第20話 集団戦の奇跡

異界戦線の空は、今日も色を失っていた。

灰色の雲の下、第二防衛ラインに全兵力が展開されている。

高速変異アバドンの大群――数にして数百。

質ではなく、“速度”と“学習”で押し潰す群れ。


ヴァースは後方の観測地点に立ち、神経の奥に残る鈍痛を抱えたまま、

自分が中心に据えられていることを理解していた。


「位置はここだ。絶対に前に出るな。

 お前の領域は“後ろから全体を削る”ためのものだ」


外骨格教官が最後の確認を告げる。


ヴァースは短く頷く。

英雄を目指した頃の欲は、ほとんど残っていない。

自分の力が“個に向かない”という事実をようやく呑み込んだからだ。


外骨格部隊、重火砲隊、毒霧散布班――

各部隊が、彼を基準に布陣している。


「領域が発動するタイミングに合わせて、火器を集中させる。

 こちら側で“圧殺ライン”を作るから、ずれさせるなよ」


教官の声が、淡々と緊張を形づくる。



警報が上がった。

砂煙の向こうで、黒い影が一斉にうねる。


高速変異アバドンの群れ。


それは“速さ”を持った獣ではなく、

“速度圏そのものが移動してくる”ような異様な光景だった。


「前衛、迎撃開始!」


火砲が唸る。

だがアバドンはその軌道の“未来”を読むように動く。

次々と弾道を回避し、跳ね、滑る。

外骨格部隊の射線すらかわして前へ進む。


数分で突破される。

誰もがそう思った。


だが――


(……来る)


ヴァースの神経が軋んだ。

領域が、沈むように広がる。


空気の密度がわずかに変わった。

砂の跳ね方が変わる。

アバドンの脚部の曲線が鈍る。


「今だ、全火砲――撃て!」


教官の叫びと同時に、全火線が一点に集中した。


運動量ゼロ領域の中心で、

アバドンの群れが速度を失い、束になって“沈んだ”。


次弾が直撃する。

爆光。

破片。

変異外皮が裂け、内部組織が散る。

一体目が崩れると、後続がそのまま衝突し、連鎖的に倒れていく。


「効いてるぞ! この範囲の敵、全部落ちてる!」


火砲手の声が震える。

奇跡を見るような声だった。


だがヴァースは震えなかった。

ただ、自分の身体がゆっくり崩れていくのを、冷静に受け止めていた。


領域を維持するたびに、視界が削れる。

認識の輪郭が濁る。

神経が焼けるように痛む。


それでも前線が押し返していく。

毒霧が展開され、火砲の弾幕が遅れたアバドンを正確に打ち抜く。

外骨格部隊が、その隙を逃さず機関砲で残敵を掃射する。


――集団戦が成立した。

その中心に、自分がいた。


「ヴァース、領域を維持しろ! あと少しで押し切れる!」


声が遠い。

喉が乾いて、呼吸が浅い。

倒れてはいけないと分かっていても、膝が沈む。


(動け……まだ……)


自分の意思と身体がかみ合わない。

英雄像を求めた頃の“見栄”も、今ではもう残っていない。


ただ、ここで領域を止めれば、味方が死ぬ。


それだけだった。


ヴァースは歯を食いしばり、残った魔力と神経を無理やり繋ぎ止める。

領域が一瞬だけ濃くなる。


その一瞬が決定打になった。

前線の重火砲が大型の変異体を撃ち抜き、

崩れた個体を基点に、全体が瓦解していく。


黒い波が、砂上で静まり返った。


教官の通信が入る。


「……終わった。

 お前の力で、このラインは守られた」


その言葉を聞いた瞬間、ヴァースの意識が落ちた。


膝から崩れる感覚もない。

視界も音も、何もかもが遠ざかる。


最後に感じたのは、

“身体のどこかが完全に切れた”という冷たい実感だった。


――帰還条件まで、あと三日。


彼が目を覚ますかどうかは、誰にも分からなかった。

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