第12話 一日の報告

 初日の学校は、熊と全力で取っ組み合するよりも疲れた。


 クラスで自己紹介して、英雄になるとか言ってしまって、守護生がどうこうって話になって、女子の視線が一斉に突き刺さってきて……。


 山じゃ、あんな種類の敵はいなかった。


 女子はすごく良い匂いがして、みんな柔らかくて優しかった。


 帰りは白代さんと、黒川さんが寮まで送るというので、一緒に帰ってきた。桜さんがいうように、息は沙耶さんと二人だったのに、帰りは三人で帰ってきた。



 昨日来たばかりなのに、安心した。


 ただいまって、自然に思える場所ができるって、なんか不思議だ。



「二人ともありがとう」

「せつかは、明日の朝も迎えにくる」

「わっ私も! よっ、よろしくね」


 それが九十九では当たり前なのだろう。二人に別れを告げて、家に入った。


 引き戸をガラリと開けると、ふわっと醤油と出汁の匂いが鼻に届いた。


「ただいま戻りましたー……」


 声が勝手にしおれてしまった。


「おかえりなさい、零士くん」


 奥の台所から、明るい声が飛んできた。


 覗いてみると、エプロン姿の沙耶さんがいた。髪はゆるくひとつに結んでいて、学校で見た「生徒会長モード」じゃなくて、「家のお姉さんモード」だ。


 ……エプロン、似合いすぎでは?


「今日はどうでしたか? 初登校」


 いつもの微笑みでそう聞かれて、なぜか背筋がしゃんとした。


「えっと、その……すごかったです」

「ふふ、ざっくりしてますね。いい意味で? 悪い意味で?」

「良い意味ですね」


 正直に言ったら、沙耶さんはくすっと笑った。


「でも、人が多かったです。あと、女子が多くて、視線が多くて……あ、守護生も決まって」

「白代さんと、黒川さんですね。ちゃんと挨拶できましたか?」

「はい」

「よかった。……変なこと、されてませんよね?」


 最後の一言だけ、ちょっと声にトゲがあった気がする。


「変なこと?」

「ええ。いきなり手を握られたり、抱きつかれたり、勝手に写真を撮られたりとか」

「そ、それはないです! 大丈夫です! むしろ、クラスメイト全員が気を遣ってくれているのがわかりました」


 素直に報告すると、沙耶さんはほんの少し頬を赤くしていた。


「とても、立派な挨拶でした。ずるいくらいに」

「ずるい……?」

「はい。ああいうまっすぐな言葉は、反則です」


 反則らしい。僕は知らずにルール違反をしていたらしい。

 

 でも、入学式の挨拶を褒めてもらったのは、嬉しいな。


「とにかく、お腹空いていますよね? 先に手を洗ってきてください。夕食、すぐ出せますから」

「はい!」


 洗面所で顔まで洗ってから居間に戻ると、ちゃぶ台の上にもうご飯が並んでいた。鶏の照り焼き、千切りキャベツの山、豆腐とわかめの味噌汁、それから冷奴と漬物。


 ……すごい。なんか温かいなって感じだ。


「わぁ……」

「そんなに驚くほどのものじゃないですよ?」

「いや、美味そうです! いただきます」

「おばあちゃんは、今日はお出かけなので、二人です」

「そうなんですね」


 二人で手を合わせて、まずは味噌汁を飲む。


 あったかい。体の芯に、じわーっと広がっていく感じがした。


「どうですか?」

「美味しいです。ちょっと甘くて、優しい味がします」

「よかった。零士くん、よく動きますから、塩分と糖分はバランスを考えないといけないんですよ」


 さらっと言うけど、たぶんいろいろ考えてくれているんだろう。照り焼きも一口。噛んだ瞬間、肉汁がじゅわっと出て、思わず目を閉じてしまった。


「……うまっ」

「ふふ。よかったです」


 その笑顔を正面から見て、急に恥ずかしくなって、慌ててご飯に視線を落とす。


 沙耶さんはやっぱり綺麗だと思う。直視すると、心臓に悪いやつだ。


 お茶を注ぎながら、沙耶さんが聞いてくる。


「女子が二十五人で、男子が僕と晴信の二人だけでした」

「一年A組は、そういうクラス編成ですからね」

「うーん、みんな強そうだなって」

「ふふ、零士くんらしい基準ですね」

「あと美人が多いと思いました」


 沙耶さんの箸の先が、ちょっとだけ力強くなった気がする。鶏肉が切り刻まれそうだ。


「ど、どうかしました?」

「いえ? なんでもありませんよ?」


 にこっと笑うけど、目が笑っていない。こわい。


「白代さんと黒川さんが、しっかり守ってくれていましたか?」

「はい。せつかさんは、『稀少個体』って言ってました」

「ぶっ!」


 沙耶さんは、危うくお茶を吹き出しそうになって、口元を押さえた。


「ごめんなさい。白代さんらしいなと思って」

「僕、『稀少個体』って言われたの初めてです」

「稀少ですよ。零士くんは」


 当たり前みたいな顔で言うから、余計に照れくさい。


 箸が空中で止まってしまって、慌ててキャベツをつまむ。キャベツ、ありがとう。


「真壁くんとは、どうでした?」

「晴信は……優しかったです。僕が分からないことがあると、全部教えてくれました」


 悪質なナンパとか、ギャル高とか、マフィア……はまだちゃんと想像できてないけど。


「『MBGいないの?』って聞かれました」

「……そうでしょうね」


 沙耶さんの声が、ちょっとだけ低くなった気がする。


「零士くんにMBGをつけると、逆に手が足りなくなりそうで怖いんですよね」

「僕、そんなに問題児ですか?」

「いえ? 守りたい人が多くなりそうだなと」


 意味が分かったような、分からなかったような。


 山では、じいちゃんの背中しかなかった。


 九十九では、守護生や先生や、沙耶さんを僕が守らないとな。


「英雄って、守られる側なのか、守る側なのか、よくわからなくなってきました」


 ぽろっと本音が出た。沙耶さんは、少し黙って箸を置いた。


「……どちらか一つじゃ、ダメなんだと思いますよ」


 顔を上げると、生徒会長モードの目だった。真剣で、まっすぐなやつ。


「誰かを守る人は、ちゃんと守られないといけません。倒れてしまったら、それ以上守れなくなりますから」

「はい……」

「だから、零士くんは守られてください。ちゃんと助けを借りてください。その上で、守れるようになればいいんです」


 言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。


「それができる人の方が、私はずっと英雄だと思います。一人では何もできない。だけど、たくさんの人を引っ張っていく力がある人のことです」


 じいちゃんの言葉が頭に浮かぶ。


『英雄は、一人で立っとるように見えてもな、絶対どっかで支えられとるもんじゃ』


 ……やっぱり、似てるな、この人とじいちゃん。


「……はい。ちゃんと、頼ります」

「よろしい」


 沙耶さんは、少しだけ満足そうに笑った。


 

「お味噌汁、おかわり、どうぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 お椀を差し出した瞬間、指先がちょっと触れた。


 ビリッ、と変な電気が走った気がして、反射的に手を引っ込めてしまう。


「あ、ご、ごめんなさい!」

「いえ、こちらこそ」


 沙耶さんも、少しだけ耳が赤い。


 お椀を受け取って、味噌汁を注ぎ足してくれる。


 その横顔を見ていたら、沙耶さんがふいにこちらを見た。


「……零士くん」

「はい?」

「口元に、タレがついてますよ?」

「えっ」


 慌てて袖で拭おうとした瞬間、手を止められる。


「だめです」


 すっと手が伸びてきて、沙耶さんのハンカチで拭いてくれる。


 近い。顔が近い。


「……はい、取れました」

「ありがとうございます……」


 心臓がうるさい。こんなに味噌汁ってうるさい音したっけ。


「山では、こういうの、全部自分でやってたんですよね?」

「じいちゃんは、口に付いてても放置でした。『そのうち乾く』って」

「ふふ。それはそれで、いいおじいさまですね」


 笑い方が、なんかずるい。安心するし、ドキドキもする。


「じゃあ、これからは私が乾く前に拭いてあげますから」

「へ?」

「その方が、零士くんの英雄イメージが保てますよ」


 イメージケアらしい。英雄も大変だな。


「……よろしくお願いします」

「はい。任せてください」


 そう言って、またにこっと笑った。


 ご飯を食べながら、ふと考える。


 英雄になるためには、まだまだ足りないことが多い。


 強さも、知識も、常識も、たぶん恋愛とかそういうのも(よく分からないけど)。



 沙耶さんが作ってくれた夕食を終えた僕は、英雄になるためには、ただ女性に守られているだけの生活などダメだと思った。


 だから訓練も兼ねて、ランニングに向かう。


 僕は真っ黒なジャージに着替えて、黒い帽子をかぶって玄関ではなく窓から外に出る。


 屋根に上がって、街並みを見下ろした。


 九十九桜さんが改装してくれた古民家は、商店街やショッピングモールから少し離れていて、山の上にある学校には近いが、誰かを守る街からは遠い。


「でも、ちょうどいいかもな」


 じいちゃんの言葉に、『英雄は一日してならず』という言葉がある。


「まずは、街を知るための情報収集だな」


 僕は、真っ黒な服を着てランニングをするように繁華街に向かっていく。


「凄いな。山じゃこんなに明るくないぞ」


 時刻は、二十二時を過ぎている。それなのに街には灯りがついて、どこを見ても明るい。ゆっくりと街を歩きながら、僕は街の美しさに驚いてしまっていた。


「こっちこいや!」


 路地裏で、叫び声がして、僕の視線はそちらに向けられた。

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