第7話 『神』と名乗る客

 店主の厚意でおでん屋台があった空き地のすぐ裏手のアパートに部屋を借りられることになる。そこの家主自体も実は店主らしく、自分が住んでる部屋が空くのでただで住んでいいと言われたが、流石にそれは辞退して家賃を払うことに。憲児と言う跡継ぎができたことで店主は引退を少し引き伸ばし、しばらく一緒に店に出てくれることになった。憲児の店主デビューは二週間後で、それまでに店主に色々と学んだり、役所への申請を済ませたりする必要がある。幸いにして前の会社で食品衛生責任者の資格は取得済みだったので、営業許可の引き継ぎだけで済んだ。


 いよいよおでん屋台デビューが三日後と迫った日、もう一つ楽しみにしていたものが到着したと連絡が入る。実は車を購入していて、本来なら三ヶ月待ちと言われていたがキャンセルがあったらしく、思いの外早く入手できることになったのだ。以前から乗ってみたいと思っていた軽のオープンカー、自分のためだけの車だ。


 いそいそとディーラーに出掛けて書類に記入し、ディーラー側はローンを組んで欲しそうだったがネットバンクを使って速攻で全額振り込み完了。キーを受け取って早速ドライブに出かけることにした。ボタンを押すとルーフが電動で後ろにスライドし、三十秒足らずでオープンカーとなった。もうこれだけでワクワクが止まらない。


 風はまだ少し冷たかったが幸いにして晴れていたので快適なドライブとなった。海沿いを走ってみると潮の香りが心地よく、会社にいた頃には感じたことがなかった自由を噛みしめる。将来に対する不安がないわけではないが、いかに窮屈な生活を送っていたか改めて知ることとなったのだった。


 そしていよいよおでん屋デビューの日。前店主が横にいてくれるので不安もないし、仕事していた頃を考えれば自分にこなせないはずがない、そう自分に言い聞かせる憲児だったが、傍からみると緊張してガチガチになっていた様だ。


「ほらほら、もっとリラックスして。客商売だけど、楽しむぐらいの気構えがちょうどいいよ」

「は、はあ……つい構えてしまって。サラリーマン生活が長かったからですかね」

「ハハハ、そうだね。私も最初は緊張したもんさ」


 前店主が喋ってくれたお陰で緊張も徐々にほぐれてきたころ、最初の客が暖簾をくぐって席に着いた。


「おやじさん、まだ店出してたんだ! あれ? 新しい人?」

「はい。ご縁あって私が店を引き継ぐことになりました。今後ともよろしくお願いします」

「そっか、そっか! いやあ、ここが残ってくれるのは有り難いよ。ここのおでん、美味しいからね!」


 憲児よりも幾分年上であろう小太りな中年男性は嬉しそうに笑って、おでんとビールを注文。記念すべき一人目の客に皿に盛ったおでんを出すと、それを合図にしたかの様に一人、また一人とやってきて想像以上の賑わいとなった。憲児が通っていた頃はいつも一人、二人しか客がいなかったので、これだけ賑わっているのはちょっと新鮮だ。


 前店主にも付き合ってもらってしばらく二人での営業が続き、いよいよ憲児一人で店を回す日がやってきた。最初の客はもちろん前店主のおやじさんだ。


「有り難うございました。今日は私のおごりで」

「ハハハ、それは嬉しいねえ。君は流石に飲み込みが早い。君にこの屋台を託したのは正解だったよ」

「そう言ってもらえると嬉しいですね。頑張っておやじさんの想いを引き継いでいきますよ」

「頼みましたよ。じゃあ、乾杯しましょうか」

「はい……お互いの新たな一歩を祝して」

「乾杯!」


 これがこれからの憲児の仕事ではあるが、こんなに新鮮な気持ちで何かに望めるなんてどれぐらいぶりだろう。会社では新規の企画と言ってもどこか自分の能力でできる範囲に留まっている感があり、あの場所を去る時は辛かったが今はこの仕事に就けたことをとても嬉しく思っている。


 前店主は程なく地元へと引っ越していったので、入れ替わりで憲児が彼の部屋に引っ越す。先日購入した自動車は軽でツーシーターで絶望的に荷物用スペースがないので、残念ながら引っ越し荷物の運搬には役に立たず、引っ越し会社に依頼。仕事関係の本やら資料やらは思い切って捨ててきたので荷物は思いのほか少なかったが、新生活を始めるにはちょうどいい。


 初めて一人でやりくりする屋台。でも、おやじさんがまだ隣にいてくれる様な気がして、無理なく頑張れる。気候がだいぶ暖かくなってきたこともあって客足はまばらだが、それでも常連が多くきていれていた。


 その日も通常通り営業して深夜。そろそろ店を閉めようかと言う頃に一人の客がやってきた。見た感じ外国人の様だが、流暢に日本語を話す変わった客だ。


「まだ大丈夫?」

「もちろん。ご注文は?」

「えーっと、じゃあビールと、おでんはおまかせで」

「あいよ!」


 冷えた瓶ビールをコップと一緒に渡すと、嬉しそうに注いでいっぱい目を一気に飲み干した客。


「ぷはぁー! やっぱこれだよなー!」

「おでん、お待ち」

「待ってました! いただきまーす」


 おでんを食べながらビールを飲み、ビールの次は焼酎にスイッチ。お湯割りが好みらしい。


「いいよね、おでん。こう言う屋台が僕の世界にもあればいいんだけどなあ」

「世界?」

「ん? ああ、僕、実は異世界の神様なんだけどね」


 酔っているのかと思いきや、まだ酔うほども飲んでいないし、本人は至って真面目な様子。しばらくまじまじと客のことを見つめていた憲児だったが、ここは彼の話に今しばらく耳を傾けることにする。神と名乗った客は、会社の愚痴でも言うかの様に異世界のことを語り始めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る