第4話 語るは嘘か誠か

村の少し上がったところ。

森がひらけて小さな丘になっていた。


草木が揺れ、小さな花が音を立てていた。

丘の上から見下ろす村は、どこまでも静かで

古い瓦屋根がいくつも並び、ところどころに畑の緑が混じっている。

遠くには、白い水しぶきを上げる滝が見えた。


「わぁ……」


思わず声が漏れる。


「どう?」


「すごい。こんな景色、初めて見た」


「鈴がいたところは、もっとビルが多かった?」


「うん。こんなに空が広いところ、あんまりなかったかも」


ベンチに腰掛けると、風が頬を撫でた。

さっき役場で感じた重さが、少しずつ薄れていく。


「――さて、鈴」


隣に座った夜華が、空を見上げたまま話し始めた。


「さっき言ってた、大社の神様の話をしようか。」


「うん」


「この村には昔、大嶽丸っていう鬼がいたって言われてるんだ」


知っている名前だった。

村に来る前、車の中で、お母さんが言っていた。


『おじいちゃんの村にはね、昔悪い鬼がいたんだって。その鬼から村を守った神様を祀ってるのよ』


「その悪い鬼から村を護った神様が、大社の神様……なんだよね?」


「そういうことになってる」


「またそれ……」


呆れて見上げると、夜華は少しだけ口元をゆるめた。


「伝承ではね、大嶽丸はすごく強い鬼で、この村どころか山全部を焼き尽くそうとしたんだって」


「……こわ」


「そこに現れたのが、社に祀られてる神様。天守様。大嶽丸と戦って、命を賭けて封印したらしい」


「らしい……って」


「伝承だからね。細かいところは、のちの人間が盛ってるかもしれないし。」


肩をすくめる仕草が、やけに軽い。


「じゃあ、その神様のおかげで今の村があるってこと?」


「表向きは一応、ね」


「表向きは?」


「……もしさ」


夜華は一度言葉を切り、ちらりとこちらを見た。

その目は、さっきまでの柔らかさとは違う、深い赤だった。


「もし、大嶽丸って鬼が、本当は村を護ってた側だったとしたら、どう思う?」


「え?」


「村を焼き払おうとしたんじゃなくて、逆に、どこかから来た何かからこの土地を護ってたとかさ」


「そんな……」


口に出したものの、否定の言葉は途中で止まった。


大嶽丸。

鬼。

封印。


言葉の響きだけが胸の奥にひっかかる。


「そうだったら、封印されたのは鬼じゃなくて」


夜華は空に伸びる木の枝を見上げた。


「……別の誰か、だよね」


「……夜華?」


呼びかけると、彼は「なんでもない」と笑ってごまかした。


「ごめん。変な話だったね」


「ううん、変ではないけど……」


「まあ、その話はここまで」


ぱん、と手を叩く。


「大事なのはね、お話っていうのは、誰かにとって都合のいい形で残されてることが多いってこと」


「都合のいい形?」


「うん。悪者とされてるやつが、本当に悪者とは限らないし、英雄とされてる奴が、本当に英雄とは限らない。」


なんとなく――自分の記憶が抜け落ちていることと、どこかで繋がっているような気がした。

私の記憶も、誰かの都合で切り取られているのだろうか。


「……顔、強張ってる」


「えっ?」


「ボクが言うのもあれだけど、考えすぎない」


夜華はそう言って、私の額を人差し指で軽く弾いた。


「いった……」


「鈴は、笑ってて。」


「そんなざっくりな……」


「ざっくりでいいの。難しいことは、全部ボクが考えとくから」


あまりにも自然に言われて、胸がきゅっとした。


「……じゃあ、頼りにしてもいい?」


気づけばそんな言葉が口をついていた。

夜華は一瞬だけ目を丸くして、それからふっと目を細めた。


「うん。もちろん。ボクを…ボクだけは信じて」


そう言った夜華の横顔に、どうしようもなく懐かしさが込み上げる。


どこかで、同じような言葉を聞いた気がして。

どこかで、同じように安心した気がして。

思い出そうとしても、霧みたいに指の隙間から零れ落ちてしまう。


「……夜華」


「なに?」


「私、やっぱり……」


夕焼けに染まり始めた村を見下ろしながら、小さく呟く。


「ここに来て、良かった。夜華に会えて、良かった。」


そう言うと、夜華は少しだけ目を見開いて、それから、どこかほっとしたように笑った。


「……うん。ボクもだよ。」


風が吹く。


山から降りてきた風が、二人の間をやわらかく通り抜けていった。



その日の夕方、家に戻る途中。

ふと、崖の上を見上げると、木々の隙間から大社の屋根がほんの少しだけ見えた。


薄暗い森の中に、ぽつりと浮かぶ古い屋根。

あそこに神様がいる。

そう思うだけで、背筋が少しだけひやりとした。


「……社に行くのは、その話を聞いてからでも遅くないでしょ?」


朝の夜華の言葉が頭の中で反響する。

本当のところ、彼は何を知っているんだろう。

何を隠しているんだろう。


それでも――


「鈴、帰ったかー?」


玄関からおじいちゃんの声がして、私は「ただいまー!」と答えた。


今はまだ、知らなくていいのかもしれない。


この村のことも。

大社のことも。

あの神様のことも。

大嶽丸のことも。


そして、夜華の本当の顔も。

いつか全部が繋がるその日まで。


私はただ、この奇妙で、不思議で、少しだけ切ない夏に身を委ねていた。

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