斬リ落トサレタ姫ノ首

プロローグ ──首が落ちた日



 その国では、処刑は祭りだった。


 年に一度、王都の中央広場に断頭台が組まれると、人々は酒を片手に集まり、屋台は焼き肉と甘い菓子を売り、子どもたちは「今年は何人、首が飛ぶかな」と笑いながら走り回る。


 血が流れるたび、拍手が起こる。

 落ちた首の数だけ、国は清められる──そう信じられていた。


 そんな歪んだ信仰の中心で、俺は斧を研いでいた。


 磨いた刃に映るのは、土埃の舞う石畳と、どす黒い雲。

 俺の顔は映らない。師匠いわく「半人前の処刑人には、刃が自分を映してくれねぇ」らしい。


「手が震えてるぞ、カイ」


 背中越しに、師匠の低い声が落ちる。

 黒いマントに身を包んだ巨体、《斬首のガルド》。王都一と呼ばれる処刑人だ。


「震えてません」


 そう答えたが、斧を握る掌は汗で濡れていた。


 今日斬るのは、いつもの盗賊や政治犯じゃない。


 ──王女、リリエラ・ファルナード。


 王の一人娘にして、民から「白百合姫」と呼ばれていた女だ。

 理由は定かでないまま、反逆と大逆の罪を着せられ、今日、首を落とされる。


 噂は好き勝手に膨らんでいた。


 王を呪った。

 禁呪を使った。

 人の心臓を捧げる儀式をした。


 そして、どの噂にも最後にこう付け足される。


 ──姫の首は、呪いを撒き散らす。


 刃を布でなでながら、その言葉を何度も頭の中で繰り返す。


「怖いか?」


 師匠が横目で俺を見た。


「……怖くないと言ったら嘘になります」


「怖がっとけ。怖れを失った処刑人は、首より先に自分の心を落とす。震えは、まだ人間だって証拠だ」


 ガルドはそう言いながら、斧の刃を覗き込んだ。

 鋼の鏡には、彼の顔だけがはっきり映っている。分厚い眉、古い傷跡、よく研ぎ澄まされた黒い瞳。


「ただし──首は一撃だ。迷いは罪人を苦しめる」


「はい、ガルドさん」


 返事をすると同時に、広場がざわめきで揺れた。


 王城からの行列が見えてくる。


 銀の鎧を着た近衛兵、罪状を記した旗、そして中央の鉄の檻。

 その中に座っているのが、白百合姫だ。


 俺は思わず息を呑んだ。


 噂どおり、いや、それ以上に白かった。


 陽光を跳ね返すような白銀の髪。

 氷の欠片みたいな薄い青の瞳。

 階段に裾を引きずる水色のドレスは、波打つ裾が百合の花びらのようだった。


 土埃と血の匂いしかないこの広場で、彼女だけが、ひどく場違いな清潔さをまとっている。


 観衆から罵声が飛んだ。


「裏切り者め!」

「王の首を狙った魔女姫だ!」

「その綺麗な首、ちゃんと落としてくれよ!」


 姫は、その声を浴びながら、静かに微笑んでいた。

 諦めでも狂気でもない、どこか遠いものを見るような笑み。


 ふいに、彼女の視線がこちらを向いた。


 距離があるはずなのに、灰青の瞳の色がはっきり見える。

 胸の奥が、ひゅっと冷えた。


 檻が断頭台の前で止まり、近衛兵が鎖を外す。


「囚人、リリエラ・ファルナード。反逆および大逆の罪により、王の名のもと、ここに処刑する」


 宣告が読み上げられる間、姫はずっと俺を見ていた。


 近衛兵に両腕を掴まれ、階段を上ってくる。

 白いドレスの裾が血の染みついた板を引きずり、瞬く間に先端が赤く染まった。


 目の前まで来たとき、姫は小さく首をかしげた。

 その細い首に、俺はこれから刃を振り下ろすのだ。


「あなたが……処刑人さん?」


 観衆には届かない、小さな声。


「処刑人見習いの、カイ・ロウガと申します」


「カイ」


 姫は、俺の名を一度だけ確かめるように繰り返し、唇にかすかな笑みを浮かべた。


「お願いがあるの」


 近衛兵に押され、姫は木台に膝をつく。

 首を固定する枷が、ぎしり、と嫌な音を立てて閉じられた。


 俺は耳を近づける。

 ざわめきと太鼓の音が遠のき、姫の囁きだけがはっきり聞こえた。


「どうか、この国を終わらせて」


 祈りみたいな声だった。


「私の首が落ちたら、それを拾って。

 あなたにあげるわ、カイ。

 私の首で、この国を処刑して」


 意味はわかるのに、頭が理解を拒んだ。


 姫はまぶたを閉じ、微笑んだまま続ける。


「ねえ、最初に斬るのは誰がいいかしら。

 王様? それとも、今いちばん笑ってるひと?」


 ぞわり、と背骨の奥を冷たい指が撫でていく。


 王の座から号令が響いた。


「始めよ!」


 太鼓が鳴る。歓声が高まる。

 処刑祭の一年で、いちばん大きな音。


 俺は斧を構え、息を吸った。

 姫の首筋が白く晒されている。

 そのすぐ下で脈打つ血の流れが、目で見える気がした。


 息を吐く。


 迷いを斬り捨てる。


  ──一撃。


 刃が肉を裂き、骨に噛みつく感触が腕を伝ってきた。

 一瞬、首の中で何本もの骨がガリ、と擦れ合う。

 次の瞬間、全部がちぎれた。


 白い首が飛ぶ。

 切断面から噴き上がった血が、空中で噴水みたいに広がり、

 姫の水色のドレスに赤い輪をいくつも描いた。


 石畳にぶつかった首は、まだ温かい血を撒き散らしながら転がる。

 落ちた拍子に開いた口から、切れた舌の先がぴくりと動いた。


 観衆は悲鳴ではなく歓声を上げる。

 誰かが「今の音、最高だ!」と笑った。


 籠の中で止まった姫の首が、ゆっくりと目を開ける。

 骨の断面から流れ続ける血が、百合の花びらの形に広がっていく。


「ありがとう、カイ」


 喉がないのに、その声はやけにはっきり聞こえた。

「これでやっと──処刑を始められる」


 ごろり、と籠の中で首が転がる。

 口元が、楽しげに吊り上がる。


 赤く染まったドレスの裾の向こうで、王国の旗が風にはためいた。

 その日、斬り落とされたのは姫の首だけじゃない。


 この国そのものの首が、静かに、確かに落ちたのだと、

 俺だけが気づいていた。


 斬リ落トサレタ白百合姫の首と目が合ったこの日が、

 王国の“本当の処刑祭”の始まりだった。

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