第3話 大人はね、守る側なの
その日も、僕は夜にログインした。
もう時間を確認しなかった。
確認しなくても、体が覚えている。
警備区画の入口を抜けると、
照明の点滅と、静かな機械音が迎えてくれる。
「来たわね」
声は、もう探すまでもなかった。
彼女は通路の向こうから歩いてきて、
僕を見ると、少しだけ眉を上げた。
「今日は、昨日より顔色いい」
「……そうですか」
「そうよ。
座ってなさい、今日は」
命令みたいな口調なのに、
拒む気が起きない。
僕は言われた通り、壁際に座った。
彼女は端末を操作しながら、
ちらちらとこちらを見る。
「ログイン、遅くならなかった?」
「……ちょっとだけ」
「“ちょっと”ね」
彼女は溜め息をついた。
「いい?
夜はね、無理が表に出やすいの」
「……はい」
「大人の言うことは、
たまには聞いときなさい」
その言い方は、
先生でも親でもない、
でも確実に“大人”だった。
僕は頷くしかなかった。
彼女は満足そうに頷いて、
少しだけ表情を緩めた。
「……あたしさ」
初めて、一人称が変わった。
「あたし、夜勤なのよ。
昼の警備は別の人がやってる」
「……そうなんですか」
「うん。
だから、この時間帯はあたしの担当」
それは、ただの業務説明のはずだった。
でも、
“この時間帯は”
という言い方が、妙に引っかかった。
「夜勤、好きなんですか」
「好き、ってほどじゃない」
彼女は少し考えてから言った。
「でも、静かでしょ。
誰かを急かさなくていい」
視線が、また通路の奥へ向く。
「昼はね、
みんな目的があるから」
その言葉に、
僕は小さく頷いた。
目的がある場所は、
僕には少し、息苦しい。
「……ここは」
言いかけて、やめた。
「ん?」
「……なんでもないです」
彼女は追及しなかった。
それが、ありがたい。
しばらく、沈黙が続いた。
彼女は端末を操作し、
僕は壁にもたれて呼吸を整える。
その時間が、
なぜか長く感じなかった。
「ねえ」
彼女が、急に言った。
「もし、ここで具合悪くなったら、
すぐ言いなさい」
「……はい」
「倒れる前に、ね」
その言い方が、
少しだけ真剣だった。
「大人はね」
彼女は、こちらを見た。
「守る側なの。
子どもが無理するの、見てられないのよ」
胸の奥が、じん、とした。
僕は、何も言えなかった。
現実では、
守られることに慣れているはずなのに。
ここで言われると、
少し違って聞こえた。
「……ありがとう、ございます」
「はいはい。
礼はいらない」
彼女は軽く手を振った。
「仕事だから」
そう言い切る声は、
どこか優しかった。
その後、彼女は巡回に出た。
足音は規則正しく、
昨日と同じリズムだった。
でも、
少しだけ戻ってくるのが遅かった。
戻ってきたとき、
彼女は一瞬だけ端末を見て、
首を傾げた。
「……変ね」
「どうかしました?」
「巡回ログ、
ちょっとズレてる」
すぐに笑って、ごまかした。
「まあ、誤差よね」
誤差。
その言葉を、
僕はなぜか忘れられなかった。
ログアウトするとき、
僕は思った。
この人がいれば、
僕はここで倒れても大丈夫だ。
それが、
とても自然な考えになっていることに、
そのときは気づいていなかった。
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