私の青い鳥症候群という病

アイデイア

ああ、私の青い鳥

 私は現在、青い鳥症候群という病を患っています。

その病理は、全ての青いものが、あの幸せの”青い鳥”に見えてしまうという症状です。道路標識のあの青も、大手コンビニチェーンのあの青も、Windowsの更新update後のあの青も、、気づけば青色だったというただそれだけのことなのに、酷く私を混乱させます。酷く混乱と書いたのは、ただ私が青い鳥の童話に心酔しているからであって、青色が悪いわけではありません。大通りから外れた脇道にある、自動販売機の青色はいつだって、100円という安定をくれました。本当にありがたいです。御贔屓にしていたら、私の好んで買っていた飲み物が1アイテムから2アイテムに増えていて、私は「自分の気持ちが通じた!」と心の底で嚙み締めました。たかが100円、されど100円。私は少しばかりではありますが、世界を変えましたよね?どうですか?自動販売機さんから見たら、何故、今のこのタイミングで自分のお腹のあの飲みもが急激に売れ始めたのだろうかと、訝しがっているんじゃないでしょうか?その原因はこの私です。

 なぜ私は、自動販売機の飲み物を買うようになったのでしょう。その答えは...ああ、私の青い鳥症候群という病でありました。しかもこの地では緑色まで青色と呼んでいる始末なのだから、何が緑色で、何が青色なんだかわかりません。おそらくですが、認識できるものをとりあえず青色って言葉にしたんでしょうね。だから最初からそれはあったんでしょう。ただ言葉がないだけで。だから青い鳥はどこにでもいますよ、認識の違いだけで。たぶんあの童話もそんな話なんだと思います。

 おばあさんはなぜ魔法のダイヤモンド付の緑の帽子をもっていながら、兄妹に青い鳥を探しに行かせるのか?おばあさんが自分で行けばいいじゃないですかねー。私なら言ってしまいそうです。

「おばあさん、あなた自分で探しに行けばいいじゃない。まさか面倒なんですか?」

って。おばあさんからしたら、

「こいつなにもわかっちゃいねーな」

って感じでしょうが。


おばあさんは、魔法のダイヤモンド付の緑の帽子をもっているお金持ちではあるが、娘の大病を治すことができない。

片や兄妹は、お金持ちの家が羨ましく思っている。青い鳥がいないストーリーだとしたら、こんな感じになるんじゃないでしょうか。


 おばあさんは、大病の娘を看病していました。いろいろ手は尽くしたのですが、魔法のダイヤモンド付の緑の帽子の力でも、娘の大病は治せませんでした。隣に住んでいる兄妹は、お金持ちの家がまったく羨ましくなく、自分たちの家が幸せだと感じている優しい家族です。

とある日、おばあさんは兄妹にあるお願いをしました。

おばあさん「娘が病気なんだけど、友達になってくれないかい?」

兄妹「よろこんで」


青い鳥がいない世界線のストーリーはこうして出来上がります。


 またはおばあさんがやり手だった場合は、このようなストーリーでしょう。

遊んでいる兄妹の処に、偶然おばあさんが通りかかりました。

おばあさん「ああああっつ、腰が痛い。もう動けない。帰れない」

兄妹「大丈夫ですか?誰か呼んできましょうか?」

おばあさん「いや、大丈夫。いつもの事だから。でも手を貸してくれないかい?」

兄妹「いいですよ。なんなら家まで送ります。ちょうど帰るところだから」

おばあさん「ありがとうね。優しい子だね」


注:

兄妹がどちらも優しい子だった場合に限ります。

そうでない場合は、どちらかが不服に思っています。

それは発言権がある、おしゃべりが得意である、口が上手い

日常的な上下関係の上位に位置する

コミュニケーション能力の優劣

等により既に決まっている場合があります。

つまり、言葉を発した者に従う図が成り立ちます。

片方が優しい子であれば、優しい子は発言に従う。

片方が悪い子であれば、発言に従わず、物を言う。

その場合バトルがはじまりますが、バトル内容、戦い方、

手法は人によって異なります。

短期で終わる場合もありますが、長引く場合もあります。

おばあさんは優しい子と言っているのだから、

送ることが優しいと思っているのです。これは本当でしょうか?

私なら言ってしまいそうです。

「おばあさん、独りで歩いたほうがいいですよ。運動不足です」

これでは私は悪い子ですね。

「おばあさん、歩かないと、本当に歩けなくなってしまうから、

体を動かしましょう。しょうがないから、これから毎日一緒に

散歩に付き合ってあげますよ。嫌ならいいです」

その場合、私は本当に優しい子なのでしょうか?

悪い子なのでしょうか?どちらかわかりません。

「おばあさん、病院へ行ったの?」っと聞くべきでしょうか?

いつもの事って、

手遅れになる前に専門家に診断を仰ぐべきでしょうか?

本当におばあさんを、救う手立てはこの時点ではわかりません。

又、その図は、あえてやる場合もあります。

優しい子には、優しい子が従うとは限りません。

優しい子が悪い子だった場合、

本当に優しいのは悪い子になります。

悪い子には、悪い子が従うとは限りません。

悪い子が優しい子だった場合、

本当に悪い子は優しい子になります。

それが判明するのは、いつだって後々のストーリーです。

 


 そうでした、そうでした。おばあさんは違う本では醜い妖女で、それらは現実か夢の中での出来事、どちらかわからない時間帯で書かれているようです。

兄妹が眠る前にお喋りしていたら、突然、妖女という魔法使いのおばあさんがでてきて、青い鳥を探してきてくれと頼まれる。青い鳥が捕まえられないと気づいた時、母親から「もう、起きなさい」という声を聞き、ベットで寝ていたことに気づく。

何故、メーテルリンクさんは、そのような表現をしたのでしょうか?


もし、これが現実の世界であったのなら、事は簡単ではないからでしょう。


 おばあさんはお金持ちの家で、娘が大病している。魔法のダイヤモンド付の緑の帽子という、お金の力を持ち合わせていたが、娘の病はそれで治らず、自分は老いている身ゆえ、自分の力じゃどうしようもなかった。

その隣の貧しい家の兄妹は、若さはあるが、お金というものを羨んでおり、貧乏。だが、醜い妖女というおばあさんを毛嫌いすることなく、対話している。おばあさんは、娘には兄妹という優しい話し相手が必要だと、気づいた。

そこで、おばあさんが兄妹にお金をあげて、「娘と友達になってくれ」っていうのは簡単だけど、娘は喜ばないだろう。お金のつながりで本当に娘が喜ぶとは、おばあさんは考えなかった。


ここでストーリーを変えてみます。


 むかしむかしあるところに、金持ちのばあさんがいました。ばあさんには大病の娘がいましたが、金でどうにかなる手術や薬は散々やっても治りませんでした。

ばあさんは、隣の貧しい兄妹に、

「私の娘と友達になってくれ。病気なんだよ。話し相手になってくれたら、お小遣いをあげるよ。しかも来てくれる度に、美味しいお菓子も美味しいジュースも出すからね。いいだろ?ね?」

これを聞いた兄妹は、どんな思いですかね?

金持ちのばあさんの部屋は豪華で、きっと娘の部屋も豪華です。そこへ入っていて余計、自分たちの惨めさを思うんですよ。兄妹は。なんでここは豪華なのに、うちは貧しいんだろうって。逆に、お金や食べ物に目がくらんだ日には、金づるですよね。それで娘と友達になれるのかっていったら、なれないでしょう。兄妹のどちらかが、劣等感に苛まれるか、娘をお金としてみてしまうのではないでしょうか。羨ましいと思う気持ちがある限り、ばあさんと娘、自分たちの暮らしを比較してしまう。そしてそうなれば、ばあさんはただの悪者か憎らしい存在になってしまう。さらに、醜い妖女というのが、如何にも汚らしく見えてきてしまい助長を促す。単に娘の友達になって欲しいということだけなのに、何故かお金持ちを羨ましいと思っている兄妹の心があたかも、清貧の善者に見えてくる。でも見えてしまうのは、読み手の私が単に、貧乏で兄妹に同じ境遇から感情移入しているだけです。お金持ち側からすれば、ばあさんは利口なんじゃないかって思うんじゃないでしょうか。だって娘の大病が治ると分かれば、大枚叩いて助けようとするでしょう。その場合、お金より命が大切だと知っていることになる。醜い妖女というのも、その容姿とは裏腹にお金を沢山稼げる努力をしてきたのかもしれないという行動が隠されているかもしれない。どちらかというと、ただ兄妹がお金に執着していて、何もしてない気さえしてしまう。どちらにしても、人は自分の見たいように思い、自分を善者だと思うようにしか生きられない生物なんではないでしょうか。

ですが、悪者とか善者って一口には言い切れません。


だって青い鳥は全然違う話で、現実か夢の中どちらかで体験しているかわからない世界で、兄妹を冒険へ連れていく。

 ばあさんはわざと兄妹を旅に出す。何故かといったら、娘と本当に友達になるには、お金持ちを羨ましいと思わない心持ちにしない限り友達にはなれないと、作者のメーテルリンクさんが考えているからです。だからわざと、夢かどうかもわからない世界という設定にして、魔法使い、ダイヤモンド付の緑の帽子、冒険、というファンタジーにしているのでしょう。

ばあさんは体力がない・年老いていることを言い訳に、魔法というキーワードを出してきた。その魔法は現代でいうところのお金と知恵というエネルギーパワーです。

で兄妹はそのエネルギーパワーという冒険をする場を得ることにより、金と知恵ではないものを知る。それが青い鳥は最初から居たという従来の青い鳥理論だと思います。

この場合の青い鳥は、幸福です。

兄妹はファンタジーの世界でそれを学んで帰ってきて、現実にも幸福があったことを知る。幸福は身近にあるものという教訓ですね。その教訓には、どうしたってお金と知恵のパワーが必要になります。だからファンタジーなんですね。


ですが、私は違いました。

それは、ばあさんの目でもなく、兄妹の目でもなかった。

おそらく娘は知っていた。死をまじかに感じていたから三人の人間は生き生きとしていた。だから青い鳥が逃げたのです。

娘の眼には見えていたのですよ。三人の青い鳥が・・・。

まさか、娘と同じ病気に罹っていただなんて!なんてこったい!

そして、娘が幸福になるということは、ばあさんも幸福になり、兄妹も幸福になり・・・という、幸福の連鎖がつながります。

当初の、ばあさんの腰痛も、対話で何か糸口がみつかるやもしれません。

兄妹の貧乏も、対話で何か糸口が見つかるかもしれません。

それは、金と知恵を必要としない循環可能なエネルギーパワーなのかもしれません。


ところで、物語の中では、魔法の緑の帽子についているダイヤモンドを回すことで、

本当の世界を見ることができるそうです。

って、帽子が青いのかい!

その青いダイヤモンドつきの帽子はどこに売っているんでしょうか?ズバリ、お高いんでしょう?

-----いえいえ、今ならそれは路地裏の少し隠れた場所にある自動販売機で、なっななんと、100円で売っていますよ。

それは、本当ですか?

え、あなたってまさか、光の精?光の生ってあなたのことだったんですか?

でも、あと30円だせば、本当に飲みたいロイヤルなミルクティーが買えるのです。

それは群青色か紺青色でしたね。


追記:

 大通りのすぐ目と鼻の先に80円★自動販売機というものがあり、賑やかな広告宣伝とともに80円を詩っていて、ラインナップを見ることもせずにスルーしてしまいました。ああいうのはどうも苦手です。おそらくですが、80円のアイテムは1~2本で、その他は通常価格のような予想だと妄想しているのです。またよく探してみたら、家の近所にある、白色の自動販売機には、あの本当に飲みたいロイヤルなミルクティーが110円で売っていました。これが本当の多様性なのかなって私自身は思いましたね。

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