第7話:追放宣告

出版社の会議室は、手術室のように白く、そして寒かった。 ここに来るのも最後になるかもしれない。そんな予感が、胃のあたりで重い鉛のように固まっていた。


「単刀直入に言います」


松島は、タブレット端末をテーブルに置いた。 画面には、『ゴースト・T』のPVページビュー推移と、俺の既刊の返品率が並べて表示されている。 残酷なほど鮮やかなコントラストだ。


「高村さんとの専属契約、今月で終了とさせてください」


「……理由は、わかってるな?」


俺は震える声で唸った。 胸ポケットの電子タバコを握りしめる。ここは禁煙だ。だが、すがりつくものがそれしかない。


「あいつは……『ゴースト・T』は、俺のデータを盗んだんだ。牧野が勝手に学習させた、違法コピーだぞ!」


「違法?」 松島は眉をひそめ、眼鏡の位置を人差し指で直した。


「法的にはグレーですが、実質的には『文体の模倣』にすぎません。著作権はアイデアや表現には及びますが、作風スタイルには及ばない。……ご存じでしょう?」


「だが、あれは俺だ! 俺の言葉だ!」


「ええ、そうですね」


松島はあっさりと認めた。 そして、今までで一番残酷な言葉を、事務的な口調で告げた。


「あれは、私たちがあなたに書いてほしかった『理想の高村健』なんです」


「……は?」


思考がフリーズする。 松島は淡々と続ける。


「あなたの原稿は、いつもノイズが多い。独りよがりな比喩、無駄に長い情景描写、そして納期遅れ。……ですが、『ゴースト・T』にはそれがない。あなたの持つ『シニカルな世界観』というコアだけを残し、読みにくい贅肉をすべて削ぎ落としている」


松島はタブレットを指でタップした。


「いわば、バグ修正デバッグ済みの高村健です」


「俺は……バグか」


「ビジネス的な観点で言えば、そうです。不安定で、燃費が悪く、扱いにくい」


松島は立ち上がり、窓の外のビル群を見下ろした。


「読者は作家の『苦悩』なんて求めていません。求めているのは『コンテンツ』です。それが有機生命体から出力されたか、シリコンチップから出力されたか。……味が同じなら、提供が早くて安い方を選びます」


「味は違う! 俺には魂がある!」


「その『魂』が、ノイズなんですよ」


松島は冷たく言い放った。


「皮肉な話ですね。あなたがこだわっていた『人間味』を消したことで、あなたの作風は初めて完成した。……『ゴースト・T』、書籍化が決まりました。初版5万部です」


5万部。 俺が一生かかっても届かない数字だ。 俺のクローンが、俺の死体の上で踊ろうとしている。


「出版社としては、今後は『ゴースト・T』……いや、牧野くんとパートナーシップを結びます。彼は優秀なプロンプト・エンジニアだ」


「俺は、用済みか」


「……これまでの貢献には感謝しています」


松島は深々と頭を下げた。 だが、その動作は「退職願」を受理した人事部のように事務的だった。


「お引き取りください。次の会議がありますので」


会議室を追い出される。 廊下は長く、どこまでも無機質だった。 すれ違う編集部員たちが、俺を見てヒソヒソと話している気がした。 『あれがオリジナルの……』『劣化版のほう……』


エレベーターに乗り込む。 鏡に映った自分の顔は、土気色で、生気がなかった。 まるで、解像度の低いサムネイル画像だ。


一階のエントランスを出て、俺は震える手で電子タバコを口に咥えた。 吸い込む。 ……反応がない。 赤ランプが高速で点滅している。


故障エラーかよ……」


バッテリー切れではない。デバイス自体の寿命だ。 俺はそれを地面に叩きつけようとして、止めた。 これさえ失ったら、俺の手には何も残らない。


その時、スマホが震えた。 妻・絵里子からだ。


『話があるの。今夜、早く帰れる?』


文面が、いつもより短い。 絵文字がない。


俺は壊れた電子タバコをポケットにねじ込み、灰色の空を見上げた。 職場居場所を失った日に、家庭サーバーまでダウンするのか?


俺はまだ知らない。 家に帰れば、そこに「人間」の温もりなど残っていないことを。 そこにあるのは、AIによって最適化された「別れの言葉」だけであることを。

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それでも俺はAIを使わない @ningensanka

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