第26話 本間(ほんま)の夢

本間茂樹


空谷が階段から転落した翌日、私は校長室へ呼ばれた。

カーテンの隙間から射す午後の光が、机の上に斜めの影を落としている。


校長は椅子にもたれ、書類を握りしめていた。

その指先は、かすかに震えていた。


「今回の事件…… お前はどう責任を取るつもり  

 だ?」


低い声が、部屋の空気を冷たく揺らした。


「天才と呼ばれた選手を失い、そこから新しい問題 

 まで生まれた。

 私がどんな思いで高野連に説明したと思ってい 

 る。」


言葉の鋭さに胸が詰まりそうになる。

それでも、私は静かに口を開いた。


「…。 お言葉ですが、あれは事故です。

 暴力事件ではございません。

 空谷本人も、そう証言しております。」


「黙れ!」


机が震える音が響いた。


「SNSでは“暴力事件”だと決めつけられている!

世間の目は、そこに向くんだ。

原因を遡れば……お前の指導が甘かった。

それだけだ。」


その言葉は、反論する余地すら与えなかった。


校長は大きく息を吐き椅子に背を預けた。


 「今回だけは見逃してやる。

  だが、次に何かあれば……お前は全てを失う。

  覚悟しておけ。」



机にあったボールが転がり落ち、私の足元で止まった。


「……。 承知しました。」


その言葉しか出なかった。


「もういい、出ていけ!」


怒りというより、疲れ切った声だった。

私は深く頭を下げ、静かに扉を閉めた。


廊下へ出ると、西日が長い影を落としていた。

握りしめた手のひらには、いつの間にか爪の跡が赤く残っていた。


ついこの間まで、あんなに穏やかだった人が

今はただ、怒りと恐怖に飲み込まれた一人の人間だった。


だが、責める事はできなかった。


原因は、私自身にあった…


目を閉じると、グラウンドに響く白球の音が蘇る。

夕日の下、笑っていた少年たちの姿。

そして、監督室で交わした何気ない一言。


「空谷は打撃もいいから、3年間ずっと先発

で起用しよう。

他のピッチャー陣には悪いが、空谷が怪我

をしないよう控えてもらうか。」


その一言が、誰かの未来に影を落とすなど考えもしなかった。


あの時の私は、勝利に目をとられ

選手達の背中を見ていなかった。


その事実に、今更ながら押し潰されそうに

なっていた。


数日後の夜。

私は誰もいない部室にいた。


ロッカーの奥には、使い古されたグラブと

ボール。


誰かが忘れていった帽子には、うっすらと汗の跡が残っていた。


蛍光灯は断続的に点滅し、壁に影を揺らしていた。


机に腰を下ろし、ぼんやりとグラウンドの方を眺めた。


音がない…


蝉の声も、風の音も、何一つ聞こえない。


スマホが机の上で震え、部屋に唯一の音が生まれた。


画面の灯りが、薄暗い顔を白く照らす。


≪ニュース速報≫

○○市交番で高校生が関与する事件

関係者3名死亡との情報

野球部員とのトラブルが背景か…


指先が止まった。

文字を追う目が、乾く。


そこには、見覚えのある名前。


――棚橋修也。


世界がうねりを挙げる音と共に、私の鼓動も

大きくなっていく。


机のボールを握ると、革の冷たさが掌に伝わった。


あの日の声が、遠くで揺れる。


「ナイスピッチ。」


目の奥が熱くなった。


それは涙ではなく、血のように重い後悔だった。


あのとき、最後まで棚橋を追っていたら…


素直に謝っていれば…


過去が重くのしかかる。


紙を取り出し、震える手でペンを執る。

言葉はすぐに滲んだ。


「全てを失う……か…」


その声は、誰の声でもなく、胸の奥に残った最後の言葉だった。


蛍光灯が、ひときわ強く点滅した。


その光が消えるころ、私の選択は、誰かの人生を巻き込み始めていた。


部室は、完全な闇に沈んだ。



少し離れた交番から、何かを乗せた風が学園へと向かって吹いていく…




27話へ続く

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