花束が落ちる前に

諏訪井麻菜 (สวยมากนะ)

原案:NOYURI 小説:諏訪井麻奈

街の景色が、車窓の向こうで滲んでいる。

まぶしすぎる空が、今日はやけに意地悪だ。


あれから一年ほど。

天気は快晴。

親友の玲奈が選んだ日。

きっと完璧に違いない。


「……本当に、行くの?」


誰に向けたわけでもない問いが、車内に小さく落ちる。

招待状が届き、封を切った瞬間、指先が震えた。

目を疑い、何度も読み返した。

そして息が止まった。

差出人の名前は玲奈。

その隣にあったのは——かつて私が想いを告げようとした、あの人の名前だった。

告白するつもりで誘った、あの食事会の日。

あれからすべてが変わってしまった。


その食事会。

玲奈が仕事の関係であの人と再会し、地元の話で盛り上がったらしい。

その時、私がずっと前から彼に憧れていたことを思い出して、わざわざ話を振ってくれたらしい。


高校の時の先輩で、ずっと好きだった人。

イケメンで、スポーツ万能で、勉強もできて……。

何度も近づこうとしたけれど、結局、話すことさえできなかった。

でも、ようやく会える。


当日、緊張していた私のために、玲奈が早めに待ち合わせてくれていた。

私の格好は、お気に入りのヒョウ柄のワンピースに、カラコンとつけまつげ。

いつもの自然体。

玲奈は淡いラベンダーのワンピースにパールのネックレス。

ロングの髪の中で、さりげなく揺れるイヤリング。


「これでいいかな?」


と聞いた私に、玲奈は一瞬絶句して、そして優しく笑った。


「うん、いいけど。行く前に、ちょっと寄り道しよっか。急ご」


手を引かれて近くのデパートに連れて行かれた。

まず、真っ先に向かったのは衣料品売り場。

服だけじゃなく、靴もバッグもアクセサリーまで——全部、玲奈のセレクト。


「これ、絶対似合うって」


そう言いながら、迷いなく次々と買ってくれた。

化粧品売り場では、メイク直しまで。

美容部員さん顔負けのアドバイスで、眉の形やチークの入れ方まで、テンポよく整えられていく。

何もかもおまかせで、私はただ鏡越しに見守るだけ。

気づいたら——鏡の中の私は、もう“いつもの私”じゃなかった。

まるで誰かに描かれた、大人の女の子みたいになっていた。

「人生ここ一番の大勝負だからね」

そう言いながら、私のために黙々とコーディネートをしてくれた、まぶしいくらい優しすぎる玲奈。

おかげで、自信を持って行けたんだけど……。


昼食のあと『作戦会議』をしてから、玲奈が予約してくれた東京タワーを望むホテルのレストランへ向かった。

緑に囲まれた建物は、磨かれた石材の冷たさと正面の豪華な装花から、古くも格式の高さを感じさせた。

黒服のホテルマンが言葉少なく客を導く様子に、思わず背筋を伸ばした。


「ちょっと、玲奈。いくらなんでもお見合いじゃないんだし……」

「憧れの人をお迎えするのに相応しい場所でしょ」


食事会は、私たちとあの人。

そして、彼が連れて来た大学時代の友達を加えての四人。

その友達は、笑うと目尻がくしゃっと下がるのが印象的で、声が大きく場を明るくするタイプで、あの人とは正反対だけど、二人は息の合った雰囲気だった。


そして席に着いたとき、真っ先に視線が吸い寄せられたのは、もちろん——あの人。

学生時代と同じ、クールながらも優しい顔立ち。

でもスーツ姿の彼は、記憶よりもずっと大人びて見えた。

肩幅が広くなり、ネクタイの結び目もきちんとしていて、仕草の一つひとつが落ち着いていた。


「初めまして、というより——お久しぶり、かな?」


笑顔でそう言われた瞬間、胸が跳ねた。

私のことを覚えていたのかしら。

声の響きも変わっていた。

校舎の廊下で遠くに聞いていたあの声よりも、落ち着いた低めのトーン。

社会人として積み重ねた時間を感じさせるものだった。


グラスを持つ手、スーツの袖やネクタイを直す動作、周りに気を配りながら会話を進める余裕、友達と軽く笑い合う姿。

彼の所作を見ているだけで幸せだった。

なのに、どうしたらいいかわからない——。

やっと会えたのに、うれし過ぎて言葉が出ない。

全部が『届かない場所』にあるようで、まぶしくて……。

理想よりも、さらに遠くなってしまった気がした。

胸の奥で、焦りと憧れと、ほんの少しの悔しさがせめぎ合っていた。


食事会のあとは、そのまま二次会のカラオケへと流れが進んだ。

持ち回りで何曲か歌ったけど、緊張していたのか、


「次、未羽さんの番。ほら、もっと笑って!」


あの人の友達にそう言われたりもしたけど、自分なりに楽しむことができた。


でも、あの時、気づいていたんだ。

玲奈があの人の視線を受け取って、彼女の瞳に何か光るものを見た気がしたこと。

そして、みんながたくさん話しかけてくれたにもかかわらず、私はあの人のことに夢中で、どうしたらいいのかわからず、満足に会話できなかったこと。

結局、『作戦会議』どおりに告白できず、次の機会を待ったけれど、とうとう来なかった。

そして、玲奈が私に微笑んで言ってくれたことだけを信じていた。


「こういうの、タイミングと相性かな。……ある程度、合わせていかないとね」


彼女の言葉をそう自分に言い聞かせながら、連絡が減っていくのを見送った。


結婚式や披露宴には何度も呼ばれたけれど、どこか義理で呼ばれたような気がして、あまり気が進まなかった。

玲奈もこういうの、何度も経験してるはず。

他の人と同じで、自慢したいだけなのかな。

しかも、よりによって相手があの人——私に内緒で二人が付き合ってたなんて……。

玲奈は一番の親友。

同い年だけど、少し私より大人びていた玲奈。

幼い頃から何をするにもずっと一緒で、本当に楽しかった。

私が呼ばれるのは当然のこと。

今すぐにでも会って、心からおめでとうって言いたい。

あれだけ自分のために全力でお膳立てしてくれたんだもの。

食事会では緊張し過ぎたけど、あの人に振られたとは思ってない。

次の機会はもっと上手に振る舞えるはずだと、ずっと申し訳なく思っていたんだ。


何度も招待状に添えられた手書きのメッセージを見直した。


「必ず来てね」


たったそれだけ。

何だろう——玲奈らしい遠回しな優しさ。

まるで試されているようにも感じた。


こんなことになるなら、わざわざ呼ばなくてもいいのに。

私の気持ち、どう思っているのかな。

悔しくて、寂しくて、やるせなくて——でも、どうしても玲奈のことは嫌いになれなかった。


車の窓越しに、東京タワーが見えた。

式場は、あの時と同じホテル。

あの日、あの人に久しぶりに会えた場所。

それ以上に、思い出したくない自分の未熟さも詰まった場所。

どうして玲奈は、あえてここを選んだんだろう。

まるで私の心を試すみたいに。

祝福と確かめたい気持ちが揺れていた。


車が式場の前に停まる。

ふと、車窓に映る自分を見る。

今日は、ヒョウ柄じゃない——もちろん。

玲奈だったら「似合ってるよ、未羽」って言ってくれそうなナチュラルメイクに合わせた落ち着いたネイビーのワンピース。

袖口に、少し遊びのあるデザインを選んだ。


さりげなく周りの来客を見る。

わりと多くの人が来ている。

いつもどおり、知らない顔ばかりのようだ。

主役の二人とは会社も違うし、同郷の知人は……私だけみたい。

みんなフォーマルな服装で、身が引き締まる。

でも、大丈夫。

今日の自分は浮いてない。

あの日と同じ空気の中で、今度は祝福する側の私がいる。


席に着くと、すぐに式が始まった。


フラワーシャワー。

ケーキカット。

キャンドルサービス。


久しぶりに見るウェディングドレス姿の玲奈は、まばゆいほどに輝いていた。

ベールの奥で微笑むその目は、今までと同じ優しさを湛えていた。


そして——タキシード姿の、大好きだったあの人。

遠目で見ていた憧れは、今でも変わらない。

いつも通りの爽やかな笑顔で、どこか照れたような表情のまま、凛とした姿で玲奈に寄り添っている。


二人は、『選ばれた人』の姿をしていた。

格調高いホテルでの結婚式は、まるで美術館の展示のように見える。

私は、手の届かない絵画のような彼を、

いつまでも遠くから眺めていたかっただけ。


お似合いだと思う。

——これで、良かったのかもしれない。

玲奈が私に与えようとした、最高の姿を見せてくれているのだ。


祝福の拍手と音楽のリズムが、少しだけ遠巻きに聞こえる。

新郎新婦と何らかの形で繋がっているだろう大勢の知らない人たちの中で、私も一緒に作り笑顔で拍手を送る。


心の奥でざわつく音がする。

いろんな気持ちが渦を巻く。

でも、もう涙は出ない。

きっと私はもう、とっくに泣き終わっていたのだろう。


式の最後。

ブーケトスの時間。

周囲の誰かの声がした。


「未羽さんも前に出て」


その声に半ば押し出されるように。

でも、集まりの後ろのほうに立つ。


ざわめきの中、玲奈が高々とブーケを掲げる。

音が遠のき、みんな息を呑む。


ゆっくりと振り返った彼女と目が合う……。


私を見ている!


——そして、微笑んだ——。


花束が青空に舞い上がる。

放物線の頂点で、時間が止まった——。


太陽がまぶしい——思わず手をかざす。

でも、目を逸らさない。


届かないかも——。


花びらの影が視界をかすめた瞬間、よろけた背中に温かい手が触れた。


「おっと! 未羽さん。待ってたよ!」


振り返ると、そこには——聞き覚えのある声。名前は……えっと……くしゃっとした優しい目、見覚えのある顔。

食事会で、あの人が連れてきた友達——あの場の雰囲気を盛り上げてくれた彼だ。


まるで、この瞬間を知っていたかのように。


来てたんだ……!


心の鐘が小さく鳴る。


そして私の掌の中に、しっかりと収まった花束。

会場に、わっと歓声が上がる。


「やったね! ほら、未羽さん、笑って!」


拍手は鳴り止まない。

みんなが私たちを見ている。


玲奈とあの人は満面の笑顔。

そして、大きく頷いている。


花束をしっかり握る手。

背中の手のぬくもり。

倒れかけた姿勢なのに、何故か心地良い。

今まで抑えていた熱いものが、身体中から一気に溢れて拡がった。


私もようやく、二人に笑顔を向けることができた。


ありがとう。

今度こそ、大丈夫。


そして、おめでとう。


恋なんて、始まりはいつだって『不意』だ。

自分らしく生きていけば、きっと誰かが振り向いてくれる。

そう信じていたけれど、もしかしたら、あの日も、今日も、すべて『故意』だったのかもしれない。


花束が落ちる、その少し前。

いくつもの優しさが重なって、私はようやく、自分の意思で手を伸ばすことができた。


やっぱり、来て良かった。

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花束が落ちる前に 諏訪井麻菜 (สวยมากนะ) @suwai_mahna

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