第11話
待ち合わせ場所に選んだのは、駅前のロータリーじゃなくて、その少し先の公園だった。
土曜日の午後。
空はきれいに晴れているのに、胸のあたりだけずっと重い。
(怒るよな、普通に考えて)
ベンチに座って、自販機で買ったペットボトルの水を足元に置く。
スマホの画面には「14:58」
待ち合わせ時間までは、あと二分。
画面を消しても、またすぐ見てしまう。
時間が進んでほしいんだか、止まってほしいんだか、自分でもよく分からない。
——ちゃんと話そう。
電話を切ってから、何度もそう繰り返した。
言い訳じゃなくて、言葉を濁すんじゃなくて。
自分が悪かったところはちゃんと悪かったって認めて、
それでも「あかりが好きだ」ってことだけは、誤魔化さずに伝えようって。
そのはずなのに。
いざこうして待ち合わせ場所に立っていると、
さっき整理したはずの言葉が全部、頭の中から抜けていく。
「……はあ」
ため息が、今日だけで何回目か分からなくなった頃。
「連」
名前を呼ばれて顔を上げると、
斜め前の遊歩道から、あかりが小さく手を振りながら歩いてくるところだった。
白いブラウスに、淡い色のロングスカート。
いつもの大学仕様のラフな格好じゃなくて、
ほんの少しだけ意識して選んできてくれたのが分かる
それが余計に、胸に刺さった。
「悪い、待った?」
「ちょっと。五分くらい?」
あかりは笑って言う。
スマホを見せながら「ちゃんと時間前に着いたからセーフ」とか言ってくる。
その軽さに、少し救われる。
「連のほうこそ、早く来てたでしょ。顔に書いてある」
「顔に、って何がだよ」
「“三十分前には到着してました”って」
「そんなに早くねえし」
ほんとは二十分前。
この辺の誤差は、誤魔化しても許される範囲だと思いたい。
あかりは俺の隣のベンチに腰を下ろす……かと思ったら、
ちょっとだけ考えるみたいに空を見上げてから。
「ね、歩きながら話そっか」
と言って、立ち上がった。
「ここだと、なんか“話し合い感”強くてやだ」
「……まあ、分からなくもない」
覚悟をキメてベンチに座ってた俺だけ、ちょっと間抜けだった。
「歩きながらのほうが、ちゃんと喋れるかも。
変な沈黙になっても、景色いじって誤魔化せるし」
「景色いじるって何だよ」
「ほら、“今日はいい天気だね”とか、“あ、犬かわいい”とか」
「それ誤魔化すって言わない?」
「気まずさの緩和です」
あかりはそう言って、先に歩き出す。
その背中を見て、
(あ、逃げる気はないんだな)
ってことだけは分かった。
それだけで、少し肩の力が抜ける。
*
公園を抜けて、川沿いの遊歩道に出る。
土手には家族連れがレジャーシートを広げて、
子どもがシャボン玉を飛ばしている。
犬を散歩させている人。
ランニングしている人。
そういう日常の景色の中を、
俺とあかりは、並んで歩いた。
並んでいる。
それだけで普段と変わらないはずなのに、
心臓の鼓動だけは、いつもと全然違う。
「……」
「……」
最初に沈黙を破るのは、どっちだ。
昨日の電話の続き。
言わなきゃいけないことは、山ほどある。
でも、あかりは何も言わない。
俺も、言葉を探しているうちに、
口が完全に固まってしまう。
沈黙が三歩分続いたところで、
あかりが小さく笑った。
「ね、こうなると思った」
「……何が」
「こういうときの連、だいたい喋り出せないからさ。
“じゃあ自分から話し出そう”って思ってたけど、
いざ本番になるとわたしもなかなか喋れないっていう」
「それ俺のせいじゃねえだろ」
「半分は連のせい」
「残り半分は?」
「わたしのメンタル」
あかりはあっけらかんと言う。
「正直ね、昨日からめちゃくちゃ胃が痛いんだよ」
「……それは、ほんとにごめん」
「謝罪ポイントそこだけじゃないけどね」
「ですよね」
いつもみたいなやり取りで、
少しだけ空気が柔らぐ。
それでも、
歩幅に合わせて揺れるあかりの横顔は、
いつもより少しだけ硬く見えた。
*
「昨日さ」
「ああ」
「電話切ったあと、ちょっと泣いた」
あかりは、川の方を見たまま言った。
さらっとした言い方なのに、
内容が重くて、胸にズンとくる。
「そう……だよな」
元カノと同じバイト先。
それを、今まで黙ってた彼氏。
泣かれないほうが、おかしい。
「連が悪いっていうより、
自分で自分にムカついて泣いたって感じだけど」
「なんで、自分に?」
「わたしさ、自分では“けっこう器ちっちゃいほうだな”って自覚してるから」
「そんなこと——」
「ある。
すぐ不安になるし、
すぐ変なこと想像するし、
すぐ“自分なんか”ってなりそうになるし」
あかりの口調は、淡々としていた。
自分の欠点を、
もう何度も反芻してきたんだろうなって分かるくらいに。
「でも、連と付き合うときにさ、
“ちゃんと信じられる彼女でいたいな”って思ったの」
「……」
「元カノがいるとかいないとか関係なく、
“好きな人のこと疑い続ける”のって、
たぶん自分が一番しんどいじゃん」
「まあ……そうだな」
「だから、“疑うより先に信じる”っていうのを、
できる範囲でやってみようって思ってた」
その結果が、
今だ。
“元カノと同じバイト先”っていう現実を突きつけられて、
それでも「信じたい」と言ってくれている。
そう思うと、
さっきまでの罪悪感が、また一段階重くなる。
「でもね」
あかりの声が、少しだけ揺れた。
「やっぱり、びっくりしたよ。
元カノと同じバイト先って聞いたとき」
「……だよな」
「一瞬、“なんでそんなとこで働いてんの”って思ったし、
“何この少女漫画みたいなシチュエーション”って思ったし、
“やめてくれ”って本気で思った」
そこまで本音を言ってくれることが、逆にありがたかった。
“全然平気だよ”なんて言われるほうが、よっぽど怖い。
「わたしが連の立場だったら、
絶対彼氏に報告する前に胃に穴開いてる」
「開きかけたかも」
「でしょ」
ほんの少しだけ、あかりが笑う。
その笑い方にも、
まだ不安と緊張が混じっているのが分かる。
歩幅が、心持ち小さくなった。
沈黙が、また数秒続く。
川の水面がきらきら光っている。
向こう岸で誰かがボールを蹴っている。
全部、どうでもいいくらい、
今この隣の人の表情だけを見ていたかった。
*
「ねえ、連」
「ああ」
「一個だけ、質問していい?」
その言い方で、
ようやく「ああ、ここからが本題だな」って分かった。
質問。
何を聞かれるかは、
なんとなく想像がつく。
澪との関係か。
バイトを続けるかどうかか。
構えていると、
あかりは意外なくらいシンプルな言葉を選んだ。
「連は、今誰のことが好き?」
ほんとに、それだけだった。
遠回しな言い方もない。
条件もない。
ストレートな問い。
立ち止まりたくなるくらい、重い一言。
足を止めると、
質問から逃げたみたいになりそうで、
俺は歩くのをやめなかった。
(誰が、って)
答えは決まっている。
昨日、電話の向こうにいた声。
今、隣で俺と同じスピードで歩いている歩幅。
澪のことを「過去に好きだった人」として意識してしまうことも、
完全にゼロじゃない。
でも、それとこれとは話が違う。
今、この瞬間。
自分の生活の中心にいるのは誰なのか。
迷うまでもない。
「……あかりだよ」
思ったより声が低かった。
「俺は、あかりが好きだ」
言葉にした瞬間、
自分の中で何かがストンと定位置に落ちる感覚があった。
昨日から、ぐるぐると胸の中を回っていたものが、
ようやく出口を見つけたみたいに。
隣で、あかりが息を呑む音がした。
それから少しして、
小さく笑う気配。
「……そっか」
「ああ」
「じゃあ——信じるね」
その一言は、驚くほど軽くて、
驚くほど重かった。
「それだけ?」
思わず、聞き返していた。
もっと詰められると思っていた。
「本当に?」って何度も確認されると思っていた。
バイトを辞めろ、とか、
連絡先消して、とか、
そういう条件を出される未来も覚悟していた。
それが全部なくて、
たった一言の「信じる」で終わるなんて、
想像していなかった。
「あのね」
あかりは、歩みを少しだけ緩める。
「もちろん、“今のところは”って意味だよ」
「……」
「なんかさ、“無条件に絶対信じるから裏切らないでね”って言うの、
わたし、すごく苦手」
「苦手?」
「それって、結局自分の首絞めてるだけな気がするから。
もし何かあったとき、
“あんなに信じてたのに”って自分を追い込む呪いみたいで、ちょっと怖い」
そこまで考えていること自体が、
あかりらしい。
「だから、今ここで聞きたかったの。
“今、誰が好き?”って」
「……うん」
「それに対して、連が“あかり”って答えてくれたから、
今のわたしはそれを信じる。
それだけ」
あかりは、さらっと言う。
「これから先、
わたしが不安になる瞬間も多分あるし、
連が“やっべ”って思うことも、もしかしたらあるかもしれないし」
「そんな前提で話す?」
「人間だもん。ミスゼロ宣言は無理」
確かに。
「でも、“今の連”の言葉を信じるって決めるのは、
わたしの選択でしょ?」
信じる、っていう行為を、
こっちに押しつけてこない。
“信じさせてあげる”んじゃなくて、
“信じるって自分で決める”。
その差が、
妙にはっきりと胸に響いた。
「だから、“信じるね”って言うのは、
わたしが自分で選んだことだから。
もし何かあったら、そのときはそのときで、
ちゃんと怒るし、ちゃんと悲しむし、その上で決める」
「……なんか、すごいな」
「全然すごくないよ。
ビビりだから、先に保険かけてるだけ」
あかりはそう言って笑う。
「でもさ」
「うん」
「信じてほしいって言ったの、連のほうでしょ?」
その一言で、
完全にノックアウトされた気分だった。
電話で、「隠してるの嫌になった」とか言って。
今日、「ちゃんと向き合おう」とか偉そうに思って。
結局、最後の最後は、
“信じてほしい”って甘えているのは俺のほうだ。
「だから、“信じるね”って言葉くらいは、
ちゃんと受け取ってほしいなって」
「……うん」
本当に、情けないくらい簡単な返事しかできなかった。
「あともう一個だけ言うとね」
「ああ」
「わたし、多分これからも澪さんのこと、
何回も頭の中で勝手にライバル認定すると思う」
「ライバル認定て」
「するでしょ、普通。元カノだし。
そのたびに、“またなんか考えてんな〜”って思ってくれればいいから」
「軽くない?」
「重くすると、わたしが潰れるから」
それもちゃんと自覚している。
自分のメンタルの限界ラインを、
あかりなりに測って、ぎりぎりのところでバランスを取ろうとしている。
「だからさ。
わたしも頑張って“信じる側”やるから、
連は“信じてもらえる側”を、できる範囲で頑張って」
「……プレッシャー」
「プレッシャーかけてるんだよ」
あかりは、そう言って一度立ち止まる。
俺も足を止めて、
向かい合う形になる。
土手の上で風が吹いて、
あかりの髪がふわっと揺れた。
「連」
「ん」
「好きだよ」
ストレートすぎて、
思考が一瞬止まる。
「澪さんがいること知っても、
バイト一緒なのも知っても、
それでも今、好きなのは連だから」
そんな顔で言われたら、
こっちも真正面から返すしかない。
「……俺も、好きだよ」
さっきと同じ言葉を、
さっきよりも、少しだけまっすぐな声で言えた。
あかりが、ふっと笑う。
「よし。じゃあ今日はここまでにしとこ」
「え、ここまで?」
「これ以上話すと、“いい彼女ムーブ”頑張りすぎてどっかで崩壊する」
「今充分いい彼女ムーブだろ」
「でしょ。
だから今日のところはこれで満足しておく」
あかりは、
“正解の台詞”みたいなものを求めていない。
完璧な未来も、
絶対の保証も求めていない。
ただ、「今そう思ってる」っていう俺の言葉と、
それを「今信じる」って決めた自分を、
ちゃんと抱きしめているだけだ。
それが、
どうしようもないくらい、好きだと思った。
*
川沿いを一周して、公園まで戻る。
ベンチに腰を下ろすと、
さっきまでの重い空気が嘘みたいに、体が軽かった。
「ねえ」
「ああ」
「連さ」
「うん」
「今日、来る前めちゃくちゃビビってたでしょ」
「……まあ、否定はできない」
「顔に書いてある」
「どんな顔だよ」
「“死刑宣告待ちの被告人”みたいな」
「物騒な例えやめろ」
つい、笑ってしまう。
さっきまでの緊張が、少しずつ解けていく。
「でもね」
あかりは、ペットボトルのキャップをいじりながら続ける。
「真剣に話しに来てくれたから、
わたしもちゃんと“信じる”って言えたんだよ」
「……」
「逃げなかった連が、
わたしが好きな連だから」
そう言われて、
(あ、俺この人と付き合えてるの、だいぶ奇跡だな)
って、素で思った。
「だから、これからもビビりながらでいいから、
話しに来てね」
「……分かった」
約束、ってほど大げさなものじゃないかもしれない。
でも、
“ちゃんと向き合う”って決めた今日のことは、
多分、ずっと忘れられない。
元カノがいて、今カノがいて、
面倒な状況は何も解決していない。
澪とのバイトも続く。
あかりの不安も、きっと完全には消えない。
それでも——
「誰が好きか」を訊かれて、
迷わず「あかりだ」と答えられた自分と。
その答えに対して「信じるね」と返してくれたあかりが、
今ここにいる。
それだけは、
間違いなく、本物だ。
「よし、じゃあ解散」
「急だな」
「このあとプリン食べて帰るの。ご褒美」
「自分への?」
「うん。“信じる”って言えた自分へのご褒美」
あかりは立ち上がると、
くるっと振り返って小さく手を振った。
「また連絡するね」
「ああ」
「連も、ちゃんと甘いもの食べて休んで。
顔、めっちゃ消耗してるから」
「誰のせいだよ」
「半分はわたし。半分は連」
さっきと同じ台詞を残して、
あかりは公園の出口のほうへ歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで目で追ってから、
俺は空を見上げた。
雲ひとつない青空が広がっている。
状況は何も綺麗じゃない。
むしろ、これからもっと面倒になるかもしれない。
それでも——
「……ちゃんとやろう」
小さく呟いて、立ち上がる。
あかりが選んでくれた「信じるね」に、
応えられるように。
俺は、俺のほうからも、
“信じてもらえる自分”を選び続けるしかない。
そう思いながら、
バイト先とは逆方向の道を、ゆっくりと歩き出した。
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