第3話 逃走
俺は、強盗団の目を避けながら、シャベルを手に岩の狭道を駆ける。
村の灯りがあんなに明るいのは、奴らが腰に吊るした魔道具を一斉に点けたせいだ。
この狭道を使う者はいない。だが、今はそれが好都合だった。
俺は、ノッカがいるはずの家へ向かう。
強盗団は、家々を巡ってドワーフたちを捕らえていた。
目を覚ました者が何人か抵抗したが、その瞬間、容赦なく斬り殺された。
――「ズブリッ」
鈍い音が響き、肉を裂いて骨を貫いた剣が、背から突き出る。
一切の迷いがない。――殺し慣れている。
「抵抗すんなって言ったよなァ? 言葉が通じねェのか」
強盗団の男が笑いながら、足で死体を転がす。
「大人しくしてりゃ、命までは取らねェ」
広場には、男も女も、縄で縛られ集められている。
だが、その中にノッカの姿はない。
「……まだ見つかってないのか」
俺は家の裏手へ回り、静かに足を進める。
そのとき――
「誰か、助けて!」
ノッカの叫びが聞こえた。
その瞬間、俺の中の何かが爆ぜた。
考える間もなく、声のする方へ駆け出す。
見つかろうが、殺されようが関係ない。
ノッカの両腕を、二人の男が乱暴に掴んでいた。
足元には、抵抗した義父と義兄らしきドワーフの死体が転がっている。
胴体に何箇所も穴が空き、血が染み出していた。
男たちは荒い息を吐きながら、剣を握り直している。
殺気立っていたが、その場にいた副官の一喝で静まった。
「商品だ。その子は高く売れる。傷をつけるな」
俺の中で、決意が火を吹いた。
「どああああッ!」
叫びとともに突っ込む。
手に握ったシャベルを、男の頭に思い切り叩きつけた。
鈍い音がして、骨が砕ける手応えが返ってくる。
すかさず、もう一人の腹にシャベルの刃を突き立てる。
呻き声とともに、そいつも崩れた。
見届けずに、俺はノッカを背負い、再び狭道を駆ける。
「大丈夫か、ノッカ!」
俺の問いに、ノッカは肩に顔を埋めながらもしっかりとした声で返した。
「……怖かった。でも、大丈夫。兄さんが来てくれたから」
その強さに、胸が締めつけられる。
「私を置いて逃げて。トル兄さんなら、一人でなら逃げ切れる。私は……あいつらに殺されることはない。生きたまま売るつもりだから」
そんな言葉が出る少女に、俺はきつく抱きしめ、そして背負った。
背後で、強盗団の灯りが点滅しはじめる。
信号か。俺たちの位置を仲間に知らせているのだ。
灯りが村中を動き回る。奴らが追ってきている証だ。
「くそっ……!」
もうシャベルはない。
狭道の終点――大門の脇に着いた。
だがそこには、すでに多くのドワーフたちが拘束され、地面に這わされていた。
そして、俺たちに向けて、いくつもの灯りが集中する。
その中心に、強盗団の首領たちが立っていた。
「おいおい、英雄様のお出ましだ」
「シャベル一本で二人も殺したってよ。やるじゃねえか」
俺が丘に逃れようとした、その瞬間――
「ヒュッ!」
矢が、俺の足元を正確に貫いた。
「どうだ、驚いたか?」
首領の一人が口を歪めた。
「これは警告だ。背を向けて登れば、背負ってる子は即死だぞ。分かったら、しゃがんで両手を見せろ、英雄さんよ」
俺は……ノッカを守るために、降参するしかなかった。
※
ノッカは、他のドワーフの子供たちと同じ檻に入れられた。暴力を振るわれず、友達と肩を寄せ合って泣いている姿に、俺はほっと胸を撫で下ろす。
だが、それも束の間だった。俺は見せしめとして、磔にされた。
「おかしいな……俺の矢が通らなかったぞ!」
強盗団の首領が近づき、俺の身体をまさぐって防具がないことを確かめる。そして数歩下がると、弓を構えて再び矢を放った。
さっきよりも深く弓を引き、矢はかすかに光を帯びている。魔法か。
俺は全身に力を込め、身構えた。
矢は、足に浅く突き刺さっただけで止まった。
ふう、と息を吐いた次の瞬間、もう一矢が飛来した。
今度は左目を、まっすぐ貫いた。
「があああっ……!」
激痛は一瞬だけだった。世界の半分が、唐突に闇に閉ざされる。
首領が近づき、無造作に矢を引き抜く。俺の右目の眼球が、矢の先にぶら下がって揺れていた。
……次の痛みは来なかった。極限まで気を張っていたせいか、意識が白く霞んでいく。
「おい、俺たちの獲物だ。勝手に殺すな」
低く怒気を含んだ声。部下二人を殺された男のようだ。
「すまんすまん。だが、このガキ、譲ってくれないか? 金は出す」
「気持ちはわかるが……示しがつかん。あきらめろ」
「そうか。面白そうだったが、仕方ない」
残念そうな声が耳の奥に届いたが、俺の意識はそこで途切れた。
どれくらい経ったのだろう? 長くはなかったと思う。
次に目覚めた時、俺はまだ生きていた。
早朝らしかった。夜の闇がうっすらと薄れ、空が白み始めている。
俺は磔の板から降ろされ、太い紐で牢屋船につながれていた。数匹の巨大な砂漠蜥蜴がその船を引いている。俺の体には、数えきれない切り傷があった。
周囲には、砂漠鳥に跨った男たち。奴隷の護送部隊だ。
その中で、聞き慣れた声が耳に届いた。
「トル兄ぃ!」
義妹の叫びだった。
俺の意識が、一気に覚醒する。
「それじゃ、またな。うまくやってくれよ」
「任せろ。筋書き通りにやるさ」
「次の仕事場で会おう」
幾つかの強盗団が、隊を分けて散っていく。
その光景を、俺は焼き付けるように見つめた。
覚えておけ。絶対に忘れるな。
……けれど、俺を襲う本当の地獄は、この後から始まるのだった。
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