ホーミングパパ

にゃんしー

ホーミングパパ

 索敵! 衛星軌道上、七時の方角から、パパ襲来! もともと軍用に開発されたというGPSの素直な使い方だ。無効化するか? いや、娘のデートの邪魔をする、というパパにとっての最重要ミッション、GPSなんていうレガシィなデバイス単体で追跡してくるとは思えない。サブギガ帯のアドホックネットワークで包囲されている可能性を懸念してもやりすぎではなかろう。周囲を行き交う無邪気な人々の携えるスマホがすべて脱獄すなわちクラッキングされている点を考慮すれば「人を隠すなら人ごみに隠せ」と先人の明にしたがい梅田ダンジョンに逃げ込んだのは判断ミスだった。選択平文攻撃で解読できない公開鍵で暗号化するか? いや、P≠NPを根拠に素因数分解の複雑性に基づいた高度な暗号化を施したところで、KGB出身であり、先の911では戦局を左右するため両軍から国家予算レベルの大金で牽制されたパパにかかれば、双子素数は無数に存在することを証明するぐらいイージーに突破されてしまうだろう。ヨドバシカメラ前でタクシーを拾い後ろをふりかえりながらしかし財布を開ければお札はおろか小銭すらない。パパか! いつのまに抜かれたんだ! 仕方なく「面白い話をするから面白いところまで走って!」とタクシーの運転手に訴えたがすぐに下ろされた。これだから大阪のタクシーはとりわけ青柳が打たれて阪神が負けた日は信用ならない。京都のヤ○カタクシーなら「多鶴子は東京の飯は不味いといふ」と吟じれば一駅ぶんぐらいは付き合ってくれたのに。とにかく都心からはやく離れるべきだろう。御堂筋沿いをムーンウォークで南下すると中之島を越えたあたりで後方から爆音とともに発生したソニックブームが高層ビルのガラスをいっせいに叩き割る。五月雨のように降ってくるガラスを素粒子バリアで防ぎながら振り返ると、再開発された梅田はあかぐろい焦土と化していた。核弾頭を搭載したICBMか! 「いつでも打とうと思えば打てたんだぜ」というパパの高笑いが聞こえた気がして奥歯をぐっと噛む。こんなこともあろうかと第一宇宙速度で投げておいた人工衛星からの「神の杖」による反撃も考えたけれど、いま日本の頭上はおろか西太平洋の天空にある人工衛星はすべてパパの支配下にあると考えて間違いない。腰を抜かしたウーバーイーツからローラースルーゴーゴーを奪いほかほかのミックスピザを食べながら彼氏の待つなんばへ疾走した。心斎橋を越えたあたりでふたたび爆撃が始まった。おおげさなバンカーバスターだ。単なる威嚇だと分かるから臆することなくまっすぐにセグウェイを走らせる。そのまま彼氏のことを考えようとしたけれど彼の顔は思い出せない。いま思い出せるのはパパの笑顔だけだった。そもそもわたしは彼氏のどこが好きだったのかな? 告白したのはわたしだったけれど。パパとちがってしょうゆ顔でパパとちがってインドア派でパパとちがって小説や詩がすきでパパとちがってお酒がのめなくてパパとちがってショートケーキのいちごはさいごに食べるタイプでパパとちがってわたしのことを理解していなくて、そんなところがよかった。わたしも彼氏のことはよく分からないけれど、パパのことは、分かりすぎるぐらい分かる。娘として、ほんとうに大切に思ってくれていたことも。だからこそ。わたしは泣きながら、パパの心臓に実装したフェルミ縮退による自爆装置のスイッチを押す。ぽちっとな。あたりがいっせいに暗くなる。超新星爆発にまきこまれ空にかがやいていた満月が銀河系ごと消えたのだ。目のまえには、わたしと彼氏が待ち合わせをしていたホテルだけが、ぴかぴかのまま残っていた。それはパパが遺した、さいごのやさしさだったのかもしれない。ホテルのフロントに匍匐前進で忍び込めば、彼氏がすでにチェックインしていることを教えてくれた。部屋番号は1003号室。とうさんと覚えよう。などと、頭がぐちゃぐちゃになりながらエレベーターで十階に向かう。エレベーターホールから1003号室まで誰が撒いたのかバラの花が落ちていた。彼氏はそんなロマンチストじゃなかったはずだけれど。とにかく緊張なのかひどく申し訳ない気持ちなのか、ドラムソロのようにたかなる心臓を抑えながら1003号室の扉をノックすると、彼氏が出迎えてくれた。こんな顔だっただろうか。ぷんと甘い香りがして彼氏がベッドサイドに腰掛けてワインを飲んでいたのだと分かった。さきにお風呂に入っていいよ、と言ってくれたので、しっかり湯を貯めて体の汚れを落とし財布のなかに入っているコンドームを確認する。初潮が来た直後ぐらいにパパから持たされたそのコンドームを使ったことはこれまでにない。わたしはすごくモテたけれど歴代の彼氏107人はみんなパパが殺してしまった。やっとだ。やっと108人目にして、わたしは彼氏と結ばれることができる。はたしてそれがわたしの本当に望んでいることだったのか。わたしがほんとうに好きだったのは誰だったのか。からだじゅうで泣きながら、バスタオル一枚で、そっとバスルームを出た。彼氏は頭まで布団を被っていた。シャイなのかな、とそっと布団をめくれば、裸の彼を見つける。「彼氏」と耳元でささやいてまだかたくなっていない股間に手をのばした。瞬間、彼の体がべりべりと避けて、そこから現れた姿を見て、わたしは、「パパ!」

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