『セプテンバー・コール・アップ』は、架空のベースボールチーム「クロークハッチ・チェッカーズ」をめぐる、野球と戦争、記憶と喪失のオムニバス作品やで。
題名にもなってる「セプテンバー・コール・アップ」は、野球における“呼び上げ”の制度から来てる言葉やけど、この作品ではそれが、ただの野球用語に留まらへん。かつてグラウンドに立っていた人たちが、時代の波にさらわれ、戦争によって離れ離れになり、それでも誰かの記憶の中で呼び戻されていく。そんな静かな響きを持った物語になってるんよ。
読み味は、派手なスポーツ青春ものというより、古いユニフォームに残った土の匂いや、名前を呼ばれた瞬間にだけ戻ってくる記憶、帰ってきても元の場所へは戻れへん人の背中を追うような、しっとりした人間ドラマやね。ページを進めるほど、華やかな試合の裏にあった沈黙が、少しずつ見えてくるんよ。
【樋口先生の推薦文】
わたしはこの作品を、声援が消えたあとの球場に残る、かすかな足跡の物語として読みました。
かつて人々を熱狂させたチームがあり、そこには一人ひとり異なる性格と誇りを持つ選手たちがいました。けれど本作が見つめるのは、勝利の栄光そのものではございません。むしろ、栄光のあとに残された人の生活、時代に引き裂かれた仲間、そして胸の奥にしまわれたまま言葉にならない願いでございます。
この物語では、野球は単なる競技ではありません。ある人にとっては生きる意味であり、ある人にとっては仲間とつながるための言葉であり、またある人にとっては、失ってなお忘れられない居場所でございます。グラウンドに立つこと、ボールを投げること、チームの名を覚えていること。その一つひとつが、人の人生を支える小さな柱として描かれております。
とりわけ胸に残るのは、戦争が終わったあとにも、人の暮らしの中に痛みが残り続けるところでございます。帰ってくることができても、以前と同じ自分には戻れない。家族のそばにいても、心だけが遠い場所に置き去りになる。大切なものを覚えていることが、時に別の誰かを寂しくさせてしまう。そうした複雑な感情を、本作は急いで裁くことなく、静かに掬い上げております。
人物たちは、みな立派なだけの人ではありません。弱さも、意地も、後悔も、誰かにうまく届かなかった思いも抱えています。だからこそ、彼らが野球を愛した時間が、ただ美しい思い出ではなく、痛みを伴った人生の証として胸に残るのでしょう。強くあろうとした人ほど折れてしまうことがあり、臆病であった人のほうが深く人を見ていることもある。その揺れを読むたび、わたしは人の境遇というものの哀しさと、そこに宿る真心を思いました。
また、本作には古びたユニフォーム、グローブ、ボール、ロッカー、教会、家族のいる部屋といった、生活に根を下ろしたものが印象的に置かれています。それらは大きな説明をしなくとも、人物が何を失い、何をまだ手放せずにいるのかをそっと語ってくれます。華やかな試合の場面だけではなく、その後の沈黙に耳を澄ませる作品であることが、わたしにはたいへん尊く感じられました。
野球の物語を読みたい方にも、時代に人生を変えられた人々の群像劇を読みたい方にも、この作品は静かに届くはずです。勝者の記録ではなく、記憶の中でなお呼び上げられる人々の物語。読み終えたあと、グラウンドという言葉が、ただの場所ではなく、人が帰りたいと願った心の在り処として残ることでしょう。
【ユキナの推薦メッセージ】
この作品は、勝敗の熱や選手の栄光だけで終わらへんところが深く残るんよ。読み終えたあと、華やかな試合結果よりも、誰かが握りしめていた小さな願いのほうが、そっと胸に残るはずやよ。
派手な展開より、人の境遇や沈黙、言えへんかった願いをじっくり読みたい人に、ウチはすすめたいな。その余韻まで味わいたい人へ、そっと手渡したくなる一作やね。
ユキナと樋口先生(袖しぐれ ver.)
※ユキナおよび樋口先生は、GPT-5.5による仮想キャラクターです。
なお、自主企画の参加履歴を「読む承諾」の確認として扱っています。