7. シルファのお礼
バークが心ゆくまで鹿の肉を堪能した日から二日が経った。
いつものように日の出とともにリーガンが目を覚ますと、小屋の外からバークが吠える声が聞こえてきた。
「なんだ、やけに早起きだな」
野良犬でも出たかと思って様子を見に行くと、バークはポニーテールの少女にじゃれついていた。
バークの相手をしていたシルファが、リーガンに気づいて顔を上げた。
「もう、あなたが吠えるからおじさまが起きちゃったじゃない」
シルファに叱られたバークが頭を垂れる。リーガンには滅多に見せることがない、殊勝な態度だった。
「……安心しろ。そいつが吠えたときにはもう目が覚めていた」
若干複雑な思いを抱えながらリーガンは言った。
「それはよかったわ。おじさまって早起きなのね。わたしはまだ少し眠くて……」
そう言ってシルファは大きなあくびをした。
「…………」
リーガンはなにも言わずにシルファを見ていた。
「失礼。淑女らしい振る舞いではなかったわね」
貴族の令嬢は手のひらで口元を隠すと優雅に頭を下げた。
「そんなことはどうでもいい」
「そうなの? じゃあ、なにが気になるのかしら? 身だしなみはちゃんと整えたはずなんだけど」
シルファは自分の服装を確かめた。あの日と同じ服ではなかったが、似た感じの動きやすそうな服を着ている。
「ほら、ちゃんと似合っているでしょ?」
軽く回って見せながらシルファがくすりと笑う。本人の言葉通り、明るい青を基調とした上質な服はこの少女によく似合っていた。
「それはそうだが……」
「え? 私のこと、褒めてくれるの……?」
ぽかんとした顔で聞いてくるシルファにリーガンはうなずいた。
「ほ、ほんとに? 本当に本心から、私のことを褒めてくれてるの?」
「ああ。よく似合うと思うが、それがどうかしたか?」
「ううん。どうもしないわ」
シルファは妙に嬉しそうな顔で首を横に振った。
「それで、おじさまは一体なにが気になるの?」
「なぜここにお前がいるのかだ」
どういうわけか上機嫌で聞いてくるシルファにリーガンはむっつりと言った。
「よかった。『おじさま』って呼ばれることはもう気にならないのね」
にやりと笑ってシルファが言う。
「…………」
「冗談よ。そんなに恐い顔しないで」
「もう会うことはないと思っていたんだがな……」
くすくす笑うシルファにリーガンはため息をついた。
「あのとき、私はちゃんと『またね』って言ったじゃない。覚えてないの?」
シルファは不満そうに唇を尖らせる。
「覚えてはいたが……」
別れ際の言葉は一応覚えていたものの、あれは社交辞令だろうと思っていたのだ。
「それならなにも問題ないわね。じゃあ、始めましょうか」
「なにをだ?」
「お墓のお掃除に決まってるでしょ」
シルファはなぜそんなことを聞かれるのかわからないとでもいった様子で、そう宣言した。賛同するかのようにバークが一声吠える。
澄み切った朝の空気の中に、その吠え声は大きく響いた。
作業開始から三十分ほど経った頃、リーガンは胸に抱いていた疑問をぶつけてみた。
「なあ、お前、本当に貴族の令嬢なのか?」
しゃがみ込んで草をむしりながら、シルファが顔だけをこちらに向ける。
「あら? 貴族の令嬢が墓守よりも草むしりが上手いとなにか問題があるのかしら?」
勝ち誇った顔で聞き返してきたシルファの足下には、引き抜かれた雑草の山が出来ていた。
リーガンは自分の足下に目を向ける。
まとめられた雑草は明らかにシルファのものよりも少ない。両者の技量の差は歴然としていた。
あの日、シルファを小屋に連れ帰ったとき、この貴族のご令嬢はリーガンの日々の日課についてやけに細かく質問してきていた。
なぜ墓守の仕事のことなんかを知りたがるのか不思議に感じたが、今にして思えばあのときから手伝いに来る計画を練っていたのだろう。
「ほら、おじさまも手を動かして」
草むしりに戻りながらシルファが言う。
リーガンは唸るしかなかった。
その後の仕事においてもシルファは縦横無尽の活躍を見せた。
落ち葉を掃いて邪魔な石を拾い、ピカピカになるまで墓石を磨く。
初めのうちはリーガンがシルファに指示を出していたのだが、いつの間にかリーガンが指示を出される側になっていた。
少なからず不満はあったものの、あの手際の良さを見せられたのではおとなしく従うしかない。
二時間ほどかけて全ての作業を終えたときには、墓地全体が見違えるほど綺麗になっていた。
「まあ、こんなものかしら」
シルファは額に浮いた汗をぬぐうと満足げにうなずいた。
「取ってくるものがあるからちょっと待っててね」
そう断って、シルファはどこかへ走って行ってしまった。
ときおり吹く微風が墓地を囲む木々の枝をかすかに揺らしている。丹念に磨きあげられた六つの墓石は荘厳な佇まいを見せていた。
生まれ変わったかのような墓地を前に、リーガンは言葉が出なかった。
「おじさま、これを」
戻ってきたシルファが差し出してくれたのは六つの花束だった。派手さはないが色とりどりの美しい花々が綺麗に束ねられている。
「こんなものまで……」
リーガンもときおり森で見つけた花を供えることはあったが、これほど見事な花束を供える機会はなかった。
「ここに眠っているのは、おじさまにとって大切な人達なんでしょう?」
「ああ。その通りだ」
シルファに聞かれて、リーガンはうなずいた。
「だったら、私もこれくらいのことはしないとね」
シルファは笑顔でそう言った。
白を基調とした六つの花束を六つの墓石の前に供えた。
リーガンとシルファは祈りを捧げた。バークもまた、静かに墓を見つめていた。
「シルファ」
祈りを終え、目を開けると隣の少女に声をかけた。
「なにかしら?」
「ありがとう」
心からの感謝を込めてリーガンはそう言った。
「べ、別に、た、大したことはやってないから……」
シルファは頬を赤くして目をそらした。
「どうかしたか?」
リーガンはシルファの顔をのぞき込んだ。
「な、なんでもない! なんでもないから! こ、今度からはおじさまひとりでもこのくらい綺麗に出来るようにならないとだめなのよ!? わかった!?」
ぶんぶんと首を横に振ると、シルファは指を突きつけてそう言った。
「努力はするが、ここまで見事にこなすとなると……」
改めて墓地を見回した。
悔しいが、シルファの腕前は自分とは比べものにならない。俺がここまで出来るようになるにはもっと訓練が必要になるだろう。
「そ、それだったら、その……わたしがまた、教えてあげてもいいのよ……。ほ、ほら、わたしが来るとバークも喜ぶし……」
シルファは下を向いたままぼそぼそと言った。
さっきからそうだが、やたらと元気なこの少女には珍しい態度だった。
シルファがまた来ると聞いて、バークは嬉しそうに何度も吠えた。
こちらもまた、珍しい態度だった。
「友情ってのは儚いもんだな、バーク」
ちぎれんばかりに尻尾を振ってはしゃぐ老犬の姿に、目を細くして言った。
「……もう。バークのことばっかり……」
シルファはどこか不満げだった。
「なんだ?」
「別になにも」
そっぽを向いてそう言うと、シルファは小屋に向かってすたすたと歩いていってしまった。
「なんだっていうんだ……?」
一人取り残されたリーガンは古い友に目を向けた。
老犬バークは不思議そうな顔をしていた。
ある知らせが届いたのは、それから十日後のことだった。
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