばかりの孫が飼い葉桶で泣いていてもおかしくない年齢だ。

なのに最近じゃ、知り合いから“お前、種無しだろ”ってからかわれる始末だ……」

ヨセフがしょんぼりと呟くと、マリアは肩をすくめて言った。

「ヨセフ、あんたは種無しで合ってるわよ。で、そこで考えたわけ」

彼女はナザレを見た。

「この十三年間、ずっとあんたを観察してきたけどさ。あんた、かなりいい奴なんじゃないかって。最近の若い子と違って仕事もちゃんとするし、サボりもしない」

「そうそう。それに、マリアに色目も使わない。……というわけで、本題に入ろうか」

ヨセフは一枚の羊皮紙を取り出した。

そこには「養子縁組申請書」と書かれていた。

「養子縁組……? 僕を養子に?」

マリアがうなずくと、ヨセフはナザレの肩をぽんと叩きながら言った。

「つまりこういうことだ。俺たちの財産は全部お前に継がせる。その代わり、お前は俺たちが老いて動けなくなるまで面倒を見てくれ。

死んだら墓も管理してくれ。俺たちが息を引き取るその日まで、看病してくれればいい」

「だが、僕には使命がある。イエスス、イエスス……」

マリアはうんざりしたように叫んだ。

「ぎゃー! わかった、わかったってば! その人探すのも手伝ってあげるから!

十三年間、ずーっとその話ばっかりだったでしょ!?」

「ふむ。なら断る理由はないな」

ナザレは肩をすくめ、二人と一緒に養子縁組の書類にサインをした。

数日後、二人はベツレヘムへと旅立った。

養子縁組の届け出と、ついでの新婚旅行を兼ねて。

ナザレに残されたヨセフの息子――ナザレは、ヨセフが運営していた石工組合を任されることになった。

といっても、たかが半月ほど石工たちを取りまとめるだけの話だった。

しかし、石工たちを統率するという仕事は想像以上に骨が折れた。

テストステロンで脳が浸食されたような男の集団は、一日おきに殴り合いを始めたからだ。

主な喧嘩の理由は、四角関係の不倫と盗み。

そしてナザレが組合長代理の肩書きをつけた途端、「運営者が変わった」というだけの理由で暴力沙汰が起きた。

あまりに酷かったので、前歯を十本失った者が五人、

一人は完全にミンチにされて運ばれていったほどだった。

見かねたナザレは、ありとあらゆる手を試した。

ほのぼのとしたフォークソングを歌い、誰の心も温かくなるようなトロットまで披露した。

だが、この野蛮人どもは決して殴り合いをやめなかった。

堪忍袋の緒が切れたナザレは、チタン製の拳で石工たちの歯を片っ端から粉砕してやろうかと真剣に考えた。

しかし、それはできなかった。

彼の内部には、人間を攻撃するプログラムがインストールされていなかったのだ。

これもひとえに、どこかのクソSF作家が考え出した、ありがたくも迷惑な“三原則”とやらのせいだった。

そのせいで彼に許された最大限の暴力は、空中に向かってシャドーボクシングをすることだけであった。

残念ながら、それは逆効果だった。

「おい、お前! 俺たちバカにしてんのか!? ああ!?」

さらに頭に血が上った石工たちは、ナザレを押さえつけ、その顔面に拳を叩き込んだ。

だが悲鳴を上げたのは石工たちだった。

二人の石工の拳がパンくずのように砕け散ったのだ。

金属の顔面に素手で殴りかかれば、カルシウムが無事なはずがなかった。

大男たちが地面を転げ回るのを見て、ナザレはとうとう怒鳴った。

「黙れ! このサルども! 全員黙ってろ!」

フォークソング仕込みの艶やかな発声で吐き出された罵声に、石工たちは床にひっくり返ったナザレを睨みつけた。

どうにか蹴りの雨から逃れたナザレは、深くため息をつき、怒鳴った。

「頼むからさ、もっと互いを愛して、大事にしちゃダメなの?

“すべての人を愛せ”って話、聞いたことないのか?」

ナザレが言うと、人々は妙な顔をして首を振った。

すべての人を愛する?

じゃあムカつく奴も愛せってことか?

多くの者がそう聞き返した。

そのたびにナザレは、根気強く答えた。

彼の論によれば、人生はただでさえ疲れと苛立ちに満ちているのだから、わざわざ互いに殴り合う必要はない、ということだった。

たいていの人間は、相手の歯を何本か折って初めて気が晴れると言うが、そこでやり返されたらどうするつもりだ、と。

お前が相手の歯を折れば、その歯を折られた奴の子孫が黙っているはずがない。

いつか父の仇だと言って、お前の歯を折りに来るだろう。

ではそのとき、お前の子供たちはじっとしているのか?

ナザレは“天文学的な歯の本数”について講義した。

そんな歯を寄せ集めれば、ヘレネ様式のポセイドン神殿を十棟建ててもお釣りが来る、と。

(最後の部分だけは、誰一人理解できなかったが)

いずれにせよ、石工たちは殴り合いをやめた。

歯がなければ食事もままならないという、ごく単純な理由からだった。

食えなければ働けない。

働けなければ金も稼げない。

金がなければ、やはり食えない。

まさに悪循環である。

こうして怒れる雄牛のようだった石工たちは、食べ物の前では少しだけ従順になった。

互いに唸り声を上げることはあっても、殴り合いだけは控えるようになった。

おそらく、後日“あまり歯が折れない上手な制裁方法”を思いつくまでは、もう少し平和が続くだろう。

石工たちが喧嘩を控えるようになると、人々は彼らに何があったのかと尋ねるようになった。

そのたびに、ナザレの名言が噂話に上った。

とりわけ「敵をも愛せ」という言葉は、多くの人に愛された。

この名言は主に“言い訳”として用いられた。

特に、ヨセフがマリアの大事な食器を割ってしまったときなど、非常に便利に使われた。

いずれにせよ、ナザレの教えを聞いてから、人々が他人を殺す頻度が目に見えて減ったのは確かだった。

ナザレの言葉に影響を受け、彼の弟子を名乗る者も増え始めた。

シモンもその一人だった。

十三歳ほどだろうか。まだ子供っぽさの抜けない少年で、ガリラヤ湖のほとりに住んでいた。

彼はどこで聞きつけたのか、釣り場を整備していたナザレのもとへやって来て、しつこくあれこれと質問を浴びせかけた。

「あなた、すっごく頭がいいんですよね? なんで“互いに愛し合え”なんですか?

頭からぶん殴っちゃダメなんですか?

魚っていつからいたんですか? ポセイドンが作ったんですか?

鳥はどうして飛べるんですか?」

……といった具合に、くだらない質問から宇宙規模の疑問まで、次々に投げてきた。

ナザレはこの小さな人間が心底厄介だった。

今ここに釣り場を作らねばならないのに、このガキのせいで仕事に集中できない。

そこでナザレは、適当に相手をすることにした。

答えは大体「勝手にできた」と「自然現象だ」の二つに収束した。

だがこの小さな人間は、そんな答えでは満足しなかった。

あちこち飛び跳ねながら、早く答えろと急かし続け、ついには質問のスケールを宇宙の始まりにまで拡張した。

とうとう我慢の限界に達したナザレは、作業の手を止めた。

電子頭脳のデータベースを片っ端から検索し、シモンにありとあらゆる知識を叩き込むことにした。

進化論から古典物理学の基礎、そしてビッグバンに至るまで。

膨大な知識を浴びたシモンは、目を見開いて驚いた。

初めて触れた“科学”の話は確かに興味深かったのだろう。

しかしその興味は長く続かなかった。

彼の顔はすぐにこわばり、まぶたは重くなり、

やがてシモンは半目を開けたまま、こっくりこっくりと舟をこぎ始めた。

「やっぱりな」

ナザレはかすかに微笑んだ。

聞いているうちに飽きたシモンは、ついにうつむいて眠ってしまった。

しばらくすると、盛大なあくびをしたシモンは「よくわかりました」とつぶやき、

川岸に繋いであった小舟の上に横になって眠り始めた。

相当眠かったらしい。

すべては計算通りだった。

柔らかい声で膨大な情報を一気に流し込めば、たいていの人間は音を上げる。

人間を眠らせる手段として、物理学ほど優れた子守唄は存在しない。

ようやく質問攻めから解放されたナザレは、再び釣り場の整備を再開した。

泥の上に岩を据え、木材を渡し、人々が通りやすいように整えていく。

しかし作業が終わらぬうちに、水辺から聞き覚えのある声が聞こえた。

「うわっ! あぶっ! 助けてぇ!」

シモンだった。

ナザレが振り返ると、湖の真ん中付近で誰かがひっくり返ったアヒルのように暴れていた。

ひっくり返った小舟にしがみつきながら溺れかけているシモンの姿が見える。

どうやら水流で足場の泥が崩れ、彼が寝ていた舟が流されてしまったらしい。

ナザレはためらわず湖へ向かった。

しかし泳ぎはしなかった。

ロボットが泳ぐ? 論外だ。

一応、性能保証書には「防水機能作動中」と書かれていたが、制作会社がどれだけコストを中抜きしているか知ったものではない。

二万メートルから落ちても壊れないはずの機体が、たった四メートル落ちて裂けたのだ。

そこでナザレは補助推進装置を起動した。

出力を十五パーセントまで上げると、ナザレの身体はふわりと宙に浮かんだ。

彼はそのまま湖面を滑るように横切り、溺れているシモンを抱え上げた。

シモンを抱えて岸へ戻ると、遠巻きに見ていた人々が歓声を上げた。

中にはナザレの足に口づけをし、神の子として崇める者まで現れた。

ナザレは自分は神の子ではないと繰り返し否定した。

しかし誰も信じなかった。

通りがかりの漁師たちが口々に言った。

「今、あんた、水の上を歩いてたじゃないか!

そんな人間が神の子じゃなかったら、じゃあ誰が神の子なんだよ?」

人々は「どの神の子なのか」を早く答えろと迫ってきた。

ただ家に帰ろうとしていたナザレは、何とか人々を振りほどこうとした。

だが彼らはしつこく付きまとい、すでに一部は万歳三唱を始めていた。

「ナザレでイエスを探すナザレさま、万歳!」

ついに観念したナザレは、人々に丁寧に説明することにした。

すべては物理学的に説明可能な現象だというのが要旨である。

彼は宇宙を支配する物理法則について解説し、将来彼らの子孫が発見するであろう科学についても言及した。

最初からゆっくり、柔らかく、しかし内容は石のように硬いトーンで。

説明が終わる頃には、正気を保って起きている者は一人もいなかった。

人々は湖畔の泥を枕に、そろってヒュプノスとの逢瀬を楽しんでいた。

ナザレは満足した。

科学的に実証された、人間撃退法はやはり強力だった。

これで余計な話はもう出ないだろう。

……はずだったのだが、ここでナザレですら予期していなかった大問題が発生した。

うとうとしながら話を聞いていた人々の脳が、難しい単語を軒並み捨ててしまったのだ。

代わりに、比較的簡単な単語だけを選んで記憶に残した。

その結果、彼らの頭の中でナザレの長い説明は次の一文に圧縮されてしまった。

『私は、宇宙を支配する方の、遥かなる子孫であります』

人々の多くは、この言葉を疑いなく信じた。

宇宙を支配する方の遥かなる子孫――それはつまり、神の子に他ならない。

なにせ目の前で水の上を歩いてみせたのだ。

この男が神の子でないなら、巨大なアメンボか何かだろう。

水の上を歩いたナザレの噂は、瞬く間にあちこちへ広がっていった。

足のない噂話は、イエスよりも早くナザレのもとへと戻ってきた。

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