第4話 アル=ホワ 奈落の穴
「お前が逃げたり、変な動きをしたら、お前の妹がどうなるかわかってるな」
例の男はやはり副官らしかった。酒臭い息を吹きかけながら、笑い声を漏らす。
強盗団には目的地があるようだ。そしてドワーフの村から逃げるように向かっている。
俺は砂漠船の速さに転倒し、引きずられる。
周囲は何もない砂漠だ。ノッカを傷つけると言うのは嘘だろう。だが逃げ出してもすぐに捕まるだろうし、どこに逃げていいのかもわからない。
休憩のたびに、ノッカが牢の中から俺を探し、不安げに見つめている。
俺は声を出さず、口だけ動かした。
「しんぱいするな」
だが、既に俺の片目は砂にやられて朧げにしか見えなかった。硬い砂地に長時間叩きつけられ、大型の砂漠船に巻き込まれ、俺は全身の骨が折れて立てなくなっていた。
「なかなかしぶといな!」
「俺の勝ちだな」
護衛の男たちは、俺の死ぬ時間を賭けているらしかった。
深夜になってようやくオアシスらしき場所にたどり着いた。
「くそっ」
ノッカを助け出すチャンスが来たのに、俺の体は言うことをきかない。
牢から、俺の方にパンが投げられた。ぽとりと落ちた。義妹だ。自分に配られた食料を俺に投げてくれたのだ。俺は這って近づき、口に放り込んだ。口の中には血と砂と温もりが混ざっていた。
※
次の日。早朝、移動が始まってすぐのことだった。砂漠船が、突如として止まった。
「仕方ない、ここに捨てて行こう。老婆に見つかったら怒られるからな」
砂漠船にくくりつけられていた紐が、音もなく解かれる。
護衛の男たちが、シャマークの下の目をにやりと歪めた。
「お前、この穴を知っているか?」
俺の残った片目も、すでにかすみ、立ち上がることすらできない。
「……」
「そうか。教えてやる。砂漠のど真ん中に開いた大穴――アル=ホワだ。じゃあな」
男たちが、俺を穴の中へ蹴り落とそうとしている。底の見えない暗がりから、異様な気配が立ちのぼる。
「ノッカ!」俺は大声で叫んだ。
だがどこにも反応が無かった。
穴の周囲は砂ではなく岩場だった。ごつごつとした地面に、乾いた苔としおれた植物が点在している。
俺は、力の入らない身体を地に這わせ、落とされまいと必死でしがみつく。
「教えてやろう。お前の妹は死んだ」
副官の声とともに、砂漠鳥の足が俺の脇腹を蹴り上げた。鳴き声が一閃、砂塵の中を切り裂く。
俺は、世界に絶望した。
※
落下する感覚は、永遠にも思えた。
宙には、空の魔物が飛び交っていた。グリフィン、ガルーダ――後に名を知ることになる奴らだ。
奴らは俺の体をついばみ、すぐに固くて食えぬと悟って吐き捨てた。
俺の体が空中で回転し、ふと上を向く。
光だ。きっと空。まばゆい光が、まるで遠い世界のように見えた。
やがて闇が包み込み、深く、果てのない地下へ落ちていく。
ぐしゃり。肉と骨がねじれ、痛みが意識を引き裂いた。
だが、その底には――再び光があった。
地の底に、光が息づいていた。
※
不意に、何者かの声が聞こえた。
深く、重い声。高所から、空気を押し潰すように響いてくる。
そのたびに空気が震え、地の奥が低くうなった。
「お前か? 今どき珍しい、巨人族の子だな」
ぼんやりと、大きな影が見える。薄闇の向こう、輪郭は曖昧だが、人の形ではない。
「……いや、俺は人族だ」
「はは、そう思うのも無理はない」
「お前、両目とも見えないのか?」
「片目だけだ。それも、ぼやけてしか見えない」
「誰にやられた?」
「急に襲ってきた、人族の強盗たちだ」
「ふ、人か。やりそうなことだな」
また一言。足元の岩がわずかに鳴る。
「お前、名前は?」
「トルサンだ」
「そうか、トルサン――僥倖だな。お前にとっても、わしにとっても」
「お前を助けてやろう。ただし、わしの願いも聞いてくれんか?」
「……いや、もう俺は疲れた。このまま死なせてくれ」
「そうか。残念だ。――せめて、わしの話だけでも聞いてくれんか?」
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