跪いて愛を誓え
トヨヤミ
第1話 出会い
ハーティス・ミディアは神に愛されたようなうつくしい男だった。
輝くようなブロンドの髪に碧い瞳、白い肌に抜群のスタイル。雑誌やCMのモデルにも引っ張りだこの傾国の美貌の男。
その上才能も身体能力も頭脳も家柄も一級品の、誰もが羨むような完璧な男。
彼は生まれ育った国で知らぬものはいない最強プロスポーツチームのリーダーで、対外的には社交的な紳士と評判だったが実際はこの上なく悪辣で非道だった。
荒くれ者のチームメイトを従え、圧倒的な力で頂点に君臨し続ける絶対的な存在だった。
そう、―――『だった』。過去形である。
元の世界での自分の立ち位置が変わったかどうかなんてハーティスにはわからない。
なぜならある日目を覚ましたら、自分を取り巻くすべてが変質していたのだから。
ぴちょん、と頬に落ちた水の冷たさで目が覚めた。
「……ん…?」
ハーティスはちいさく声を漏らし、もぞ、と身じろぐ。
まだ眠いのでもう少し寝たかった。今日は休日で予定もないはずだ。
しかし身体に当たる硬く冷たい感触に、すぐにおかしいと気がついた。
昨晩は自宅の寝室の大きな寝台で眠りについたはずだ。じゃあなぜ、毛布のやわらかい感触がないのか。なぜこんなに硬く冷たいのか。
さすがに違和感を流せず、ハーティスは目を開ける。
見覚えのない硬く無機質な石畳が視界に映って、思わず飛び起きる。
「…なんだここ」
茫然とした声が漏れてしまったのも無理からぬことだ。
なぜならハーティスがいたのは、どう見ても牢獄だったからだ。
目の前の格子は頑丈で壊れそうにない。
「………刑務所、じゃねえ、か…?」
刑務所に入ったことなどないが、少なくとも現代の刑務所ではなさそうだ。むしろ映画などに登場する昔の王国の牢獄のような。
そもそもなぜ自分がこんな場所にいるのかさっぱりわからなかったが、それでも人一倍精神力が強靱で、冷静沈着の身についた頭が状況をどうにか把握しようとする。
妙に動きにくい身体を動かし、立ち上がるとそばに明かり取り用なのかちいさな窓があった。そこにも格子がはまっているが、どのみち人が通過出来そうな大きさではない。
格子を掴んで外を覗いたハーティスは絶句した。
明らかに自分が住んでいた街とは風景が違う。まるで中世ヨーロッパのような街並みが眼下に広がっていた。
「…なんだここ…って、さっきからなんだうるせえ…っ」
先ほどから動くたびにしゃらしゃらと音がするのが気になっていたが、今更に自分の身体を見下ろして呼吸が止まりそうになった。
自分の身体を包んでいたのはやたらと重たそうな豪華なドレスだった。それだけでもとんでもないのに、自分の身体がおかしい。女性の身体にしか見えない。
「…え、なん、で、」
さすがに目が覚めたら女になっていたなんて、いくら頭の良いハーティスでも理解出来るはずがない。
しばらく茫然自失の状態で固まってしまったが、スルー出来ないことはほかにもある。
なんか、足から鎖が繋がっている。さっきからうるさいあの音はおそらくこれが原因だ。
総合するとどこか見知らぬ場所に拉致され、女性の身体になり、あげく拘束されているということで。
「……………よし、夢だな。寝よう」
ハーティスは思考を放棄した。というかこんな状況になったら誰だって同じ判断をするんじゃないのか。現実逃避とも言うが。
考えてもわからないことは考えないに限る。寝て起きれば元に戻ってるだろう。うん寝よう。
そう決めてもう一度横になろうとした矢先、足音が聞こえて思わず顔をあげた。
「おい、起きてんのかお姫様。
今から………」
「………ニコラス?」
格子越しに自分を見下ろしていた男は、どっからどう見ても自分のチームメイトのニコラスだった。
ただその服装は異国の騎士のような格好で、腰に剣も差してある。
おまけに彼は自分を見てなにやらひどく驚いていた。
「…ちょっと待て。
誰だおまえ」
「……………………オレを知らないのか?」
「知らねえよ。
ここにいるのは王女のはずなんだが…。
まさか身代わりにぜんぜん関係ねえ女を置いて逃げたんじゃねえだろうな…」
ニコラスはなにやら眉根を寄せてぶつぶつつぶやいている。
状況はよくわからないままだが、とりあえず目の前の彼は自分のことを知らないらしい。
自分の知っているニコラスならば、性別が変化していようとすぐ気づいてくれるはずだ。
おまけに「王女」ってなんのことだ?
「…おまえもオレがここにいる理由を知らないのか?
オレは気づいたらなぜかここにいて、ここがどこなのかもなぜなのかもまったくわからないんだが」
「…名前は?」
「…ハーティスだ。ハーティス・ミディア」
ニコラスは難しい顔をしたあと、格子のそばにしゃがみ込んで名を尋ねて来た。
なんかこいつに名前を聞かれるってちょっと違和感というか、さすがにショックというか。
ニコラスとは幼なじみでチーム内でも一番付き合いが長かったし、一番自分を慕ってくれていたのに。
「…ハーティス・ミディア…。
…あー、そういうことかあの愚王が…」
「なんの話だ?
一人で納得していないで事情を説明してくれ」
「…ここはこの国の王城で、オレは反乱軍の一員。
国王がひどいやつでな、不満を持ってたオレらみたいな人間が一斉蜂起して城を制圧したわけ。
国王はその前に逃亡したみたいだが、あんたを置いて行った。
要するに反乱軍の怒りの矛先を逸らすための生け贄ってことじゃないか?
ミディア家のお嬢様?」
「…………オレと、そのバカな王に関係があるのか?」
「それも知らなかったのか。
まああの国王は自分の邪魔になるやつはぜんぶ辺境の地の屋敷に軟禁してたらしいしな…。
ま、あんたがあの国王と一緒になってバカやってた王女じゃないとしても王家の血を継いでるのは事実だからな。
ひとまず一緒に来い。
話はそれからだ」
「…わかった」
あまり迷わず頷いて立ち上がったハーティスを見て、ニコラスはいささか驚いたように目を瞠る。
牢の鍵が開けられ、足の鎖は外されたが手枷は嵌められた。
その間もまったく動じずにいるハーティスに、ニコラスは奇妙なものを見るような目を向けている。
「…やけに肝が据わってるんだな。
普通、こんな状況になったら怯えるか泣くかすると思うんだが」
「誰がするかそんなめんどくせえこと。
泣けば誰かが助けてくれると思ってる女はオレは大嫌いなんだ」
「……お嬢様の割に、口も悪いし。
つか、なんでオレの名前知って…」
今更にハーティスが己の名を知っていたことに気づいたのか、ニコラスが眉を寄せた。
しかし牢の外にいたほかの男に促され、ハーティスを伴って外に出ることになった。
ニコラスを先頭に、複数人の男に周囲を囲まれて廊下を歩きながら、ハーティスは物珍しそうに辺りを見回している。
廊下は見事な造りで、しつらえも立派だ。どこぞの国の宮殿のようなきらびやかな内装で、壁には絵画が飾られ、床に敷かれた絨毯も上等で肌触りが良い。
というか自分は現在裸足だ。靴がないのきついな。万一戦うことになったら、やっぱり靴を履いていたほうが蹴りに威力が出るし。つか手枷も邪魔だし。まあ相手の人数にも寄るしなあ。
と考えるも、それ以上に気になることがある。
自分を気にしたようにちらちら視線を向けるニコラスと、彼の横に立つ黒い肌の男の存在だ。
彼も自分のチームメイトで、名をレックスという。
しかし様子から見て、彼も自分のことを知らないらしい。
ニコラスから聞いた情報を総合すると、ここはどこぞの王国で反乱軍に制圧されている。国王はひどい人間で彼はさっさと逃げてしまい、生け贄に自分を置いて行った。
しかし、国王と自分の関係性がまだわからない。王家の血を継いでいるということと、邪魔な人間を軟禁していたというあたりから考えると、国王と王位を争って敗れた王子の娘あたりだろうか。
どうやら国王に自分と同じ年頃の王女がいたらしいし、ならその国王の兄弟である王子の娘を身代わりにしてもおかしくはない。
というかここほんとどこなんだ。なんでこんなところにいるんだ。しかも性別変わってるし。
やっぱりぜんぶまとめて夢かな。むしろ不思議の国に迷い込んだアリスみたいなやつか?
むしろパラレルワールドかもしれない。名前も姿も同じで生まれや育った環境が異なる別人的な。
「おい、」
「…あ?
悪い、考え事してた」
「…いや、おまえ、この状況でよく考え事出来るよな…」
ニコラスの声にはっとして顔を上げたらなんか呆れた目で見られた。
目の前には大きな扉がある。どうやら目的地に着いたらしい。
レックスのほうが「なんでこのお姫様はこんな平然としてんだ?自分の立場わかってんの?」と小声で話しかけ、ニコラスに「いや王女じゃないんだって。まあ肝が据わりすぎてるとは思うけど」とか返されてる。
筒抜けなので内緒話ならもうちょっと声量絞れよ。
そんなことを考えていると扉が開いた。促されるまま中に入ると、殺気すらこもった視線を向けてくる大勢の男たちがいたが、彼らは一様に自分の姿をまじまじと見て驚く。
憎悪の対象であった王女ではない、ということくらいはわかるんだろう。まあ王女なら国民の前にも姿は見せてるだろうしな。
「…おい、ニコラス。
この女は誰だ?
王女じゃねえぞ」
「彼女はハーティス・ミディア。
国王の弟殿下のご令嬢で、弟殿下亡き後も辺境の地に押し込められてたせいか、自分が王家の血を継いでるってこともこの国の状況もわかってねえみたい」
「…なんでそんな女が王城にいるんだよ」
意味不明だとばかりに顔をしかめた黒い肌に銀髪の大男のことはよく知っていた。
「…オルバー」
マルク・オルバー。元の世界で自分が率いていたチームの一員。
女好きで粗野で乱暴で、一度キレると手が付けられなくなる獣のような男で、けれどリーダーのハーティスにだけは絶対服従だった。
自分が男の時ですら、彼との身長差は20センチ近くあったし自分より遙かに大きかったが、女性になって自分の身体がちいさくなったからか、今まで以上に巨大に見える。
「あん?
なんだこいつ、オレの名前は知ってんのか?」
「あ、そういえばオレの名前も知ってたんだよな…」
「…おまえたちのことは知らない。
よく似た知り合いがいたもんでな」
ハーティスは少し考え、そう答えた。
少なくとも“この世界”は“自分がいた世界”とはちがうようだし、目の前の“彼ら”も自分の知っている“彼ら”とはちがう。
ならとりあえず現状把握と、この危機的状況を打開するのが先だ。
自分が“哀れな生け贄”だろうと、反乱を起こした彼らにとっては憎い王族の一員らしいし、たとえ世界が違っても、オルバーたちはそんな女に同情して見逃してやるほど善人じゃない。自分の知っている“彼ら”と性格が同じならば、の話だが。
「どうする?
オルバー。
この女はなにも知らねえみたいだし、あの国王が自分たちが逃げるために身代わりに置いてったんだろ。
ずっと辺境の地に軟禁されてたんだから、今までの国王たちの所業とは一切無関係だろうし」
「だからなんだよ?
王族なのは事実だろ?
むしろあの国王や王女がいなくなって、弟王子もいないってんなら唯一の新王候補だ。
そんな女、いたって邪魔なだけだろうが」
「…まあ、それはなあ」
一番冷静に事実を述べたのはニコラスで、彼は元々チーム内では一番常識的な人間だった。あくまでチーム内では、というだけで一般的に見れば彼も悪人の部類ではあったが。
そのニコラスの言葉を一切歯牙に掛けず、尊大に笑って切り捨てたオルバーに、レックスも同意する。
よし。“こいつら”の性格はオレの知ってる“あいつら”とほとんど同じと思っていいな。
なら、やりようはある。
「とはいえこれだけの美人だ。
ただ殺しちまうのはもったいねえしなあ…」
極度の女好きという部分も同じらしく、オルバーがにやにや笑って近づくと、ハーティスの細いおとがいを大きな指でとらえた。
「逃げられないよう、逆らえないよう足の腱でも切って飼うんだったらべつに生かしておいても…」
「ひとつ、忠告をしておくぜ」
オルバーの手を払いのけることもせず、唇に優雅な笑みを浮かべて告げたハーティスに、オルバーが目を瞠る。
「なに言ってんだこの女」とでも言いたげな視線を歯牙にも掛けず、ハーティスは予備動作なくその巨体に蹴りをたたき込んだ。
反応すら出来なかったオルバーは、もろに蹴りを食らって数メートル吹っ飛ばされる。
ニコラスたちも誰もが信じられない様子で、すぐに反応出来るものはいなかった。
ハーティスはその隙に邪魔なドレスの裾を手で掴んで引き裂くと、すぐに床を蹴る。
オルバーもまさかドレスをまとったうつくしい姫君が突然あんな蹴りを繰り出してくるとは思っていなかったのだろう。おまけに女性とは思えない威力と速度で、予備動作もないから油断していたらまず反応など出来ない。
鳩尾に思い切り喰らってしまったため、床に倒れたまますぐに起き上がれずにいたオルバーは、茫然と立ち尽くしていた反乱軍の若者を慣れた動きで蹴り倒し、剣を奪い取ったハーティスを見て息を呑んだ。
オルバーが立ち上がるより早く、彼女が振るった剣がその首筋に押し当てられる。
彼女は周囲にいる男たちなど敵ではないというような、自信に満ちあふれた艶やかな笑みを浮かべて、まるで女王のように告げた。
「跪くのはおまえのほうだ。
オレに逆らうなよ」
ステンドグラスから差し込んだ陽射しが降り注いで、金色のうつくしい髪が光り輝いている。
自分の置かれた状況も忘れて、息すらも失うほどに、目を奪われて魅入られた。
オルバーだけではなく、周囲にいる者たちも同様だった。
まるで天上から女神が降臨したのを目にした人々のように、逆らう意思すら失ってひれ伏しそうになるほど。
――それは夢のように、神々しい姿だった。
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