街を覆う影と揺らぐ誓い

 夜刃ノクティア・ラミナの上位の者──

 広場の石像を斬り裂き、

 剣聖と対峙し、

 星芒の解析を拒んだ“影の男”が姿を消したあと、

 広場には重い沈黙が満ちていた。


 住民たちのざわめきは、

 恐怖と怒りの混ざった、どうしようもない濁りを帯びている。


「もう……平穏じゃいられないの……?」


「決闘を壊すなんて……!」


「名誉の象徴が……!」


 街の空気そのものが、

 夜の冷気よりも重く沈んでいく。


(星の乱れ……

 さっきよりも、もっと……強い……)


 胸の奥で星芒が脈打つ。


 剣聖が私へ歩いてくる。


「マオリ……無事か」


「はい……

 でも……剣聖さん、大丈夫ですか?

 さっきの刃……」


「私は問題ない。

 ただ──」


 剣聖は斬り裂かれた像を見た。


「街の“名誉”が、ひどく傷つけられた」


 その声は、

 怒りでも悲しみでもなく、

 ただ静かで、深く重かった。


「夜刃の狙いは“人”ではない。

 “名誉”そのものだ」


「名誉そのもの……?」


「象徴を壊すことで、

 この街の伝統も誇りも、

 全部“虚ろ”にしようとしている」


 そして剣聖は言葉を続ける。


「奴は──

 街を、戦わせたいのだろう」


(この街に“争い”を……?)


 胸の星がざわつく。


「剣聖さん。

 夜刃は、なんでそんな……?」


「名誉に縛られた街ほど、壊しがいがある。

 奴らは“誇りを折る”ことで、

 人の心の弱さを食らう」


「ここまで……酷いことを……」


「酷い、では済まない。

 街に宿る“誇り”すら利用する。

 それが夜刃だ」


 私はぎゅっと拳を握る。


(許せない……

 本当に……許せない……!)


「マオリ」


「……っ?」


「怒りは、星の光を曇らせる。

 だが、君の怒りは“守ろうとする怒り”だ。

 その星なら──曇らない」


 剣聖の声が、少しだけ優しかった。


(剣聖さん……)


「しかし、油断はできない。

 夜刃は今日の戦いで、君の“限界”を測ったはずだ」


「私の……限界……」


「星芒の解析が働かず、

 調和も拒まれた。

 星の裁決と星芒の秩序は強力だが、

 本質は“自衛の絶対法”だ。

 夜刃のような攻撃的な闇には、

 直接は届かない」


 私は黙って唇を結ぶ。


(確かに……

 星芒の秩序は私へ向けられた攻撃だけ……

 剣聖さんを守れなかった……)


 星の光がふるえている。


「だからこそ、だ」


 剣聖は私を見据えた。


「マオリ。

 君の“星芒”は、まだ奥に何かある。

 星の啓示も、裁決も、調和も──

 そのすべてが“何か”を指し示している」


「何か……?」


「夜刃の上位が撤退する間際、

 君の光が奴を止めた。

 あれは判定でも秩序でもない。

 “願い”だ」


 胸の奥が熱くなる。


(あれは……

 ほんとに私の、ただの……!)


「願いは力になる。

 星の光においては“とくに”だ」


「……でも……

 私、そんな……大きな力なんて……」


「マオリ。

 自分の力を恐れるな。

 君は星に選ばれている」


 その言葉に、私は息を呑む。


(星に……選ばれて……いる……?)


 剣聖は再び広場の像へ目を向けた。


「……しかし、このままでは街が割れる。

 決闘の象徴を壊されたことで、

 “どちらがやったか”を巡り、

 一触即発の空気が漂っている」


「そんな……!」


「夜刃はそれを狙っている。

 街が二つに割れれば、

 名誉も誇りも自ずと崩れ落ちる」


 私は思わず駆けだした。


「行きましょう、剣聖さん!

 誰かが“誰かを疑う前に”!」


「……そうだな」


   ◇


 広場から離れる途中、

 住民たちの怒号が耳に刺さった。


「これは北区の連中の仕業だ!」


「なにを言う! 南区の若い連中に違いない!」


「騎士団が不甲斐ないからだ!」


「いや、剣士たちが自作自演したんだ……!」


 憶測が火のように燃え広がり、

 石畳を焦がす勢いで広がっていく。


(これ……

 夜刃が狙ってること、まさに……)


 胸が痛くなる。


 剣聖は低く呟いた。


「放置すれば……

 街が、自ら決闘を始める」


「そんな……」


「名誉を守るために、名誉を壊す。

 もっとも愚かで、もっとも悲しい形だ」


 その時、

 別の方向から駆け寄ってきた人影があった。


「剣聖様! 法の織り手さん!」


 昼間見かけた騎士団の若い団員だ。

 息を荒げ、顔色が悪い。


「どうした?」


「大問題です……!

 街の南区の大通りで、

 “夜刃の印”が刻まれた刃が発見されました!」


「夜刃の……印……?」


「はい……

 まるで“ここにいた”と証拠を残すように、

 建物の壁に突き刺さって……!」


 私は背筋が冷たくなる。


(街を……

 本当に“割ろう”としてるんだ……!)


「北区の者たちは、

 “南区の連中が夜刃を引き込んだ”と騒ぎ……

 南区側は“北区が自作自演している”と反発して……

 大乱闘寸前です!」


 騎士団員の震える声。


 広場の混乱だけでなく、

 街全体が、

 まるで罠にかかったみたいに

 争いへ向かって傾いていく。


「剣聖さん……

 やっぱり夜刃は……

 街を内側から崩そうとしてる……!」


「間違いない。

 象徴を壊し、

 印を残し、

 区画を分断し──

 街そのものを“戦場”にしようとしている」


「どうすれば……

 止められますか……?」


 剣聖は、私をまっすぐに見た。


「マオリ。

 君の星芒が必要だ」


「……私の……?」


「人の心は、刃では変えられない。

 しかし星の光なら──

 “乱れ”を正すことができる」


 胸の星が震え、

 まるで返事をするように光った。


「街の乱れは、

 夜刃の影だけが生んでいるものではない。

 人々の不安、

 怒り、

 憎しみ……

 それらが混ざり合って、

 星の光を曇らせている」


「だから……

 私が……?」


「星の調和は、“心の歪み”に届く力だ。

 夜刃には届かぬが、人の心には届く」


 私は息を飲む。


(星の調和なら……

 街の人たちを……?)


「マオリ。

 君は、この街の“乱れ”を整えることができる。

 星芒は、君の心と街の想いに応える」


 剣聖は静かに続ける。


「そして──

 君が乱れを整えた時、

 夜刃は必ず“動く”。

 影の男は、君の光を恐れた」


(影の男……

 私の“願い”で、動きが止まった……)


「逃げるなよ、マオリ。

 星は、君を選んだ」


 私は胸に手を当て、

 強く頷いた。


「はい……!

 街の乱れを整えて、

 争いを止めます……!

 夜刃の罠には……絶対に乗りません!」


 剣聖は薄く笑う。


「それでこそ、法の織り手だ」


 その時──胸の星光が鋭く脈打った。


(……えっ……!?)


 空気が震えた。


 夜の風が、

 街のどこかから“刃の冷気”を運んでくる。


「剣聖さん……!

 夜刃……まだ街に……!」


「ああ。

 動いている。

 そして──

 次の狙いは“君”かもしれない」


(私……!?

 星の光が……狙われて……?)


 星芒がざわめき、

 私の体の奥で、

 星座が広がる。


「行こう。

 街が壊れる前に、

 夜刃の“本当の狙い”を暴く」


 私は深く息を吸い──

 剣聖と並んで夜の街へ踏み出した。


(絶対に……

 夜刃の思い通りにはさせない……!)


 星光が夜を照らす。


 その光は──

 街に広がる影を、

 ほんのわずかに押し返していた。

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