第4話 世界の常識
side朝比奈零士
女性と同居するのは驚いたけど、まぁ、じいちゃんの知り合いだから大丈夫だろう。部屋に荷物を運び終えて、一息ついた頃だった。
「零士くん、ご飯できましたよー」
二階の廊下に、紗耶さんの声が響いた。ふすまを開けて顔を出すと、下からいい匂いが上がってくる。
「はい、今行きます!」
階段を下りると、台所の奥にある居間にちゃぶ台があって、その上に料理が並べられていた。
焼き魚、味噌汁、ほうれん草のおひたし、冷ややっこ、それから卵焼き。
「おお……!」
思わず声が漏れる。
山でじいちゃんと食べてきたご飯も美味しかったけど、目の前の食卓は、なんというか「ちゃんとした家の晩御飯」という感じがした。
しかも、量が多い。
「どうだい零士。うちの紗耶の料理は」
桜さんが、どっかり座布団に腰を下ろしながら嬉しそうに顎をしゃくる。
「紗耶さんが作ってくれたんですか? ありがとうございます」
「は、はい。ちょっとバタバタしちゃいましたけど……その、口に合えば嬉しいです。量も足りなければ、ご飯と、お味噌汁、卵焼きもおかわり自由ですからね」
「凄く嬉しいです!」
紗耶さんはエプロン姿で、ちょっとだけ照れくさそうに笑っていた。
じいちゃんから聞いていた、家庭的な女の人だ。
やっぱりじいちゃんが言っていたことは本当だったんだ。こんな人を守れるようになりたい。
「いただきます!」
三人で手を合わせて、ご飯を食べ始める。
一口、焼き魚をほぐして食べる。
「……うまい! メチャクチャ美味いです」
思ったままが口から出た。
ふっくらしていて、骨もちゃんと取ってあって、味噌汁も優しい味がする。卵焼きはほんのり甘くて、白ご飯が進む。
「よかったぁ……!」
紗耶さんが胸をなで下ろす。
「零士はよく食べるだろうからね。たくさん作ってやっておくれ、紗耶」
「うん。が、頑張ります……!」
そんなやり取りを聞きながら、僕はもりもりとご飯をかき込んだ。
山の空気と朝の訓練で減った分のエネルギーが、じわじわと戻ってくる感じだ。
ひと段落ついたところで、紗耶さんが箸を置いた。
「えっと……零士くん」
「はい?」
「明日から、私立九十九高校に通うことになるわけですけど……少しだけ、学校のことを話しておこうかなって」
「あ、お願いします。まだ周りのこと全然わかってなくて」
僕がうなずくと、紗耶さんは姿勢を正した。
「私立九十九高校は、この周辺では一番有名な高校なんです。進学率も高いし、スポーツも盛んだし、設備もそれなりに整ってて……」
「ほう、それは凄いですね。じいちゃんに薦められて選んだ甲斐があります」
「ふふ、自慢じゃないが、自慢できることさね」
桜さんも嬉しそうに、食後のお茶を楽しんでいた。
「優秀な生徒が集まる、っていうのが売りで。特に女子のレベルが高いって言われています。勉強も、運動も、家柄も、戦闘力も」
「優秀な女子が集まる高校……戦闘力?」
なんか、じいちゃんが聞いたら鼻息を荒くしそうな言葉だ。
「で、共学なんですけど……」
そこで、紗耶さんは言葉を区切った。
「女子の方が圧倒的に多いです。零士くんも、街で見て驚いたと思うけど……世の中全体がそうなっているから」
「うん。さっき駅前見て、びっくりしました。山じゃ、俺とじいちゃん。それに学校にはばあちゃん先生しかいなかったから」
「だから、その……」
紗耶さんは少し言いにくそうに、視線を彷徨わせる。
「九十九高校自体は、男性も通える共学高校なんですけど、気をつけてほしいんです」
「気をつける?」
「はい。女の子が多い分、どうしても男の子は目立つし、狙われやすいというか……」
狙われる? 熊とかイノシシみたいな感じだろうか。
でも、じいちゃんからは都会は危険な場所だって聞いてきた。
「大丈夫ですよ。じいちゃんからは、都会は危ない場所だって聞いてます。だから、自分の身は自分で守れるように鍛えてます」
「うーん、多分ね。そういうことじゃないんだ。男の人を狙った他校の悪質なナンパとか、付きまといとか、そういう程度じゃなくて、男の子を巡って、女子同士のトラブルになることもあるんです」
そう言って、紗耶さんは真剣な顔でこちらを見た。
女子同士のトラブルが僕にはわからない。女性がいた生活を送っていない。
「零士くんは、山奧で暮らしてきたから……そういう、今の常識にまだ慣れてないところもあると思うんです。だから、変な人に捕まらないように、本当に気をつけてください」
「変な人に捕まる?」
僕は少し考えてから、首を傾げた。
「……つまり、女の人から襲われるかもしれないってことですか?」
「ぶっ!」
向かいでお茶を飲んでいた桜さんが、盛大に吹き出した。
「おばあちゃん!?」
「いやいや、悪い悪い。零士、言い方ってもんがあるだろうよ。だけど、間違ってはいないよ」
紗耶さんは顔を真っ赤にして、慌てて手を振る。
「そっ、そうなの! その、男の人に近づきたいっていう女の子は多いから……距離感とか、ちゃんと気をつけてねって意味で! それに最近はこの街に、男性を狙うマフィアがいるっていう話なの」
「マフィア? なるほど、それは危険ですね」
僕はうなずいた。そんな危険な街だったのか。
「ええ、暴力で男性を従わせて、連れて行こうとするのよ」
「大丈夫ですよ」
紗耶さんの言葉に即答で返した。
「僕はそんな女性には負けません」
「えっ? 負けない?」
「はい。女性が多くても、僕は山で鍛えたから」
「……え?」
「どんな相手が来ても、全力で対応できます。襲われそうになったら、距離を詰めて、体勢を崩して、安全なところに誘導すればいいんですよね」
避難訓練と一緒だ。じいちゃんが、何度も言っていた。
『パニックになっている人間ほど危ない。まず落ち着かせて、安全圏に連れていけ』
「都会の女の人がどれくらい強いのか、まだ想像つかないけど……もし危ない感じなら、ちゃんと守りますから」
僕が真面目に言うと、ちゃぶ台の向こう側が静かになった。
「…………」
「…………」
紗耶さんと桜さんが、同時にこっちを見て固まっている。
「あれ?」
なんか変なこと言っただろうか。
「れ、零士くん?」
「はい」
「いまの、守りますっていうのは……?」
「危ない女の人がいたら、周りの人も含めて、安全なところに避難させますって意味です。駅前とか、人混みだと二次被害も出やすいので」
訓練のとき、何度もシミュレーションした。
崖崩れ、倒木、洪水、火事。危険に対しては、先手で動くのが大事だ。
何よりも暴力的な女の人も制圧すれば、おとなしくなるってじいちゃんが言っていた。
「いや、そうじゃなくてねえ……」
桜さんが額を押さえる。
「紗耶、お前、ちゃんと説明してやんな」
「え、えっと……」
紗耶さんは、もじもじしながら箸をいじった。
「この街では……女が男を守るのが普通なんです。男の人が守るって言うのは、その……」
「その?」
「結構、その……重いというか……特別というか……」
なんでそこでそんなに顔が赤くなるんだろう。
山では普通の会話だったのに。
「でも、じいちゃんが言ってました」
僕は、茶碗を両手で包んだ。
「男は、一生に一度でいいから、英雄を目指して全力で足掻くべきだって。誰かを守れる男になれって。だから、僕はそうします」
そう言うと、桜さんが「ほほう」とかすれた声を出した。
紗耶さんは、ますます顔を真っ赤にして俯く。
「ま、参ったねぇ。武臣のじじいめ、ちゃんと仕上げてきおった」
「おばあちゃん……」
「なに。男前なこと言われて、内心嬉しいくせに」
「う、嬉しくなんて……ないことも……ないけど……」
最後の方が、小さすぎて聞き取れなかった。
「と、とにかく!」
紗耶さんは勢いよく顔を上げる。
「零士くんは、本当に危ない人とか、困ってる人を助けるときだけ、全力でお願いします。変な女の子に守るって気軽に言ったりすると、いろいろ……大変なことになるので!」
「いろいろ?」
「いろいろです!」
力強く言い切られてしまった。
よくわからないけど、紗耶さんがそこまで真剣なら、ちゃんと気をつけよう。
「わかりました。じゃあ、本当に危ないときだけにします。あと、紗耶さんと桜さんは、優先的に守ります」
「っ……!」
紗耶さんの肩がびくっと震えた。
桜さんが、隣でニヤニヤしている。
「ほら、嬉しいじゃないかねぇ」
「おばあちゃんは黙ってて!」
紗耶さんは、耳まで真っ赤にしながら味噌汁を飲み干した。
その横顔を見ながら、僕はご飯をかき込む。
女の人が多くて、男の人が狙われる街か、じいちゃんがいうように英雄になるには良いのかもな。
そんな世界でも、僕のやることは変わらない。
困っている女の人がいたら助ける。
そう決めて山を下りた。
明日から始まる高校生活も、その延長線上だ。
よし。ちゃんとやれるはずだ。
腹を満たしながら、僕は密かに拳を握った。
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