祓魔司書官、天野の苦悩

あ、まん。

エラー1 綻びの序章 ── 歪む世界と祓魔の徒の憂い


この物語は我々が住む世界とよく似ているが、ちょっと違う世界。


──20XX年。

天才科学者ウォッチマン博士が開発した世界中で問題になっている少子高齢化対策の切り札CX2391──通称〝Valoriaヴァロリア〟まだ治験も終わっていないのに人為的なミスで、研究所の外に出てしまったCX2391はウイルスのように急速な広がりを見せ、発生から10日も経たずに世界中に広まった。


薬の主な効果は、女性の催淫作用。

女性を積極的にし、多くの子を産んでもらうのが狙い。

だが、副作用として大きく二つの欠点があった。


ひとつは、男性の性的興奮の減少。

もうひとつは、人間の美醜感覚の逆転が起きた。


このふたつの問題のせいで、世界中で醜男がモテて、美男子は相手にもされない。そしてこれは女性にも当てはまるため、ブスがモテて美女はモテない。そんな美醜感覚と貞操観念が逆転した世界で、たったひとりこのCX2391ヴァロリアに対して抗体を持っていた青年がいた。


彼の名は、天野テルマ。


このエラーの起きた世界で、彼だけまともな感覚が残っている。美人は美人だし、性的興奮もちゃんと残っている。パンデミックが起きる前の世界もウザかったが、今の世界も割と面倒なことが起きている。


「あの……これよかったら食べて」

「うっせぇブスぅぅ! 気軽に話しかけてくんな⁉」

「やだぁ。なのッチ、図々しすぎでしょw」

「ごめんなさい」


──瀬戸内なのは。

我が校きっての美少女で、ウイルスが蔓延する前は、芸能人級の美少女だと、もてはやされていた。だが今では、超絶ブサイクという周囲に認識されているのが一般的だ。


そんな彼女が作ったサンドウィッチを床に投げ捨てたのは、つい数か月前までカースト最底辺を這いずり回っていた男。そんなヤツが最下級から最上級の地位を手に入れて調子に乗っている。


同じく彼のまわりには、これまでブスというレッテルを張られていた女子たちが幅を利かせていて、美少女たちは教室の隅に追いやられている。


「おい、食わねーなら俺がもらうぞ?」

「あん? 別にいいけどw」

「天野くん……?」


マジでもったいない。

床にぶちまけられたサインドウィッチはラップに包まれているから衛生的には問題ない。天野は拾ってクラス中の視線が集まる中で、自分の口に放り込んだ。瀬戸内なのはが心配そうに見ているが、気にしない。食べ物を床に捨てるのは人間としてそもそもどうかしている。


「おいおい、そのブスに気があるのか?」

「天野、ブス専?」

「ふもふも……何とでも言え」

「カッコよ、天野カッコよ」


クラス中が茶化してくるが、どうでもいい。

天野は昔から周囲の空気なんていっさい気にせず行動に移す。

サンドウィッチを口に含んだまま返事して、持参の水筒に入っているアイスティーでパンのパサつき感を溶かし、飲み干す。天野家特製のほんのり甘くて苦いアイスティーはざらめ糖を使っていて、我が家では夏はこのアイスティーが定番だ。これなくして夏は語れないと言っていい。


放課後、図書室へ向かう。

天野は小学生の頃から図書委員をずっとやっている。

本に触れあうのが好き。

本が無い世界など考えられない。

いっそ好きな本を嫁に迎えるかもしれない。


「──あの天野くん」

「ああ、さっきのことなら気にしないで。ちょうど腹減ってたし」


瀬戸内なのはが、図書館に向かう途中の天野に声を掛けてきた。


美人に声をかけられてまんざらでもない。

だが天野には高嶺の花。

照れ隠しで早口で答えた。


「ううん、違うの。天野くんって、図書委員だよね?」

「そうだけど」

「実は私、図書委員に入りたくて」


数か月前まで彼女は軽音楽部でボーカルをやっていた。

その美貌と歌声で、下手したら音楽の道に進むかもと思っていたのに。最近になって美醜感覚が逆転してしまった影響を受けたらしい。どんなに歌唱力が高くても見た目が悪いからという理由で、軽音楽部を追い出されたという噂は聞いていた。


別に断る理由もない。

天野と瀬戸内は1年だが、他に1年がいなかったので図書委員が増えてくれるのはありがたい。


「1年の瀬戸内くんか、よろしくー☆」

「はぁ、よろしくお願いします」

「スン……」


司書教諭は、国語の海原先生がやっている。

浮ついたセリフが好きなイケメン。

以前は女子生徒にモテモテだった。

数多くの女子生徒に手を出したなど怪しい噂は絶えないブラックな教師。

だが、Valoriaヴァロリアの蔓延後はただのウザい教師に成り下がっている。


この教師とは訳あって、色々と接点があるが、基本イケメンは嫌い。

この逆転した世界でこの教師の落ちぶれようを見るのは結構楽しみだったりする。


「まだ帰らないの?」

「ちょっと片付けが残ってて」

「手伝うよ?」

「いいよ、海原先生とも話があるし」

「じゃあ校門で待ってていい?」


どうしよう?

図書委員の仕事を筒がなく終わり、他の図書委員は皆、帰った。

瀬戸内なのはがどういうつもりで、天野が終わるのを待とうとしているのか、皆目見当がつかない。


1時間はかかると説明して、瀬戸内と一度別れた天野は図書室の奥にある事務室に顔を出した。


「あの娘、天野に夢中じゃん☆」

「んなわけっ! それより禁帯情報は?」

「さっき入手したのがあるよー☆ 今回はⅢ種級が2匹。場所は……」


この世には、普通の人間が目に見えない怪現象を引き起こす〈霊〉が存在する。

中でも数百年と生きる古霊は、〈魔物〉として、実体化したり、人間に直接災いを振りまく存在として、畏れられている。

天野は、そういった魔物を捕縛し、〈製本化・・・〉して、一般の人にはその存在すら知らされていない大日本國図書館に寄贈する仕事を請け負っている〈祓魔司書エクソシジル〉をしている。


国語教師の海原は祓魔司書のサポーター。主に情報の収集を担当している。


「隣町の廃業した旅館か。話は聞いてたけど」


先月あたりからSNSで有名になった廃旅館。新月の夜に行くと、ほぼ100パーセント幽霊と遭遇すると言われている。


でも、それはガセネタ。

だって、霊なんてそんなにレアなものではない。

なんせ、家から学校までの片道だけで最低でも100体以上は遭遇するから。

一般の人が視えないだけで本当はたくさんいる。


だいたい視える・・・人は幽霊と目を合わせないようにキョロキョロしている場合が多いからわかりやすい。


「天野くん、今日はまっすぐ帰るの?」

「いや、ちょっと用事が」

「どこ行くの? 私もついていっていい?」


やけにぐいぐい来るな。

なまじ超絶美人なので、そんなにぐいぐい来られるとタジタジになる。


まわりがオレンジ色の夕日で染まり始めた頃。瀬戸内なのはが、校門前で本当に天野のことを待っていた。


「ゴメン、ちょっと一人で行かないといけなくて」

「あっ、そっか。じゃあ代わりに……」

「むぉぉおっ! なっ⁉ なにシテんの?」


背後から天野の耳たぶを「れろれろれろれろ」と舌で転がされた。

あまりの突拍子のない彼女の行動に思わず変な声が出た。


「今日はこれで許したげる。でも明日は逃がさないから」


腰の後ろの方がゾクリとした。

どういうこと?

もしかして、今のって。












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