熱血中華料理人は高級野菜の夢を見るか

いさを

フッ、中華が世界一の料理だって事を教えてやんよ

 それはゴールデンウィークも過ぎた、とある日。


「俊君おねがい! 助けて!」


 閉店間際に突如現れたのは、幼馴染で常連の玲子さんだった。


「どしたの玲子さん。お酒切れたの? 震えるの? 生ビール飲む?」


「飲むけど私アル中じゃないから! ていうか聞いて!」


 何やら様子のおかしい玲子さん。普段はクールで素面の時はとっても素敵なお姉さんなのだけれど、今日はまだ酒も飲んでいないのに得体の知れない謎テンション。一体何があったのだろう。



「ぷはぁ~っ。ふう、少し落ち着いた。あ、餃子と回鍋肉お願いね」


 生中のジョッキをドンと置いて、玲子さんはようやくまともに話のできそうな状態になった。


「で? 結局なんなの? さっき『助けて』って言ってたけど」


「あ、うん。それがね……実は、うちの店で南郷菜園の野菜を取り扱うチャンスが来たんだけれど」


 二杯目の生中に手を伸ばしながら、玲子さんが言う。

 彼女の実家は『スーパーいつくしま』という、曽祖父が始めた青果店を基とした地域特化型のスーパーだ。玲子さんはその実家の店で、今は自らバイヤーを勤めている。


「へえ、凄いじゃん。南郷菜園て言ったら都内の一流レストランも使いたがるブランドだぜ?」


「まあ、そうなんだけどね。ただ、その為の条件がちょっと厄介で」


 ――彼女の話はこうだった。

 長年の交渉の末、地元で有名なブランド菜園である南郷菜園との取引を行えるチャンスを彼女はついに手に入れた。


「今まで取り扱っていた高級青果店がお店を畳んで、その後釜としてようやく取引できる様になったかと思ってたんだけどね」


 しかし、さほど規模も大きくない故に出荷量も少ない菜園に、彼女含めて三社が申し入れをしたらしい。きっと何処も考える事は一緒だったのだろう。当然というか、取引枠は一社のみ。


「でね、あそこの社長ちょっと変わった人でね。取り扱う業者を決めるのに『料理コンペを行いたい』って言ってきたのよ!」


 ダン! と空になったジョッキをテーブルに叩き付けて玲子さんが吠える。


「なにその昭和の料理漫画みたいな話……て、『助けて』ってもしかして」


 焼き上がった餃子と三杯目の生中を出す。既にお通しのザーサイをたいらげていた彼女は餃子に酢と胡椒を掛けながら、今度は上目使いになって俺を見詰めてきた。


「うん。お願い俊君。コンペの料理作って。あなただけが頼りなの」


 くっ……餃子で生中やっつけてるだらしねぇ姿だってのに、なんて破壊力だ。

 ああそうだよ。俺は昔からずっとこの人に憧れているんだよ。この大酒飲みだけどとっても優しくて素敵で見た目もちょっとえろい玲子さんに、俺は今も変わらぬ恋心を持ち続けているんだよ。


「ま、まあ料理作るのは構わないけどさ。でも一体何作れば良いの? 俺中華しかできないよ?」


 冷静になる為に中華鍋を振りながら答える。心を整えるには料理が一番。よし、今日もキャベツはシャッキリ仕上がった。


「そこは問題無いわ。コンペのルールはただひとつ。『菜園の野菜を使って社長を楽しませる事』だから」


「何そのざっくりとしたルール」


 楽しませる、て。

 しかし、それを聞けば成程俺でも行けそうだ。

 こちとら中華屋に産まれ育って二十六年。五歳の頃から鍋を振り、もはや体には血の代わりに鶏ガラスープが通っていると言っても過言では無い男だ。中華料理で参戦できるなら、そう引けは取らない自信はある。それにあの南郷菜園の野菜を扱えるなんて中々できる事でも無い。

 何より――

 去年ぎっくり腰になった親父から店を受け継いで、俺も今や一国一城の主。もういつでも玲子さんを嫁に迎える準備もできた。問題は彼女と結婚どころかデートらしい事も殆どした事無い所だけど、これをきっかけにグイグイ攻めればワンチャンが微レ存……


「俊君、聞いてる?」


「え!? あ、はい回鍋肉お待ち?」


「もちろんそれも食べるけど……やってもらえるかなあ?」


 見れば何やら不安げな玲子さん。もしや俺が断るとでも考えているのか?


「わかった。任せて」


 そんな彼女の懸念を取り除くべく、俺は大きく頷いた。

 玲子さんは、俺の返答に嬉しそうに微笑むとしかし次の瞬間には真顔になって。


「あとね、旬君。もう一杯ビールにするか紹興酒に変えるか迷っているんだけれど」


 ……うん、好きなもん飲めよ。


 

 ◆



 そんなこんなで数日後、俺は玲子さんに連れられて南郷菜園に来ていた。

 なんでもコンペの打ち合わせをするらしい。


「今日はもちろん私達の他に、競合する相手も来ているからね」


 ビジネススーツをびしっと着こなした玲子さんが仕事モードで言う。ああ、こうして見ると本当に綺麗でかっこいい。最近はジョッキ片手にグダ巻いてる姿しか見て居なかったからな。うん、惚れ直すぜ。

 ……なんて事を悶々と考えている内に、いかにもそれっぽい男が二人と妙にお洒落なおっさんが現れた。

 それっぽい男の内の一人は高そうなスーツをきっちり着こなした、劣化版チャーチルみたいなおっさん。

 もう一人はこれまた高そうなスーツを軽く着崩した、金髪碧眼のチャラい男。歳は俺達よりちょっと上といった位か。

 なんだか二人とも明らかに身なりが良い。それはもう、成人式の時に買った量販店のスーツを着ている俺が霞んでしまう程に。うん、嫌な予感しかしねえ。


「ねえ玲子さん、何か俺に隠してない? そもそも今回の競合相手ってどんな所なの?」


 俺の質問に、何故か玲子さんは目を逸らして小さな声で。


「え、えぇとね……一社はエーオンっという会社の展開している高級店『エーオングランデ』で、もう一社は『西城岩井』っていう高級スーパーチェーン……」


「おいこら待て」


 エーオングランデに西城岩井って、このド田舎県ド田舎市ではトップクラスの店じゃんか。そんなの相手にコンペで戦うとか、玲子さん正気か?

 しかも、あの小洒落たおっさんは俺の記憶が確かなら……


「ていうかさあ、あの人知ってる?」


 玲子さんに視線で促すと、彼女はゆっくりと首を横に振る。


「じゃあ教えてあげる。あの人『銀座 ラ カレーム』の坂本シェフだよ。テレビで見た事無い?」


「…………はい?」


 銀座 ラ カレームは多分、今日本で一番有名なフレンチレストラン。勿論ミシュランで三ツ星も貰っている。そんな所のシェフが、こんな片田舎のスーパーのコンペに出て来るとは。うん汚いさすが大資本汚い。


「あ、あはは……私、後でサイン貰いに行こうかなー」


 シェフの纏う、その圧倒的なまでの強者のオーラに玲子さんは早くも戦意を喪失してしまった。

 そんな彼女の手を取って、握る。


「ひゃっ!? し、俊君?」


「大丈夫だよ玲子さん。料理は肩書きで味が決まるものじゃ無い。フレンチの三ツ星? フッ、中華が世界一の料理だって事を教えてやんよ」


 なんてカッコいい事言ってみるけど、実はそんな俺の手も震えている。これはきっと武者震いだと強く信じる事にする。するったらする。



 そうこうしている内に、諸悪の根源である南郷菜園の社長が現れた。


「やあ皆さん。今回はこのジジイの道楽に付き合って貰ってすまないねえ」


 一見好々爺然とした七十過ぎ位の爺さんだけれど、その年齢に似合わず背筋はしっかりとしているし物腰に衰えは感じない。きっと今も先頭に立って農作業をしているのが一目で分る、いっそ屈強とすら言える爺さんだった。


「こちらこそ本日はお忙しい中お時間を作って頂き、誠に有難うございます。わたくしエーオンの増田と申します」


 偽チャーチルがへりくだった態度で名刺を渡している。どうやら彼がエーオンの人間らしい。それに続いて例のシェフも会釈をする。


「初めまして。坂本と申します。この度は私が増田さんの指示で料理を作らせて頂きます」


「おお、あんたが坂本シェフか。有名なんだってねえ」


 キザったらしい仕草すらも妙に似あう坂本シェフに、しかし爺さんは軽く笑い掛ける。

 で、もう一人の方は――


「西城岩井のミシェルです。どうぞよろしく御願いします」


 ミシェルと名乗った男はいかにもラテンなチャラさを醸し出しながら、握手を求めている。


「おう、よろしく頼むよ」


 爺さんはそんな彼にもサラッとした感じで握手に応じていた。

 さて、次は遂に俺達の番だ。


「お世話になっております。スーパーいつくしまの厳島です。この度は貴重な機会を与えてくださり、心より感謝致します」


 おお、さすが玲子さん。いざ仕事となったらちゃんとしているじゃないか。


「ああ、あんたには何度も足を運んでもらったねえ。よろしく頼むよ」


「こちらこそよろしくお願い致します。そして彼が今回の調理を担当します、高村俊です」


 頭を下げた玲子さんが肘で突く。ああ、俺も自己紹介しなきゃいけないのか。


「あーどうも、高村です。しがない中華屋やってます」


 こういうお堅い場所に縁の無い俺は一体どうしたら良いのか判らないので、えらく雑な自己紹介になってしまった。隣で玲子さんが小さく溜息を吐き、偽チャーチルとチャラ男はあからさまに見下した視線を送っている。唯一坂本シェフだけが真剣な目で俺を見ていた。


「ほうほう、ずいぶんとまあ若い兄ちゃんだな。その歳で店構えるとは、大したもんじゃないか」


「いやー、それ程でもありますけどね。爺さん中華好き?」


「こら! 俊!」


 あ、やべえ。ついいつものクセで気軽に話掛けちった。ていうか玲子さんに呼び捨てされたの久しぶりだな。

 しかしそんな無礼な俺に、爺さんはなんだか新しい玩具を見つけた子供みたいな目になって言った。


「はっはっは、構わんよ。若いもんは少し生意気な位がいいんだ」


「ほら、構わないって」


「私が構うの! 本当に申し訳ありません。ほら頭下げる!」


 俺の頭を掴んでぐいぐいと押し付ける玲子さん。そんな俺達を爺さんは楽しそうに笑いながら、バイヤーの二人は蔑んだ目で、そして坂本シェフは相変わらずの眼差しを向けていた。



「さて顔合わせも終わった所で、早速コンペの話としようか。なあに、難しいルールは無しだ。ウチの野菜を使って、俺を一番楽しませてくれた処と取引させてもらう。どうだい、簡単な話だろ?」


 爺さんはそう言うと、ニヤリと頬を緩めて俺達を見回す。ああ、なんかこう子供みたいな爺さんだな。きっとこういうのが楽しくてたまらないタイプなんだろう。

 横目に見れば、偽チャーチルもチャラ男も真剣な瞳で頷き、玲子さんはジト目で俺を睨んでいる。坂本シェフは我知らずといった体で、窓の外に広がる菜園に視線を移していた。


「依存は無いかい?」


「はい」


「ええ」


「有りません」


 その後、これからの日程等細々とした事が話し合われ――


「じゃあ、これで決まりだ。料理に使う野菜は、菜園にある物を何でも好きなだけ使ってくれて結構。それ以外の材料にも制限は設けないが、くれぐれも趣旨に沿ったものにしてもらいたいねえ」


 爺さんのそんな一言で説明は終わり、その後は菜園を見て回る事が許された。



「へえ、ここって全部露地栽培なんだ。すげえなビニールハウスが一棟も無い」


 聞けば南郷菜園は季節のものに拘り、その時期に採れるものしか出荷しないという事を徹底しているらしい。なので畑を見ると、そこには様々な晩春の野菜達が植えられている。

 アスパラガス、空豆、えんどう豆、春キャベツに春レタス。へえ、これはヤングコーンに……なんとアーティチョークまであるのか。こりゃあ楽しいな。


「どうだい兄ちゃん、良い野菜だろ?」


「うわ、爺さん居たの?」


 気付けば背後に爺さんが、まるで自慢の玩具を見せびらかす子供みたいな笑顔で俺を見ている。その横では玲子さんが諦め顔で肩をすくめていた。


「ここは今月の畑だ。ウチは季節ごとに幾つか畑を作っているんだよ」


「へえ……じゃあ、あっちは?」


 俺はここから少し離れた所にある、別の畑を指差す。そこには坂本シェフの姿があった。


「ああ、あそこは六月の畑だな。本来ならまだ実りも殆ど無いんだが、今年は春先の温度が高かったからなあ。あっちの畑も結構実っちまってるんだ。パプリカにピーマン、後はオクラなんかがもう収穫できるな。気の早いもんだ」


「はあー。自然相手の仕事って大変だねえ。酔っぱらい相手の方がよっぽど楽そうだ」


 ぽろりと零した俺の言葉に爺さんはガハハと笑い、玲子さんはビームでも撃てそうな目で俺を睨む。

 それをスルーしながら六月の畑に視線を戻すと、坂本シェフが生えているパプリカをおもむろに一つ手に取り細部を見回してから、かぶりついていた。



 ◆



「どう? 大丈夫そう?」


 帰りの車の中、ハンドルを握る玲子さんは心配げな声を上げる。


「うーん、どうだろうねえ」


 実を言えば、少しばかり考えあぐねていた。

 今日見せてもらった野菜はどれも素晴らしいものだった。あれを使えばどんな料理でも美味しく作る事ができるだろう。

 しかし。


「あの爺さんが楽しめる料理、ねえ」


 問題はそこだ。

 あんな農園を営んでいるくらいだ、きっと料理にもうるさいに違いない。そんな相手を『楽しませる』となると……


「やっぱり高級な料理が良いのかしら? でもそれだと坂本シェフの独壇場だし、西城岩井の人だって、きっと資本力にモノを言わせて来るだろうし」


 既に玲子さんは泣きそうな顔だ。それだけ彼女は今回の仕事に全力を注いできたのだろう。うん、ここで勝てなきゃ男じゃ無いな。

 かと言って、俺は贅沢な料理なんか作れない。何と言っても俺の店は町中華だ。満漢全席とは縁が遠い。

 っていうか、果たしてそれが正解なのか? 

 贅を凝らした料理が正解なら、そもそもこんな手の込んだ事するとも思えない。なんせあの坂本シェフが来たんだ。高級な料理を望むのなら、あの場でエーオンに決まっていてもおかしくは無いだろう。

 という事は、俺にもどこかに勝ち筋が有る筈……

 色々と思案しながら窓の外を見る。この南関東の片田舎は今日ものどかに片田舎だ。そこらの山は杉の木が整然と立ち並び、田んぼには植えられたばかりの稲が春風に揺られ、竹林では雀達が戯れている。


 ん? 竹林?


 ああ、そうか。竹林か。

 あの爺さんが『美味い料理』ではなく『楽しめる料理』を求めているのなら。

 うん、これは使えそうだな。俺のこの考えが正しいのなら、これは大きな武器になる。


「ねえ玲子さん。当日の朝、俺ちょっと行く所ができたわ」

 


 ◆



 そしてコンペの日が訪れた。

 再び南郷農園を訪れた俺達は、社員食堂の厨房に通される。ここが本日の戦場となる訳だ。


「最初は僕からで良いですか? 料理の都合上、一番先に食べて頂きたいもので」


 金髪チャラ男が手を挙げる。まあ俺の方は異存が無いので「いいよ」と答える。坂本シェフも無言で頷いた。


「では、早速披露させて頂きます」


 言うや彼は上着を脱いでエプロンを着け、調理場に付いた。そして手慣れた動きで野菜を調理し始める。程無くして料理が仕上がった。



「お待たせしました。こちらが僕の料理『春のサラダ』です」


 彼が用意したのは、それはもうシンプルなサラダだった。

 サニーレタスを主体とした数種のレタスとルッコラ、そして彩りを兼ねたラディッシュの薄切りだけという簡単なもの。


「ほうほう。これが兄さんの考えた、俺を楽しませてくれる料理って訳だな?」


「はい。最低限の調理だけで、御社の野菜の魅力を最大限に引き出してみました」


 キザったらしく一礼して、チャラ男が言う。


「じゃあ早速頂くとしようか……ほう、確かに味付けも最低限。しかしその材料は中々凝ったねえ」


 サラダを口にした爺さんは、小さく頷きながらチャラ男を見る。


「はい。ドレッシングはオリーブオイルにレモンの絞り汁、そして塩だけです。しかしオリーブオイルはイタリアの老舗アルドイノ社の最高級エクストラヴァージンオイル、レモンは小豆島産の無農薬レモン、そして塩はフランスのゲランド産フルール・ド・セル。こちらは全て当社で扱っているものです。ですのでこれは御社と当社のコラボレーションという意味も持たせてあります」


 得意げな表情のチャラ男。しかしその後ろで坂本シェフは無表情で首を小さく横に振っていた。


「ああ、うん。兄さん、不合格だ」


 果たしてシェフの予言めいた動きの通り、爺さんはチャラ緒を一蹴。


「い、一体何故ですか!?」


「何故もなんも、この料理はつまらんよ。兄さんは何か勘違いしてないかい?」


「勘違い、ですか?」


「ああ。俺はあんたらに『楽しませてくれる料理』って言った筈だよ? 確かにこのサラダの完成度は高い。あんたの扱っている品も上手に使っていて、普通のプレゼンだったら合格モンだろう。しかし、今回は俺が『楽しめる』料理を作ってくれって言った筈だぜ?」


「た、確かに料理はシンプルですが、僕は言った様に最低限の味付けで素材の魅力を最大限に引き出しました。それは決してつまらないものでは無いと考えますが」


「あのな、兄さんは『野菜の魅力を最大限に引き出した』なんて自慢気に言ってるけどな、一端の料理人は皆そんな事は当たり前にやるんだ。それをあたかも特別な事みたいに言われても、ちっとも楽しくはないねえ」


「あ……う……」


 穏やかでありつつも辛らつな爺さんの言葉に、チャラ男は只うな垂れる。うん、まあこんなの出したらこうなるのは当然だよね。



「では、次は私でよろしいですか?」


 坂本シェフが俺に言う。


「うん、いいよ」


 頷くと、彼は手元の保冷バッグから何やらを取り出した。


「私の品は手間と時間が掛かるので予め調理して参りました」


 そう言いながら手早く仕上げを行い、盛り付ける。瞬時に華やかな一皿がそこに現れた。


「こちらが私の料理『菜園のテリーヌ』でございます」


 それはもう、芸術品とすら言えそうな一品だった。

 アスパラガス、春キャベツ、空豆、ヤングコーン、オクラ、パプリカといった数々の野菜がモザイク状にゼリーで固められている。それは見た目にも美しく、視覚から楽しませるという意図がありありと見えた。


「ほほう。これはまた美しいねえ……ふむ、味付けも控え目でそれぞれの野菜の風味をしっかりと活かしている。そして何より、野菜ごとの火の入れ方が見事だねえ」


「ありがとうございます。野菜の風味や食感を損なわない様、それぞれの茹で加減には細心の注意を払いました」


「そうだろうねえ。そしてこのゼリー状の繋ぎ。これはテート・ド・フロマージュかい?」


「御名答です。豚の頭の肉をフォンで煮込み、その煮汁を使いました。そして味付けはそのフォンと僅かな塩のみとなります」


「ああ、これは見事な料理だ。目にも楽しく、舌も愉しませてくれる。流石は三ツ星シェフの仕事だねえ」


「恐縮です」


 一礼して下がるシェフ。そのクレバーな動作と裏腹にエーオンの偽チャーチルは満面の笑みで大きく頷いていた。きっともう勝ったつもりなんだろう。



「じゃあ最後は俺だね。いっちょやりますか」


 必死に涙を堪えている様な顔の玲子さんに笑顔を返し、調理場に立つ。

 確かに坂本シェフの料理は凄かった。見た目も良く味もきっと素晴らしいんだろう。後で少し食べさせてもらおう。

 でも――

 俺は俺のやり方で、料理を楽しんでもらう。これがちゃんと伝われば、決して遅れは取らない筈だ。


「さて始めるよ~。中華の真髄、とくとご覧あれ」


 手早く食材と器具を並べ、調理を開始。

 ピーマンと筍を細切りにして油通し。

 やはり細切りにした牛肉に下味を付けて炒めて。

 最後に野菜と合わせて調味料を回し掛け、もうひと炒めすれば――


「はい、お待ち」


 皿に盛りつけて完成。ここまでの時間は三分と掛かっていない。ちょっとした料理ショーだ。


「え、ええと俊君? これって、あの、本気なの?」


「そりゃもう超本気だよ? さあ爺さん、冷めないうちにどうぞ?」


「って、これって只の青椒肉絲じゃないのよ!」


 そう。俺が作ったのは青椒肉絲。いわゆる牛肉と筍とピーマンの炒め物だ。

 俺が出した皿を見た瞬間玲子さんは頭を抱え、偽チャーチルは声を出して笑った。坂本シェフは「ほう」と一言零し、爺さんは――


「ふふん、成程なあ。兄ちゃん、どうしてこの料理にしようと思ったんだい?」


 一口箸を付けた後、まるで試す様な瞳で俺を見上げる。


「そりゃあもちろん『料理を楽しんでもらう為』だよ? お二人さんには判ってもらえるよね?」


 視線を送る。爺さんはニヤリと微笑みシェフは何度か小さく頷いた。


「このピーマンはうちの、六月の畑で採れたもんだな。まだ時期には早いが、季節を先取りする『走り』の品として使うにはむしろ打って付けだ。そこは坂本シェフもオクラとパプリカで同じ事をしていた。しかし、兄ちゃんは更に筍を合わせる事までやってのけた。これから旬を迎えるピーマンと、じきに旬を終える筍を組み合わせるとは中々粋な事をするねえ」


 感心した様に頷く爺さんに、シェフが続く。


「同感です。しかも朝掘りの筍を使っていますね。普通青椒肉絲の筍は一流店でも水煮の缶詰で済ませるものですが、彼はわざわざ朝掘りの筍を使い、そして下茹でせずに生のまま油通しをした。取れたての筍だから出来る仕事です」


「その通り。だから普通の青椒肉絲には無い、コリコリとした歯応えの強さと鮮烈な風味。それがウチのピーマンと素晴らしくマッチして尚且つ互いを引き立たせている。こいつは大したもんだよ」


 爺さんはガハハと笑いながら箸を進める。

 玲子さんは「え? え?」と慌てふためき、偽チャーチルは幽霊でも見た様な顔になっている。

 そして坂本シェフは、俺をじっと見つめて小さく微笑んだ。



 ◆



「さて、結果発表と行きたい所だが」


 綺麗に完食した爺さんは、改めて俺達を見回す。

 既に不合格を言い渡されたチャラ男は泣きながら帰ってしまったので、俺と坂本シェフの一騎打ちだ。


「ああ、これは難しいねえ。坂本シェフのテリーヌは、そりゃあ見事な出来だった。純粋に味だけで判断するなら間違い無くシェフの勝ちだろう。しかし……」


 俺達の方をじっと見て、爺さんが言う。


「どっちが楽しかったかと言えば…………それは兄ちゃんの料理だろうなあ」


「!? 社長、それでは……」


「ああ。今回の取引、スーパーいつくしまさんとさせて貰うよ」


 爺さんの言葉に、玲子さんは口元を押さえてボロボロと涙を零し。

 偽チャーチルは膝から崩れ落ちた。きっと坂本シェフを雇うのに大金を叩いたのだろう。左遷されないと良いね?

 そして、坂本シェフは。


「もし良かったら、私にも食べさせて貰えませんか?」


 俺に歩み寄るや、そう言い放った。後ろでは爺さんが楽しそうにニヤニヤしている。


「いいよ。でもシェフの料理も食べさせてよ?」


 出会ってから初めて、面白そうに頬を緩めた坂本シェフに手早く青椒肉絲を作って差し出す。


「……成程、これは負ける訳だ。この青椒肉絲、オイスターソースを使っていませんね?」


「ああ、今回はピーマンと筍の風味を強調したかったからね。だから味の強いオイスターソースは使わないで醤油と鶏ガラスープ、それと牛肉の旨味だけで勝負したんだ」


 完食したシェフは、俺に残ったテリーヌを全て持たせると「私もまだまだです」と呟きながら飄々と去って行った。



 ◆



「うぇ~い、玲子さん勝ったよー」


 ハンカチで目元を拭っている玲子さんに勝利のVサイン。ふふふ、これで少しは俺の事を頼れる男として見て貰えるだろうか。


「ま、まったく……勝てたから良かったものの……あんまりヒヤヒヤさせないでよねっ」


 あれ? 予想に反してツンですよツン。これだけ頑張ったんだから、少しくらいデレてくれても良いものを。

 なんて事を考えていると、後ろから爺さんに声を掛けられる。


「おう兄ちゃん、今日は楽しかったよ」


「あー、そりゃどうも。俺は早起きと道楽ジジイの相手で疲れたよ」


「ははは。しかし兄ちゃん、よくこのコンペを大衆料理で勝負しようって思ったねえ。このジジイが味のわからねえ只の贅沢者だったらとか思わなかったのかい?」


「まあ、そん時はセンスの無ぇジジイだったって諦めるしか無かったかな。まったく良かったよちゃんとしたジジイで」


「こら俊! 社長に失礼な事言わない!」


「まあまあ、良い若い衆じゃないか。厳島さん、この兄ちゃん逃がしちゃだめだよ?」


「ええ、存じております。では社長、今日はこれで失礼致しますね」


 ……て、え? 今玲子さん何て言った?


「あ、ちょ、玲子さん、今」


「ほら俊君、帰るわよ。ぐずぐずしない」


 仕事モードの玲子さんはてきぱきと帰り支度を進める。くそ、こんな時ばっかり有能なのがムカつくぜ。

 手早く支度を終わらせた玲子さんが颯爽とドアを開ける。

 外から実に爽やかな五月の風が舞い込んできた。

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