第17話 おいでませ獄樂京

村の外れの寂れた社。

崩れた社の前で、朝霧が薄く晴れていく。


昨夜まで地獄のような気配で満ちていた村は

今はただ静かで、ひどく寂しかった。


鈴は夜華――いや、大嶽丸の隣に立つ。

白無垢は破れ、肩にはまだ呪印の痕が残っている。


夜華はしばらく鈴を見つめてから、

ゆっくりと口を開いた。


「……鈴。ここから先、お前には二つ選択肢がある。」


風が、かすかに鈴の髪を揺らす。

夜華はまっすぐ鈴の瞳を見ながら続ける。


「ひとつは、この現世を捨てて、俺の花嫁として、俺のいる世界に来ること。」


「…………」


「もうひとつは、また一からやり直す。記憶を消して…普通の人間として生きること。」


「…………」


「どっちを選んでも、俺は止めない。鈴の選択だから。」


夜華の声は静かで、ひどく優しいけれど――

その奥にあるのは、怖くて仕方がない本音だと分かった。


鈴は、ふっと笑った。


「夜華、忘れたの?」


夜華の眉がぴくりと動く。


「私、言ったよ。夜華と一緒に生きるって。花嫁に関しては……ちょっとまだ気持ちが追いつかないけど」


「私はこの先の人生全部夜華と一緒に生きたい」


大嶽丸の赤い瞳が大きく揺れた。


「……っ!こ、後悔するかも、しれない。俺の世界は人間には――」


「しない!」


鈴は迷いなく言い切った。


「だって……夜華と一緒だもん。」


夜華の息が止まる。


ほんの一瞬、

彼の横顔から鬼神の威圧が完全に消えて、

十年前に花火を見せてくれた青年の顔になる。


「…………そ。」


照れを隠すみたいに、ほんの少しだけ早足で鈴から視線を逸らす。


その時だった。


 


「うぉおおおおおおおおお大将ぉぉぉぉ!!!!!

おめでとうございやすうううう!!!!!!!」


 


「えっ!? なに!? だれ!?」


木の上から、翼をバサァッと広げ

真紅の羽根を持つ天狗が飛び降りてきた。


涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。


「お嬢ううううう!!!大将を選んでくださってありがとうごぜぇやす!!オレ、感動して……鼻水どころかオレ自身が鼻水になりそうッス!!」


「え?!や、やめて!?!?近い近い近い!!」


鈴が距離を取る。

夜華は額を押さえながら、ため息をついた。


「……こいつは、ずっと鈴の護衛につけてた。鴉天狗治安部隊・第一班隊長、スザクだ。」


「スザクです!!!大将の嫁さん!!!よろしくお願いしやす!!」


「汚い顔鈴に見せるな。……離れろ。三歩下がれ。」


「すんませんッス!!!!」


鈴はぽかんと口を開けたまま、

天狗と夜華のやり取りを見つめた。


「……よ、夜華……今から行くところって……もしかして……」


夜華は鈴に向き直り、手を差し出した。


獄樂京ごくらくきょう、人ならざるものの都だ。」


「獄樂京……?」


木々の向こうにあるはずの森は、

ゆっくりと霧で覆われていく。


その奥に、揺らめく赤い光が一筋。

まるで鈴を誘う道しるべのようだった。


「今更、やっぱ無理は聞かないからな」


夜華の差し伸べた手を見た瞬間、

ふわりと金木犀の匂いがした。


――あの夏と同じ匂い。

あの夜の花火の朱・白・金がふっと胸の奥で弾けた。


(あの日と同じ……夜華の手だ)


鈴はその手を迷わず握った。


「夜華と行くよ、どこへでも。」


夜華は静かに笑った。


「……ああ、行こう。」


そんないい雰囲気をぶち壊すのが約1名。

スザクが後ろで泣きながら叫ぶ。


「大将ぉぉぉ!!初の花嫁お迎えだぁぁぁ!!!!」


「うるさい。それにまだ花嫁じゃない」


「すんませんッス!!!」


鈴が一歩、夜華と共に霧の中へ踏み出した瞬間――

世界が、かすかに色を変えた。


こうして。


鈴は「供物」ではなく、

自分の意志で夜華の隣を選んだ。


そしてここから、

新しい物語――獄樂京から送る第2章「水底の番人編」が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る