パッシブスキル『洗脳』で悪の教団を作ろう!〜世界平和のために犯罪者を洗脳して信者にしていたら、いつの間にか世界最大の秘密結社に成長していました〜
土竜倉ぐらぐら
第1話 生贄にされた
青い空、白い雲、そして薄暗い路地裏。わたしは貧民窟の片隅で鎖に繋がれ、奴隷として売られていた。
吐瀉物と下水が混じり合ったような悪臭が鼻を突き、腐敗した空気で咳き込みそうになる。
目の前にいるのは上質そうな深紫色の服を着た大柄な男だ。
指にはゴテゴテとした宝石の指輪をはめ、首元には金色のネックレスが下品に光っている。
わたしは男の目を見ると、小さく息を吸って呼吸を整え、交渉を再開した。
「お願いします。どうか解放していただけませんか? この国でも奴隷売買は違法のはずです。きっと今ならまだ──」
「黙ってろ、ゴミが」
短い言葉と共に、男の拳がわたしの顔面を強打した。視界がぐにゃりと歪み、鉄が錆びるような味が口の中に広がる。
「誰が話して良いと言った?身の程を弁えろ、奴隷風情が」
吐き捨てるような声と共に、男はわたしの頭を靴で踏みつけた。砕けた鼻に重々しい圧力がかかり、激痛が走る。呼吸が苦しい。
視界が赤く染まり、意識が遠のいていく。朦朧とする意識の中で、脳裏に浮かんだのは両親の顔だった。
お父さんもお母さんも優しかった。2人の笑顔が好きだった。だが、くだらない戦争に巻き込まれて死んだ。
帝国からすれば、わたしの故郷など進軍ルートの途中にある都合の良い村でしかなかったのだろう。食料調達のために襲撃され、抵抗する間もなく故郷の村は簡単に滅んだ。
両親を殺され家を無くしたわたしは1人で逃げ出し、数ヶ月彷徨った末に盗賊に捕まった。
そして奴隷商人へと売り渡され、今に至るというわけだ。
「これが約束の品ですか」
不意に、涼やかな声が路地裏に響いた。踏みつけられてぼやける視界に、黒いローブを着た小柄な人影が映る。
そこに立っていたのは、水色の髪を肩まで伸ばした少女だった。古めかしい魔導書を小脇に抱え、華奢な手首には白い宝石が埋め込まれたブレスレットを着けている。
貧民窟の路地裏には不釣り合いなほど整った顔立ちは感情を読み取らせず、ただ静かにこちらを見据えていた。
商人は少女に気づくと、小さく鼻を鳴らす。
「シャノンか。遅かったな。こいつが例の奴隷だ」
「商品を傷つけるのはやめてほしいのですが」
「少し躾をしただけだ。それに、どうせすぐ死ぬだろう。まあ良い。持っていけ」
シャノンと呼ばれた少女は腰のポーチから数枚の金貨を取り出し、商人に手渡す。
彼はそれを鷲掴みにして懐にしまうと、キョロキョロと辺りを伺い、そそくさと路地裏の奥に消えて行った。
わたしはほっと胸を撫で下ろした。奴隷として売られたのは悲しいが、それでもあの暴力的な男から解放されたことは確かだ。
捕まったときはどんな過酷な仕打ちを受けるんだと絶望したが、目の前に現れたのは大人しそうな美少女だった。歳もわたしと変わらない。
魔導書を持っているから、きっと魔術師だろう。わたしのことを買ったのは研究の手伝いをさせるためだろうか。仲良くなったら、奴隷からも解放してくれるかもしれない。
「リオラと申します。あの……助けていただいて、ありがとうございます」
「いいえ、礼には及びません」
シャノンはまっすぐにわたしを見つめて言った。
「あなたは邪神への生贄にするために買ったんです」
「へ? 生贄⁇」
理解のできない言葉に、思わず聞き返す。少女の表情を伺うが、冗談を言ってるようには見えなかった。
「真理の探究のために必要なんです。苦痛は感じないよう眠らせておきますから、ご心配なく。あなたはもう目覚めることもありません」
彼女は冷たく言い放つと、懐から注射器を取り出した。透明なガラスの中には緑色の液体が揺らめいている。
全身の血の気が引いていく。混乱しながらも、何とか説得しようと言葉を捻り出した。
「待ってください。真理が何かはわかりませんが、誰かが犠牲になるような事はやめませんか? 人の命は代わりがききません。わたしも協力しますから――」
「我々
シャノンはまるで実験対象を観察する学者のような、冷酷な目線をわたしに向けた。
会話が通じない。……これは、逃げるしかないか。
シャノンが一歩踏み出した瞬間、わたしは踵を返して走り出した。後ろ手に手錠をはめられてるせいで、上手くバランスが取れない。
何度も転びそうになりながら路地裏をジグザグに走っていると、ふと視界の端に、複数の人影が映り込んでいることに気づいた。
シャノンと同じようなローブを身に纏った者たちが、音もなくわたしを取り囲んでいる。数は15人ほどで、皆フードを目深に被り表情は見えない。
そしてその先頭では、後ろにいたはずのシャノンが立っている。
「なんで……」
唖然とするが、シャノンの表情は無機質だ。
「『
ローブの男が呪文を唱え、目の前から姿を消す。
次の瞬間、後ろから羽交い締めにされた。抵抗しようともがくが、男はびくともしない。
シャノンは無表情のままわたしに近づくと「すぐ楽になります」と呟き、注射を刺した。
チクリとした鋭い痛み。瞬間、冷たい液体が血管を巡るような感覚に襲われる。
それは急速に全身へと広がり、不自然なほど強い眠気が押し寄せてきた。視界がぐらりと歪み、全身の力が抜けていく。
……ああ、これで終わりか。必死に足掻いてはみたが、結局何もできなかったな。
帝国に村を焼かれ、盗賊に捕まり、奴隷商人に鼻を砕かれ、そして最後は怪しい魔術師たちに殺される。
だが、不思議と誰も恨んではなかった。
それはきっと、戦争のせいで皆がおかしくなってしまったと分かっているからだ。本当は誰もが優しい心を持っていた。絶対にそうだ。そうに違いないのに……。
次に生まれるときは、戦争がない世界がいいな。誰もが手を取り合い、幸せに暮らす世界。そんな暖かい光景を思い浮かべながら、わたしは意識を失った。
△▼△▼△▼△
「――嘘をつくな、偽善者が。本当は皆殺しにしたいと思っているだろう」
真っ白な空間で、わたしは目を覚ました。見渡す限り、天井も床も全てが均一な白で塗り尽くされている。
目の前には、床に着きそうなほど長い黒髪を垂らした女の子が、私の顔を覗き込んでいた。
「好きなスキルをやるから、選べ。あの魔術師どもを殺す力をくれてやる」
少女は黒くて分厚い本を差し出して、そう言った。
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