ソウル・エコーズ~精霊達への鎮魂歌~

想兼 ヒロ

第1話 月輝く夜に【Side : Riina】

【ずっと探していた。その声を。その音を。暗闇の中で、悠久の時をこえて。ずっと、ずっと探していたんだ】


 かつて、世界は魔法の理で動いていた。


 人々は神を信じ、奇跡を願った。その奇跡を、人は自らの力で起こす術を手に入れた。それを人は『魔術』と呼んだ。

 神に近づいた人は己の幸せのため、秩序のため、欲望のため。様々な魔術を生み出し、世界を動かした。


 しかし、いつしか魔術は廃れ、世界は科学の理が支配していた。


 魔術は迷信と呼ばれるようになり、人々から忘れ去られていった。そのような存在があったこと、それは歴史の闇に消えていった。


 それでも、魔術は消えたわけではない。まだ魔法の理は、ここに生きている。


 いにしえの魔術師達が生み出した数奇すうきな運命。それに巻き込まれた欠けた魂達。

 それらは響き合い、新たな歌を、この現代に生み出そうとしていた。


*****


 天に丸い月が掛かっている。闇夜を、青白い光で照らすそれは私の影をつくるほどに明るかった。

 夜風が吹き抜ける。少しだけ、体が震えた。ほおにあたるそれは、思ったよりも冷たい。


「少々冷えますね」


 私は周囲を見渡す。コンクリートとガラスでできた森がどこまでも広がっている。遠くを見れば山も見えるはずだが、明かり一つ無く暗闇に溶けてしまっている。足下が明るいからか、闇が強くなっている。

 それなのに、だ。こんなにも明るい夜だというのに、ビル自体も光を放っているというのに。

 ところどころに影が生まれている。その影が、生きているかのように揺らめいた。様様な悪意が、そこに満ちているようで気分が悪い。


 そこまで思い当たって、私は空を見た。星が瞬く。月が輝く。少しだけ気分が晴れた。


「……私の心の持ちようですね、これは」


 一つ息を吐く。吸う。一瞬、呼吸の仕方を忘れていた。何度か深呼吸をすると落ち着いてきたのが分かる。どうやら、自分が呼吸をどのようにしていたのか分からなくなるほどに緊張をしていたらしい。

 仕方が無い。私は一つ失敗をした。それを取り返そうと躍起になっている。心がざわついている。生まれるのは仕方が無い。制御しなければ。


 目を閉じる。そんな私の白い髪を、風がかき上げていった。ふわり、と後からきた弱い風が髪の先をなでていく。


 想像するのは単純だ。私の迷いを、全て外界に吐き出す。足裏から、背中を通って、その髪の毛一本一本にまで、芯が通っていく想像をする。

「ふぅ……」

 全部を吐き出すつもりで、長く息を吐いた。再び目を開ける頃には、先ほどまで感じていた焦燥感は消えていた。

 街の明かりはずいぶん穏やかになっている。影も、そこまで気にならない。


「よし」


 ずいぶんと軽くなった心に合格点を出す。これなら、冷静に考えることができるはずだ。


「急務なのは『適合者』を見つけ出すこと」


 ビルの屋上に私は立っている。隙間を縫う風が、また私に向かって吹いてきて、今度は服の裾をひるがえした。


 ここはこの街で一番高い場所。天に近い場所で、私は街を見下ろしてみる。


 大小、様々な大きさの明かりがきらめいている。人の営みは、夜遅くになっても落ち着きが見えない。むしろ、活発になっている場所もあるのだろう。

 とくにこの街は眠ることがない、とみえる。ビルの窓にも、まだ明かりがついているのがいくつもある。様々な飲食店が並ぶ通りは、ここからでも人の声が聞こえてくる錯覚を覚えるほどににぎわっていた。


「これだけ人がいれば、騒ぎを起こそうとはしないはず」


 私が探している彼らは、人の目につくことを嫌う。これだけ活動している人がいれば、めったなことでは表に出てこない。

 ただそれは同時に、人に見られることを嫌うという意味である。万が一、見られてしまったらどうするか。二度と、口をきけなくするしか無い。


 つまり、口封じ。


 ずきっ、と胸に何かが刺さった気がする。それは、記憶の棘だ。私が間に合わなかった、そのせいで起きた惨劇の記憶。

 それを起こした張本人は、現地の警察に捕まった。しかし、奪われた命は返ってこない。私の失態で、未来を奪われた人がいる。その結末は変わらない。


 それでも、思う。結末が変わらなくとも、未来は変えられる、と。


 急がなければいけない。


「……いけない」

 心のざわめきを感じて、私はもう一度深呼吸した。

「また焦りが生まれている」


 まずは認めよう。私は、私の失敗を引きずっている。それが、私を冷静でいられなくしている元凶だ。

 せっかく見つけた『適合者』を逃がしてしまった。彼は闇に紛れる術を用いて、人混みの明かりが生み出す影の中へと消えていった。人の多いところでは、私も本領を発揮できない。結局、私も人の目につくのを嫌う同業者である事実は変わらない。

 影に消えた標的。だから、影を見ると、心がざわつく。


 眼をこらす。特に、街の隙間にできる闇を、私のあかい眼にしっかりと映す。どこかに隠れてはいないだろうか。


「あっ」

 どくん、と心臓が大きく鳴った。


「見つけた」


 急にはっきりと見えた。その理由に気づいたとき、私は背中に冷たい汗を感じる。

「二人いる」

 どうやら、逃げた先で別の『適合者』と鉢合わせしたらしい。


「このままでは」

 『適合者』同士の『奪い合い』が始まってしまう。もはや、一刻の猶予も無い。


 柵に手をかける。眼を見開き、標的の場所をにらみつける。まだ、目立った動きは無い。お互いがお互いを警戒している。

 これなら、まだ間に合うはずだ。


「すぅ」


 息を吸う。その空気を、全身に張り巡らす想像をする。イメージするのは、先ほどから私の横を駆け抜けていく風だ。

 その想像が、足の爪にまで届いたとき、私はささやいた。


「『我がたいは風の如く』」


 私の声は夜に溶け、全身を包み込む。体中に生まれる浮遊感。私の体は、私が願ったとおり、風となった。

 柵を乗り越え、屋上の縁に立つ。その動きは軽やかだ。先ほどまで私を縛り付けていた重力は、ここにはない。


「今度こそ、捉えなければ」


 私はそのまま空中に舞った。夜のとばりへと飛び込んでいく。

 この使命を、果たすために。

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