第4話 毒術師候補──“毒か、薬か、どちらにもなれる者”

 砂月が帰還した翌朝、俺は王都の医療棟を訪れていた。


 迎えてくれたのは、白衣の老人。


 この世界で数少ない“魔獣生体学”の研究者だ。


「篠宮殿。例の件じゃな?」


「ああ。頼む」


 老人は薄く笑った。


「……“毒を扱える子”なら、心当たりがある」


 案内されたのは、地下の調合室だった。


 そこに、少年が一人いた。


 黒髪に淡い灰色の瞳。


 静かで、どこか影のある雰囲気。


 だがその手は滑らかに動き、


 魔獣の角から毒を抽出していた。


 老人が言う。


「こやつが、葵斗(あおと)じゃ」


 少年は淡々と作業を続け、


 こちらには一度も目を向けなかった。


 老人が小声で説明する。


「幼くして家を失い、ずっとここで働いておる。


 魔力は低いが……“毒の挙動を読む”才能は異常じゃ。


 触れる前から毒性の種類を言い当てる」


「なるほど」


「じゃが……こやつは戦争には向かん。


 必要以上に優しい。


 毒の知識があっても、人を殺すのは嫌がるじゃろう」


 その言葉に、葵斗の手が一瞬止まった。


「……殺したくないわけじゃありません」


 低い声だった。だが、震えていた。


「殺すための毒じゃなくて……守るための毒を使いたいだけです」


 その一言で、老人も俺も黙った。


 葵斗は俺にようやく視線を向けてきた。


 濁りのない、まっすぐな目だった。


「篠宮レン様。


 砂月さんが帰ってきたの、知っています」


「……そうか」


「砂月さん、泣いてました。


 自分が救えなかった人を……ずっと思い出して。


 でも、“行ってよかった”って言ってました」


 葵斗は拳を握った。


「僕に、できることはありますか」


 その言葉は“志願”でもあり、“懇願”でもあった。


 俺は近づき、調合台に置かれた毒の瓶を手に取った。


「葵斗。


 お前の力は、戦場に必要だ」


 葵斗の瞳が揺れた。


「……僕の毒で、人が死ぬのに?」


「毒は殺す。


 だが“殺すだけの毒”は三流だ」


 俺は瓶を置き、葵斗の目をまっすぐ見る。


「本当に戦争で必要なのは、


 “人を生かすための毒”だ」


「……生かす?」


「毒は、敵に使えば兵器。


 味方に使えば治療になる。


 量さえ間違えなければ、毒は薬だ。


 薬は毒だ。


 お前はその境界を本能で理解している」


 葵斗の呼吸が少しだけ乱れた。


「……でも、僕は戦えません。


 砂月さんみたいに派手な力も……


 爆発も……」


「必要ない」


 俺は静かに言った。


「お前は“戦線の裏側”を支える者だ。


 砂月が戦場の穴を塞いだように、


 お前は“兵士を生かし続ける穴”を塞ぐ」


「……僕に……そんなことが……?」


「できる。


 魔獣の体液を混ぜれば、敵に効く毒ができる。


 拡散魔法が使えなくても、


 味方の飲料に“免疫付与剤”として混ぜられる」


 葵斗は震える声で聞いた。


「それって戦いじゃなくて……医療じゃ……」


「医療が崩れたら、戦争は負ける」


 胸に手を置いた。


「お前の力は、人を殺すためじゃない。


 “死なせないため”にある」


 葵斗は顔を伏せ、小さく震えた。


「……僕……行きたいです」


「ああ」


「でも、怖いです。


 毒で……人が死ぬのを見るのが……」


 俺は少しだけ笑った。


「怖いままでいい」


 葵斗が顔を上げる。


「怖くない毒術師は……ただの殺戮者だ。


 怖いと思うお前だからこそ、


 向こうの世界は救われる」


 葵斗の目が、決意の色を帯びた。


「……教えてください。


 僕の毒で……誰かが生きられる方法を」


「いいだろう」


 俺は部屋の奥へ歩きながら言った。


「今日から、お前を鍛える。


 毒の作り方だけじゃない。


 毒を薬に変える“境界の技術”を全部教える」


 葵斗は深く頭を下げた。


「お願いします……レン様」


 その瞬間、砂月が入口から顔を出した。


「葵斗くん」


 涙の跡を残したまま、それでも強い瞳で。


「大丈夫だよ。


 わたしも行ったから。


 次は葵斗くんが行く番だよ」


 葵斗はその言葉に息を呑む。


 砂月は続けた。


「恐いなら、わたしが全部教える。


 一週間は……長いよ。


 だから、大丈夫」


 その言葉が、葵斗の背を押した。


 少年は震える手を強く握りしめ、


 はっきりと、戦場への覚悟を口にした。


「……僕、行きます。


 砂月さんの次に、僕が行きます」


 俺は、彼のその決意を静かに受け止めた。


「よし。


 ――戦場に通る毒を、作りに行くぞ」


 こうして、


 “毒術師の一週間”の準備が始まった。

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