祈りの裂け目
狭間の奥に広がっていた“祈りの裂け目”は、
まるで夜空と朝焼けの境界をそのまま地面に刻んだような、
不思議な黒い亀裂だった。
近づくほどに、風が“音のない声”を運んでくる。
(これ……夜と朝、両方の祈りの残滓……?)
人の声じゃない。
でも確かに、誰かが祈っていた痕跡──
百年、千年ではきかない時間が積み重なった“願いの層”。
手のひらに抱いた小さな光──影の少女の気配が、ふわりと震えた。
『ここ……私が……裂かれた場所……』
「痛かった?」
『痛かった……けど……忘れそうになってた……
夜も朝も、私を守ろうとしてくれたのに……
みんな、私を“争いの原因”だと思って……』
「違うよ。
あなたはその逆。
夜と朝が手を取り合うための、“約束の形”だったんだよ」
少女の光が、ほんのり色を帯びる。
青銀と淡金がひとつに混ざり、淡い“朝の星”の色になった。
(……綺麗…)
でも、まだ終わりじゃない。
(先に進まなきゃ。
化身の“心臓”──本当の姿は、この裂け目の奥にある)
『マオリ……
こわい?』
「少しだけ。でもね……」
私は胸に手を当てた。
暗い裂け目を照らし出す。
「あなたと一緒なら、大丈夫」
光の少女が、そっと寄り添うように明滅した。
◇ ◇ ◇
“祈りの裂け目”の中へ足を踏み入れると、
周囲は完全な無音になった。
けれど不思議と、息苦しさはない。
(ここ……祈りの狭間と似てるけど違う……)
空気の密度が均一で、
前も後ろも分からないほどの純粋な闇。
でも──胸の星光が道を指し示していた。
(星光は……化身の心臓に反応してる。
絶対、行ける)
私は手のひらの光──影の少女を胸に抱くように歩いた。
『……マオリ。
聞いてほしいこと……あるの』
「うん。なんでも言って」
『私……夜の民にも、暁の民にも……
本当は……居場所がなかったの』
「え……?」
少女の光がわずかにしぼむ。
『夜も朝も、私を生んだけど……
どちらの祈りにも属していなかった。
だから、心臓を隠されたあと……
姿が“影”に落ちたの』
「……だから泉では影だったんだね」
『うん……
影は、“心臓がない”証。
私は、夜明けとしての形を保てなかった』
(……そんな……)
胸が痛む。
ずっとひとりで、
夜と朝の間で、
“どちらの光にも選ばれず”にいたなんて。
(だから、ずっと……待ってたんだ)
誰かが、自分を迎えに来てくれるのを。
『でも……
マオリが来てくれたから……
今は、もう……さみしくないよ』
「……っ」
思わず涙が滲んだ。
でも、こんな場所で涙なんて流している暇はない。
(絶対に取り戻す。
この子の“心臓”を──
夜明けの化身としての、本当の姿を!)
そのとき──
足元がふっと光った。
「え……?」
闇の地面に、青銀と淡金の“星紋”が浮かび上がる。
星座みたいに点が連なり、
光の糸がひとつの場所を指し示していた。
『……そこ……だよ』
「ここに……?」
私はそっと手を伸ばした。
光の糸が絡み合い、
星芒が渦を巻くように中心へ収束する。
そして──
そこにあったのは、
青銀と金の光が重なる、小さな“雫の核”だった。
「……っ……これ……!」
『……私の“心臓”』
少女の声が震えている。
『触って……
マオリの光で、目覚めさせて……』
「うん……任せて」
私は膝をつき、両手で“心臓”をそっと抱きしめるように持ち上げた。
(これは……
夜の雫の静けさと、朝の雫の温もり……
両方がある……)
胸の星光が強く脈動する。
(……いける)
「行くよ──
星光が私の胸から溢れ出し、
心臓へ、少女へ、そして狭間の全体へと広がる。
光が満ちていく。
闇が溶けていく。
そして──
少女の影が、ゆっくりと形を変え始めた。
『──あ……』
淡い光が少女の輪郭を満たし、
影が、色を──意思を取り戻していく。
髪が光を受けてふわりと揺れ、
瞳が夜と朝を宿した澄んだ輝きに変わっていく。
そして、
少女は、完全な姿を取り戻していた。
夜の静けさと、朝の温もり。
そのどちらもを宿した、美しい存在。
これが──
失われていた“夜明けの化身”。
少女は両の手を胸に当て、
小さく微笑んだ。
『……ただいま』
「おかえり……!」
涙が零れた。
少女はゆっくりと私の手を握る。
『マオリ……
私を、地上へ連れて帰って……
夜と朝の祈りのもとへ……』
「もちろん。
約束するよ」
狭間全体が光で満ち、
裂け目がゆっくりと閉じていく。
(行こう──
夜と朝を繋ぐ、
本当の“夜明け”を取り戻すために……!)
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