人は完璧からごく僅（わず）かに逸脱（いつだつ）したものにこそ美を感じる──この感覚を是（ぜ）とするならば、地底に栄えるこの文明は見事と云（い）えるだろう。

すべてが美しく整った、愛ゆえの罪深い土地。

18歳の青年・紅（くれない）は、そうした陽（ひ）の当たらぬ故郷に満たされている。

「足（た）るを知る」ことこそ幸せの極意（ごくい）であると心得、持ち合わせた旺盛（おうせい）な好奇心さえ理性の蓋（ふた）で抑えることが容易であった。

たとえば死の地上で有り得（う）べからざるもの……生きた人間を見つけた時も一等（いっとう）冷静で、見捨てることに何らの迷いも無く。

けれど人は人と生きる限り、己の意思にそぐわぬ決定を受け入れることもある。

それが慕（した）う家族に因（よ）るものならば、尚更（なおさら）に。

こうして彼は連れ帰った男を見張っている最中（さなか）だ。

感じるべきではない責任まで自ら負うことが、唯一の若者らしさだったといえる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

（ああ……ホント最悪な一日。せっかく初めて地上に行けたっていうのにさ）

　今夜は休めと指示されながらも、俺が無理を言って交代した見張り小屋の中。

ようやく目覚めた眼前の男は、葡萄（ぶどう）色の瞳でこちらを見る。……なぜか既に好感を持てなかった。

俺が見つけた厄介ごと──コイツの正体を確かめたら、追い出してしまいたい。

「ん～…、おはよぉ。ここはどこ？　きみ、紅（くれない）くんって呼ばれてたよね？」

「お前は何者だ」

距離を取ったまま短く返しながら──手元の本に忍（しの）ばせていた緊急用の小さな呼出端末を、閉じる動作によって押す。

これですぐに仲間が駆けつけるはずだ。

「……きみ、本が好きなのかい？」

「聞かれたことに答えろ。なぜ地上で生きていられた」

そう、それは知っておかなくては。人型でいれば、必ず機械生命体によって焼き殺されるはず。

ただ厄介を抱えたんじゃなくて、どうせなら役に立つ情報がほしい。

手首を寝台と鎖──電子錠（でんしじょう）で繋がれていると気づいた男は、それを意に介すことなくゆったりと起きて腰かけた。合わせて揺れる肩よりも短い金髪は、不自然にきらめく。

「ぼく、ベルフェゴール。こことは異なる世界から来たんだ。えへへ、実は人間じゃないんだよねぇ」

（普段なら笑い飛ばして終わり、なのに。……どういうワケか、その方が違和感ないな）

上手く言えないけど……しゃべるともっと異様だ、コイツ。

その瞳孔（どうこう）はヤギのように横長く、妖（あや）しく輝いている。

顔立ちは美しすぎて、かえって美しいとはあまり思えなかった。

「人間じゃないなら、何なんだ？」

「ん～……。ビックリさせちゃうかもしれないけどぉ、《悪魔》だよ」

「？」

聞きなれない言葉に、一瞬戸惑う。

「え、ウソでしょ。もしかして悪魔のこと知らない？」

「知らない」

「マジで！？　……ぼくたち悪魔っていうのは、《神》に反逆する存在でぇ―…って、その顔。

　ま、まさか神も知らないの！？」

「知らない」

上っ面だけの猫なで声が不審な上に、意味の分からない言葉を並べられて余計に警戒する。

「えー……この異世界ヤバい、面倒（めんど）い～。

　サタンごめん、ぼくやっぱり世界を救えないかもぉ…」

「異世界って……。勝手に訪ねて来て、こっちが他所（よそ）みたいな言い方するな」

◆◆◆◆

　素っ気（そっけ）ないこちらの反応に構わず、ベルフェゴールという何かは続ける。

「ねぇ、そっちも僕の質問に答えてよ～。紅くんは本が好きなの？」

「だったら何？」

「あのね、ぼくも一冊だけ持ってるんだよぉ、すっごく特別なやつ………。

　きみ、『全知の書』って興味ない？　すべてが記されてる本でさぁ」

………信じるヤツがいると思うんだろうか。俺は半（なか）ば呆（あき）れた口調で尋ねてみた。

「じゃあ、地上にいる機械生命体って何なんだ？　調べてくれよ」

「そこ！　そこなんだよねぇ。きみらの世界……ここのことだけ、全知たる『ラツィエルの書』に載ってないの」

「………苦しい言い訳だな。一瞬でバレる嘘つくなよ」

俺の目線がさらに冷たくなったことに気づいたのか、

「う、嘘なんてついてないよ！　悪魔に対する偏見でよく言われるけど、まったく失礼なんだよねぇ。聞かれたことには、ちゃんと答えるしぃ……」

と不服そうだ。そしてさらに言い募（つの）る。

「あのね、ぼくがいた……紅（くれない）くんから見た、異世界ではね。

　いきなり現れた機械生命体が、ぼくら悪魔の力の源（みなもと）になる人類をバンバン殺しちゃっててさぁ」

「！」

さすがに聞き捨てならない。こっちと同じヤツが他の世界にもいるのか？

「なんと見かねた神が『ラツィエルの書』をサタン──、僕の上司、でいいのかな。

　そいつに貸してくれたのよ。この本を使ってどうにかせい、ってことだねぇ」

すると、一瞬のうちに真っ白い表紙の本が、男の手の平に出現していた。

それは大きさこそ普通と変わりないものの、少し浮いていて──。不思議と心安らぐ光を放っており、コイツと不似合いな印象だ。

その優し気な光に目を奪われながら、「お前にも上司いるんだ。その人かわいそう」と小声で言うと、「なんでよっ！？」と聞き返された。……そんなの分かるだろ。

◆◆◆◆

　悪魔（？）は俺に疑惑の目で見つめられる中、説明を続けた。

「んでね。そもそも機械生命体って、どこから湧いてるんだよってことで。

　ぼくは『ラツィエルの書』をくまなく調べたの。

　そしたらアイツらの情報ないどころか、ごっそりと空白のページがあって。

　いやいや全知の書でしょ？　神テキトーだな？　ってムカついてたんだけどぉ」

「お前が言うな」

いやほんとに、お前が言うな。だけど厳しい言い方をしても、ベルフェゴールはまだ語る。

「………僕はさ、ピンと来たの。この空白の中に、面倒（めんど）いやつらが発生してる世界が載るハズなんじゃないのぉ？って」

黙って耳を傾けている俺に満足したのか、「ふふっ」と男は嗤（わら）う。

「んで、色んな世界をさまよいながら、どうにかこっちの世界に飛んできたらさぁ。

　まさしく本に載ってない場所で。ヨッシャーっ、あたりだよぉ！　って思ったのに……」

「勘違いだったのか」

なんだよ期待させといて、と軽く舌打ちをする。

（それにしても、なんで誰も来ないんだろう。まさか呼出端末が壊れてる……？）

こちらの興味が逸（そ）れたことに焦（あせ）ったのか、ベルフェゴールは首をぶんぶんと振る。

「そ、そうじゃないよぉ！　ここが発生源なのは間違いないね。ウロついてた機械生命体を調べたもん」

「…………本当に俺たちの世界が、発生源、なのか」

コイツが異世界から来たと聞いた時。あれらも来訪者だったのかと思っていたのに。

他所に迷惑をかけている側だなんて、居たたまれない気持ちになってしまう。

内心で混乱していても、構わずベルフェゴールは続ける。

「ただね。遅ればせながら、たいへん面倒（めんど）いコトに気づいたのぉ。この世界……魔力がまったく練れないってことに……」

たぶん今までで一番、忌々しそうな顔をしている。こういう表情の方が、なんとなくしっくりくる。

男の手にはドス黒い何かが蠢（うごめ）き、その指さす方にあった鉢植えが枯れた。

「今のが魔力。ホントはもっと色々できるけど、節約しないといけないから……。

　魔素（まそ）……魔力の源ね。これがゼロの所なんて、ほかに無かったよっ！？」

「そんな文句言われてもな」　

「たぶん、《悪魔》とか《神》とかっていう概念がスッポリ無いせいだと思う。

　雪がないのに雪景色を探すみたいな………ほんとクソ田舎」

「……口を慎（つつし）めよ」

「は、はぁい」

厳しく注意すれば意外と素直に謝り、くじけずにまた語り出す。

「んで、ここからが本題！　ぼくたちと契約してくれる人間がいれば、

　ちょびっとだけど魔素が生まれるはずなのよ。

　《悪魔》って概念を刻（きざ）みつけられるからね」

「へー、なるほど？」

かなり興味なさげに相槌（あいづち）を打つ。

「……だから地上で人間を探してたんだけど、誰もいないしぃ。

　まさか地下にいたなんてね。いつもは感覚で分かるのに……これも多分、魔素がないせいかなぁ」

「ふーん、蚊みたい」

「！？　と、とにかく分かったぁ？　だから紅（くれない）くんがぼくと契約してよ～」

「えっ………断るけど。当たり前に……」

きっぱり答えても、まるで聞いていない。この態度の俺になぜ可能性を感じたのか。

「ちょっとお手伝いしてもらえたらいいの。そしたらぼくが機械生命体を壊すからさぁ。

　おたがいの世界を一緒に救おうよ？　

　終わったら、特別大サービスで『ラツィエルの書』もあげちゃうっ。これはお得ぅ！」

「…………」

これ以上一人で相手していられないと思い、人を呼びに椅子（いす）から立ち上がると、「まってまってぇ！」と引き留めながらまだしゃべっている。

「この本は、ホントに便利な知識が盛りだくさんだよ。えーとぉ……どれどれ。

　ぼく、どうしても契約してほしいからぁ……何がきみに喜んでもらえるかな～」

またしても本が現れ、｜頁が無限とも思えるほどめくられる音がした。

何やら楽し気に言っているけど───空気が、変わった気がする。背中を走る悪寒（おかん）。

ベルフェゴールはやっぱり良くない存在だ、そう体中が警告した矢先に言われたのは。

「やっぱりこれかな、『人間の蘇（よみがえ）らせ方』。　はい、ド定番！」

「！？　……もっと現実味のある話したらどうだ？」

あまりにも信じ難（がた）い。今までの話で一番くだらない。

「も～、そんな疑（うたぐ）りぶかい紅（くれない）くんのために、お試し体験させてあげるってことなの。

　───それにさ。きみ、大切な人を亡くしてるでしょう？　ぼく、そういうの分かるんだぁ」

そう紫の瞳を細めて言う表情は、きらびやかな姿からは想像もつかないほど───

ひどく醜悪（しゅうあく）だった。

「良くないものを招き入れた」、そう感じたからには。お引き取り願うしかないだろう。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

　彼──紅（くれない）は、今在（あ）るものだけで幸せだと信じていた青年だった。

それゆえに悪魔にとって、唆（そそのか）し甲斐（がい）があったのかもしれない。

「俺が必ず蘇らせる。───世界は勝手に救われればいい」

いずれ下す斯様（かよう）な判断……狂い、壊れたその戦い方を。

罪と断ずるべきか。それは誰によるべきか。